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第五章 流転
15 抱擁
しおりを挟む「う……そだろ、サタケ……」
ケヴィンはそう言ったきり、さっきから言葉を失っている。佐竹から事情を聞かされたのだ。ガンツもその隣で、ひどく悲しげな顔をして立ち尽くしている。
ディフリードの与えてくれた賜暇の一日を過ごした翌日。佐竹は村長ルツに話をし、午前中、ミード村の面々を集めてもらった。農作業の始まる前のまだ暗いうちである。ルツの家の前には篝火が焚かれていた。
以前と同様、みなはそこに集まっている。入り口に座るルツとナオミ、その脇に傅くバシスも、前回と同じ位置にいた。
「で……でも、あんたの友達のナイトウが助かりそうだってんなら……。そりゃあ、しょうがねえ、のか……」
ケヴィンは腕組みをし、顎に手を当てて考え込んでいる。何とか自分を納得させようとするように見えた。彼の優しい青い瞳はまことに心配そうな色に染まっている。
ガンツはずっと眉間に皺を寄せたままだ。短い茶色の髪をばりばりと掻きつつ、ぼそぼそと言った。
「けどよう、その……<儀式>とやらがもし失敗したら、あんたの命が危ないってのはよ……」
巨大な体躯が、まるで萎んでしまったように小さく見えた。
佐竹はそんな二人を見やり、「いや」と静かに首を振った。
「そうと決まった話でもない。どうか、心配しないでくれ」
言って、ルツと村の皆に向き直った。
「皆様には、これまで大変にお世話になりました。三日後のノエリオール交渉以降、自分はもはや皆様にお会いすることもなくなることと思います。ここにあらためて、お世話になりました御礼と、お別れを申し上げたいと思います」
ルツもナオミも、そして村の一同も、しんとして佐竹の言葉を聞いている。
「まことに、有難うございました――」
深々と頭を下げた佐竹を見て、ケヴィンはやっぱり「ううっ」と声を上げたきり口もとを押さえてしまった。涙もろい友人の背中を、ガンツが宥めるように叩いている。
佐竹はほんの僅かに苦笑してそんな二人を眺めやったが、彼らにもあらためて深く一礼をし、その場を後にしたのだった。
◇
そして、第三回交渉前夜。
マールは明日の交渉のための下準備などをすべて終え、少年王と侍従長に夜の挨拶をすると、オルクと共に宿所を後にした。この村にいる間、マールもオルクも自分の家に戻って寝泊りしているのだ。
空はすっかり夜の紫と桃色を混ぜたような姿になり、あの「兄星」も大きな顔をして空の一角に陣取っている。
「じゃあな、マール。おやすみ」
「おやすみ、オルク」
いつものように分かれ道のところで言い合って、マールは自宅へ向かって歩き出した。オルクがそっと振り返り後ろ姿を見送っていることには、まったく気づいていなかった。
と、マールはふと足を止めた。あることに思い至ったのだ。
(……もしかして)
この時間なら、もしかすると――。
そのまま家へ続く道から少し逸れ、マールは村はずれの空き地まで歩いていった。
(やっぱり……)
彼は、いた。
マールが思っていた通りだった。佐竹はあの「兄星」を背景に、流れるような動きで木剣を振っていた。初めてマールが見た時と同じように。
短い黒髪。端整な横顔。
無口で精悍で、いつも真摯で。
決して誰にも、噓はつかない。
(サタケ……)
思えば、あれから半年あまりだ。
あの時のマールはまだ、ほんの小さな少女だった。
成長期を挟んで急に大きくなったとはいえ、あれからもう何年も経ってしまったように感じるのはどうしてなのだろう。
マールはじっと佐竹の剣の鍛錬を見つめ続けた。
佐竹は服装こそあの時とは変わったけれども、やっぱりあの時と同じに見えた。
誰にも追いつけないような静かな美しさをもって、無心に剣を振り続けている。
(ほんとうに……きれい)
精緻で清らかなその動きは、この世のほかの何よりも美しい。今でもマールはそう信じている。夢を見ているような気持ちで、黙ってそれを見続けた。
やがて静かにその場に蹲踞して場に一礼し、佐竹が鍛錬を終了させて立ち上がった。
そうしてつい、とまっすぐにこちらを見た。
「マール」
ずっと大好きだった、あの低い声が自分の名を呼ぶ。
(……あ)
考えてみれば当然だった。そこでマールが見ていることなど、佐竹はとうにお見通しだったのだろう。
「あ、あの……。ごめんなさい」
鍛錬の邪魔をするつもりはなかったのだと、何とか説明しようとする。だが佐竹は黙って片手を上げ、彼女の言葉を遮っただけだった。
「家まで送ろう」
ひとことそう言っただけで、佐竹は彼女の脇を擦り抜けて行こうとした。
「……待って」
佐竹の足が止まる。
思わず呼び止めてしまってから、マールははたと困った。
自分は一体、何を言おうとしているのだろう。
「あ。ご、ごめんなさい。えーと……」
まごまごして視線を彷徨わせているマールを、佐竹は何も言わないまま、ただじっと見つめて待っていた。
……その時。
先日、いきなりあの巨躯の男に言われた言葉がマールの脳裏に閃いた。
『たまにゃあ素直にもなっとかねえと、先々、いろいろ後悔すんぜ――?』
「……!」
マールは目を見開いた。
女官服のスカートの裾をちぎれそうなほどに握り締める。
そうだ。あの男の言うとおりだ。
ほんとうにいいのか。
このままで、いいのか……?
(最後よ……? これが、最後なのよ……?)
必死に自分を叱咤する。
ここで言わなかったら、もう多分、一生言えない。
だって彼は、いなくなるのだ。
もしも命が助かったとしても、そのまま帰ってしまうのだから……!
(それであたし……っ、後悔、しないの……!?)
「どうした? マール」
いつもの落ち着いた声でそう問われ、マールはハッと我に返った。
「あ……の、サタケっ!」
もう睨みつけていると言ってもいいほどの力をこめて、ぎゅっと見上げる。
無言で見下ろしてくる佐竹の瞳は、相変わらず静かなものだった。
ただ黙って、続くマールの言葉を待ってくれているようだ。
マールはひとつ、深呼吸をした。
大事なときこそ、本当に大事なときこそ落ち着いていなければならない。
それを教えてくれたのも、この人だった。
「……サタケ」
どんなに、感謝していることか。
こんな気持ちを、くれたこと。
「あたしね――」
つらい気持ちでもあったけど。
それでもやっぱり、楽しかった。
泣いて、笑って、どきどきして。
こんな思いはもう、二度とできない。
「あたし、サタケが好き」
「……大好き」
きっと、二度とできないわ――。
ぼろぼろと涙を零しながら、それでもしっかり頭を上げてにこにこ笑っているマールの顔を、佐竹は黙って見つめていた。
「ごめんね……ありがと」
言ってごしごしと顔を乱暴に擦る。そんな彼女を、やっぱり彼は沈黙したまま見つめていた。
「あ、いいの! ……わかってるから」
佐竹が眉間に皺を寄せたままやっと口を開こうとしたところを、マールは慌てて遮った。ばたばたと、目の前で両手を振り回す。
翳りを帯びた瞳で見返されても、マールは笑顔のままだった。
「いいの。返事が欲しかったわけじゃないの」
佐竹の視線がふと足元に落ちて、マールはくすっと笑ってしまった。
(……やっぱり、困らせちゃった)
それはそうだろう。真面目な佐竹が、ここで困らないわけがない。
いや、ここで困らないような男だったら、そもそもマールが好きになっているはずがなかった。
マールはくいっと顎を上げて、佐竹の瞳をしっかりと見た。
「ね! じゃあひとつだけ。お願い、聞いてもらってもいい……?」
佐竹も目を上げる。明らかに「それは何か」と訊ねている瞳だったが、マールはちょっともったいぶって見せた。
「えっとね……。一回だけでいいの。だから──」
少しだけ言葉を切る。背中で腕を組んでぴょんと飛び上がると、器用に一回転して佐竹の目の前でぽんと止まった。
「ぎゅーって、して欲しいの。……ダメ?」
佐竹は言葉を失った。やや面食らったような顔をしていた。
長い長い、沈黙があった。
「……ダメ?」
少し落ち込んだような声になってもう一度だけ訊いた。
が、佐竹の答えは簡潔で、しかもマールの望みどおりのものだった。
「……いや」
「ほんと!?」
マールが小躍りし始めたのを見て、佐竹が素早く唇に指を当てる仕草をした。「静かに」という意味であることはマールも知っている。彼から聞いたことがあるからだ。
「あ。ごめん……」
はっと口をおさえた。
村民はみな、とうに寝静まっている時間帯だ。道端であまりうるさくするのは考えものである。周囲を見回すようにしてから視線を戻すと、佐竹はじっとマールを見ていた。
途端、どきりと胸が跳ねる。
(え──)
彼の両腕が、マールに向かって「どうぞ」とばかりに開かれていた。
マールは恐るおそるそちらに近づいた。
自分で言い出しておきながら、胸の音のうるさいことといったらなかった。
まだ頭ひとつ分以上の身長差があるため、佐竹が少しかがんでくれる。
その首に腕を回して、マールは思い切り抱きついた。
彼の腕が自分の背中に回って、やがて力をこめて抱きしめられたのがはっきり分かった。
「サタケ……!」
やっぱり我慢できなかった。
雫がたったひとつぶだけ、マールの頬を転がり落ちていった。
会えなくなるのは、しかたがない。
あなたは、違う世界の人だから。
(……でも)
でも……絶対に死なないで。
それだけは絶対に、耐えられないと思うから。
佐竹が腕の力をほんの少し緩めたその瞬間、マールは彼の肩に手をかけて、最後にぴょんと跳びあがった。
掠めるように、彼の頬に唇を触れさせる。
「……!」
佐竹が目を見開いた。
マールから手を離してからも、彼はしばらく妙な顔をしていた。が、やがて表情を元に戻すと、黙って彼女の家に向けて歩き出した。
マールももうにこにこしながら、彼のあとについて行った。
村の家並みの物陰で、オルクはそっと二人のそんな様子を窺っていた。
が、やがてひとつ溜め息をつくと、足音をひそませて村の小道を戻っていった。
◇
翌朝「対ノエリオール交渉班」の面々は、再び<白き鎧>へ向けて出立することになった。
同行できないマールとオルクは、ミード村の入り口まで一同を見送りに出た。ケヴィンとガンツも数人の村人と共にやってきている。少し離れて、ルツとナオミ、バシスも立っていた。
「頑張れよ、サタケ」
「達者でな」
ケヴィンは例によって涙に咽ぶようにしながら、言葉すくなに別れの挨拶をしている。ガンツも優しい瞳に少し涙を浮かべているようだった。
マールとオルクも、馬の前にいる佐竹に近づいた。
「あの……サタケ。色々、ほんと、有難う……」
オルクはもう半泣きのような顔で、つっかえつっかえそう言うのがやっとだった。
「俺、もっと剣、うまくなるよ……サタケみたいに」
手には佐竹が朝晩の稽古で使っていた木剣を握りしめている。彼はそれを、最後にオルクに譲ったのだ。
佐竹はひとつ、頷いた。
「ああ。……頑張れ」
一方マールは、一同の中でただ一人、何かを吹っ切ったような明るさだった。すっきりと輝くような笑顔を浮かべている。
「サタケ、元気でね」
その目にも声にも、少しも涙は滲ませなかった。
「あと、これ――」
マールは胸に、いつか佐竹が写本した物語の巻物を抱えている。
「本当にありがとう。……大事にするわ」
佐竹はちらりとそれを見やると、マールの目を真っ直ぐに見てひとつ頷き返した。
「ああ。マールも、頑張れ」
すでに愛馬に騎乗して別れを惜しむ人々を眺めやっていたゾディアスが、何かを納得したような顔で、にやりと笑って頷いていた。
佐竹は送りに来てくれた一人ひとりに会釈したり、握手を交わしたりしながら別れの挨拶をした。
「みんな、本当に世話になった。感謝している。どうか……元気で」
最後にそう言い、頭を下げて、自分の馬に騎乗する。
「交渉班」の一行は、それを合図に出発した。
ミード村の人々の見送る中を、朝日に背中を照らされながら一行はしずしずと<鎧>への道を辿っていった。
佐竹にとっては恐らくこれが、この国での最後の道行きとなる。
騎乗したその背中が薮のなかへ隠れそうになったその瞬間、マールはだしぬけに駆け出した。
弾かれたようにオルクも続いた。
ガンツとケヴィンもあとから小走りにやってくる。
マールは村の入り口の外まで走ってから立ち止まった。
「サタケ――――っ!!」
そして叫んだ。
スカートを握り締め、腰を折るようにして、喉も裂けよと声を張り上げる。
「さよーな、らああああ――――!」
ぎゅっとつぶった目尻から、ずっと我慢していたものがとうとうひとつ転がり落ちた。
佐竹の背中がぴくりと動いて、こちらを振り返ったようだった。
オルクもマールに負けじと大声を張り上げる。
「サタケ――――っ! げんっ、きで、なあああ――――!!」
ぶんぶんと両腕を振り回す。
ケヴィンとガンツも、大きく手を振っていた。
今度ははっきりと、佐竹の顔がこちらを向いたのが分かった。
軽く片手を上げ、マールとオルクを見つめている。
(……!)
マールは、見た。
それは、彼女が初めて見る彼の顔だった。
佐竹は、彼を知る者からすればちょっと信じられないほど、
優しそうな笑顔で笑っていた。
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