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第四章 接近
2 交渉役
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フロイタール辺境、<白き鎧>の中央制御室。
佐竹はコンソールパネルを睨みながら腕を組んだまま、微動だにしなかった。先ほどから眉間に皺を寄せ、半眼になったままである。
周囲には例によってヨシュア、ヨルムス、ディフリードとゾディアスが立っている。皆、多少唖然とした顔で、パネルから聞こえてくる内藤の声を聞いていた。
それは、フロイタール側にとって驚くべき展開だった。
まず、あのサーティークがこちらと話し合いの場を持とうと考えたというところからして、驚愕せずにはいられなかった。一体、この自信なさげな声の主は、あの恐ろしい南の王に何を吹き込んだというのだろう。
そもそも内藤は、即座に殺されることもなかったどころか、むしろ丁重に客人としての待遇を受け、いまやノエリオール宮でそれなりの地位の文官として働いているらしい。そして、今回こんな大役を申し遣ったということは、その王から結構な信頼も置かれているということになる。
内藤には申し訳ないが、佐竹でさえ、この成りゆきには驚きを禁じえなかった。
佐竹自身は、もともと決してあの内藤を低く見たり、馬鹿にしているつもりはない。だが、あのどうにも感情に振り回されやすくて粗忽者の友人がここまでのことをするとは、さすがに思いもかけなかったのだ。
とはいえ、こんな風に凍り付いていたはずの他人の心を動かすことができるのは、それはそれで、彼のある種の「才能」とでも言うべきものなのかも知れない。もしも同じ境遇にあって彼と同じことができるかと問われれば、自分は恐らく「無理だ」と答えるしかないのだから。
そんな佐竹の内心を知ってか知らずか、内藤は淡々と、訥々と、手元にあるらしい文章を読み上げてゆく。
その内容は、こうだった。
まず、交渉役の設定である。
南の国の希望として、ノエリオール側を内藤、フロイタール側を佐竹が担当することが示された。
次に、次回の連絡の日時と方法の取り決めだ。
<白き鎧>は、まだ操作方法を調べ始めて間がないこともあり、「充電」に手間取りやすい上、一度に会話できる時間もまだまだ短い。そのため、次回は<黒き鎧>から連絡を取る。
なお、<鎧>研究において一日の長のある南の王サーティークによれば、なんと<白き鎧>と<黒き鎧>同士でなら、このコンソールパネルを通して連絡が取り合えるのだという。
その際の参加人数は、交渉役、つまり佐竹や内藤を含めてそれぞれ四名までとする。
三つ目は、次回の「会談」の議題内容である。
ノエリオールから議題として挙げたいことの大きなものは、まずは早急な一時停戦の合意と、その上での<鎧>の今後の扱いに関する両国の意見の摺り合わせ、及びその協力というものだった。その他、いくつかの細かい取り決めが付随している。
ひと通りこれらの事を読み上げてから、やっと内藤は息をついたようだった。
《え~っと……こんな感じなんですけど。どうですか? 皆さんは……》
なにやら必要以上に、申し訳なさそうな声音である。
それはそうだろう。フロイタール側は今の今まで、内藤を奪還するために<門>を開くことのみを考えていたのだから
《あ、あの~。勝手なこと言って、ごめんな? 佐竹……》
名を呼ばれて、顎に手を当てて考え込んでいた佐竹は目を上げた。
「いや。お前一人で、よくそこまで漕ぎ着けたな。大したものだ」
素直に褒め言葉を口にすると、内藤は明らかに嬉しそうな声になった。
《え? そ、そうかな……。俺、別になんにもしてないんだけど……》
佐竹はその言葉に、ただ沈黙をもって答えた。
そういう内藤だからこそ、あのサーティークでさえ心を開いたのであろう。
《とりあえず、この内容で問題ないなら、十日後にこっちから、そっちの<鎧>に連絡入れるって陛下は言ってるけど……。どうでしょうか? 皆さんは》
(陛下……?)
ふと、その言葉尻に引っかかって、佐竹は片眉を上げた。
「お前があいつをそう呼ぶのも、なにやら妙な話だな――」
ほんの少し、呆気にとられたような沈黙があった。
《……うっわ~。さすがそっくりさん。陛下とおんなじ事、言ってるよ……》
が、内藤の感慨などはあっさり無視して、佐竹は傍らの人々を見返った。
「いかがなさいますか? 陛下、皆様。こちらにも少し、協議する時間が必要かとは思いますが──」
「そ、……そうだな」
あまりに唐突な話で、ヨシュアは明らかに考えがついて来ていない様子だ。その隣で、ディフリードが話を引き取るように口を開いた。
「今すぐに結論、というのは難しいだろうね。御前会議の面々に、一度は諮る必要もあるだろうし――」
ちょっと小首を傾げ、白手袋をした指先で、軽く頬の辺りを叩いて考える風である。相変わらず、何をしていても流麗な美々しい出で立ちの男である。
その脇で、こちらは無骨で巨大な体躯のゾディアスが、腕組みをしたまま傲然と立っていた。彼は沈黙したままだったが、その表情は厳しかった。
「相手はあのおっさんどもだしな。まあ一筋縄じゃあ、いかねえわなあ?」
ひと口に停戦といっても、この場ですぐに返事のできるものではない。
フロイタールにしてみれば、ある日突然、一方的にあちらが領土に攻め込んで来た訳なので、何の謝罪も補償もないままの停戦合意など、頭の固い重臣連中がすぐに賛成しかねることは想像に難くなかった。
「<鎧>の扱い」云々についても、それは同様である。
フロイタール国内でも、<鎧>についてはすでに賛否両論が混在している。王の行なう儀式の是非についても、疑問を呈する向きもあれば、ズールのような強硬な保守擁護派も存在するというのが実情だ。まして今後<鎧>をどうするかなど、一朝一夕に結論が出せるとは思われない。
また、そうして国王同士で話をするのは有意義であるとはいえ、この<鎧>の機能上、その場であの<門>を開いて、あのサーティークが凶刃を手に乗り込んで来ない保証はどこにもなかった。そのことひとつ取っても、フロイタール側は頭が痛い。
問題は山積みのように思われた。
「では、こう致しましょうか」
ディフリードが小声でそうヨシュアに囁き、提案を述べると、ゾディアスも軽く頷いて佐竹を見つめた。
佐竹もそれに頷き返し、改めてコンソールパネルに向き直った。
「交渉役については、了解した。あとの件については、急なことで、こちらもすぐには返答できない。とりあえず、十日後の連絡についてはこの場で約束しよう。ただし、王を除く三名のみでの交渉とする。……どうだろうか」
いきなり王同士での話というのは、<門>の件もあって危なすぎる。ディフリードはそれを鑑みて、このように提案したのだった。
内藤の声が、少し途切れた。何か考えているのだろう。が、意外にも、すぐに答えは返ってきた。
《うん、分かった。陛下にそうお伝えする。……あの、ごめんな? 佐竹……》
「謝るな。お前が謝ることじゃない」
佐竹の声音は穏やかだった。
《あのっ……! もし<鎧>をどうすることになっても……。絶対、お前だけは帰らせてもらうから。俺が無理でも、絶対、絶対、お前だけは――》
(……?)
不穏な言葉の成りゆきに、佐竹が眉を顰めたその時、ふつりと内藤の声は途絶えた。
どうやら、時間切れのようだった。
制御室内は、しばしの沈黙に支配された。
パネル上で光っていた古代文字が、うっすらと消えてゆくのを見つめながら、佐竹はしばし、微動だにしなかった。
(俺だけを、帰す……?)
どういう意味だろう。
あいつは、何を言っているのか。
彼を助けるためにこの世界にやってきた自分が、たった一人でもとの世界に帰れるはずがない。
(何のつもりだ……? 内藤)
ろくに彼と会話もできない今の状況が、ひどくもどかしいものに思われた。内藤は今、一体なにを考えているのだろう。
そもそも、内藤を連れずに帰って、洋介にどんな顔をして会えばいいと言うのか。
眉間の皺を深くして沈黙してしまった佐竹の背中を、ゾディアスが必要以上に力の籠もった手のひらでばしりと叩いた。
「さっ、んじゃまあ一旦、帰るとすっか。いつまでも、こんな狭えとこに居られねえ。息が詰まるわ。だろ? 陛下」
にやりと上から余裕の笑みをくれて、肩にごつい腕を回して引き寄せられ、佐竹はあからさまに不快げな顔になった。すいと、さりげなくその腕から体を逃がす。
ゾディアスのそのひと言を合図に、一同は<白き鎧>の外へ出た。
夜の空には、相変わらずあの「兄星」が、悠然と巨体を晒している。
<鎧>の外で一同を待っていた侍従の男と兵士らが、ヨシュアに一礼して馬を引いてくると、みなは騎乗し、宿泊しているミード村へ向けて、また静かに戻って行った。
◇
ノエリオール宮の尖塔の上では、内藤が一人、羊皮紙を抱きしめるようにして壁に背をつけ、床に座り込んでいた。
「はあ……。言っちゃったなあ……」
くしゃりと、羊皮紙を握り締め、夜空を見上げる。
今夜は少し雲が多くて、あの不気味な「兄星」の姿は見えなかった。明るい夜空のためか、雲そのものもすこし紫がかった明るい色味で、華やかな友禅の絹地模様のようにも見える。あまり厚みのない雲を透かして、ぽつりぽつりと光る星々が、その絹地を彩っていた。
(きっと今頃、『どういう意味だ』とかってまた、眉間に皺いれて怒ってんだろうなあ……あいつ)
ふふ、と吐息で笑みを漏らす。
と、あることに思い至って、内藤ははっとした。
「……あ。お父さんのこと、また話す時間なくなっちゃった……」
あの友達に、彼の父親の運命について、できるだけ早く教えてやりたいのは山々なのだが。しかし、<鎧>で交信できる時間が限られている以上は仕方がない。やはりどうしても、優先順位の高いほうから話をせざるを得ないからだ。
(……それに)
本当は、この話は自分がするべきではないのかもしれない。
そう、内藤は思っている。
(そうだよ──)
これはきっと、宗之の最期を看取った本人が、その息子である彼に向かって、直接語るべき話であるに違いない。
(そのためにも……)
両国の関係を改善させ、一刻も早く、普通に連絡を取り合える状態にするのだ。
それが今の、自分の使命だ。
内藤は、納得したようにひとつ頷いて立ち上がると、ちらりと一度だけ華やかな夜空を見上げた。そうして、交信の成果をサーティークに報告すべく、尖塔の螺旋階段を足を早めて下りていった。
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