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つづれ しういち

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第一章 南の国

11 虜囚

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「働きたい……? この王宮でか」

 内藤がその希望を伝えたとき、サーティークはあからさまに驚いた顔をした。
 ノエリオール宮、王の執務室である。周囲は人払いされ、今は二人きりだった。
 フロイタールと同様、書物と書類が執務机の上に山となっており、周囲の客用のソファや茶卓にまで進出している。
 執務机の向こうに座ったサーティークを見つめて、内藤はちょっと頭を掻いた。

「はい。なにもしないでお世話になってばかりいるわけにもいかないので……」

 正直なところ、実は初めのうちこそ「それでもいいかな」と思わなくもなかったのだが。それが十日以上も過ぎてくると、どうにも居心地が悪くなってきてしまったのだ。
 一泊五千円の旅館にでも泊まったとして、すでに五万円分以上、自分はこの王宮の負担になっている。そしてそれは基本的に、この国の民たちが毎日汗水たらして働いて作りだしたものなのだ。いかに天然な内藤でも、そのぐらいのことは分かっている。そしてそんな浅ましい真似は、とても続けられるものではなかった。

「それは殊勝な心掛けだが。いや、しかし──」

 当のサーティークは賛同しかねる様子だ。指先でこめかみの辺りを掻くようにして、内藤をじっと見つめてきている。内藤は、どうもこの王の視線に慣れない。

「そなたはそれでいいのか? 仕事の内容にもよるだろうが、ここで役に立つということは、ひいてはあちらの国に不利益になる、ということでもあるが?」
「あ、それは……そうなのかも知れないんですけど……」
 そこは判断の難しいところだった。それでも考え考え、言葉を紡ぐ。
「でも、陛下……。『ナイト』さんを捕まえたんなら、もう北の国を攻める必要はないんじゃ……? 陛下がフロイタールを攻めていたのは、ナイトさんを連れてくるためだったんですよね? だったら──」

 もうあの「赤い砂漠」を越えて、わざわざかの国を攻撃する必要もない。北と南で互いに別れて、このまま平和に過ごせばいいだけなのでは──。
 だが、サーティークはそんな内藤の考えを見透かすように、冷ややかな視線を投げてきただけだった。

「それで済むと思っているのか? 暢気のんきな奴だな」

(済まない、のか……。やっぱり……)

 暗澹あんたんたる気持ちになって、内藤は目を伏せた。
 ではこれ以上、この王はあの国をどうしようと言うのだろう。

(まさか本当に、国そのものを滅ぼしてしまうとか……?)

 いや、そもそもこうして自分を生かしているのも、ひょっとするとその時のための保険に過ぎないのではないだろうか。
 もしも内藤の命を盾に取られたら、あの佐竹はどうするだろう。いや、考えるまでもない。きっと手出しができなくなるのに決まっている。

(もし、本当にそんなことになったら……)

 考えただけでぞっとした。背中を冷や汗が伝っていく。
 真っ青になって立ち尽くした内藤を見つめて、サーティークもしばらく何かを考える風だった。が、やがて表情を切り替えてこう言った。

「で? 貴様は何ができるんだ」

 少し惚けたような声だった。
 執務机に片肘をつき、顎を支える姿勢になっている。

「は? え、えーと……」
「『仕事がしたい』と言う以上、なにか得意なことでもあるのだろう? どうなんだ」
「あ~。うー……」

 言われてみて、はたと困る。
 そうだった。自分は佐竹とはわけが違うのだ。彼のような素晴らしい記憶力も読解力も、理解力も思考力もありはしない。もちろん、剣の腕もない。一体なにをもってこの王に仕えればいいのだろう。
 ここへ来て、あまりにノープランな自分に愕然とした。

「え、えっと、何でもいいんです! 掃除とか洗濯とか、下働きで全然いいんでっ……!」
「残念ながら、そういう者は足りているな」
 サーティークが頬を掻きながらしれっと言った。
「じゃあ、えっと、料理とか──」
 料理も一応、自信があると言うほどではないが、佐竹に教わって少しはできるようになったはずだ。
 が、サーティークは半眼のままだった。
生憎あいにくと、それも人手は足りている」
「あー、ええっと……」
 まずい。非常にまずい上に、ものすごく恥ずかしい。自分から言い出しておきながら、わが身のこのスペックの低さはどうしようもない。ちょっと泣きたくなるほどだ。

「う……うううう……」

 内藤はなんともいえない唸り声をあげて頭を抱えた。
 ──と。
 くくく、と抑えた笑声がした。
 目を上げると、サーティークが口許を拳で覆っている。

(……へ?)

 執務机の向こうで、黒の王は明らかに笑いをこらえて横を向いていた。

(だ~から。佐竹と同じ顔で笑わないでくださいっつーのに──)

 そういう内心の突っ込みを知ってか知らずか、サーティークはおもむろに立ち上がると、ついと内藤のそばまでやってきた。
 思わずぎくりとして、半歩下がる。

(な……なんだ……?)

 さらにどんどんと近づかれ、二歩、三歩と下がるうちに、遂に背中が壁についた。

「え? え? ちょっと──」

 とん、と耳の横で手をつかれる。
 サーティークの顔が至近距離にあった。
 頭が真っ白になる。

(これって、まさか──)

 あの有名な。
 世に言う、「壁ドン」ですか?
 俺、いま男に壁ドンされてんの──?

(信っじらんね──!!)

 現状がよく把握できないまま、わが身を抱きしめるようにして凍り付く。
 そんな内藤をさも楽しげな視線で見据えながら、サーティークが意味深な声音で囁いた。

「他になにも出来んと言うなら、やむを得ん。俺のねやの相手でもするしかなくなるが……それでもいいのか?」
「…………」

 言われたことを理解するのに、十数秒かかった。
 そもそも内藤には、「閨」の意味からして曖昧だった。
 一応、恐々こわごわ聞いてみる。

「え~っと、あの……。『閨』っていうのは、もしかして……」
 サーティークがにっこり笑う。
「下世話なことを言わせるな」

(やっぱりかあああ──!!)

 あまりの驚きで、ちょっと目の前が暗くなる。

(そんな……噓だろ?)

 涙目になりながら見返すが、サーティークの目は真剣そのものだった。
 あの佐竹と同じ真摯な目で、じっと自分を見つめている。

 そうだ。
 佐竹は冗談なんか言わないぞ。
 ど、どうしよう、父さん、母さん……!

(こんな所で俺、貞操の危機みたいです――!)

 真っ白になって固まってしまった内藤を、サーティークはしばし面白そうに眺めていたが、やがて嘘のように笑顔を引っ込めた。壁からも手を離し、素早く踵を返す。そのまま元通り、どかりと執務机の椅子に座り込んだ。

「……冗談だ、真に受けるな。いかな俺でも傷つくぞ」

 もう、けろっとした顔だった。

(え、ええええ~~~~!?)

 いったい何が起こったのか。まだ内藤は理解できない。

(マ……マジで冗談? 本当に……??)

 若き王をちらりと見やれば、また面白くもなさそうに、片肘をついた姿勢に戻っている。内藤は心底ほっとした。

(た、助かったあああ……!)

 そのまま壁際でへなへなと座り込んでしまった姿を見て、サーティークは半眼になった。まことに傷ついたという顔だった。

「……冗談の通じないやつだ」

 このときようやく内藤は、心の底から思い知らされた。
 サーティークと佐竹とが、しんにまったくの別人である、ということを。





 内藤がサーティークの命令で王宮の各部門を案内されることになったのは、その「冗談騒動」のすぐあとのことだった。内藤にできそうな仕事で手の足りないところがあれば、どこにでも入ってよいというお達しだった。案内役は、とある文官の青年である。
 まず、武官たちに関連する部門は最初から無理だろうということで除外した。これは内藤自身もそう思ったが、サーティークが事前に「そうしておけ」と、やんわりと指示したことだった。

 青年文官は王宮の中を案内しながら、内藤をあちこちの部門へと連れて行った。
 佐竹がフロイタール宮で勤めているのと同様の書庫管理部門もちらりと覗かせてもらったが、見るからに無理そうですごすごと退散した。
 なにしろ、書物の管理には膨大な知識が必要だ。資料の内容そのものはもちろんのこと、その分類方法や目録作り、管理方法といった膨大な知識が不可欠である。今の内藤に、いきなりそんな知識が持てるはずもなかった。
 もちろん、指示された通りに書物を動かすなどの単純作業ならできるのだが、今はあいにく手が足りているという話だった。

(やっぱり俺、佐竹にはなれねーなあ……)

 分かりきっていたことだった。だが改めてその差を面前に突き付けられて、ちょっと落ち込まずにはいられなかった。

「ま、参りましょうか……ユウヤ様」

 青年文官は、あからさまに肩を落とした内藤を気の毒に思ったらしい。励ますようにして背中を軽く叩くと、「さ、次でございますよ、次」と明るく言って、今度は経理部門へと連れて行った。

(経理……ってことは、お金の計算とかなんとか、ってことかあ……)

 これまで受けた学校教育というものの中で、自分が絶対に理系とはいえない頭の構造であることは十分に身に染みている。そんな内藤としては、ここは最初から除外でいいのではないかという気もした。
 だが、案内の青年の「人手が足らなくて困っているらしいんですよ」の一言で、気は進まないながらも「少し覗いてみようか」という気になったのだった。

 経理部門は二十メートル四方ほどの広さで、周囲にびっしりと書類棚が作りつけられた部屋だった。大きめの木製の事務机が各所に配置されている。その中で、いかにもお堅そうな面持ちの文官たちが十名ばかり、忙しげに働いていた。
 机の上には各部門から届けられた書類が山になっている。今にも雪崩を起こしそうだ。見るからに仕事がはかどっているようではなかった。
 案内役の青年によれば、ここではそれらを集計したり、上層部への報告のためにまとめた書類を作成したりといった仕事を行っているということだった。

(まあ、つまりは……数字をまとめる、ってことだよな?)

 経理の文官長の許可を得て部屋を見学させてもらいながら、内藤は文官たちの手元をなんとなしに眺めて回った。
 羊皮紙に羽ペンとインクとで文字を書いていく作業はいかにも手間がかかりそうで、相当に大変な仕事であることがうかがえた。その上、どうやら一度書き間違えると、一から書き直しになるらしい。
 特に陛下、つまりサーティークに上げる書類は、当然ながら塵ほどの遺漏いろうもあってはならないらしかった。

(パソコンなしでこの作業かあ……。大変だなあ……)

 内藤は心底気の毒になる。
 ふと目をやると、やや太り気味の若い青年文官が、一生懸命羊皮紙の上でなにかを書き直したり計算し直したりしているようだった。内藤は、そっとそのそばに近寄った。
 見れば彼は、どこかの地域の石高を足し合わせては、何度も検算しているようだった。桁数も地域数も多くて、それはそれは大変な作業に見えた。青年は額に汗して必死に頑張っている。だが途中で何度もミスをしては、やり直しを余儀なくされている様子だった。

(そっか……。電卓さえないんだもんなあ……)

 この世界では、幸い十進法が使われているらしい。だからあちらの世界の学校で習ってきた内容は十分に活用できる。内藤はふと思いついて、隣の案内役の青年に訊ねてみた。

「あの……。ここって、算盤そろばんみたいな物はないんですか?」
「は……? あの、すみません。『ソロバン』とは……?」

 内藤は、青年の怪訝な顔を見てはっとした。

(ああ、そうか──)

 うっかり、ここが地球ではないことを忘れていた。
 実は小学校低学年の間、内藤は近所のそろばん塾に通っていた。友達も何人か通っていたし、指先であの玉を弾いて正しい答えを出すのはけっこう面白くて、高学年になってサッカーチームに興味が移るまでは続けていたのだ。

「算盤があれば、計算ってもっと、ずっと楽にできますよ。ここでも作れないことないんじゃないのかなあ……」

 顎に手を当てて考え込む。
 フロイタールにも優れた木工職人は沢山いたし、王宮の調度品などを観察するかぎり、それはここノエリオールでもさほどは違わないはずである。可能性は十分あった。内藤は不思議そうな顔をして隣に立っている青年文官に言った。

「あのう、ここの文官長の方って、ゾンデ様……でしたっけ」
「えっ? は、はい──」
「ですか。えっと、その方にちょっとお話してみてもいいでしょうか……?」

 そう訊ねると、内藤は早速、その中年文官のもとへと歩いていった。


 一刻後。

「面白い。やってみよ」

 サーティークは二つ返事で了承した。
 その「ソロバン」とやらいう便利な物の製作について大いに興味を持った文官長ゾンデと共に、内藤は今、王の執務室にやってきている。その前で、サーティークはさも楽しげに笑っていた。
 そして内藤の目の前で、彼を経理部門配属とする辞令書を書いた。専門技術を持っての配属ではあるが、まだ成果は上げていないので、一応最下級からのスタートとなる。
 ノエリオール下級三等文官、ナイトウの誕生だった。

「居場所が見つかって何よりだった」

 辞令の羊皮紙を内藤に手渡しながら、サーティークはにやりと笑った。

「間一髪で、俺の『閨』の相手を免れたな? 重畳至極ちょうじょうしごくだ」

 また冗談を飛ばす王を見て、内藤は心底、脱力した。

(勘弁してよ、もう……)

 隣で絶句している文官長の視線が痛い。
 内藤はもう、感情の乗らない声で笑うしかなかった。

「は、はははは……」
 
(いい加減、慣れなくっちゃな……)

 この男は、間違っても佐竹ではないのだということに。

 
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