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つづれ しういち

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第一章 南の国

3 喪失

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《ナイトウ殿……》

 近くで、自分を呼ぶ声がする。

《どうか、目を開けてください……ナイトウ殿》

 それはなんだか優しくて、とても品のある青年の声。
 何となく、この人をよく知っているような感じもする。でも逆に、まったく知らないような気もしてくる。そんな不思議な声だった。
 
 ひどく眠くて、ずっと意識がもどらなかった。なんだかもう何年も、こうして眠っていたような気持ちがした。
 手の甲で目を擦りながら、言われるままにやっと目を開ける。すると、例の<玉の檻>の外に、見るからに品のいい青年が立っていた。周囲全部が墨にけられたように真っ暗な中で、彼の姿だけがぼんやりと蛍みたいに光っていた。

「え? なに……?」

 俺はしばらく、ぽかんと口を開けていた。
 今までこの<檻>の近くに人が来たことなんてなかった。
 慌てて立ち上がり、その傍に行く。
 顔をよく見て、すぐにわかった。

「え、もしかして……。ナイト……さん?」

 俺が驚いてそう言うと、青年は嬉しそうににっこり笑った。

《はじめまして。お話しするのは初めてでしたね……? ナイトウ殿》

 とても柔らかくて優しそうな声だ。少し年上に見えるけど、彼の顔は自分とそっくりだった。なのに雰囲気はまるで違う。それがなんだか変な感じだった。もちろん、相手はあの王族の長衣ローブにマントの姿だ。

「え……えっと、どうして……?」

 わけがわからず、咄嗟にそんな言葉しか出てこない。でも、ナイトは全てをわかっているように、ただ静かな笑みを浮かべていた。

《どうしても、あなたに一度……謝罪と、お礼を言いたかった……》
「…………」

 言葉を失う。なんだかとても嫌な予感がした。

《長い間、あなた様のお身体をお貸しくださって、まことにありがとうございました。心より、御礼おんれいを申し上げたい……》
「あの、ちょっと待ってよ──」

 やめろよ。
 いきなりそんな事言うのって、なんか反則だろ?
 そりゃ、ちょっと前までなら俺だって、もしもこうして会えたらもう滅茶苦茶、言ってやりたい事もあったけどさ。
 でも、こうなったのはあんたのせいじゃない。それはあいつが……そう、佐竹がちゃんと教えてくれたし。

(ヨシュアのことだって、あるんだしさ……?)

 それに……それに。
 なんだか、それって──。

 さっきからナイトの言葉には、嫌な予感しか浮かんでこない。
 だけど、この胸騒ぎの原因がなんなのか、俺には分かっているような気がした。

(だってそれ……もう、会えなくなる人の言う事じゃね? そんなのって――)

「ナイトさん! 一体、外で何があったの? 俺、ずっと眠ってて、わかんなくって――」

 ナイトは俺の顔をじっと見て、またふわりと笑っただけだった。

《ようやく、あなた様にこの身体をお返しできることになりましたので。そのご挨拶と、謝罪と……それに、御礼を申したかったのです……。あなた様にはまことに、まことに……多大なご心痛とご迷惑を――》

 ナイトがその目に涙を浮かべて、深々と頭を下げた。
 俺は内側から、<玉の檻>の柔らかい壁をぶち叩いた。

「ちょ……だから、やめてって! ナイトさん、どうしちゃったんだよ? なんであんた、こんなとこにいんの? それに、なんで──」

 なんでそんなに、身体が透けて見えてんの──?

 ナイトは頭を上げて、俺をまたじっと見た。

《素敵なご友人をお持ちですね……。本当に、羨ましい……》

 その声は、間違いなく本心から言っているものだった。
 
「ナイトさ──」

 ……なんでだ。
 胸が苦しい。
 なんで俺、こんな気持ちになってるんだろ。
 だって俺、嫌いだったのに。
 こんな奴のことなんて、この間まで大嫌いだったはずなのに。

「あんた……どっか、行っちゃうの……?」

 どうするんだよ。
 ヨシュア、一人になっちゃうじゃん!
 俺、望んでない。
 そんなことひとっつも、望んでないよ……!

《最後に、ひとつだけ……いいでしょうか?》
 目を上げたら、ナイトはやっぱり綺麗な笑顔で笑っていた。
《あなた様にお願い事などできる立場でないことは、重々、承知しているのですが──》

 そんなことを言ううちにも、ナイトの身体はどんどん透明になってゆく。
 俺は慌てて<檻>の壁に張り付いた。

「いいよっ! 早く、早く言いなよっ……!」

《…………》

 ナイトの「お願いごと」が微かに聞こえて、俺は言葉を失った。
 喉がつまって、ぎゅうっと目の奥が熱くなった。
 けど、時間はない。俺はそれをこらえて、必死でナイトに頷き返した。
 ナイトも嬉しそうに頷いた。

 その瞬間。
 <檻>の分厚い柔らかい壁が、光の粒になって弾け飛んだ。
 きらきら光る霧の向こうで、ナイトがやっぱり、透きとおるような笑顔でこっちを見ていた。

 そうしてその姿は、光の霧が消えるのと一緒に、
 泡が溶けるようにして見えなくなった。





 気がつくと、俺は何か硬い台の上にいて、そこに突っ伏していた。

「うっ……うっく……うああああっ!」

 最後のナイトの言葉を思い出すと、もう、どうにもこうにも涙が止まらなかった。声も我慢できなくて、顔を覆って、ただもう大声で泣き喚いた。
 と、傍に誰かの気配がしたような気がした。
 目を上げると、佐竹がそこに立っていた。

「さ……佐竹っ!」
 俺は夢中で台から飛び降りて、その胸元にかじりついた。
「ナイトが……、ナイトがっ……!」
 胸に頭を擦り付けるようにして、声を絞り出す。
「ナイトが……いなく、なっちゃった……」
 喉がからからになって、声が歪んだ。
「消え……ちゃったあぁ……っ!!」
 あとはもう、その胸元を握り締めて泣きじゃくった。

 どのくらいそうしていただろう。
 ちき、と耳元で静かな金属音がした。

(……あれ?)

 そこで初めて妙な違和感を覚えて、俺はやっと目を開けた。
 目の前に、黒くて真っ直ぐな髪の毛が流れている。

(こいつって、こんなに髪、長かったっけ……?)

 あれから、そんなに年数が経っちゃってるとか??
 それに……こいつ、鎧なんて普通、着たりしないよな?
 長い黒いマントとか、凄く似合ってるしかっけーとは思うけど、そんなの着てるの見たこともないよなあ……?

 ……あれれ?

(えーっと……)

 だんだん正気に戻ってきて、何となく感じた違和感がさらに増幅されてゆく。
 恐るおそる顔を上げてみると、やっぱりそこにあるのは佐竹の顔だった。
 ちょっと年上に見えるのと、胸の真ん中あたりまでありそうな、癖のない長い黒髪は違うけど。でもやっぱりそれは、佐竹の顔に間違いなかった。
 強面こわもてで長身で、目つきの怖い古風な二枚目。

「…………」

 黙って、その黒い瞳と見つめ合う。

 ……なんか、恋人みてえ。

(きもっっ!)

 瞬間的にそう思って、俺は佐竹の胸から飛びのいた。

「あ、ああああのっ……ごめん! つい……」

 怖い目で睨みつけてくるのは、きっと向こうも「気色悪い」と思ったからなのだろう。そう思って、俺は必死に謝った。

「そ、そーゆー意味のあれじゃないから! ごめん! ほんっと、ごめん!!」

 ぱたぱたと顔の前で手を振ってみせ、神様や仏様を拝む仕草をする。
 長髪の佐竹は怪訝な顔になったようだった。さっきからひと言もものを言わない。それに、なんでかは分からないけど、片手に持った刀らしいものをちょっと見やって何かを逡巡する風だった。鞘にはなにか凝った綺麗な彫刻が施されてて、やっぱり「かっけぇ」刀だった。

「……どしたの? 佐竹」

 拝んだ姿勢のまま、首を捻って訊ねてみる。だけど、やっぱりなんの返事もなかった。俺は慌てた。これは相当怒らせてしまったに違いない。

「いや、だからごめんってば。で、なんでそんな格好なの? お前……」

 それでもしばらく、佐竹は何も言わなかった。
 ふと見ると、そこは見たこともない硬質の壁に囲まれた変な部屋だった。壁は奇妙な形のコンソールパネルみたいなものでいっぱいだ。地球でよく見るみたいな直線的な作りじゃなくて、全体になんだかうねうねと曲線の多いデザインだった。

(なんだ? ここ……)

 後ろを見ると、俺の寝ていた硬いベッドのような台はいつのまにか消えていた。今そこは、単なる平たい床だった。その表面はただつるんとなめらかで、さっきまでそこに何かがあったような跡さえなかった。
 壁のあちこちには灯火があって、隅には祭壇みたいなものもあり、その上には黒い鎧が大切そうにまつられている。そこだけはこの世界の雰囲気だったけど、なんとなく全体的にこの部屋は、この世界の物とはかなり異質な感じのする作りだった。

 ……やがて。

「……貴様。何者だ?」

 やっと佐竹がものを言った。
 と思ったら、やっぱりそれは日本語じゃなかった。

(……ん?)

 俺はちょっと、言われたことを頭の中で翻訳するのに時間が掛かった。それがまだ終わらないうちに、佐竹はまた言葉を続けた。

「ナイトは消えた。<鎧>の中にな」
「……!」

(そうだ。ナイトは、消えちゃったんだ……)
 
 その事実を思い出して、俺はまた泣きそうになる。再び涙が溢れそうになってしまい、ぐっと唇を噛んでこらえた。そのままちょっと俯いてしまう。
 男は腰に刀を差して腕組みをした。そのまま俺の前で仁王立ちになる。

「で? その後に残った、貴様は何者かと訊いている」
「…………」

 ということは、こいつは佐竹じゃないってことか。
 いや、でも……それにしちゃあ似すぎじゃね?

(っていうか――)

 俺はだんだんと、さっき自分がこの男に対してやらかしてしまったことを思い出した。そしてそれに反比例するようにして、さーっと血の気が引いていくのを覚えた。

(し、しまった……)

 知らない人にいきなり抱きついて。
 その上、大泣きしてしまったのか、俺……?

(あああっ、……恥ずい!!)

 ぶわわっと、顔から火を吹いたのを自覚する。
 きっと今、俺の顔は真っ赤になっているだろう。
 次の瞬間、俺はもう必死で謝っていた。

「ごっ……ごごご、ごめんなさいっ……! あのっ、俺……と、友達にあんまり似てたもんだからっ……!」

 一気に言ってしまってから、それが日本語だったことに気付く。それで俺はもう一度同じことを、こっちの言葉で言いなおさなくてはならなかった。もちろん佐竹と違ってものすごく片言まみれの、聞き苦しい言葉だったろうと思うけど。

「…………」

 相手の男は、かなり冷ややかな目でこちらを見ているだけだった。やがて、ぼそっと独り言のような声が聞こえた。

「……なるほど。か――」 

(もとの人格……?)

 聞き間違いかと思って見ると、向こうでも顎に片手を当てたままこっちをじっとうかがうような目で見つめている。
 再び、しばしの沈黙。
 俺は相手の男を改めてまじまじと見て、ふと不思議な気持ちになった。

(長髪の佐竹……かあ)

 ちぇっ。長髪も似合うって、どうなんだよ。
 なんか、怒ると体じゅうから怖い雰囲気が漂ってくるとこも、佐竹とそっくりなんだけど。

「で? そなたの名は」
 男は再び、俺に同じ質問をした。
「あ、……はい。内藤、です……。内藤祐哉ないとうゆうや……」
 仕方なく、素直にそう言って頭を掻いた。
「えっと、あの……よ、よろしく……」
「そうか」

 ほとんど感情の乗らない声で素っ気なくそう言って、佐竹とそっくりのその男は片方の口角をちょっとだけ上げたようだった。

(あ。やっぱり違うわ、この人……)

 その顔を見て、やっと確信した。
 この男は、佐竹じゃない。
 だって佐竹は、そんなすぐに笑ったりしないもんな。
 多分、三年にいっぺんぐらいじゃないの? 笑うなんてさ。

 俺はつい「こっちの人の方がよっぽどフレンドリーかも」とか思ってしまう。
 まあ、いま隣に佐竹がいたら、間違いなくぶん殴られるだろうけど。そう、文庫本の角とかでさ。あれ、けっこう痛いんだよなあ。
 男はまた、俺の姿をゆっくりと上から下まで眺めた。たっぷり十五秒ぐらいはそうしていただろうか。やがてやっと、口を開いた。

「俺の名は、サーティーク」

(え……?)

 一瞬、自分の耳を疑った。
 待て。待ってくれ。
 今、この男、なんて言った……?
 呆然としている俺の顔を面白そうに眺めながら、男はあまり嬉しくない自己紹介を続けてくれた。

「この南の国、ノエリオールの国王だ。以後よろしくな、殿
「…………」

 あまりのことにその場に固まってしまった俺を見て、男はくくっと低い笑声を漏らした。

「ひとまず、わが王宮に戻るとしよう。どの道ここには、そうそう長くはとどまれんしな──」
 ぐるりと部屋の中を見渡すようにしてから、男は俺の方に向き直った。
「まあ、嫌だと言っても連れ帰るがな。そなたには、あのサタケとやらいう奴の話も聞きたいことだし」
「…………」
 相変わらず固まったままの俺を見て、男は変な顔をした。
「どうした? まだ言葉がよくわからんか?」
「……!」
 途端、体じゅうががたがた震えだした。もう、立っていることもできない。俺はその場にへたへたと座り込んでしまった。

(まさか……そんな)

 サーティーク。
 それは、あの恐怖の南の王の名前じゃないか?
 まさか、本当にこの男が──?
 サーティークはそんな俺を見て、また苦笑したようだった。

「なんだ? 今ごろ怯え始めたか」

 くすくす笑いながら、ずいと近寄ってくる。黒い手甲をつけた手が伸びてきて、俺は思わず首を竦めた。

「ひっ……!」
 顔のすぐ前で、手が止まる。
「おかしな奴だな」
 呆れたような声が聞こえた。
「ついさっき、勝手に人の胸を借りて大泣きしたのはどこのどいつだ?」

 何も答えられなかった。かちかちと奥歯が鳴るのを、どうしても止められない。
 サーティークはちょっと黙って、やがて溜め息をついたようだった。

「やれやれ。北の国では、さぞかし俺を、悪逆無道の魑魅魍魎ちみもうりょうがごとくに喧伝けんでんしてくれておるのであろうな──」

 何となく、吐き捨てるような感じで呟いている。
 俺はきょとんとして、その端正な顔を見上げてしまった。

(……ちがうのか? 違うんですか……??)

「いいから立て」

 俺の心中の突っ込みなど知らぬげに、男はぐいと腕を伸ばして俺の襟首を掴み、力任せに引き起こした。

「うわっ……!」

 まるで子供がされるようにして、苦もなく元通りに立たされてしまう。

「死にたくなければついて来い」
「あ、あわわわ……」

 ちょっと手足をばたばたさせてみたけど、そんなことには何の意味もなかった。
 俺は首っ玉を掴まえられたまま、まさに有無も言わせてもらえず、引きずられるようにして外へと連れて行かれた。

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