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第五章 流転
4 少年王
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少年王ヨシュアは、このところ元気がない。
別に体調が悪いというのではないらしい。だが、食欲もどうもいまひとつだ。最近ではなにか突然、ぼんやりと窓の外を眺めては他所事を考えていることも多い。それでついうっかりと臣下の話を聞いていなかった、などということが再々ある。
『それもこれも、物慣れぬお前たちのような者が身の回りのお世話をするようになってからだぞ!』と、侍従長はひどくご立腹だ。ここで言う「お前たち」というのは当然、マールとオルクのことである。
ところがヨシュア本人にそのことを謝ると、彼は『とんでもない! 二人は本当によくやってくれているよ』と、困った顔で否定するのだ。そうしてひどく慌てたり、顔を赤くしたりして黙り込んでしまう。
要は、挙動不審になるのだ。
(なんっなんだろうなあ……ほんと)
オルクには、どうもわけが分からない。
自分はまだ、ヨシュアの近習になって日が浅い。と言うかそもそも、これまで近習としての仕事どころか、王都や王宮そのものにすら、とんと縁のない人生を送ってきた。要は、ただの田舎者なのだ。
それがなんの因果か、いきなり王付きの小姓なんてものになってしまった。毎日なにかと勝手が違って、戸惑うことばかりである。細かい作法やしきたりに至っては、田舎の村ではいっさい教えられなかったようなことがてんこ盛りなのだから当然だった。
それなのに、あの侍従長はつまらないことでも容赦なく「こんなことも知らないのか」とご立腹になる。いきおい、オルクは様々なことについてすぐに不安にもなりやすかった。
このところ、彼が最も気になっていること。
一番はもちろん、あの幼馴染の少女マールの今後の動向だ。が、それとは別にあのヨシュア王のことだって、オルクはひどく気がかりだった。まあ、せっかくこうやってお近づきになり、仲良くなり始めたところなのだから当然である。
別に口には出さないけれど、自分はあの素直で誰にでも優しい少年王がことのほか気に入っている。
友達なんて、人から言われてなるもんじゃない。そうは思うが、それでもこうして出会えたヨシュア王自身のことは、オルクは大好きだったのだ。なによりあの、身分をまったく鼻に掛けたところがないのがいい。
かの少年王の周囲への気遣いは本当に素晴らしい。それはもう、自分と同じぐらいの年だなんて信じられないぐらいだ。彼は自分の感情を目下の者にぶつけて困らせるようなことは決してしない。と言うか、あまりにも「いい子」すぎて、逆にちょっと心配になるぐらいだ。
「な~な~。どう思う? サタケ」
手の上に積み重ねた分厚い羊皮紙の書物をぐらぐらさせながら、オルクは隣に立つ文官の青年に訊ねている。
「さあな。そういう事は、まずご本人にお訊きするのが筋じゃないのか」
佐竹は書棚の間を歩きつつ、手元の書類から目を離さないままそう答えた。当然、仕事中である。
アイゼンシェーレン、フロイタール宮。書庫の間。小姓姿のオルクは彼の隣で書物の移動などを手伝いながら、ずっとそんな話をしている。
本来なら、自分はいつでもヨシュア王の近くにいるべき立場だ。けれどもしょっちゅう侍従長の男に叱られて、オルクは何かと言うとあの執務室から追い出されてしまうのだった。
『お前はこのようなことも知らぬのか』
『さっぱり役にたたぬ』
『邪魔なだけゆえ出て行っておれ』──。
毎度毎度こんな調子で、オルクはあまりヨシュアのそばにいさせてもらえない。あの男、細かいことや規律にうるさくて、つくづく面倒くさいのである。
前回の「第一回二国間交渉」から、すでに十日あまりが過ぎている。
ノエリオールが指定してきた二回目の交渉の日程は五日後ということになっていて、今の佐竹は通常の書庫の業務に戻っていた。
<鎧>の研究班は、引き写してきた古代文書の更なる精密な解読に励んでいるが、佐竹は交渉班を担当することになったため、基本的にそちらは彼らに任せる形になっているのだ。
とはいえ連絡は緊密に取り合っており、必要な情報があればすぐさま教えてもらうことにはなっているらしい。なんといっても、研究班の班長はこの書庫の文官長ヨルムスである。
「だからさあ。聞いてすんなり答えてくれたら、苦労しないんだってばさ~……」
佐竹の素っ気無い返事を聞いて、オルクは口を尖らせた。やはり「朴念仁サタケ」にこういう類いの相談は意味がなかったか……と、ちょっと後悔する。
(っていっても……。あの将軍サマにだけは相談したくねえしなあ……)
先日、大事な幼馴染の少女をいきなり「妻にしたい」と言いだした美貌の将軍、ディフリード。彼にだけは、絶対にこんな話はしたくなかった。だがオルクの知る限り、あの美青年こそ、こういう相談に最適な人物に違いなかったけれども。
ついでながらその悪友だという巨躯の竜騎長に至っては、「そんなくだらねえ話で呼びたてんな」と、速攻で頭に拳骨が飛んできそうだった。余計に話す気になれない。
そういう消去法の結果、やっぱりというかしょうがなくというか、とにかくオルクはこの問題をこの佐竹に相談するしかなかったのだ。
「なんっかさあ。ヨシュア、俺には『話したくない』みたいな……感じだし」
言いながらちょっと肩を落とす。
「やっぱさ……。こんなガキ、相談相手になるわけねえって、思ってんのかも……」
自分で言っておきながら、そのことにちょっとしょげてしまう。オルクの語尾はか弱く萎んだ。佐竹はちらっとそんな少年の顔を見下ろして、少し考える風になる。やがて持っていた書類をぱたりと閉じた。
「俺なら話してくださる、というものでもないとは思うが。オルクがそれでもいいなら、俺からお聞きしてみてもいいが?」
「えっ、ほんと?」
ぱっと明るい顔をあげたオルクに、佐竹は頷き返した。
「ああ。……だが、あまり期待はしないでくれ」
「いやいや、大丈夫だって! ヨシュア、サタケのことすっげー頼りにしてるもん!」
「やったあ」とばかりに、いきなり書物運びの足取りも軽くなってしまう。
そんなオルクを見やって、黒髪・長身の青年文官は「やれやれ」とばかりに肩を竦めた。その顔は「恐らくこれは、自分が最も苦手とする分野の仕事になりそうだ」と、少し思案する風にも見えた。
◇
その夜、一連の仕事が終了してから、佐竹はヨシュアの執務室へ向かった。
すでに結構な深更だったが、執務室にはまだ明かりがついていた。扉の前に立つ警備兵に取次ぎを頼むと、中から例の侍従長が横柄な様子で顔を覗かせた。
「なんだ、サタケか。なんの用だ? 陛下はまだご多忙であるぞ」
ミード村にいてもそうだが、ここ王宮でともなると余計に、その上から見下ろす姿勢に磨きが掛かる。この男のこの態度は、いったいどうしたことだろう。ともあれ佐竹はこの男に対しては特になんの感情もない。ただ平板に「そういう男なのだ」という認識があるばかりだ。
「終わられるまでここでお待ちします。なんでしたら、ご公務の補助や雑務なりともお手伝いいたしますが」
一応そう申し出てみた。が、侍従長は「ふん」と小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、「そこで待て」と言いさして扉を閉めた。
佐竹はそこで、持ってきていた<鎧>の古代文書の写しや研究成果の報告書、次の交渉のための準備書類などを開いた。今後のためにそれらを見返しながら待つことにしたのだ。
半刻ほどしてようやく執務室の扉が開いたときには、もはや日付も変わりかかっていた。疲労のために目を赤くした書記官や補佐官らがぞろぞろと出てくる。その後から出てきた侍従長が、さも面倒くさげに佐竹を中へと誘った。「くれぐれも手短にな」と釘をさすことも忘れない。
「ああ、サタケ……!」
ヨシュアはその時、執務机の椅子から立ち上がってちょっと伸びをしていたようだった。こちらを振りむき、佐竹を見てぱっと嬉しそうな顔になる。
大抵はこんな調子で、この少年王は相変わらず、毎日休む間もないらしい。執務机の上はもちろん、部屋の隅に置かれた書類台の上にも、様々な書類が山と積まれている。
「あまりお手間を取らせるな。早くお話をせぬか」
侍従長が勿体をつけた声で言い放ったが、特に気を利かせて立ち去るような様子はない。佐竹はちょっとヨシュアを見やって、ちらりと目だけでかの男を指し示した。
ヨシュアはすぐ、その意図を察したようだ。さすがに聡明な少年である。
「すまない。席を外してくれぬか」
「は……?」
侍従長が驚いた目でヨシュアを見返した。
「そのまま、今日はもう休んでくれ。ご苦労だった」
少年王の声は飽くまでも穏やかだった。男はやや不服そうな様子だったが、じろりと佐竹を睨んだだけで、静かに退室していった。
侍従長の後ろで扉がようやく締まったのを見届けてから、ヨシュアはあらためて佐竹に向き直った。
「それで? どうしたのだ」
多少疲れた表情ではあるものの、彼は嬉しげな微笑を崩さなかった。佐竹は「さてここへ来たものの、どこから説明したものか」と少し思案した。
「……オルクが、先日から心配しております」
「え? オルク……?」
不思議そうに見返されて「ああ、自覚がないのか」と理解する。これは話が長引きそうだった。
「はい。彼が申すには、最近の陛下のご様子が少し妙だとのことで──」
「え? そ、そうかな……」
ヨシュアはやや下を向いて頭を掻いたが、ふと何かに気づいたらしく、ちょっと咎めるような目で佐竹を見つめた。
「……サタケ。二人きりだぞ」
さも恨めしげに下から見上げてくる。彼が何を不満顔になっているのか、佐竹はすぐには分かりかねた。が、すぐにあることに思い至った。
「申し訳ありません。ヨシュア様」
途端、少年王がにっこり笑った。満足げに頷いている。
「私が変だと言うのだな、オルクが。どういうことかな……」
「さあ、自分にはまったく──」
やはりこういうことには自分は不適任だと再認識しつつ、佐竹は腕組みをして顎に手を当てた。
「ヨシュア様が相談してくれないのは、自分の力不足のせいだと申していましたが──」
「いや! そんなことはないよ……!」
ヨシュアは慌てたようだった。
「オルクは……本当に私の、いい友達になってくれている。これ以上、彼に求めることなんて──」
言いかけて、ふとヨシュアは黙り込んだ。その沈黙に佐竹が目をやると、少年は少し口許を覆うようにして、自分の足元にじっと視線を落としていた。
「ヨシュア様……?」
「あ、いや──」
目を上げて佐竹を見る。が、また視線を彷徨わせて逡巡する風だ。
「何かお心に掛かることがおありなのでしたら、自分でなくとも──」
言いかけて、口を噤んだ。
……それは、無理だ。
ここにかのナイト王がいてくれたのなら、話は別だが。
あの兄王であれば、すぐにも優しく、なんの苦もなく、この少年の気持ちを引き出してしまうのであろうに。
「…………」
佐竹は沈黙した。
この自分が、どの口で何を言おうというのだろう。
あの日、無様にも彼の兄王を守ることもできなかった、この自分が。
やや目を逸らすようにして黙りこくってしまった佐竹を見て、ヨシュアは少し慌てたようだった。
「あ、サタケ! 別にその……、そなたには言いにくいとか、そういう事ではないからな……?」
困った顔で必死に取り成そうとされると、余計に心苦しいばかりだった。佐竹はただ首を横に振った。
「……いえ。申し訳ありません。自分などが、差し出がましいことを申しました」
「いや、だからっ……!」
ヨシュアは必死でばたばたと両手を振った。一層慌ててしまったようだ。そしてふと、二人ともまだ立ったままであることに気がついたらしかった。
「と、とにかく……。座ってくれぬか……?」
一旦は断ったが、「それでは落ち着かぬから、頼む」と何度も勧められ、佐竹はようやく客用のソファに座った。隣にヨシュアもちょこんと座る。
それでもしばらく、若き少年王は逡巡していた。
「そ、その……。これは、誰にも言わないで貰いたいのだが──」
ようやく言葉を紡ぎだしても、そこからがまた長かった。体の前で指先を絡ませてもじもじさせながら、俯いて顔を赤くしている。
「どうも、先日から変なのだ、私は……」
「変、とおっしゃいますと」
ヨシュアの耳が見る間に赤くなった。ぎゅっと目をつぶってしまう。
「その……。先日、ディフリードが……彼女に求婚する、と申してから──」
「…………」
(……なるほど)
その思いと共に、佐竹は絶望的な気持ちになった。
これは、駄目だ。
それは間違いなく、自分から最も遠いカテゴリーに属する相談だった。
別に体調が悪いというのではないらしい。だが、食欲もどうもいまひとつだ。最近ではなにか突然、ぼんやりと窓の外を眺めては他所事を考えていることも多い。それでついうっかりと臣下の話を聞いていなかった、などということが再々ある。
『それもこれも、物慣れぬお前たちのような者が身の回りのお世話をするようになってからだぞ!』と、侍従長はひどくご立腹だ。ここで言う「お前たち」というのは当然、マールとオルクのことである。
ところがヨシュア本人にそのことを謝ると、彼は『とんでもない! 二人は本当によくやってくれているよ』と、困った顔で否定するのだ。そうしてひどく慌てたり、顔を赤くしたりして黙り込んでしまう。
要は、挙動不審になるのだ。
(なんっなんだろうなあ……ほんと)
オルクには、どうもわけが分からない。
自分はまだ、ヨシュアの近習になって日が浅い。と言うかそもそも、これまで近習としての仕事どころか、王都や王宮そのものにすら、とんと縁のない人生を送ってきた。要は、ただの田舎者なのだ。
それがなんの因果か、いきなり王付きの小姓なんてものになってしまった。毎日なにかと勝手が違って、戸惑うことばかりである。細かい作法やしきたりに至っては、田舎の村ではいっさい教えられなかったようなことがてんこ盛りなのだから当然だった。
それなのに、あの侍従長はつまらないことでも容赦なく「こんなことも知らないのか」とご立腹になる。いきおい、オルクは様々なことについてすぐに不安にもなりやすかった。
このところ、彼が最も気になっていること。
一番はもちろん、あの幼馴染の少女マールの今後の動向だ。が、それとは別にあのヨシュア王のことだって、オルクはひどく気がかりだった。まあ、せっかくこうやってお近づきになり、仲良くなり始めたところなのだから当然である。
別に口には出さないけれど、自分はあの素直で誰にでも優しい少年王がことのほか気に入っている。
友達なんて、人から言われてなるもんじゃない。そうは思うが、それでもこうして出会えたヨシュア王自身のことは、オルクは大好きだったのだ。なによりあの、身分をまったく鼻に掛けたところがないのがいい。
かの少年王の周囲への気遣いは本当に素晴らしい。それはもう、自分と同じぐらいの年だなんて信じられないぐらいだ。彼は自分の感情を目下の者にぶつけて困らせるようなことは決してしない。と言うか、あまりにも「いい子」すぎて、逆にちょっと心配になるぐらいだ。
「な~な~。どう思う? サタケ」
手の上に積み重ねた分厚い羊皮紙の書物をぐらぐらさせながら、オルクは隣に立つ文官の青年に訊ねている。
「さあな。そういう事は、まずご本人にお訊きするのが筋じゃないのか」
佐竹は書棚の間を歩きつつ、手元の書類から目を離さないままそう答えた。当然、仕事中である。
アイゼンシェーレン、フロイタール宮。書庫の間。小姓姿のオルクは彼の隣で書物の移動などを手伝いながら、ずっとそんな話をしている。
本来なら、自分はいつでもヨシュア王の近くにいるべき立場だ。けれどもしょっちゅう侍従長の男に叱られて、オルクは何かと言うとあの執務室から追い出されてしまうのだった。
『お前はこのようなことも知らぬのか』
『さっぱり役にたたぬ』
『邪魔なだけゆえ出て行っておれ』──。
毎度毎度こんな調子で、オルクはあまりヨシュアのそばにいさせてもらえない。あの男、細かいことや規律にうるさくて、つくづく面倒くさいのである。
前回の「第一回二国間交渉」から、すでに十日あまりが過ぎている。
ノエリオールが指定してきた二回目の交渉の日程は五日後ということになっていて、今の佐竹は通常の書庫の業務に戻っていた。
<鎧>の研究班は、引き写してきた古代文書の更なる精密な解読に励んでいるが、佐竹は交渉班を担当することになったため、基本的にそちらは彼らに任せる形になっているのだ。
とはいえ連絡は緊密に取り合っており、必要な情報があればすぐさま教えてもらうことにはなっているらしい。なんといっても、研究班の班長はこの書庫の文官長ヨルムスである。
「だからさあ。聞いてすんなり答えてくれたら、苦労しないんだってばさ~……」
佐竹の素っ気無い返事を聞いて、オルクは口を尖らせた。やはり「朴念仁サタケ」にこういう類いの相談は意味がなかったか……と、ちょっと後悔する。
(っていっても……。あの将軍サマにだけは相談したくねえしなあ……)
先日、大事な幼馴染の少女をいきなり「妻にしたい」と言いだした美貌の将軍、ディフリード。彼にだけは、絶対にこんな話はしたくなかった。だがオルクの知る限り、あの美青年こそ、こういう相談に最適な人物に違いなかったけれども。
ついでながらその悪友だという巨躯の竜騎長に至っては、「そんなくだらねえ話で呼びたてんな」と、速攻で頭に拳骨が飛んできそうだった。余計に話す気になれない。
そういう消去法の結果、やっぱりというかしょうがなくというか、とにかくオルクはこの問題をこの佐竹に相談するしかなかったのだ。
「なんっかさあ。ヨシュア、俺には『話したくない』みたいな……感じだし」
言いながらちょっと肩を落とす。
「やっぱさ……。こんなガキ、相談相手になるわけねえって、思ってんのかも……」
自分で言っておきながら、そのことにちょっとしょげてしまう。オルクの語尾はか弱く萎んだ。佐竹はちらっとそんな少年の顔を見下ろして、少し考える風になる。やがて持っていた書類をぱたりと閉じた。
「俺なら話してくださる、というものでもないとは思うが。オルクがそれでもいいなら、俺からお聞きしてみてもいいが?」
「えっ、ほんと?」
ぱっと明るい顔をあげたオルクに、佐竹は頷き返した。
「ああ。……だが、あまり期待はしないでくれ」
「いやいや、大丈夫だって! ヨシュア、サタケのことすっげー頼りにしてるもん!」
「やったあ」とばかりに、いきなり書物運びの足取りも軽くなってしまう。
そんなオルクを見やって、黒髪・長身の青年文官は「やれやれ」とばかりに肩を竦めた。その顔は「恐らくこれは、自分が最も苦手とする分野の仕事になりそうだ」と、少し思案する風にも見えた。
◇
その夜、一連の仕事が終了してから、佐竹はヨシュアの執務室へ向かった。
すでに結構な深更だったが、執務室にはまだ明かりがついていた。扉の前に立つ警備兵に取次ぎを頼むと、中から例の侍従長が横柄な様子で顔を覗かせた。
「なんだ、サタケか。なんの用だ? 陛下はまだご多忙であるぞ」
ミード村にいてもそうだが、ここ王宮でともなると余計に、その上から見下ろす姿勢に磨きが掛かる。この男のこの態度は、いったいどうしたことだろう。ともあれ佐竹はこの男に対しては特になんの感情もない。ただ平板に「そういう男なのだ」という認識があるばかりだ。
「終わられるまでここでお待ちします。なんでしたら、ご公務の補助や雑務なりともお手伝いいたしますが」
一応そう申し出てみた。が、侍従長は「ふん」と小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、「そこで待て」と言いさして扉を閉めた。
佐竹はそこで、持ってきていた<鎧>の古代文書の写しや研究成果の報告書、次の交渉のための準備書類などを開いた。今後のためにそれらを見返しながら待つことにしたのだ。
半刻ほどしてようやく執務室の扉が開いたときには、もはや日付も変わりかかっていた。疲労のために目を赤くした書記官や補佐官らがぞろぞろと出てくる。その後から出てきた侍従長が、さも面倒くさげに佐竹を中へと誘った。「くれぐれも手短にな」と釘をさすことも忘れない。
「ああ、サタケ……!」
ヨシュアはその時、執務机の椅子から立ち上がってちょっと伸びをしていたようだった。こちらを振りむき、佐竹を見てぱっと嬉しそうな顔になる。
大抵はこんな調子で、この少年王は相変わらず、毎日休む間もないらしい。執務机の上はもちろん、部屋の隅に置かれた書類台の上にも、様々な書類が山と積まれている。
「あまりお手間を取らせるな。早くお話をせぬか」
侍従長が勿体をつけた声で言い放ったが、特に気を利かせて立ち去るような様子はない。佐竹はちょっとヨシュアを見やって、ちらりと目だけでかの男を指し示した。
ヨシュアはすぐ、その意図を察したようだ。さすがに聡明な少年である。
「すまない。席を外してくれぬか」
「は……?」
侍従長が驚いた目でヨシュアを見返した。
「そのまま、今日はもう休んでくれ。ご苦労だった」
少年王の声は飽くまでも穏やかだった。男はやや不服そうな様子だったが、じろりと佐竹を睨んだだけで、静かに退室していった。
侍従長の後ろで扉がようやく締まったのを見届けてから、ヨシュアはあらためて佐竹に向き直った。
「それで? どうしたのだ」
多少疲れた表情ではあるものの、彼は嬉しげな微笑を崩さなかった。佐竹は「さてここへ来たものの、どこから説明したものか」と少し思案した。
「……オルクが、先日から心配しております」
「え? オルク……?」
不思議そうに見返されて「ああ、自覚がないのか」と理解する。これは話が長引きそうだった。
「はい。彼が申すには、最近の陛下のご様子が少し妙だとのことで──」
「え? そ、そうかな……」
ヨシュアはやや下を向いて頭を掻いたが、ふと何かに気づいたらしく、ちょっと咎めるような目で佐竹を見つめた。
「……サタケ。二人きりだぞ」
さも恨めしげに下から見上げてくる。彼が何を不満顔になっているのか、佐竹はすぐには分かりかねた。が、すぐにあることに思い至った。
「申し訳ありません。ヨシュア様」
途端、少年王がにっこり笑った。満足げに頷いている。
「私が変だと言うのだな、オルクが。どういうことかな……」
「さあ、自分にはまったく──」
やはりこういうことには自分は不適任だと再認識しつつ、佐竹は腕組みをして顎に手を当てた。
「ヨシュア様が相談してくれないのは、自分の力不足のせいだと申していましたが──」
「いや! そんなことはないよ……!」
ヨシュアは慌てたようだった。
「オルクは……本当に私の、いい友達になってくれている。これ以上、彼に求めることなんて──」
言いかけて、ふとヨシュアは黙り込んだ。その沈黙に佐竹が目をやると、少年は少し口許を覆うようにして、自分の足元にじっと視線を落としていた。
「ヨシュア様……?」
「あ、いや──」
目を上げて佐竹を見る。が、また視線を彷徨わせて逡巡する風だ。
「何かお心に掛かることがおありなのでしたら、自分でなくとも──」
言いかけて、口を噤んだ。
……それは、無理だ。
ここにかのナイト王がいてくれたのなら、話は別だが。
あの兄王であれば、すぐにも優しく、なんの苦もなく、この少年の気持ちを引き出してしまうのであろうに。
「…………」
佐竹は沈黙した。
この自分が、どの口で何を言おうというのだろう。
あの日、無様にも彼の兄王を守ることもできなかった、この自分が。
やや目を逸らすようにして黙りこくってしまった佐竹を見て、ヨシュアは少し慌てたようだった。
「あ、サタケ! 別にその……、そなたには言いにくいとか、そういう事ではないからな……?」
困った顔で必死に取り成そうとされると、余計に心苦しいばかりだった。佐竹はただ首を横に振った。
「……いえ。申し訳ありません。自分などが、差し出がましいことを申しました」
「いや、だからっ……!」
ヨシュアは必死でばたばたと両手を振った。一層慌ててしまったようだ。そしてふと、二人ともまだ立ったままであることに気がついたらしかった。
「と、とにかく……。座ってくれぬか……?」
一旦は断ったが、「それでは落ち着かぬから、頼む」と何度も勧められ、佐竹はようやく客用のソファに座った。隣にヨシュアもちょこんと座る。
それでもしばらく、若き少年王は逡巡していた。
「そ、その……。これは、誰にも言わないで貰いたいのだが──」
ようやく言葉を紡ぎだしても、そこからがまた長かった。体の前で指先を絡ませてもじもじさせながら、俯いて顔を赤くしている。
「どうも、先日から変なのだ、私は……」
「変、とおっしゃいますと」
ヨシュアの耳が見る間に赤くなった。ぎゅっと目をつぶってしまう。
「その……。先日、ディフリードが……彼女に求婚する、と申してから──」
「…………」
(……なるほど)
その思いと共に、佐竹は絶望的な気持ちになった。
これは、駄目だ。
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