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つづれ しういち

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第六章 暗転

5 覚悟

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「……以上が、ここまでで我々の知りえた事実です」

 ディフリードが静かな声で、一連の話を終わらせた。
 ナイト王の執務室である。
 事前にディフリードが申し出ていたため、再び部屋は人払いされている。そんなわけで佐竹は今回もまた、ズールと顔を合わさずに済んでいた。

 佐竹、ゾディアス、ディフリードの三人は、改めてナイト王と対面している。上官二人は佐竹を挟んで立っており、今はナイトの真正面に佐竹がいる形だ。
 ナイトは執務机に両肘をつき、手を組み合わせて口許にあてている。先ほどからずっと沈黙したままだ。その顔はやや悲しげな色を帯びながら、もはや蒼白といってもよいほどだった。
 ナイトの顔を見やりながら、佐竹もただ黙って立ち尽くしている。
 彼の衝撃がどれほどのものか。それは、想像するに余りあった。

 何しろ彼は、初めて聞かされたのだろうから。つまり自分が恐らくはもう死んでいて、どうやらその記憶にあたる部分だけを他人の体に移植され、ここにこうして居るのだということを。
 自分がもしそんな事をいきなり他人から告げられたら、一体どう反応するだろう。少なくとも「はいそうですか」と、すぐにうけがうことなどあるまい。
 ……だが。

「そう……だったか。そういう事だったのか……」

 ナイトの反応は、むしろ意外なものだった。
 何かを納得したような、静かな声が彼の口から聞こえてきた時、佐竹はそこから、なにか一種の安堵の色のようなものを感じた。何となく、それはようやく大きな深い謎から解き放たれた人の言葉のようにも聞こえた。

「陛下……」

 ディフリードが言いかけたが、ナイトはその言葉を遮るように静かに片手を上げた。そしてゆっくりと立ち上がり、執務机を回って佐竹の前までやってきた。

「……サタケ」

 「はい」と言いかけた次の瞬間、佐竹は息を呑んだ。ナイトが佐竹に向かって、深々と礼をしていたのだ。
 隣にいるディフリードとゾディアスまでが、それを見て凍りついた。

「申し訳なかった。臣下のしでかしたこととは言え、そなたの大切な友人の体を、こうして何年も奪ってしまった──」
「……いえ、それは」
 第一、それはナイト本人が望んだことではないはずだ。
「陛下に謝って頂くようなことではありません。どうか、頭をお上げください──」
 佐竹が何度そう言っても、ナイトはそのままの姿勢を崩さなかった。

「なんであれ、臣下のしたことには当然、私にも責任がある。そなたはもちろん、その『ナイトウ』殿とやらにも……さぞや、辛い思いをさせたのであろう。……まことに、まことに……申し訳ないことをした──」

 佐竹は、思わず片手でナイトの肩に触れた。あのうるさいサイラスあたりがここに居れば、即座に「不敬の極みである」とばかりに弾劾されかねない行為だけれども、幸いそういうことを言う輩はここにはいない。

「どうか……陛下」

 が、少し顔を上げたナイトを見て佐竹は絶句した。
 穏やかに微笑んでいながらも、彼の目には涙が溢れていたのだ。

「申し訳ない……。私のことはともかく、ヨシュアのことを思うと、つい……な」

 微笑みながらも目許を拭っている王を見て、隣にいる上官二人も、ただただ気の毒げに目を逸らすばかりである。

「この体は、当然すぐにも『ナイトウ』殿にお返しせねばなるまい。そうなれば時を移さず、ヨシュアが王位を継ぐことになろう。だが……まだなんの覚悟も決まらぬあの弟が、いきなり兄を失ったうえ……」

 ナイトはもはや嗚咽を堪えるために口許をおさえ、言葉を継ぐことができなくなった。だが、その先は言われるまでもないことだった。
 ヨシュアはそのうえ、来年の夏至の日からあの厳しい「鎧の稀人」の務めも果たさねばならなくなるのだ。王の気持ちは察して余りあるものがあった。

「だが……礼をいうぞ、サタケ」
「…………」

 もはや何を言うこともできず、佐竹は唇を噛み締めて、暗い瞳で王を見やった。
 ナイトはいまや、佐竹の右手を両手で握りしめている。

「そなたとナイトウ殿のお陰で、私たちは……この数年というもの、どうやら兄弟としての時間を過ごさせてもらうことができたわけだ。まことに……なんと礼を申せばよいものか――」

 佐竹はもはや、王の瞳からまたこぼれる雫を直視することが出来なかった。そして仕方なく、ただ黙って目を逸らした。
 ナイトは少しの間そうしていたが、やがて涙を拭って顔を上げた。
 その時にはもう、静かな微笑みを浮かべているだけだった。

「だが。私はともかく、いずれにしてもこの体をあのサーティークに持ってゆかせるわけにはゆかぬ。これは他ならぬ、そなたの友人『ナイトウ殿』の体なのだからな。そのための方策を、そなたらには考えてもらわねばならぬ──」
「もちろんです、陛下」

 ディフリードが向き直ってそう言った。決然とした声音だった。
 いつもは物柔らかで少し飄々とした風情の美貌の天騎長は、今や相当に凛々しい顔になっている。それは「本気になればこんな表情もするのだな」と思われるほど、きりりとしたものだった。

「我々家臣一同はみな、この一命を賭しても陛下をお守りいたす所存です」

 硬い言葉で一礼する彼を見て、ナイトは微笑んだまま頷いた。そしてゾディアスにも目を向けると、そちらにも頷いて見せた。

「なにぶん、よろしく頼む。荒事にはどうにも向かない私を、どうか許してもらいたい──」
「何をおっしゃいます」
 ゾディアスも柄にもなく敬語など使っている。
「諸事、お任せあれ」
 硬い筋肉の盛り上がった胸板を反らすようにし、堂々たる体躯でそう言うゾディアスも、ひどく頼もしい姿に見えた。

(この王は本当に、家臣から敬愛されているのだ──)

 そう思うと、佐竹の胸はさらに痛みを覚えた。
 佐竹自身とて、この王を憎く思うはずもない。これほどに心優しく、国民くにたみのことを思い、無私の心で公務に励む王ではないか。誰がわざわざ恨み、憎むことがあるものか。
 しかし、内藤を無事に連れ帰るためには、どうあっても彼をこの体に留めておくことは難しいだろう。そして、そうすることはそのまま彼の「まことの死」を意味するのだ。結果としてそのことは、自分があのヨシュアから血を分けた兄を奪うことをも意味していた。

 考えてみれば、自分はナイトの、その死を宣告する死神のような者に過ぎないのかも知れない。
 「内藤を救うため」という大義名分があるから、何だというのか。それがありさえすれば周囲の無辜むこの人々をどう傷つけても構わないなどという、そんな道理が通るわけもないというのに。

「…………」

 佐竹は、さらに唇を噛みしめた。少し血の味がするようだった。
 そうして沈黙してしまった佐竹を見やって、ナイトは気遣わしげに声を掛けた。
「サタケ。……どうか、自分を責めないで貰いたい」
 佐竹はただ、床の一点を見つめている。
「すべては、わが臣下がしでかしたこと。それによって生じた結果だ。私や王族であるヨシュアがそのことで責を負うのも、また、たとえそれで苦しむのだとしても……それは、そなたの罪ではありえぬよ」

 静かにそう言うナイトの顔には、むしろ清々しいような笑みだけがあった。

(……!)

 佐竹はその瞬間、閃くようにして理解した。

(この、……王は)

 この王は、とっくに覚悟など決めているのだ。
 今、こういう事態になったからなどではなく、もう、とうの昔から。
 恐らくは、彼が即位するずっと前から。
 そもそも王位は、おのが命に汲々きゅうきゅうとなどしていて務まるような立場ではない。
 この王が命を永らえたいと願うのは、ただ国と、そこにいる民のためのみだ。もしも後顧の憂いさえ無いとなれば、いつ、どんな時でもその命を失う覚悟などできている。
 だからこその、この笑顔なのだ。

 この王は、そういう男だ。
 このたおやかで穏やかな笑顔の下で、常にそう思って生きてきた、そういう王なのだろう。
 理由はどうあれ、事情がどうあれ、自分はそんな男のこの命を、終わらせるためにここにいるのか――。
 
「…………」

 ぎゅうっと、佐竹の眉間の皺が深くなり、握りしめた拳に力がこもった。
 極限まで奥歯を噛み締めていなければ、さすがの佐竹ですら、ここで見せるべきでないものまで見せてしまいそうなほどだった。

「とりあえず、陛下。ズールの爺い、呼んで頂いても構いませんかね?」

  隣で「もはや見ていられん」とばかりに、遂にゾディアスが口を挟んだ。敢えてそうしたのであろう、すっとぼけたような声だった。ディフリードも肩を竦め、ちょっとおどけたような調子で言葉を継いだ。

「それがいいでしょうね。色々と、聞きたいこともあることですし?」
 にっこり笑って、佐竹に目配せをしてくる。
 「んで、サタケ」と、ゾディアスが腕組みをした姿勢のまま、ぐいと顎を背後の扉に向けてしゃくった。
「おめえは、自分の得物でも取ってきな」
「…………」

 歯を食いしばったまま見上げると、ゾディアスの目はまさに有無を言わさぬとばかりに炯々けいけいとして、佐竹の瞳を見据えていた。
 その目が「さっさと行け」と言っていた。

 佐竹は一瞬、その瞳を見返した。
 が、やがて黙って一同に礼をすると、即座に踵を返した。そしてそのまま、王の執務室を後にした。

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