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第一章 南の国
8 御前会議
しおりを挟むアイゼンシェーレン、フロイタール宮。
例によってさほど暗くはなりきれない夜空を、今日は重たげな灰色の雲が覆っている。そこからちらほらと、雪の舞い散る早朝だった。
佐竹はいま足早に、底冷えのする王宮の廊下を王の執務室に向かって歩いている。
「冬至の日」のあの事件から、すでに三日が過ぎていた。
「佐竹上級三等、入ります」
声を掛けると、すぐに少年の声で応えがあった。ヨシュアである。
部屋には同様に呼ばれて来たのか、ゾディアスとディフリードもすでにいた。他の文官などの姿はない。
ヨシュアは先日まで兄が座っていた場所、つまり執務机の向こう側で立ち上がり、佐竹を見るなり嬉しそうに微笑んだ。しかし、すぐに肩を落としてしょんぼりした顔になった。ひどく疲れた様子である。
(……?)
何事があったのかと、ちらりとゾディアスの顔を窺う。が、巨躯の上官は例によってちょっと肩を竦めて見せただけだった。いかにも「陛下にお聞きしな」と言わんばかりの顔である。ディフリードはその隣で、「やれやれ」とばかりにゾディアスを見やっていた。
事後処理などのごたごたの中ではあったものの、あの後、予定通りに王位継承式は恙無く執り行われ、ヨシュアは正式にこの国の王となった。とはいえ当の本人は、まだまだ「陛下」と呼ばれることには慣れない様子である。
佐竹とゾディアス、ディフリードも、予告されていたとおりに昇進を果たし、それぞれ上級三等、竜騎長、竜将へと階級が改まっている。とはいえ急なことでもあり、それぞれ軍服や文官服は以前のままだ。
「早朝から呼びたててすまなかった、サタケ」
そう言ってヨシュアは椅子を勧めたが、「いえ、自分はここで」と佐竹は固辞した。
ヨシュアは「そうか」とひとつ溜め息をつくと、きゅっと唇を噛み締めて、いきなり佐竹に頭を下げた。
「申し訳ない……! サタケ」
「陛下……?」
驚いた。そして急いで上官二人に視線を走らせ、さらに驚く。
なんとその二人までが、佐竹に向かってそれぞれに深く頭を下げていた。あのゾディアスが佐竹に向かって大きな体を大儀そうに折り曲げているのは、なんだか奇妙な光景だった。
佐竹は手を上げてそれを制した。
「おやめ下さい、皆様がた。一体、どうなさいましたか」
それでも、三名は頭を上げない。佐竹はやむを得ずヨシュアに近づくと、執務机ごしにその二の腕に少しだけ触れた。
「どうか。陛下」
それで少しだけ顔を上げたヨシュアが、もう泣き出しそうな顔になっている。それを見て、佐竹はさらに愕然とした。
「……いかがなさったのです」
「…………」
それでもヨシュアは沈黙したまま、なかなか話を始めることができなかった。佐竹が何度か促して、ようよう彼が頭を上げてから、上官二人も漸くそれに倣って顔を上げてくれた。
それでもしばらく逡巡していたが、ヨシュアは非常に言いにくそうに、やっと言葉を紡ぎ始めた。
「そ、そなたには……大変申し訳ないことなのだが──」
「はい」
また、しばしの沈黙。
「兄上の……いや、『ナイトウ殿』の奪還作戦、ノエリオール派兵は、行なわれぬことになった。先ほどまで行なわれていた、御前会議でそう決まったのだ……」
(そんなことか──)
佐竹はむしろ、安堵した。どんな重大事があったかと心配したのだ。
正直なところ、それについては佐竹も元々、特段の期待はしていなかった。
ナイト王が実は内藤だったということは、ごく一部の人間しか知らないことだ。だが、たとえそうでも、あの「赤い砂漠」を越えてかの南の国に大軍を送りこむなどは、いかにも無理のありすぎる話だった。
こちらはあの「狂王サーティーク」ではないのだ。何千、何万もの将兵の命をそのためにのみ「浪費」するなど、とても出来まい。
まして、ナイト王の生死はいまだ不明なのである。いや、残念ながら恐らくは、あの<黒き鎧>のために利用され、すでにこの世の人ではないだろう。こちらの希望がどうであれ、その公算の方が圧倒的に大きかった。このような状況下で、早々に軍隊の派遣など決められるものではないだろう。
内藤個人の奪還については、佐竹自身はすでにある程度の腹を括ってもいる。つまり自分の力でどうにかするしかない、ということをだ。とはいえたった一人であの「赤い砂漠」を越えるなどは、もはや狂気の沙汰でしかない。
(もし、希望があるとするなら──)
そう、それはあの<白き鎧>の力だ。あれの調査を一刻も早く進めて、その力の全貌を明らかにする。その上で、できることならその力を用いて内藤を取り戻す。今後の選択肢として期待できるのは、今の佐竹にとってはもはや、それぐらいのものだった。
そのために、すでにズールの遺してくれた「<白き鎧>覚書」を何度も精読し、書庫の文官たちの協力も仰いで、役に立ちそうな書庫内の古い文献を選定、調査するなどの作業にも取り掛かっている。
まずは最初の取っ掛かりとして、あのミード村の奥にある「召喚の間」に赴き、調査・研究をする必要があると思われた。そこから<鎧>の位置の特定と、詳しい調査に移行する予定である。それらのためにも、今から準備できることは、ともかく迅速にやってゆく必要があった。
と、今回ばかりはさすがに華麗な微笑は引っ込めて、ディフリードが一歩進み出た。
「その先は、私から説明しよう。……よろしいですよね? 陛下」
「あ、ああ……。うん」
話を引き取ろうとする美貌の竜騎長に、ヨシュアは静かに頷いて一歩さがった。
概要は、こうである。
実のところ、あの「冬至の日」の事件以降、将軍や高級文官で構成される御前会議では、今後の対応について様々に議論されてきた。先日佐竹にも伝えられた<白き鎧>調査の件も、この席で早々に決まったことである。
武闘派である将軍たちの中からは当然ながら、サーティークがしてきたように「あの『赤い砂漠』を大軍をもって越え、王を即刻奪還すべし」との意見もでた。しかしながら、それには消極的な意見も多かった。
将軍たちも文官たちも、あの「ナイト」が実は異なる世界より拉致されてきた別人であることを知らない。それでも、あの「赤い砂漠」を越えてまで、もはや生死不明となった前王を奪還する作戦はリスクが大きすぎると考えられたのだ。
まして相手は、すでにあの<黒き鎧>を自在に利用するという、脅威の力を手に入れている。再びあのような暴挙に出られ、残ったヨシュア王まで奪われるような仕儀となったら。それだけは、なんとしても阻止せねばならなかった。
しかし、やはり目の前で王を奪われたことへの怒りに燃える血気盛んな将軍の数名が、なかなか「ノエリオール討つべし」の言を翻そうとはしなかったのだ。
会議は当然、紛糾した。
……ところが。
ある時期を境に、何故か強硬派だった将軍たちが一斉に口を噤んだのだ。不思議なほどの豹変ぶりだった。
ヨシュアはもちろん、末席にいて会議を傍聴していたディフリードも、「ノエリオール進攻」を声高に進言していた将軍たちの態度の変貌ぶりを訝しく思った。
一体、彼らに何があったのか。
「……で、だ」
佐竹の当然の疑問を受けるように、ディフリードが静かな声で言った。
「結論から言うと、どうやらナイトウ殿のことが、この会議の期間中に彼らに洩れていたらしいのさ」
(……!)
さすがに佐竹は驚いた。一体どこから、そんな「国家の最高機密」が洩れてしまったものだろう。
そんな事実をいきなり聞かされた将軍たちも、さぞや驚いたのに違いない。
彼らが大切に戴いてきたかの王が、実は七年も前に崩御されていたということ。そればかりではない。その王が彼らの預り知らぬ間に、いわば「影武者」とも言うべき赤の他人の青年にすり替わっていたなどと。
愚かにもそんな事を洩らしてしまったのは、いったいどこの誰なのか。
と、ゾディアスが隣から野太い声で口を挟んだ。
「ちょっと前から、サイラスの野郎が見あたらねえ」
いかにも苦々しい声だった。
「下手すりゃ逐電もありうるわ。ったく、あの小心野郎が──」
見れば丸太のような腕を組み、男はびきびきとこめかみに青筋を立てている。どうやら巨躯の上官は、すでに相当の確信を持っているらしかった。
(サイラスが……?)
小心者のあの男が、ナイト王の正体を将軍たちにふれて回ったというのだろうか。
しかし一体、何のために?
「あれでも高級文官の一人だからね。派兵に反対する高貴などなたかから、なにやら唆かされてもおかしくはない──」
疑問に答えるように補足したのはディフリード。
「今まで『重石』であられたズール閣下がおられなくなって、もともと重くもない口がさぞや軽くなられたのではあるまいか……と、私としても推察するよ」
「…………」
佐竹は腕を組み、顎に手を当てた。
そういえば先日ズールの執務室で見た時も、あのサイラスの態度はおかしかった。随分とおどおどしていたようにも見えた。あの時すでに、なにかしらの「漏洩」に関わっていたということなのかも知れない。
「金か、地位かは知らないが。まあ、そういうことなんじゃないのかな?」
ディフリードは白手袋をした指先を頬に添え、相変わらず華麗な微笑みをうかべたままだ。だがその菫色の瞳には、明らかに軽蔑したような色が仄見えていた。
ゾディアスが、ぐいと佐竹を見下ろした。
「悪いな、サタケ。ま、そんな訳だ。あいつのこたあ、こっちで虱潰しに探すとするが──」
「いえ」
佐竹はその言葉を遮った。
「お捨て置きください。無用のことです」
「な……」
ヨシュアもディフリードもゾディアスも、みな一様に絶句して見返した。
「いいのかよ? しかし──」
「無論、王宮内の規律の問題に口を差し挟むつもりはありません。ですが、自分としては今後、特にあの方をどうこうする気持ちはありませんので」
佐竹の瞳も、声も、至って静かなものだった。
佐竹にしてみれば、そんな男のために割く時間も労力も、ただひたすらに惜しいだけだった。くだらないことに関わっている時間など、一秒たりともありはしない。自分の持てる能力も時間もすべて、今は<鎧>のためだけに使いたい。ひいてはそれが、内藤奪還のためだからだ。
三名は、黙って佐竹を見つめ返した。
「本当に、良いのか……? サタケ」
恐るおそるといった風にヨシュアが訊ねた。
「はい。他にお話がないようでしたら、自分はこれで」
「あ! 待ってくれ……!」
早々に一礼して立ち去ろうとするところを、ヨシュアは慌てて引き止めた。
佐竹が踵を返そうとした姿勢から向き直る。
ヨシュアは真っ直ぐに佐竹を見つめて、もう一度また頭を下げた。
「ま、まことに……申し訳なかった。ナイトウ殿のこと、我々もできる限り協力するつもりでいる。何なりと申し出てもらいたい。必要なことは、何なりと」
ヨシュアの声はまことに真摯な、心からのものだった。
佐竹は少し、気の毒げな目の色になる。
つい先日、あれほど敬慕する兄と心ならずも無情な別れをさせられたこの少年王は、今、どれほどの重責に耐えているものだろう。佐竹としてもそんな彼に、これ以上の負担を掛けたくはなかった。
「恐れ入ります、陛下」
言って再度、深く少年王に一礼した。
「恐らくは近いうち、お言葉に甘えさせていただくことになろうかと。その節は、何卒、どうかよろしくお願い申し上げます」
ヨシュアが嬉しそうに顔を上げた。
「……うん。きっとだぞ。サタケ……」
まだ疲れたような青白い頬のまま、それでもヨシュアはにっこり笑った。
「はい。ですが、陛下はどうぞ、少しお休みくださいませ」
「え?」
思わぬことを言われて、ヨシュアが少し驚いたようだった。
佐竹は礼をしたまま言った。
「お顔の色が優れません。少しご自愛くださいませんと──」
「あ……ああ。ありがとう……」
佐竹の方は至って固い声音だったが、幸い、気持ちは伝わったようだった。ふわりと笑ったらしいヨシュアの声が、随分と柔らかいものに戻ったのだ。
「では、調査の準備等々で立て込んでおりますので、自分はこれで」
一礼して踵を返すと、佐竹は今度こそヨシュアの執務室を後にした。
それを見送った上官二人は、なにかやっぱり嬉しそうに、ちょっと目を見交わしたようだった。
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