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第四章 接近
8 交渉班
しおりを挟むフロイタール宮、「会議の間」。
佐竹は御前会議の一同の前で、静かにその遺書を読み上げている。
『……貴方様がこれをお読み下さっているということは、とりも直さず、わが身はすでにこの世のものではありますまい。
この身はもはや、それを毫も悔いることなどござりませぬ。
が、もし心に残る恨事があるとするならば、それはやはり、あの『白き鎧』の一事にござりまする。
…………
あの『白き鎧』の秘密を、解き明かして頂きたい。
そして、出来うることなれば、それを破壊せしめて頂きとう存じまする。
…………
「憎うはないか」と、あの男は申しました。
あの時、愚かにもわたくしは、初めて目を開かされたのでござりまする。
いかにも、憎い。
あのような物さえなければ、陛下は『鎧の稀人』などという、惨い桎梏に繋がるることもなく、われら歴代の宰相どもが退任を機にいちいち人柱に立つこともなく、国はより平和に治まったでありましょうものを。
…………
どうか、伏してお願い申し上げまする。
『鎧』の秘密を。
そして、その破壊を――。
何卒、この老骨の最期の願いをお聞き届け願いたい。
伏して、伏してお願い申し上げまする――。
宰相ズール 』
そろそろ昼餉の刻限だった。だが、その場の一同は皆、固唾を呑んで佐竹の手許を見つめていた。誰一人として、しわぶきのひとつもしない。
それでも、遺書の末尾、最後のズールの言葉のあたりでは、密かに涙ぐむような者もいた。
「……以上が、前宰相ズール閣下より、自分が賜った文書のすべてです」
ズールの遺書を読み上げ終わると、佐竹は静かにそれをヨシュアに手渡して一歩さがった。
ヨシュアがそれを沈痛な面持ちで一読し、まずアキレアスに渡す。すると、文書は同様にしてその手から宰相ドメニコスの手へと渡った。ドメニコスは震える手でそれを受け取り、食い入るように文面に目を落とした。
会議の間は、しんと静まり返っている。
遺書を読み上げるに当たり、佐竹は皆に説明した。つまり、「冬至の変」の直前にズールがナイト王とディフリード、ゾディアスを前に告白した七年前の<白き鎧>での事件についてだ。ディフリードも当然そこに加わり、説明の手助けをしてくれた。
会議の間に満ち満ちた重い静寂を破ったのは、やはり、元帥アキレアスだった。
「どうかな、おのおの方。これで、かの南の王サーティークが<鎧>の破壊を目論んでおることは明白となったわけである。また、かのズール閣下がこのサタケをしてここまでの信頼を寄せ、<鎧>の秘密の解明と破壊をお望みであったこともだ」
そこまで言って、アキレアスはひと渡り、威厳に満ちた鷲の瞳で一同を見回した。ここまでで異議を唱える瞳がそこに存在しないことを確認し、彼は再び口を開いた。
「方々には、このことをよく熟慮した上で午後に臨んでいただきたい。ひとまずはこれにて午前は解散、ということでよろしゅうございますかな? ドメニコス閣下」
元帥が、ヨシュア王のさらに向こう側に座って体を固くしている宰相ドメニコスの方を見やる。
対するドメニコスは、すぐには答えを返せない様子であった。が、やがて静かに頷き返した。
会議は一旦お開きとなり、昼餉の後、再び集合することとなった。
御前会議の面々が次々と退室する中、宰相ドメニコスはズールの遺書を手に佐竹にそっと近づいてきた。
「そうか、そうか……。あのズール殿がのう……」
先ほどまでの剣幕はどこへいったものか。
少し伏目がちになった老人は、丁重な仕草で遺書を佐竹に返すと、袖で静かに目許を拭った。
「多少、目下の者どもに対して厳しい物言いをなさる、付き合いづらい御仁ではあったが……。あの方はあの方なりに、ナイト王陛下とこの国を心より思うてのことであったのよなあ……。いやまこと、まことに素晴らしいお覚悟であった……」
この老人は当然、ズールと長く付き合いがあったものだろう。その遺書を実際に目にして、感慨も一入であるようだった。
「済まぬことを申したな、サタケ。これまでの経緯もよく知らぬまま、無闇にそなたを疑うような物言いをした。……許せよ」
老人の瞳は、もう静かに凪いでいた。佐竹は手紙を受け取って一礼した。
「……いえ」
言葉少なに答える長身の青年文官を、老人は穏やかな目でしばし見つめたが、やがて小さな声で尋ねた。
「ひとつ、意見を聞きたいのだが。……よいかな? サタケ」
「……はい」
ドメニコスは、こほんと小さく咳払いをして、やはり小さな声で囁いた。手にした飾り紐つきの扇子で、ちょっと口許を隠すようにしている。
「実のところ、<鎧>のあの儀式について、そなたはどう思うておる? これまでの流れからして、かの黒の王は、ここしばらくの儀式をすでに行うておらぬのではないのかのう……?」
老人もどうやらこの会議の間に、佐竹と同じ考えに至っていたようである。
佐竹はわずかに頷いた。
「……恐らくは」
「ふむ。となれば、あの『世界の均衡が崩れる』、『この世が終焉する』云々の言い伝えというは、やはり……?」
「相当の確率で、事実無根ではないかと」
小声ではあったものの、佐竹はきっぱりと言ってのけた。
「う~、むむむ……」
老人は頭を抱えたそうな顔になって唸った。
「恐ろしや……。いったいどこの誰が、そのようないい加減な伝説を――」
佐竹はそれには答えなかった。もちろん、密かに胸に納めた予測はあった。だが、それはこの場で言葉にすべきことでもなかった。
いずれにしても、あまりこうした公の場で個人的な予断を弄し過ぎるべきでもない。
それでただひと言、こう言った。
「いえ。自分もそこまでは」
「そうか……。うむ、礼を申すぞ」
納得したようにひとつ頷いて、老人はにこりと微笑み掛けた。意外な礼の言葉が来て、佐竹は少し怪訝な顔になる。老人はまた笑った。
「ズール殿のこと、『あのような非業のご最期を』と、お気の毒にばかり思うておったが……。最後にはこのように、お見事なご覚悟で逝かれたかと思えば、遺された者として、これ以上の喜びはないわ。それもこれも、思えばそなたのお陰であるのであろう。……心より、礼を申す」
ドメニコスはそう言って、やや深めに佐竹に礼をした。そうしてすぐに踵を返し、離れたところで待っていた宮中伯筆頭の老人らと共に、会議の間から出て行った。
やはり、それを少し離れた場所で見ていたらしい元帥アキレアスと竜将ディフリードが、図ったように意味深な笑みを湛えつつ、互いに目を見交わしていた。
◇
午後の会議は、呆気ないほどにすんなりと終了した。
昼餉の時間の間にドメニコスとアキレアスが配下の者らに通達し、それなりの意見調整を終えてくれていたのは明らかだった。
この日の午後、フロイタール王国、御前会議において、今後の<白き鎧>に関する方針は、大体以下のように決定された。
まず、ノエリオールのこれまでの<黒き鎧>に関する経緯を聞きだせる限り聞く。その上で相手方の希望を聞き、可能であれば<鎧>に関する今後の対策において協力してゆくこと。
第二に、まだ「<鎧>研究」について端緒に就いたばかりのフロイタールとしては、かの国からの技術協力は必須である。そのため、その方面ではできる限り、かの国の協力を仰ぐこと。場合によってはそれを「一時停戦条件」の一部に含めることも考えられる。
ただ、まだあちらの目論見がはっきりしていない段階でもある。そのため、ことは慎重を要する。もし万が一、こちらの<白き鎧>だけを破壊させておいて、あちらが密かに<黒き鎧>を温存するなどということがあっては一大事だからだ。
そのあたりの折衝を慎重に進めるためにも、交渉役の佐竹には、ブレーンとなるべき「<鎧>交渉班」をつけることとする。人選については、宰相ドメニコスとアキレアス元帥に任された。
以上のようなことを決定して、午後の会議も解散となった。
後は、なるべく速やかにノエリオールとの交渉に臨むための準備である。即刻、兵馬や糧秣の下準備が始められた。
交渉そのものには臨まないとはいえ、あの<鎧>の扉を開くためには、現地まで国王ご自身が赴かねばならない。そこで万一サーティークが<門>を開いて襲い掛かって来ぬとも限らぬ。それを恐れた重臣たちは、まだ若きヨシュア王をお守りするため、口を揃えて大軍の出動を言い立てた。
が、アキレアスは一蹴した。
いくらあのサーティークでも、たかだか五分程度しか開いておくことのできぬ<門>を使って、ヨシュア王を弑せんと大軍を引き連れてくるような愚かな真似はするまい。
ましてや、<鎧>は山深い森の中にあるのだ。ヨシュアが<鎧>の扉を開けてから森の中に身を隠してしまえば、そんな短時間で見つけ出し、さらに命を狙うなどは不可能に等しいだろう。
サーティーク本人がいかに武辺の恐るべき王であるとしても、兵士はせいぜい騎馬三百騎もいれば十分、いやそれでも多すぎるぐらいだと、薄緑色の口ひげを捻りながら、元帥閣下は面倒臭げに説明したものだった。
会議が閉幕したのは、二日目の夜も遅くなってからだった。
佐竹はディフリードと共に会議の間を出ると、今後の打ち合わせをするためにまっすぐヨシュア王の執務室に向かった。
今日は、廊下にゾディアスが待っていることはもうなかった。彼は彼で、すでにアキレアスからの命令が下り、交渉に随伴してゆく兵らの人選にかかっている。かなり多忙な様子だった。
佐竹は彼に、ズールの遺書の件でなんとかひと言礼を言いたかったのだが、それは後回しにせざるを得ないようだった。
隣を歩くディフリードが、いつもの目敏さで何かに気づいたらしかった。
「あいつの事なら、気にすることはないさ。どうせ、交渉には死んでもついてくるんだから」
微笑みながらそう言われて、意外な思いで見返すと、ディフリードはさらに笑みを深めた。
「あいつが、君を一人で行かせたりするはずがないだろう? 話ならいつでもできるさ。むしろ、嫌と言うほどね」
視線をやや左上に向けて、「ちょっと可愛がりすぎなんだよね」と独り言のように言う美貌の将軍は、それでもやはり楽しげだった。
◇
佐竹がディフリードと共に王の執務室に入ったとき、そこは何か、一種異様な空気に包まれていた。
(……?)
いつものように、執務机の向こうにはヨシュアが座り、脇には侍従長の男が立っている。さらに書記官と補佐役の文官が数名いるのだが、今日はそこにマールとオルクも呼ばれてきていた。
異様な雰囲気は、どうやらその二人が醸し出しているらしかった。
マールは見るからに膨れっ面で、オルクと目を合わさぬように、ずっとそっぽを向いている。オルクはオルクで、困ったようにそんなマールにちらちらと不安げな視線を走らせている。
「あ、ああ、良かった。来てくれたか。ディフリード、サタケ」
二人の姿を見て、ヨシュアが困ったような笑顔を浮かべて席を立った。明らかにほっとしたらしい顔だ。そんな用件で呼ばれたわけではないはずなのだが、ヨシュアはまぎれもなく「助かった」という顔だった。
この少年少女の険悪な雰囲気に、温厚な少年王はほとほと困り果てていたらしい。
二人が入室すると、ヨシュアは元通り自分の席に座った。
ディフリードは一歩部屋に入った瞬間から「やれやれ」といった顔だったが、佐竹はいまひとつぴんと来ないままミード村出身の少年少女を眺めていた。
この二人が喧嘩をするなど日常茶飯事ではあるが、原因はいつも他愛のないことばかり。すぐに仲直りするのが常のはずである。それが、ここまで先日の喧嘩を引きずっていることが、少し意外に思われた。
「で? 今日は何なのかな? お二人さん」
少しからかうような声音でディフリードが水を向ける。オルクが心から助けを求める瞳で美貌の将軍殿を見返った。
「や……。俺が悪いんで。すみません……」
頭を掻いてそう言ったきり、所在なさげな様子で小さくなる。
が、マールは対照的だった。
「別に、なんでもありませんわ、ディフリード閣下。どうぞお気になさらないで、大切なお話を始めてくださいませ」
必要以上にしとやかにスカートを持ち上げて膝をかがめ、貴婦人ばりの挨拶をして見せている。
それを見た途端、ディフリードは遂に堪えきれなくなったらしい。「ぷっ」と笑声を漏らして口許を押さえた。頭を上げたマールの目が剣吞になる。
「……なんでしょうか? 閣下」
「ああ、そうだね。それではお言葉に甘えて、『大切なお話』でもさせていただくとしようかな?」
マールの質問には答えずに、意味ありげににっこり笑うと、ディフリードはヨシュアに向き直った。
「陛下。出立前に、少しお耳に入れておきたいお話があるのですが。先に少し、よろしいでしょうか?」
ヨシュアが目を丸くした。
「ん? ああ、構わないよ。なんだい? ディフリード」
むしろ、先ほどから凍り付いていたらしい話の接ぎ穂を見つけてもらって、少年は明らかに「渡りに船」と言わんばかりの様子だった。
ディフリードが軽く一礼した。
「では、お先に失礼を致しまして。……わたくしもそろそろ、『いい加減身を固めよ』との親戚連中のお小言がうるさくなる年になりましたもので。近いうち、妻を娶ろうかと考えているのでございますが」
滔々と紡がれるその言葉は、本人の見かけそのままに流麗だった。
だがその場の人々はしばし、何を言われたかを理解するのに時間を要した。
(この男……)
佐竹はまた、その場の皆とは少し違う意味で呆気に取られていた。
この将軍は、いま、こんな事態の時に、いったい何を言い出しているのだろう。
「まあ、いわゆる『年貢の納め時』? ……とやらいうものでございますね?」
誰に尋ねているものやら、語尾を微妙に疑問形にして、ディフリードは一旦言葉を切った。にこにこ笑いながら、いつものように優美な仕草で白手袋をした指先を顎の辺りに添えている。
やや小首をかしげて微笑む様は、まさに一幅の絵のようだ。
絵のタイトルは、差し詰め「韜晦」といったところか。
佐竹は呆れかえったまま、溜め息混じりにそんなことを考えた。
部屋の中には沈黙が流れ続けている。
やがて。
とうとう、耳に入ってきた音声の咀嚼が終わったらしいヨシュアが、次第に青ざめてゆっくりと立ち上がった。
周囲の侍従や文官たち、そしてマールとヨシュアもぽかんと口を開けて、美貌の将軍を穴の開くほどに見つめている。
「え……と。いま、なんと申した……? ディフリード」
ヨシュアがようようそう尋ねると、ディフリードは澄ました笑みを浮かべたまま、「ん?」と言うようにさらに首を傾げて見せた。
「いえ、ですから。『わたくし、結婚いたします』と申し上げたのでございますが?」
相変わらずにこにこ微笑む美貌の将軍の隣で、佐竹はとっくに腕を組んで半眼の状態になっている。
(……いい加減にしろ、こいつら)
そして眉間に皺を立てたまま、徐に両手で耳を塞いだ。
部屋中に驚きの叫びが轟きわたったのは、それとほとんど同時だった。
「え……、ええええええ~~~~~っっ!?」
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