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第六章 暗転
2 写本
しおりを挟む底冷えのする宿の前の道ばたで、佐竹は静かに待っていた。違った形の二つの包みを小脇にしている。吐く息は少し白くなっており、僅かな日の出も待ち遠しいような気分になった。
「お、待たせたな、サタケ」
やがてケヴィンが宿の中から再び出てくると、その後ろからマールらしき人物もついて出てきた。見れば頭からすっぽりと大きな布を被って、目のところだけを出している。少し咳をしているようだった。
「マール、おはよう」
「お、……おはよ」
マールが布の奥から掠れたような声で返事をする。ケヴィンが慌てたように片手を上げた。
「あ、昨日からちょっと風邪ひいちまったみたいでさ。ほら、城勤めのサタケにうつすといけねえからよ?」
取ってつけたような説明と、マールのいかにも芝居がかった咳のしよう。佐竹はすぐに違和感を覚えたが、特に何も言わなかった。そしてマールに向き直った。
「昨日は、わざわざ来てくれたのにすまなかったな。マール」
「え? ……な、なにがよ」
布の間から翠の瞳が怪訝そうに見上げてきた。
「お婆さまに物語を聞かせたいと言っていたろう。ゆっくり見て回る時間がなくなってしまったからな」
「え……? あ、ああ……」
マールが目を見開いた。なんとなく、今はじめて思い出したような様子だ。佐竹は彼女に手にしていた長い包みの方を差し出した。
「……これを」
「え? あ、あたしに……?」
佐竹が頷いたのを見て、マールはそれを受け取った。
「開けていい……?」
再び頷く。マールは袋を開いた。
袋の中は、一幅の巻物だった。
マールは丁寧に巻物の紐をほどいてそうっと開く。
その目が次第に見開かれた。
「書庫の文官たちのお勧めだという物語を、いくつか写しておいた。本物は持ち出しができないからな」
まだこちらの世界の文字を習い覚えたばかりの自分だ。「素晴らしい出来」と言うにはほど遠いだろう。しかしそれでも羊皮紙の上には、なるべく丁寧に書いた細かい文字がびっしりと並んでいるはずだった。
お世辞にも綺麗とは言えないだろうが、これが今の自分にできる最大限のレベルであることは間違いなかった。
マールはしばらく、じっとそれを見つめて黙り込んでしまった。
「さすがに、挿絵までは再現できなかった。すまない。一晩しかなかったから、あまり沢山は写せなかったし――」
声には少し申し訳なさそうな色が混ざりこむ。他のことはともかくも、「絵心」などというものは生まれてこのかた自分の辞書に載っていたことのないものなのだ。とは言え物語絵本というものには、絵は不可欠の要素だろう。やはり申し訳なさが先に立った。
――と。
どん、と胸のあたりにマールが飛び込んできて、佐竹は言葉を継げなくなった。
「マール……?」
ちらりと横を見れば、隣でケヴィンが黙ったまま、手をわきわきさせて、身振り手振りで何かを必死に訴えようとしていた。
「……?」
眉を顰めて見返すと、今度は腕をぎゅっと体の前で合わせる仕草を、しきりに繰り返して見せている。
「…………」
ここまでされれば、いかな「朴念仁」の佐竹でもさすがに彼の言わんとするところは分かったが。
(……いや、それは)
しばらく考えた挙げ句、結局佐竹は自分の胸の辺りにあるマールの布を被った頭を、上からぽんぽんと軽く叩いただけだった。
地球上であっても、文化によっては相手を侮辱する仕草になる場合があるので気をつけねばならない仕草ではある。が、幸いここでは「親愛の情」を表現するために普通に通用するコミュニケーション手段であることは確認済みだ。
「……!」
それを見たケヴィンが、もうギリギリと布を引き絞るかのような格好で震えている。
佐竹はもはや、敢えてそれを無視した。
これ以上のことを今の自分に求められても困る。
「ありがと……サタケ。嬉しい……!」
マールが半べその顔を上げて、佐竹ににっこり笑って見せた。渡した巻物を大事そうに胸に抱きしめている。
佐竹はひとつ頷くと、今度はケヴィンのほうを向いた。もうひとつの荷物は彼に託すものだった。
「ケヴィン、これを」
「え? お、……俺?」
今度はケヴィンがびっくりする番だった。が、そちらは残念ながらケヴィン個人への品ではなかった。
「中に、二つ袋が入っている。片方はミード村の皆で分けて欲しい。もうひとつは、ウルの村のロト師匠に届けて貰えないだろうか」
小さいが重みのある袋を受け取り、その中からじゃらりと聞き覚えのある金属音を聞き取ったらしく、ケヴィンは変な顔をした。
「お前……。こりゃ、いけねえよ。こんなの、村じゃ貰えねえ」
慌てて袋を佐竹の胸に押し返すようにする。
「お前には武術会で優勝してもらって、今年の村の貢ぎはものすごく減ってさ。礼をすんのはこっちじゃねえか。貰えねえよ。ルツ婆だってきっと、受け取らねえ――」
「……それなんだが」
佐竹はやむなく事情を説明した。
「実は、俺がミード村の者ではないことがもう城の士官にばれている。もちろん口外するような男じゃないが、万が一ということもある。その時のための、保険のようなものだと思って欲しい」
当然、これはあのゾディアスのことである。
「必要がなければ、また返して貰えばいいことだ」
更に、佐竹はもうひとつの袋についても説明をした。
「ロト師匠も、恐らくは受け取らないとおっしゃるだろう。だが、その時はこう言ってくれ。『頂いた刀剣の修理費用の先払いだ』とな」
実はそちらの袋の中には、佐竹が剣に命名した名を書いた手紙も入っている。佐竹はそのことも合わせてケヴィンに説明した。
「面倒ごとばかり頼むようで申し訳ないが、どうかよろしく頼む。ケヴィン」
最後に深々と一礼されて、ケヴィンは「やれやれ」とばかりに頭を掻いた。
「しゃあねえなあ……。ったく……」
長い包みを抱きしめて嬉しげに笑う美貌の少女と、小さな袋を手にして頭を掻く小柄な若者に見送られ、佐竹は踵を返すと、また城のほうへと戻っていった。
◇
「大丈夫かなあ……あいつ」
佐竹の後ろ姿を見送って、ケヴィンがつい、ぽそりと言った。
それまで抱きしめた包みをにこにこと嬉しそうに見下ろしていたマールは、それを聞いて目を上げた。
(──え?)
ケヴィンはそれには気づいていない。
頭を掻きながら、独り言のように呟いている。
「だって、相手は『国王陛下』だぜ? そんなの、どうやって助けんのよ……?」
「…………」
マールはしばし、変な顔をしてケヴィンを見上げていた。
──が。
次第にその目が見開かれ、しまいに目一杯の大きさになった。
体がふるふると震えだす。
「国王」。
「国王陛下」。
この国では歴史上、女性が国王になったことはない──。
「な……、なな……」
ここではじめて、ケヴィンはマールの奇妙な様子に気付いた。途端、「あっ」と両手で口を塞ぎ、一気に顔色を失っている。
彼は顔じゅうに「しまった」という色を浮かべて、あたふたと両手を振り回しはじめた。
「そっ、その……違うよ? 別に、違うよ……?」
が、もう遅かった。
すでにマールは仁王立ちになって、物凄い目でケヴィンを睨みつけていた。
美しい翠の瞳が、いまや爛々と光っている。
「知っ・て・た・の……? ケヴィン」
少女が出すものとしては最大級に、地の底からくるような声だった。
「あ~……。え、ええっと……何の話かなあ? マールちゃん??」
ひきつった笑顔を浮かべ、必死に誤魔化そうとするケヴィンの努力はしかし、呆気なく一蹴された。
「とぼけないでっ! サタケの『大事な人』って、『大事な人』って……!」
「あ、あわわわ……」
「はっきり言って。まさか、まさかサタケの『大事な人』って──」
詰め寄ってくるマールの勢いに、もはやケヴィンに抵抗する術はなかった。へたへた、ぺたりと石畳に膝をつく。
やがて少女の絶叫が、まだ眠っている街の道ばたで轟きわたった。
「お、と、こ、な、の────!?」
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