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第四章 接近
7 鎧信仰
しおりを挟むアイゼンシェーレン、フロイタール宮。
翌日の早朝から、またも会議は紛糾していた。
本日の議題は、主に「<鎧>についての今後の対応について」である。
今のところ、南の国からは「それを今後どうするのか、互いに話し合って行きたい」というだけの打診だった。だが、あちらと話し合う前に、ある程度まではこちらの方針を固めておく必要がある。
一応、明日までは会議を行なえるはずだったが、<白き鎧>に向かう手筈を整えることを考えれば、できることなら今日のうちに、ある程度の方針は決めてしまいたいところだった。
会議の間の壇上で、佐竹は昨日と同様、ディフリードと共にヨシュアの王座の後ろに立ち、会議の成りゆきを見守っている。
脳裏には、あの日の内藤の言葉が蘇っていた。
『もし<鎧>をどうすることになっても、絶対、お前だけは帰らせてもらうから。俺が無理でも、お前だけは――』
あの言葉の意味するところは、ひとつしか無いような気もしている。
このことは、まだ佐竹も確信しているわけではない。だからディフリードやゾディアスにも話していない。しかしあの言い方で想像されるのは、<鎧>の機能の停止、または破壊ぐらいのものだろう。
察するに、南の黒の王サーティークは、<黒き鎧>に対して妙な「信仰心」は抱いていないのだろう。つまり、ここフロイタールのズールをはじめとする「<鎧>信仰擁護派」とでも言うべき人々にあるような思いをだ。
八年ほど前、かの国で何があったのかは知らない。だが恐らく相当のことがあって、彼は「鎧の稀人」としての自分の役割をとうに放棄しているのではないだろうか。つまり南の国ではこの数年、あの「儀式」は行なわれていない可能性がある。
だとすれば、以前ゾディアスがちらりとしたような話は、恐らくただの伝説に過ぎないということになるだろう。つまり「稀人が失われ、儀式を完遂させられなくなれば世界が滅びる」云々はだ。
──そして、サーティークの目的は、恐らく――。
佐竹はすっと目を細め、腕組みをして顎に手を当てる。
多分、間違いなく。
それは単なる「<鎧>の機能停止」などということではない。
それは恐らく、ズールが最期に自分に託した願いと同じものなのではないか。
佐竹は、今も懐に忍ばせている、かの老人からの手紙のことを思い出す。
(<鎧>の、破壊か――)
内藤はすでにサーティークから聞いて、それを知っているということなのか。
それを聞いて、彼は早々に帰ることを諦めたのか――?
(だが、なぜだ……?)
が、佐竹はそこまでで自分の思考を中断させた。
これ以上のことは、今ここで自分が考えていても仕方がない。
あの内藤が何を思い、何を決意したのかは、本人に聞いてみるより仕方がない。そのためにも、早く次の交信に臨むのだ。そうして、もし時間が許すのであれば、そのあたりも問いただしたいところだった。
知らず、また眉間に皺が寄っていたようだ。隣でディフリードがこちらを見て、密かに苦笑していた。
そうこうするうちにも、目の前の会議は進められている。
佐竹はその間、皆の様子を仔細に観察する機会を得た。
こうして見ていると、どうやら宰相ドメニコスと文官たちは、かの<鎧>の儀式をかなり重要視しているようだった。かつてのズールほどの狂信的な思いかどうかまでは分からないが、それでも十分「<鎧>信仰擁護派」と言って申し分ないようである。
一方、元帥アキレアスを筆頭とする武官たちには、さほどまでの必死な「<鎧>擁護」の気運は窺えなかった。やはり、現実的かつ理性的に物事を即断する能力を求められる軍人連中は、根拠の曖昧な伝統だの伝説だのにはそこまで執心しないものなのだろう。
とは言え、「<鎧>をどうするのか」という南の国の意図がなんなのかということからして、彼らは様々に思い悩んでいるようだった。いかにも時間の無駄のように思われる意見の交換が、すでに朝から延々と繰り返され、さらには何度も同じ話が蒸し返されていた。
口を出したいのは山々だったが、如何せん、佐竹にこの場での発言権はない。誰かに意見を求められるまでは、ただ黙って会議の成りゆきを見守るしかできないのだ。
午前中いっぱい、そんな調子で議論はまとまらなかった。が、皆がいい加減疲れ果ててきた頃になって、とうとう元帥アキレアスが口を開いた。
「さて、そろそろ昼餉の刻限ですな。一旦お開きとする前に、いかがですかな、おのおの方。ここなサタケ上級三等の意見を聞いてみる、というのは?」
にやりと片頬を歪めるようにして不敵な笑みを浮かべているところからして、この将軍はこの機会をずっと待っていたのに違いなかった。隣のディフリードが「やれやれ、やっとか」と言わんばかりに、微かに肩を竦めたようだ。
「おお、そうでござりまするな」
午前だけでもうすっかり疲れた様子の宰相ドメニコスが、鼻眼鏡をずり上げて言う。
すると、周囲の武官、文官たちも頷きあった。
皆が一斉に佐竹を見る。ヨシュアも、少し嬉しげな瞳で佐竹を見ていた。
アキレアスが満足げに笑って、佐竹を見返った。
「どうかな? サタケ。そなた、何か意見があるか?」
「……私見でもよろしければ」
ひとこと断ると、「構わん。申してみよ」と即座に返された。
「では──」
佐竹は一礼し、一歩前に出た。
「まず、南の王サーティークのこれまでの行動から考えて、かの王は決して理性を失った『狂王』などではない、と自分は考えております。あの内藤が、攫われてすぐに殺されることもなかった上、むしろ厚遇されていることからもそれは窺われるかと」
一同は、しんとして聞き続けている。
「八年前にかの国で起こった事件については分かりません。が、ともかくそれをきっかけにこちらの国への進攻が始まったとすれば。そこには論理的な整合性が必ずあるかと考えます」
「……ふむ?」
アキレアスがひとつ、相槌を打つ。
御前会議の面々は、ほとんど澱みなく冷静に話し続ける佐竹を、多少ぽかんとした顔で見つめていた。
「これは仮定ですが。その事件そのものも、恐らくは<鎧>に関連していたのではないでしょうか。それゆえ、かの王はこちらの国へ<白き鎧>のために進攻してきていた。……と、考えるのが一番自然かと思われます」
「…………」
「とすれば、かの王が<鎧>についてどう考え、それをどうしようとしているかも、おのずと明らかではないかと」
皆は、ただ固唾を呑んでそれらの言葉を聞いている。いまや会議の間はしんとして、佐竹の声だけが朗々と響き渡っていた。
「この場にも、<鎧>とその『稀人』による儀式について重要視する方々が数多いことでしょう。この先は、それを承知で申し上げますが――」
佐竹はそこで、一旦言葉を切った。
ヨシュアとアキレアスが、ちょっと目を見交わしたようだった。が、アキレアスがこちらに向かって頷いた。
「続けてくれ」
佐竹は一度、一同を見渡した。
そしてひと呼吸置いてから、言った。
「かの王は恐らく、この地から<鎧>なるものを一掃すること……つまりは、破壊することを目的として動いているのではないでしょうか。そう考えれば、ここ数年のこちらへの進攻も、先日の<鎧>に関する交渉の申し出にも、一定のつながりを見出すことができると考えます」
言い終えると、会議の間はしばし水を打ったような静けさに包まれた。
「な……なんと」
やっとそう言ったのは、やはり宰相ドメニコス。
「よ、<鎧>の破壊じゃと……? 何をっ、馬鹿な……!」
あまりのことに、老人はその後しばらく、全身を細かく震わせて絶句していた。
「ここな、痴れ者っ……! <鎧>は、国の礎ぞ……! 『儀式』は、陛下ら『鎧の稀人』の聖なるお務めぞ! それを行なわずして、この国が成り立とうか!? そなた、この国を、この世を滅ぼすつもりでおるのかッ……!」
老人の目はいまや血走り、口角泡を飛ばして次々と佐竹への、そしてサーティークへの怨嗟をがなり立てていた。その剣幕は、ただ温順と見えた当初の印象とはまるで違ってしまっている。
「そうじゃ、そうじゃ……!」
「なんと、恐ろしい……!」
宮中伯らも、次々に同様の声を上げ始める。
反対側の席に座った武官らも、一応口を閉ざしてはいるものの、焦眉を隠そうともせずに胡乱げな目で佐竹を見つめていた。
「その者、やはり敵国の間者ではありませぬのか!? このような虚言を弄し、わが国の聖なる<白き鎧>を破壊せしめんがため、ノエリオールより送り込まれた者なのでは……!」
遂に、そのようなことを叫ぶ者も出始める。
会議の間は騒然として、佐竹に対する敵意の視線が周りじゅうから彼の体に突き刺さるようだった。それでも佐竹は平然としていた。壇上に傲然と立ったまま、ただ静かな目で人々を見渡しているだけである。
その周囲だけが、不思議と静かな空間を醸し出しているようだった。
やがて、その様子を見ていた武官の一人が、ふと、ひと言いった。
「……あの時と同じだな、サタケ上級三等」
(……?)
そちらに目をやると、向かいの席に座ったいかにも武辺者らしい天将の一人が、面白そうな目で佐竹を見ていた。
「あの、『冬至の変』の時もそうだった。そなた、そうやって一人だけ、陛下の前に静かに立っていたものだった――」
それを聞いて他の武官たちも、「おお、そうであった」とばかりに頷きあった。その顔はどれも、あの「冬至の変」の時、あの場で見たものだった。
「文官の爺様どもには悪いが、俺はサタケを信じるわ。その若さで、あの場でああしていられる胆力。その落ち着き――。俺にはお前が、噓を言ってるとは思えねえ。なにやら裏でこそこそ、妙な謀をやらかす野郎だともな――」
隣にいた髭面の武官も頷いた。
「そうさな。あのゾディアスが入れ込む野郎だ。そうそう、馬鹿な若造とは思えねえ」
どうやらここにも、あのゾディアスの「親衛隊」がいるようだ。佐竹はちょっと半眼になる。背後では、ディフリードが目立たぬようにくすくすと含み笑いをしているようだった。
と、壇上のアキレアスが大きく頷き、自らの部下たちに向かってにやりと笑った。
「貴様ら、よく言った。私も同意見だ」
そして、ついと席から立ち上がると、ずかずかと佐竹の隣まで歩いてきて、いきなり佐竹の胸のあたりに指先を突きたてた。
少し驚いて見返すと、元帥閣下の鷲の瞳がきらきらと金色に輝いてこちらを見ていた。
「そなた、ここに隠し持っておるものを出してみよ。……よい機会であろう? 今こそ『虎の子』の出番であろうが?」
言って、軽く片目をつぶられる。ゾディアスのあの癖は、どうやらこの将軍の賜物であるらしかった。
(……!)
佐竹は、しばし言葉を失った。
何故この文書のことを、この将軍が知っているのか。
いや、少し考えればすぐに分かることではあるが。
しかし何故、あの巨躯の男がそんな事まで知っているのか。
沈黙してしまった佐竹の肩を軽く叩いて、将軍は明るく言った。
「読んで聞かせて差し上げよ。頭の固い爺いどもにな――」
最後のひと言は、皆には聞こえぬような囁き声だった。将軍はすぐに踵を返し、どかりと元の席に戻って、「どうぞ」とばかりに手をひらつかせた。
一同は「いったい何事か」と佐竹を見やり、室内が再び静かになった。
「…………」
佐竹は少し逡巡したが、一度、ヨシュアとディフリードにちらりと視線をやってから、再び前を向いて懐に手を入れた。
そして、それを取り出した。
それはあの宰相ズールの、佐竹に宛てた遺書だった。
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