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第六章 茫漠
2 竜騎長
しおりを挟む「また、あの中に入れと? 私に……?」
国王サーティークの申し出に、ヨシュアは少し困ったように眉を顰めた。目を落とし、握り合わせた指先をじっと見つめている。
あの<鎧>の扉を開くため、ここしばらく何度も切り傷を入れ続けているその指には、あの女官見習いの少女がその度に膏薬を塗り、包帯を巻いてくれているらしい。普段は手袋で目立たないが、指先はもう傷だらけだった。
この少年王にしてみれば、兄の命を奪った憎い男でしかないあの王の顔などもう二度と見たくもないのに違いなかった。だからこそ、今回もあの<鎧>に入るのは初めからやめておいたのだろう。
もちろんそのことは、臣下のだれでも予想がつく。しかし。
(国王という立場のお方は、……ただそれだけでは)
敵国の王からの提案を携えてヨシュア王のそばに立ったディフリードは、微笑を浮かべて沈黙しつつもそう考えている。
ことは、国家の一大事だ。
あの「兄星」に、この地を「流刑地」にして口を拭った元凶ともいうべき愚かな為政者の子孫たちがまだ生存していたとすれば。それはいつか、この惑星にまた新たな災禍をもたらすかもしれない。
場合によってはあのサーティークとも、やむなく手を携えてでも、敵を排除せねばならないかもしれないのだ。
いまこの時、その目で現実を見極めること以上に、国家元首として大切な役目があろうか。
「余計な口出しかとは思いますが、陛下」
物柔らかな佇まいの中にも、ディフリードの声は毅然としたものを含んでいた。優しげな菫色の瞳の奥にあるのも、決してたおやかな光などではない。
「一国の王陛下として、ここはご同席されるべきかと」
その声は柔らかかったが、有無を言わさぬものをしっかりと含んでいた。
ヨシュアはちょっと言葉を失って、いつもの麗しい笑みを浮かべているだけの竜将を見上げた。しばし無言の時間が流れる。
ダイスやユージェスは侍従長や他の兵らとともに、少し離れた木の陰からそんな王と将軍を見つめていた。
(そうか……)
ヨシュアは、少し理解できたような気がした。
(どうやら、見たままではないのだな……ディフリードも)
この男の性根の底にあるものも、決して柔弱な、女性的なそれではないのだ。恐らくこの男の眉目形に惑わされると、気がつけばとんでもないところに連れて行かれていることだろう。
(……当然、だよな)
この男とて、この若さで将軍の称号を得た人間なのだ。
もちろんその位を与えたのは、他でもない自分なのだけれども。
ヨシュアはひとつ、溜め息をついた。
「わかった……。そうする」
そうして座っていた岩から腰を上げると、ヨシュアは護衛の兵らと共に、もといた<鎧>への山道を再び戻り始めた。
◇
<白き鎧>、中央制御室。
先ほどディフリードに半ば強引に促されて、なぜか宰相ドメニコスも一旦<鎧>の外に出て行った。そのためこの休憩時間中、佐竹はゾディアスとともに残される仕儀となっていた。
「こら、てめえ――」と慌てて声を掛けたらしいゾディアスを、かの美麗な将軍はきれいに無視してのけたものである。もはや、わざとらしい程に。
ゾディアスは忌々しげに舌打ちをしたが、だからといって強引に外に出てゆくこともしなかった。
この交渉中、休憩中であったとしても、<鎧>の中には最低でも二人以上の人間が残ることになっている。一応の安全策だ。ここを無人にしている間に、かのサーティークに勝手に乗り込まれたりしないためである。
「…………」
「…………」
室内に、奇妙な沈黙が流れ続けていた。
ゾディアスは先ほどから一方の壁に背を凭れさせて腕組みをし、ひたすらに沈黙したままである。佐竹は佐竹で、やはり別の壁に凭れるようにして腕組みをし、唇に手を添えてしばし考え込んでいた。
(……困った)
この鬼の竜騎長に、きちんとこれまでの礼や別れを言っておきたいのは嘘ではなかった。だがこうまで舞台を用意されてしまうと、かえって非常にやりにくい。もはや「さあどうぞ」と言わぬばかりではないか。
やはりこれは、あの秀麗な将軍による手の込んだ嫌がらせなのではあるまいか。
……と、妙な勘繰りをしてみたくなるほどだ。
それはこの巨躯の男も同様なのだろう。先ほどからずっと居心地悪そうに、そっぽを向いて沈黙したままである。
(……とはいえ)
もはや残された時間は少ない。
ここであれこれ迷って費やすような、余計な時間はもうないのだ。
そう、一秒たりとも。
佐竹は、少し呼吸を整えて腹を括った。
「ゾディアス竜騎長殿」
「ん? ……おお」
男はちらりとこちらを見やったが、やはり戸惑ったような声で応えをした。
佐竹は壁から離れると、数歩進んで彼の前に立った。そばに立つと、上背のある上官はやはり見上げるような大男だ。
短く刈り込んだ金髪は、ちょっと雛の頭のようにも見える。いかつい顔立ちとはまったく似合わないイメージなのだが。そのちぐはぐな感じが、最近の佐竹にはどこか愛嬌があるようにさえ思われるのだった。
もちろん本人にそんな事を言った日には、顔の形が変わるほど殴られるであろうことは間違いなかったが。
佐竹はふと、あの武術会のことを思い出した。彼と初めて会った日のことである。
ウルの村で行なわれた武術会で、この男は「この兄ちゃんには勝てる気がしねえ」と言い放ち、あっさりと試合を放棄した。そのくせナイト王が佐竹を王都に連れ帰るなり、「自分と真剣勝負をしろ」と、しつこいまでについて回った。その挙げ句、とんでもない方法で試合の勝ちをもぎ取っていった。
(あれは……酷かったな)
と、ゾディアスが動きを止めた。佐竹の顔を凝視している。
「なんだぁ? 気持ち悪いな、てめえ」
人の顔を見て気持ち悪いとは失礼な。
とは思ったが、佐竹はむしろひどく驚いた。
「……あ、いえ。失礼致しました」
自分が少し微笑んでいるのに気付いたのだ。
素直に謝り、顔を引き締める。改めて姿勢を正した。
「ゾディアス竜騎長殿。これまでのご指導、ご鞭撻、またその他さまざまのご協力、まことに有難うございました」
言ってまっすぐに頭を下げる。
ゾディアスは黙って佐竹を見ていた。
「竜騎長どのがおられなかったら、自分は今、ここにこうして立っていられたかどうかも分かりません。まことに、大変お世話になりました――」
佐竹はそのままの姿勢で言った。
「うるせえ」
返ってきたのは意外なほどに硬い声音だった。
「は?」
顔を上げると、ゾディアスはこれ以上ないほど剣呑な目で佐竹を見下ろしていた。
「うるせえ、っつってんだよ」
無言のまま見上げると、男は不機嫌な顔のままそっぽを向いた。
「それ以上言うな。はったおすぞ」
「…………」
ここまで強硬に言われる以上は仕方がない。とりあえず、言うべきことは言えたわけだ。そう自分を納得させ、佐竹は踵を返そうとした。しかし。
(……!)
いきなり鋼の腕が首に巻きついた。と思った次の瞬間、凄まじい膂力でもって、佐竹は体ごと、岩のような革鎧の胸元に押し付けられていた。
「ゾ──」
息が詰まりそうになる。抗議の声を上げようとしたところを、野太い声に遮られた。
「男がよ」
声が耳元の胸板から響いている。
「男が一旦『こうする』って決めたことをよ。今さら柵の外からぐだぐだ言うつもりなんざねえ。……けどよ」
ばすばすと巨大な手のひらで頭頂部を叩かれる。いつもながら、それは結構な痛みだった。佐竹は思わず片目をつぶって顔を顰めた。
「あんま、てめえの命を軽々しく扱いすぎんな。……見てるこっちが痛えからよ」
「は──」
佐竹はふと、視線を落とした。
そうだろうか。
自分はそんなに、己の命を軽く扱っているのだろうか……?
と、唐突に、佐竹の体は太い腕から解放されていた。呆気ないほどの素早さだった。
「いいな」
見上げたゾディアスの瞳はぎらついていて、やっぱりひとかけらの優しさも宿してはいなかった。
佐竹は黙ってその鈍色の瞳を見返した。
言葉にも、表情にも、なにも柔らかいものはない。それなのに、何故か胸内が、今まで覚えたことのないような温かなもので満たされていた。
「…………」
「言うな、っつったぞ」
びっ、と目の前で太い人指し指を立てられる。
佐竹は即座に、開きかけていた唇を引き結んだ。
そして黙って姿勢を正すと、深い一礼を男に返した。
◇
その後すぐ、改めて会談は再開された。<白き鎧>に戻ってきたディフリードとヨシュアも参加している。今回もまた基本的にサーティークの主導で、かの「兄星」の調査・観察が主たる目的となっていた。
『始める前にひと通りご説明申し上げる。ご一同、よろしいか』
サーティークはもう、完全にこの場の支配者のようだ。ヨシュアが同席したことで一応敬語は使っているものの、態度と物腰はもはや堂々たる王のものに他ならない。
『まず、こちらの<鎧>の機能によって、<兄星>の様々な地点へ次々に<門>を開いて参ります。必要に応じて、現地の空気や地質の組成、生命体のあるやなしや等々、順次調査する形となります』
サーティークの説明は、まったく何の澱みもない。
『行なわれることそのものは、この<言霊の壁>を通じ、そちらにもご覧頂けるように設定しております。が、なにか不都合な点などございますれば、すぐにもお申し出ください。そちらの声は、こちらに常に聞こえるようにしておりますので』
「了解いたしました」
佐竹は簡潔に答えた。
「どうぞ、すぐにも始めてください」
画面の向こうの黒髪の王は、佐竹の目をほんの少しじっと見つめるようにしてから、にこりと笑って頷いた。
パネルを操作するように手が動き、やがて画面から一旦光が消えた。
こちらもディフリード、ゾディアス、佐竹がヨシュアを巧みに囲むようにして立っている。万一のことを考えてのことだ。みな帯刀している。万が一、ここへ<門>が開かれるなどして何らかの攻撃が仕掛けられた時のために、一応の準備はしているというわけだった。
息詰るような時間が十分ほど過ぎた。再び制御装置が光を帯び始めた。
先ほどまでとは打って変わって、薄ぼんやりと映し出される画面は一面砂嵐のような肉色の映像だった。
『まずは、<兄星>のもと中枢部のあった場所です。要は、<兄星>の中で<鎧>の設置されていた地点ということになりましょうか』
画面の状態はそのままで、サーティークの声だけが流れてきた。
『こちらを含め、惑星全体に五箇所ばかりあるようです。緯度・経度等々は、画面の隅に表示されているのでご参考までに。経度の基準はもちろん、<兄星>の主要国家の首都と思しき場所です』
佐竹はちらりとそちらに目をやる。なるほど、古代文字によっていくつかの数値が表示されている。
翻訳すれば、「北緯35度、西経0度」ということのようだった。その隣にあるのはどうやら地表からの高度のようである。今、それは地球の尺度で三メートルほどになっていた。
画面の中は、ひどい強風が吹き荒れているように見受けられた。単なる強風とは呼べず、もはや砂嵐と言ってもいいほどの凄まじいものである。
視界は砂の奔流によっていっさいが遮られ、何も見えなかった。
フロイタールの面々は、渋面を作ってそっと互いの目を見交わした。これでは、何も分からないのと同じである。
皆の気持ちを掬い上げるように、再びサーティークの声が入った。
『少し、高度を上下させてみましょう』
画像はそこから一旦途絶え、地表十五メートル、五十メートル、百メートルと何段階かに分けて上がっていった。だが、見える景色はほとんど変わらなかった。その後、何段階かに分けて地下へも<眼>を開いてみたが、そこは真っ暗で、やはり何も見えなかった。
「……暗すぎるようですね」
佐竹がひと言挟むと、サーティークがすぐに応えた。
『明かりをつける機能を作動させてみる。少々待ってくれ』
少しの間があり、ふっと画像が明るくなった。
「……!」
<白き鎧>の面々は思わず息を呑んだ。
そこは、彼らが見たこともないような人工物に埋まっていた。
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