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第三章 黒の王
14 狂王
しおりを挟むそして。
サーティークは、「狂王」となった。
その事件に関わった者らはもちろんのこと、王宮内の「<鎧>信仰擁護派」の勢力のすべてを一掃するため、サーティークはあらゆることを断行した。
その追及の手は国中に及び、貴族、平民、農民など身分にも関わりなく、またどんな「袖の下」も「親類縁者のコネ」も受け付けぬ、それは厳しいものだった。
罪に対する詮議そのものも、体の弱い者はその途中で命を落としかねないほどの、それは苛烈なものだった。実際にそれで、数百人もの「容疑者」が獄中で命を落とした。王宮の地下牢には、厳しい詮議、つまりは拷問に耐えかねる囚人の悲鳴と怨嗟が、昼といわず夜といわずに轟きわたった。
「狂王サーティークは、王宮を血で穢した」と、国中が噂した。
確かに、殺して、殺して、殺しまくった。
王都の死刑執行人には、日々、休む間もなかった。
死刑に使用される斧は刃こぼれし、日に何度も取り替えねばならない有り様だった。
それを恨みに思い、恐怖した一部の貴族連中から、王を弑するための暗殺者が送り込まれたのも一度や二度のことではなかった。もちろんサーティークは、それらすべてを返り討ちにしてのけた。
それと同時に、世論を味方につけるため、「<鎧>信仰者」のここまでの悪行を大々的に喧伝しもした。無論、その一派が<鎧>において懐妊していたレオノーラを殺害し、その嬰児までをも死に至らしめたことも公表した。
王が狂ったと声高に叫んでいた「<鎧>信仰」の貴族らも、この宣伝が人々に浸透するに従って、次第に大人しくなっていった。
「狂っている」のがどちらかと問われれば、無辜の王妃とその腹の中の嬰児を殺した方か殺された方か、誰でも自明のことだったからである。
そして、国内のその混乱がやや落ち着いたのを機に、サーティークは北の国、フロイタール攻めを敢行した。あの過酷な「赤の砂漠」越えをもものともせず、数十万の兵を率いてかの国へと進攻したのは、偏にかの<白き鎧>をも殲滅せしめんがためである。
いまだに「<鎧>信仰」から抜けきれず、ただ過去の遺物の言うことを唯々諾々と聞くばかりの北の王家を、サーティークは忌み蔑んでいた。彼らが目覚めぬと言うのなら、その首を掻き切ってでも目を覚まさせてやるのみだ。
さらに、<黒き鎧>の研究も進めさせ、多くの事実を探り当てた。
ただ、どんなに調べても調べきれない事もある。その情報は、どうやら北の<白き鎧>の中に留められているようだった。
両者の<鎧>は、互いを補完する関係にあるらしい。
多くの情報が、共有されつつも一部欠け落ちて、互いが交流し合わなければ、決して全貌が分からぬ仕組みであるらしかった。
「え、もしかして──」
呆然としながらも、内藤が思わず声を上げた。
サーティークの長い話は、漸くその終盤を迎えているようだった。
夜のノエリオール宮の尖塔、頂きの小部屋で、夜着のサーティークは静かな瞳でまた内藤を見返した。
「そうだ。だからこそ、俺は『ナイト王』が欲しかった」
(情報の、『補完』……?)
初めて出てきたその言葉に、内藤はなにか、心を掻き毟られるような不安を覚えた。
しかしその一方で、ほんの微かに、なにかの光明が見えたような気がした。
(ん~~と……。あれ?)
と思う間にも、なんだかよく分からなくなる。
頭を抱えながら、うんうん唸って考えまくる。
「えっと、ええっと……ごめんなさい、陛下……?」
「なんだ。体の調子でも悪いのか」
サーティークが変な顔になっている。
「夜風に当たりすぎたか? そういえば、随分と長居をしたな。そろそろ部屋に戻るか」
言って、さっと立ち上がる。
「あ! ちょ、ちょっと待って下さい……!」
必死にサーティークを呼びとめ、内藤は無意識に、はっしとそのガウンの裾を掴んだ。その手を見下ろして、青年王が少し困惑した顔になる。
「……子供のような真似をするな」
「あ。す、すみません……」
すぐにぱっと手を離したが、内藤はおずおずとサーティークの顔を見上げて、今思いついたことを恐るおそる言ってみた。
「あ、あのう……。陛下は、つまり<鎧>を壊したいと思ってるんですよね? 白い方も、黒い方も」
「まあ、そうだな」
サーティークの表情は変わらない。
「で、壊すためには<鎧>の情報を完全なものにしなくちゃならないけど、分からないことがまだ沢山あって……それで、ナイトさんを攫おうとしてたんですよね?」
「ああ」
(そっか……)
七年前、サーティークが一度はそれを行なおうとして失敗し、その結果としてナイトが<鎧>の中で死んだ。そうして、ズールがあちらの世界から内藤を召喚することにもなった。このあたりの顛末は、内藤も佐竹から聞いて知っている。
「……お前には、まことに気の毒なことをした」
「あ、いえ……」
暗い瞳になったサーティークを、内藤は困ったような目で見返した。
自分でも不思議なことに、内藤にはサーティークに対して、恨みのような感情が少しも涌いてこなかった。
むしろ、目の前のこの人が、ただただ哀れで気の毒だった。
その後ノエリオール側には、ナイト王がどうなったかの情報を知る術はなかった。今のような交信技術についてはまだよく分かっていなかった上、両国の間にあの「赤い砂漠」が横たわっているがために、その後の様子を知ることが非常に難しかったのである。
そのため、しばらくは直接<白き鎧>にあの<門>を開くというような、行き当たりばったりの作戦は控えることにした。そして、直接の兵力でもって進攻することに力点を置き、捕虜となったフロイタール兵から、少しずつかの国の情報を集めたのである。
その結果、あの日<白き鎧>に飛び込んだナイト王がいまだ健在と知って、サーティークは驚いた。
しかし、すぐにそれが、あの宗之と同じように召喚された「影武者」の青年ではないのかと思い至った。
果たしてその「影武者」を攫ってきて、<鎧>の補完が完遂されるのか。そのあたりを調べるために、更に数年を要することとなったのである。
「結論から言えば、それは完遂されることが分かった。そして、俺は再びナイトを──つまりはそなたを攫う計画を立てた。……そこは、そなたもよく知る通りだ」
内藤は黙ってうなずいた。
そして、そのことには敢えて触れずに言葉を続けた。
「で、えーと……。その情報って、完全になったんですか? 『ナイトさん』が<鎧>の中に入ったことで……?」
あの中に消えてしまったナイト王のことを考えると胸が痛んだが、それはぐっと堪えた。
サーティークが僅かに肩を竦めた。
「そのあたりは、まだこれからだな。あの時は、あそこまでが限界だった。次に<黒き鎧>を動かす力が十分に満ちるまでは、あれ以上の検証はできなかったんでな」
それは、数ヶ月前、内藤が<黒き鎧>に連れてこられて目覚めた、あの時点のことを指すらしい。つまり<黒き鎧>には、一定の充電期間とでも言うべきものが必要だということらしかった。
「それが?」と言いたげな目になって見下ろしている黒の王を、内藤は少し考え込みながら見あげた。
「えっと……。うまく言えないんですけど、フロイタールの国の人たちも、全員が<鎧>を信仰してるわけじゃないですし……。陛下みたいに、すごくよく考えてる人も沢山いますよ……?」
少なくとも、自分が少しでも言葉を交わしたことのある人で、<鎧>を妄信しているような人はいなかった。あのゾディアスという巨躯の千騎長然り、美貌の天騎長、ディフリード然りである。
彼らはごく現実的で、客観的かつ理性的な男たちだったと思う。それはもちろん、あの佐竹の力になろうとするような人たちだから当然だとも言えるのかも知れなかったが。
「……何が言いたい」
サーティークは内藤に向き直り、どかりと長椅子に座り直した。どうやら、もう少し腰を落ち着けて話を聞く気になったようだ。
「えっと、だから……ちゃんと話してみれば、分かってくれる人も沢山いるはずだと思って……。<鎧>を壊すこと、賛成してくれる人だって――」
言いながら、そうっとサーティークの顔を窺うと、意外にも青年王の瞳は落ち着いたものだった。窓の桟に肘をつき、唇のあたりに手を当てて、ひたと内藤の目を見つめている。
「それで」
先を促されて、内藤は体の前で指先をもじもじさせつつ言葉を継いだ。
「あ……あのっ、俺と一緒で、佐竹も元々、別にフロイタールの人間じゃないですし……。か、顔だけじゃなくって、その……ものの考え方とかも、陛下にすごく似てるっていうか……。だから――」
こう言うと、きっと変な顔をされるに決まっているが、二人はちゃんと話をすれば、実は物凄く話が合うのではないかと思うぐらいだ。そのくらい、内藤はこの二人を、容姿や雰囲気だけでなく、物の見方、考え方が似通っていると感じるのだ。
佐竹は、今さら言うまでもないけれども、理知的で冷静な男だ。物事を判断するのに、決して憶測やいい加減な伝聞や、ましてや伝説に頼ることなどしない。
人間である以上は無謬ということはありえないけれども、それでもできるだけ客観的に集めた情報をもとに、論理的に考え、理性的に行動しようとする。彼は、そういう男だ。
あの歳であれだけのことをやってのける、それは二十歳をとうに過ぎているはずの内藤でも、とても信じられないような能力だ。
(あの佐竹なら……きっと)
彼なら<鎧>のことを、サーティークと共にもっと理性的に、かつ前向きに考えてくれるに違いない。<鎧>を壊すにしてもなんにしても、彼の能力を頼れるなら、絶対に頼ったほうがいいのではないだろうか。
内藤は大体こんなことを、あれこれと話を脱線させつつも、なんとかサーティークに説明した。
「……ふむ」
サーティークは顎に手を当て、少し驚いたような目で内藤を見返している。
「言いたい事は分かるが。お前はそれでいいのか? ユウヤ」
「え?」
「<鎧>を破壊するとなれば、すなわちそれは、お前たちが元の世界へ戻る縁を失う、ということになるのではないのか? ……お前はそれでも構わんのか」
(あ。そうか……!)
内藤は、自分の思考そのものにびっくりして固まった。
サーティークの言う通りだ。もし、佐竹と自分が元の世界に戻れるのだとしたら、それはもう、あの<鎧>の力を頼るよりほかはない。<鎧>を壊されてしまったら、それはもう絶望的になることだろう。
「た……確かに、そうですね。はは……」
ちょっと頭を掻いて、困ったように微笑む。
サーティークは、そんな内藤を呆れたような顔で見つめていたが、やがて、くす、と笑声を漏らした。
「まったく。相変わらずだな、お前は」
そんな王の顔を見返して、内藤は急に、なにか冷たいものが胸の芯に染みを広げたような気持ちがして黙り込んだ。
サーティークが、奇妙な間に気付いて眉を顰めた。
「ユウヤ……?」
少しの沈黙が流れる。
「でも、俺……」
内藤は、窓外の夜空をふと見上げた。
その言葉は、なんの前触れもなく、本当に胸からぽろりとこぼれた。
「あんまりもう、自分があっちに戻ることとか……考えてないっていうか」
サーティークがやや驚いたように目を上げた。
「……そうなのか」
はは、と内藤が苦笑する。
「だって……七年ですよ? こんな姿で戻っても、父さんも弟も……びっくりして、きっと困るだけだと思うし」
いや、絶対にそうなるだろう。高校二年からまたやり直して、進学するにしても働くにしても、父や洋介には多大な迷惑を掛けることは間違いない。帰ってきたことはきっと喜んでくれるだろうけれども、その後のことを考えれば、とても前向きになることはできなかった。大切なあの家族を、自分のことで苦しめるのは忍びない。
そもそも、あちらの世界のどの時点に戻るのだ。そういうことすら、今は思い描くこともできないというのに。
サーティークは黙って、思い巡らす内藤の横顔を見つめている。
「佐竹の事は、俺が巻き込んじゃって、すごく悪いなって思ってて……。だから、あいつの事は、できることならなんとかして元の世界に帰してやりたいんですけど……。でも、俺は」
目線をふと、膝に落とす。
「いまさら帰っても……。あっちでどうやって生きてったらいいかも、わかんないし――」
静かに笑っている内藤を、サーティークはじっと見ていた。
「……そうか」
「あ、でも、もちろんあいつには、滅茶苦茶、怒られると思うんですけどね……?」
内藤は再び「ははっ」と笑った。
怒るどころか、下手をすれば、ぶん殴られる可能性も無きにしもあらずだ。
(だけど……)
こればかりは、仕方がない。
自分はもう、この世界に囚われすぎている。
でも。
(……お前だけは、帰んなきゃ)
佐竹は、すでにこの世界に父を奪われている。
向こうの世界には彼の母が、一人で残されてしまっているのだ。
彼はどうあっても、向こうに返してやらねばならない。
(だけど……、俺はさ──)
空の「兄星」を見上げて、胸にこみ上げてきたものをごまかしてみる。
と、隣にいたサーティークが再び立ち上がった。
「まあここで、『算術講師ユウヤ殿』として生きるのも、悪くはなかろうよ――」
「……え?」
「俺は構わんぞ? お前が国の役に立つ限りは、ここに居てもな」
見上げると、サーティークはまた静かな瞳でこちらを見下ろして微笑んでいた。
「陛下……」
「ともあれ、お前のする選択だ、好きにしろ。俺は口を出すつもりはない」
「…………」
言われた途端、じわりとまたこみ上げたものを、内藤は必死に堪えた。
サーティークはそれに気づいているのかいないのか、また腕を伸ばして、無造作に内藤の頭をかき回した。
「さあ、もう戻るぞ。いい加減、風邪をひく」
言って、螺旋階段への入り口へ大股に歩き去ろうとするところを、内藤は呼び止めた。
「あっ、あのっ……! 陛下」
無言で振り向く国王に、内藤は頭を下げた。
「あの、ありがとう……ございます。陛下……」
サーティークはそれを聞いて首を傾げ、ちょっと苦笑したようだった。
「何を言う。礼を言うのは、俺の方だ」
そう言い捨てて、あとはもう振り返らず、サーティークは階段を下りて行ってしまった。
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