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つづれ しういち

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第一章 南の国

10 捜索隊

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「なんなのよ! なんなのよっ……!」

 書庫から自室に向かう廊下を凄まじい速さで歩いてゆきながら、マールは何度目かになるその言葉をまた吐き捨てるようにして呟いていた。
 自分が望んで、半ば強引なまでに聞き出したというのに。やっぱり聞かなければよかったという思いがどうしても打ち寄せてきてしまう。

 結局、佐竹はすべてを話してくれた。
 実はマールは、以前にケヴィンが口を滑らせたとき、彼にしつこく食い下がって何とか口を割らせ、結構いろいろなことを聞き出していた。しかし、ケヴィンもある程度言わなかったこともあったようなので、その内容は僅かなものだった。だからそれだけでは、たいして詳しい事は分からなかったのだ。
 佐竹がこの世界の人間ではないこと。
 その世界から、あの<白き鎧>の力によって奪われたという友人を追ってここへやってきたということ。
 その友人が、実はあのナイト王の身代わりにされていたこと。
 そしてその友人はつい先日、例の「冬至の日異変」であの恐怖の黒の王に奪われてしまったということ──。

「バカ! あたしって、ほんっと、バカ……!」

 今度はぴたりと立ち止まり、自分の頭を握りしめた拳でぽかぽか殴りつける。
 佐竹にとってそれがどんなにつらい話か、聞いてみてから気づくなんて。
 それなのに、彼はむしろ淡々とマールに事実を教えてくれた。感情などひとつも見せず、なにも包み隠そうともせずに。わずかに感情の揺れを見せたのは、マールが最初「大事な人のことを教えて欲しい」と頼んだ、あの一瞬だけだった。

「う……。う~~~~………」

 必死で奥歯を噛みしめるのに、そんな声と熱い雫がこぼれてしまいそうになる。
 マールは慌てて、ぐいぐいと乱暴にその雫を拳でぬぐった。

(バカッ! あたしが泣いてて、どうするのよ……!)

 一番つらいのは、佐竹のはずだ。
 その彼自身がそういう感情は一旦いて、いま自分ができること、すべきことをしようとしている。
 だとすれば、マールにしてあげられることはただひとつ。彼を全力で助けることだ。それ以外には何もない。
 唇を噛んで目を上げると、とある扉の前に立っている警備兵が変な顔をしてこちらを見ていた。それに気がつき、マールは慌ててなんでもない風を装う。こほんとひとつ咳払いをした。
 そうして今度は意識的に、しずしずと歩きだした。

(『ナイトウ』さん……だっけ)

 佐竹は確かに、彼のことをそう呼んでいた。
 彼は、佐竹の同い年の友人なのだと。
 あちらの世界の「ガッコウ」とかいう所で一緒に勉強をしていて、まともに話をしたのは最後の十日かそこらだったらしい。それなのに佐竹はそれでも、彼を追いかけてここまでまっすぐにやってきてしまった。
 彼の弟だという「ヨウスケ」とかいう小さな少年に、必ず兄を救うと約束したからだというのも、確かに嘘ではないのだろう。
 でも、たとえそうでも、ただそれだけなのだろうか……?

(なんだか……変な感じ)

 安心していいのか、心配すべきなのか。どうもよく分からない。
 単なる「友達」だというには、もっと何か、ずっと深いものを感じるような気もする。普通の「友達」というならば、例えばあのケヴィンとガンツの二人のような、ああいう感じしか思い浮かばないからだ。
 とはいえ佐竹と「ナイトウ」のそれは、マールが以前に心配していたような、そういう関係とも違うようだった。

(だから……逆なのかも)

 きっと、そんな簡単に片付けられるものではないのだ。
 もしかするとあの佐竹自身にさえ、それが何であるかをしかと言い当てることは難しいのかもしれなかった。そういう、いろんな「分かりやすい」関係のすべてを飛び越えてある、そういう関係だってあるのだろう。
 悔しいけれど、マールにはまだ、きっと分からないことなのだ。

 色々と考えているうちに、涙はいつのまにか引っ込んでいた。
 マールは自分の頬をぴしゃぴしゃ叩いて、「よしっ!」と気合を入れ直す。
 ともかくも、村と王宮の「橋渡し役」を全力で頑張ろう。
 今の自分が佐竹のためにしてあげられることは、今はこれしかないのだから。

 

 

 翌朝。
 佐竹はマールを伴ってディフリードの執務室に赴いた。そこで彼にマールを紹介し、彼女に頼む仕事内容についての提案をした。
 美貌の竜将はちらっとマールの顔を見た途端、ちょっと溜め息をついたようだった。形のよい唇から、呟くような声が洩れ出る。

「罪つくりだねえ……サタケ上級三等くんは」
「は……?」
「ま、私が言うのも烏滸おこがましいか──」

 よく聞き取れずに聞き返した佐竹に、ディフリードはいつもの華やかな微笑を浮かべ、そんなことをうそぶいただけだった。

「では、諸々もろもろよろしく頼むよ。マール嬢どの?」
「は……、はいっっ!!」

 にっこり笑ってちょっと会釈をして見せた美貌の将軍に、マールは指の先まで真っ赤になって、慌ててぴょこんと頭を下げた。


 そして、翌日。
 ミード村に向け、王宮からの<白き鎧>第一次捜索隊が出立した。
 このところ、フロイタールではようやく一日のうち、ほんの僅かにぴかりと太陽が顔を見せる瞬間があるようになってきている。とはいえおおむねはまだ暗いばかりの空の下、総勢二十名ばかりの騎馬隊が街道を進んでゆく。

 第一陣は、まずは<召喚の間>のある地域の近隣の村々への通達と協力要請、そしてできれば<召喚の間>の調査を目的としている。その後、徐々に捜索隊の人数を増やし、本命である<鎧>の捜索に着手する予定だった。
 ディフリードと佐竹はそれぞれ軍服と文官姿で騎乗して、一団の先頭で馬を歩ませてゆく。隊列の中ほどに二台の馬車があり、中にはヨルムスを初めとする文官数名とマールも乗っていた。

 ゾディアスは後発隊の指揮をするため、今回は王城の留守を守ることになっている。南の<黒き鎧>がどのぐらいの頻度で使用可能なのかは分からなかったが、ヨシュアの警備も引き続き行なわれている。他の将軍たちはもちろんだったが、王城にいる間は、ゾディアスもそちらの仕事を兼任していた。
 しずしずと進んでゆく隊列の頭上では、あの「兄星」が地上のことなど何の関心もないかの顔で、夜のしじまに巨体を晒しているばかりだった。





 赤ぼんやりとした温かな光が、瞼の表面おもてをくすぐっている。

『ゆう君、起きて~? もう七時半よ~?』

 優しい母の声がする。
 ぱたぱたと聞こえる、軽い足音。
 ドアが乱暴に開かれる。

『にいちゃん、チコクするよ~? あさごはん、たべないの~?』
 言うなり、どすっと布団の上に結構な衝撃が落ちてくる。
『ぐふっ……!』

 だから、布団の上にダイブはやめろって~の、洋介。
 もう赤ん坊じゃないんだからさ。

『お~き~て~よ~! おねぼう、だめだよ~? にいちゃ~ん!』

 朝から見たいアニメがやってるからって早起きするのは、別に自慢にならねーんだぞ、こいつ。
 それに、高校生は眠いもんなの!

『相変わらずだなあ、祐哉は……。じゃ、行ってくるよ』

 呆れたような、父さんの声。

『あっ、おとうさん、いってらっしゃ~い』
『あらっ、パパ、ネクタイまた曲がってる……』

 ゆらゆらと、幸せな夢。
 こんなの見たの、久しぶりだな。

(……え? 夢……?)

 そう思った途端、近くで控えめな声がした。

「おはようございます、ユウヤ様。そろそろお目覚め頂きませぬと……」
 このところ毎朝聞いている男性の声。
 内藤ははっと目を覚ました。
「あ、ああっ! す、すみません! おはようございます……」
 慌てて起き上がり、頭を下げる。

(そっか……。やっぱり、夢だよなあ……)

 頭を掻きながら、朝から一回目の溜め息をついた。

 王都クロイツナフト、ノエリオール宮。
 内藤はここへ来て、これで十日目の朝を迎えている。
 比較的簡素だが、落ち着いた色目の調度でまとめられた品のいい寝室である。
 広さは大体、日本家屋でいうところの十畳ほどだろうか。ただの日本の高校生である内藤などからしてみれば、結構な広さだと言えるだろう。そもそもこの天蓋付きの寝台からして、明らかに「捕虜」ごときが使っていいようなものではなかった。

 寝具はどれも、織りや刺繍などの凝った品である上に、清潔でふかふかである。冗談ごとではなく、一度眠ったら軽く十時間ぐらいは眠れてしまうほどに快適だった。そのせいなのかどうなのか、どうも内藤は毎朝寝坊をしてしまいやすい。
 敵国の宮殿にいながら、これほどまでに緊張感がなくていいのだろうか。自分でもそう思わないわけではない。
 しかし、あのサーティークからして妙なのだ。即座に命を奪うでもなく、脅しつけたり痛めつけたりする訳でもない。むしろずっとこうして丁重なまでの扱いをし続けてくれている。
 もう、わけが分からなかった。そんなこんなで内藤は、結局はこんな風に「ずっと調子が狂いっぱなし」という感じなのだ。

「ごっ、ごめんなさい……! 毎朝、起こしてもらっちゃって──」

 こんな朝の風景も、ここへ来て何度目になるだろう。大体、自分の人生で、朝っぱらからこんなにお上品な声で「ユウヤ様」などと呼びかけられることがあろうなどと、考えたこともなかったというのに。
 部屋づきの召使いの青年は、ごく申し訳なさそうに静かに微笑んだだけだった。

「わたくしごとき者に、謝って頂くには及びませぬ。ただその……陛下が、今朝はユウヤ様と朝餉あさげをご一緒にとおっしゃっておられますもので──」
「え、ええっ……!」

 内藤は慌てて寝台ベッドから飛び出した。
 できうるかぎり最速で、朝の身支度をする。召使いの青年が準備してくれていた洗面用の水を使い、すぐに着替えた。

 ノエリオールの服装は、フロイタールよりやや日本的な感じがする。向こうでは長衣トーガを着、前をあわせないまま帯を締めるデザインだったが、こちらではあわせになっている。腰帯や下穿き等々の形はさほど違わない。
 いわゆる日本の着物とは違うものだが、強いて言うなら、地球で言うモンゴルなどの遊牧民族を思わせる出で立ちのように見えた。
 今日の内藤のために準備されていた衣装は、若葉色の上衣に生成りの下穿きだった。上衣にもクリーム色の帯にも、あでやかな水鳥や花の刺繍が施されている。

(えーっと……。一応、『捕虜』だよなあ? 俺……)

 実のところ、この城に来て以来、こんな下にも置かぬ待遇がずっと続いている。内藤は変な気持ちのまま、かといって文句を言う理由もなく、ただ首をかしげながら全てされるままになっていた。
 ともあれ身支度を終えるとすぐ、内藤は「食事の」へと連れて行かれた。

 北の国フロイタールのナイト王も相当だったが、ここノエリオールのサーティーク王も、かなりの多忙な王である。
 もちろん歴史上、政務を臣下に任せきりにして怠惰に過ごす王もいたかもしれない。だが、少なくともいま現在、この惑星ほしの王たちは、精力的なまでに勤勉かつ多忙な毎日をすごされているようだった。

「お、おはようございます……」

 召使いの青年に先導されて、二十畳ほどの広さの王の食事の間に入ると、もうサーティークは大きな食卓の上座についていた。
 王を待たせるなど、とんでもない非礼である。それは北の国でもここでも変わらない。内藤は身が竦んだ。

「すっ、すみません、遅れました……!」

 さっそく頭を下げて、必死に謝るところから始まる。
 が、サーティークは特に、何もこだわる風はなかった。内藤の顔を見ると面白そうに破顔して、ただ「座れ」と言うのみだ。これも、いつものことだった。

「相変わらずのようだな、ユウヤ。いい加減、ここの暮らしには慣れたのか?」

 黒と赤を基調にして銀糸で花鳥の刺繍の施された上衣を着て、王は朝からきりりとした様子だった。聞くところによると、朝食前にすでに朝稽古や公務のいくつかをこなしてから来るらしい。何から何まで、内藤とは大違いなのだった。

「あ……は、はい……。おかげ様で……」

 サーティークから見て左の斜め前あたりで、召使いが内藤のために引いてくれた椅子に座ると、すぐに食事が運ばれてくる。フロイタール宮でもそうだったが、ここの王も厳に贅沢を慎む風であるらしく、食卓はさほど豪華ということでもなかった。もちろん、田舎の村などに比べれば十分に品数も多いのだろうとは思われたが。
 子牛の肉と野菜のスープを口に運びつつ、サーティークがまた尋ねた。

「何か、不足ごとはないか。あれば侍従にでも召使いにでも、すぐに伝えよ」
「は、はい……。有難うございます」

 内藤は小さくなって、目の前のパンをちぎって少し口に入れた。
 そもそも、どうして自分がこんな厚待遇を受けているのか。まずそこからして分からない。内藤がどう思っていようが、自分はあの敵国フロイタールから連れてこられた人間だ。そのまま牢にでも放り込まれて、酷い扱いを受けたとしても何の文句も言えない立場だというのに。

(なのに、この人……)

 ちらりとサーティークを盗み見る。若き黒の王はちょうど、侍従に飲み物の追加を命じているところだった。
 サーティークは臣下の皆にも、その事実を告げていない。飽くまでも内藤は、たまたま旅先で拾ってきた彼の「大事な客人」として紹介され、今に至っている。
 それが何故なのかを聞こうにも、サーティークがあまりに多忙すぎて、なかなか聞く機会を持つことができなかった。今日、こうして顔を合わせるのも、実のところ三日ぶりぐらいである。言葉は悪いが、こちらから積極的に「首根っこを捕まえに」行きでもしない限り、彼と落ち着いて話をするのは難しいようだった。

(ん~……。どうしよう……)

 はあ、と肩を落として本日二度目の溜め息をついたところを、サーティークには目敏めざとく見つかってしまった。
「何だ? 何かあるのか」
「えっ。あ、いや、えっと……」
 怪訝な目で見据えられて、かっと頬が熱くなった。
「いや、その……。お忙しいんだなあ、と思って……陛下」

 この男をこう呼ぶのも、これでほんの数度目だ。まだちょっと物慣れない。言葉を出すだけでどぎまぎしてしまう。
 サーティークの方でも片眉を少し上げて、また変な顔になった。

「……お前にそう呼ばれるというのも、なにやら妙な話ではあるな」

 とはいえ、この呼び方まで拒否されると後がない。そのため、内藤はなんとかこれで呼ばせてもらうべく彼に頼み込み、先日の段階ですでに話はついていた。従って、サーティークのこの台詞は独り言ということになる。

「王が多忙なのは当然だ。国を支えるあらゆる側面を理解しなくて、なんの方針が決められる」

 食後のデザートであるらしい、小さな赤い丸い実を口に放り込みながら、なんでもないようにサーティークが言う。
 内藤はふと、ごく自然な疑問を口にした。

「でも、こちらにも、優秀な大臣や将軍のみなさまがたくさんおられるようなのに──」

 サーティークが抱えている案件の一部でも、彼らに任せることはできないのだろうか。そうすれば、少しは彼の体が楽になるだろうに。
 だがそう訊ねた途端、きらりとサーティークの瞳が光って、じっと内藤を見返してきた。

「それはもちろん。この目で選んだ、まさにりすぐりの家臣どもだ。彼らに任せて間違うことなどありえぬよ」
「それなら──」
 内藤が言いかけるのを、サーティークは片手で制した。
「なにも、俺一人で全てをこなそうなどとは思っておらん。それは傲慢というものだ。だからこそ、こちらで考えた方針を一旦は御前会議にも掛ける。……しかし」

 少し微笑んだ王の瞳が、内藤の心を読み取るかのようにゆらりと揺れた。内藤の心臓がどきりと跳ねる。どうしてなのかは、わからない。

「王が怠惰にした途端、奸臣が跋扈ばっこするのは世の常だ。奸臣は世を乱し、民を虐げ、最後にはそのいしずえをも砕く。俺は自分のこの国を、そんな所にはしたくない」
「…………」

 静かな声だった。だがその根底にあるのは、確かな信念であるようだった。
 その若さでこんなことを、さしたる気負いもなさげにさらりと言ってのける。それがサーティークという王なのか。
 内藤は心の中で舌を巻いた。

(すごい人だ……)

 素直に感嘆してしまった。
 南の国の、恐怖で人を支配するとまで噂されていた黒の王。その人が、実はこんな人物だったとは。
 もちろん、「赤い砂漠」を越えるために多くの兵の命を犠牲にしたことは事実だろうし、そのことに関しての不満が国内にまったくないわけはないだろう。そのあたりの内情については、まだまだ自分の知るところではないけれども。

(でも……)

「……何を笑う?」

 サーティークが不思議そうにそう訊ねた。内藤はそれで初めて、自分が笑っていることに気がついた。

「あ。……あはは、ごめんなさい。なんか……嬉しくて」

 サーティークがふと、沈黙する。
 朝の光が差し込む部屋で、なぜか黒の王は眩しそうな瞳をして、そんな内藤を見つめていた。

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