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つづれ しういち

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第四章 王都

6 ゾディアス

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「お前は、何をやってんのよ……?」

 書庫に一歩足を踏み入れて、ゾディアスは呆れた声を上げた。
 佐竹が王宮の書庫にこもり始めて、すでに十日が過ぎていた。
 書庫管理部門の若い文官たち五、六名を相手に、今まさに「目録法」についてのたけなわだった佐竹は、さもうんざりした様子でそちらに目をやった。

 佐竹と文官の青年たちの中心にある広い作業台の上には、手のひらほどの大きさに切りそろえられた四角い羊皮紙が何千枚と置かれていた。
 皆から自分の手元が見やすいように、佐竹は小さな木製の脚立の上に半身はんみまたがるようにしている。手には羊皮紙のカードを持ち、今からそこに書き込む内容について説明しようとしていたところだった。

「……何かご用でしょうか、ゾディアス千騎長殿」

 声からしてあからさまに剣呑だ。わざわざ台詞にするまでもない。「ちっ、面倒な奴が来た」と言わんばかりである。
「おいおい。一応、お前の上官だぜ~?」
 ゾディアスが更に呆れて苦笑した。そのままずかずかと書庫の中へ入ってくる。

 王宮内のこの書庫は、過去数百年にわたるこの国の知識と知恵の宝庫である。その長大な歴史のゆえに、多少内装の古ぼけた感じは否めない。広さは三十メートル四方ほどであるだろうか。
 その壁一面に見事なほどにびっしりと木製の書架が作りつけられ、どれにも書物が所狭しと並べられている様は実に壮観だ。書架の前には様々な高さの脚立も置かれている。

 それら書物を「古今東西の文物」と呼びたいところではあるが、残念ながらこの世界ではその言葉は当たらない。
 この書庫で様々な歴史書に当たった結果、佐竹はこの国の詳しい来歴を知ることになった。
 北のフロイタールは長年にわたって周辺の小国群と次々に手を結び、多くは平和裏にとはいえ最終的には「併呑へいどん」して、国境をなくしてきたらしい。小さな部落や集落などならまだ残存するものの、現在での大きな隣国といえば、あの南の大国ノエリオールしか存在しないのだった。
 ともかくも、そうした過去の近隣諸国のものも含めた膨大な情報の蓄積機関として、この巨大な書庫は長年この王宮の最奥部に存在し続けてきたのである。
 
 ただ、その貴重な情報の整理という点について、佐竹には非常な不満があった。
 第一、探そうと思う情報に短時間ではまず辿りつけない。情報の分類はおおまかでおろそかに過ぎ、たとえば自然科学と、魔術や魔道に近いようないかがわしいものまでが混在して、雑多に書架に詰め込まれているといった状態だった。

 自分の勉強の効率化を図るためなのはもちろんなのだが、佐竹は次第にこの書庫内の「情報の混沌カオス」そのものに我慢ならなくなってしまったのである。
 内藤を救い出すという当初の目的からは相当に逸脱しているような気もするが、これを放置することが佐竹にはどうしても出来なかった。

 さすがに向こうの世界の図書館のように、OPACオーパックやICチップなどによるコンピューター管理までを求めるのは気の毒だろう。だが、せめてきちんとした書誌の記録とその分類、目録の整備体制ぐらいは整えておきたかった。
 それは今後、この国の礎を築くためにも決して無駄にはならない活動のはずである。知識の蓄積と体系化、および分類管理は、文明の基礎となるものだからだ。
 自分の学習のみならず、この王宮に仕える人々、そしていずれはその外の民たちにも利用可能にしていくためにも、目録作りは必須の作業だった。

 そんなわけで佐竹は当面、とりあえずの作業として、文官たちに羊皮紙でのカード目録作りを行なわせ、そのノウハウぐらいはマスターさせようと考えた。だがこれとて、向こうの世界のレベルからすればあまりに基礎レベルのアナログ方式にすぎない。いかにも隔靴掻痒かっかそうようの感は否めなかった。

 もちろんこのことは、ここの管理者である文官長にも話を通し、ナイト王の許可も取ってある。
 あのヨルムスとかいう書庫管理部門のおさは「今すぐにもここにサタケを配属し直してもらえないか」とナイト王にねじ込んだらしい。だが「それは本人の意思を尊重してくれ」という王の鶴の一声により、一旦却下された形となったようだ。

 むろん佐竹は、ここで働き続ける意思などなかった。
 飽くまでも佐竹の目的は、王「内藤」の奪還である。
 一日中ここに籠もって仕事をしていたのでは、一兵卒である以上に、王との接触は望めまい。
 佐竹の返事を聞いたヨルムスの落胆ぶりは、ひと通りのものではなかった。





「……んで? お前はいつまでここに居んのよ?」

 巨躯の上官の求めに応じ、仕方なくといった様子で仕事内容の説明をした佐竹に向かって、ゾディアスは顎のあたりを掻きながらそう聞いた。さも面倒臭そうな顔を作っている。
 佐竹は当然のようにさらりと答えた。

「できれば、この目録整備の目処めどがつくまで、と考えておりますが」
「で、それはいつ終わる」
 青年は、少し考えるように顎に手をあてた。
「まあ、たかだか五千冊ほどのことですし。さほどの手間はかからないかと――」
「…………」
 ゾディアスは絶句した。

(五千冊だあ?)

 そんな数字をいとも簡単に「たかだか」と言う、この青年の頭の中が理解できない。
「まあそこは、彼らの頑張り次第でしょうか」
 ことも無げにそう言って、佐竹は若い文官たちをちらりと見やった。ゾディアスも、それにつられてそちらを見やる。
 若いといっても佐竹本人に比べれば、十分年上の面々である。つまりこの青年は、まったく平気な顔をして年上の先輩方を顎でこき使い、更には今後の作業行程のレクチャーまで行なってやっているというわけだ。

(どんな野郎だよ、まったく……)

 ゾディアスは心中で、ただもう開いた口が塞がらない。
 二人の武官に見つめられ、当の文官たちは互いの顔を見合わせて、困ったように首をひねった。見るからに、作業に対する自信はなさそうな顔だった。

(……駄目だ、こりゃ)

 ゾディアスはちょっと肩をすくめると、大股で佐竹に近寄り、いきなり首根っこをひっ掴んだ。猫の子でもつまみあげるようなものだった。
「何を――」
 途端に佐竹の黒い瞳が、不満を満載した色で睨み上げてくる。
「ちょっと来い。話がある」

 相手の不満顔などまるきり無視して、ゾディアスはそのまま彼を脚立から引きずり下ろすと、ずるずる引っぱって有無を言わさず外へ出た。
 二人だけで廊下へ出た所で、佐竹はようやく、自分の襟元を力任せに掴んでいるゾディアスの手を振りほどいた。

「で? 御用向きは」

 この時点で佐竹の目は、すでに相当剣呑になっている。いかにも「時間が惜しい」と言わんばかりの雰囲気に、ゾディアスは少しかちんと来た。
 彼の目の前で仁王立ちになり、腕を組んでその顔を睥睨へいげいする。

「おめえよお。俺との約束、忘れたってんじゃねえだろうな?」
「…………」

 「またその話か」と言わんばかりに目を細めた佐竹を見て、更にゾディアスは苛立った。次第にその声が地を這い始める。

「やっと立会人になってくれる野郎を見繕った。いい加減、相手しろ」
「…………」
「ってかお前、毎日こんなことばっかやってて、まさか剣の修行を怠ってんじゃねえだろうな? 一応、武官だぜ? おめえはよ」

 言って、どすっと指先を佐竹の胸元につきたてる。
 一番気になっていたことだった。

「腕を錆び付かせてやがったりしたら、承知しねえぞ」
「……無論です」

 言葉少なに答える佐竹も、決して機嫌がいいとは言いがたい。
 一応、相手が上官だという認識ぐらいはあるのか、声音は相当抑えている。が、それでもその態度の冷ややかさはどうにも否めなかった。

「朝晩の鍛錬はサボってねえんだな?」
 一応確認するゾディアスを、佐竹は下から睨み上げた。
「『当然だ』、と申し上げている」
 遂に、語尾から微妙に敬語が消えた。

(……なるほどな)

 その強い光を放つ佐竹の瞳を見て、ゾディアスはなんとなく理解した。
 誰よりも、それを不満に思っているのはこの佐竹なのだろう。
 彼がなにやら「訳あり」の身であり、何かの目的があってこの王宮にやってきたということは、何となく当初から察しはついている。それが王に仇なすことならば、何をいても排除するのが自分の務めだ。
 とりあえず、彼の態度を観察していて、それが王を害するたぐいの何かでないことは察しがついた。が、だからといってそれがこの王国にとって益になることかどうかは、依然として不明である。
 だからこそゾディアスはあのナイト王に頼み込み、彼をひとまず自分の配下にしてもらったのだ。まずはとしての立場を確保させて貰い、ここからさき数年は簡単に目を離さないつもりでいた。

(ま、とにかく)

 そういったなにがしかの目的があってこの王宮にやってきた彼にしてみれば、それこそこんなほこりを被った書庫の中で毎日資料の整理に明け暮れていることは時間の無駄に思えるに違いあるまい。それでもやむにやまれず、こういう事態に陥った。……と、そういうことであるらしかった。

(それにしても──)

 目の前で静かに怒りの炎を揺らめかせている佐竹の瞳を見やりながら、ゾディアスは心中ひそかにひとりごちる。

(いったいこいつ、どこから来やがったもんだかなあ?)

 あいにく自分は、彼が黒髪だからといって安易に「敵国ノエリオールの出身者」などと考えるほど愚かではない。そもそも彼が本当にあの国の間者なら、おかしなことが多すぎるのだ。あちらの国だって馬鹿ではない。なにもわざわざ、こうして黒髪の男を潜り込ませる必要はないはずだからだ。

(しかもこんな、目立つ奴をよ──)

 またゾディアスは、彼がミード村とかいう田舎の出身だなどと安直に信じるほど馬鹿でもなかった。
 彼のあの剣の腕も、この輝き出るような聡明さも。
 またどこか毅然とした、そして芯の通った人格的な清廉さも。
 彼のそうした特徴の数々は、そうした牧歌的な出自にはあまりにも馴染なじまなさすぎた。

 実はゾディアスは情報収集のため、すでに懸案のミード村に向け、手下てかの者を数名走らせている。名目は一応「彼の身元確認」ということにしているが、当然、目的は別にあった。
 だから早晩、佐竹の出自に関する事実は明らかになるはずだった。

「…………」

 ふと気付くと、目の前の青年がひどく怪訝な視線でゾディアスを眺めやっていた。
 彼がいきなり沈黙してしまった自分を不審に思っているのは明らかだった。

(……おっと、いけね)

 ゾディアスはにやりと笑った。
 このいかにも勘の良さそうな坊ちゃんの前で、あまり物思いに耽るのも考えものだ。

「まあいいや。そこまで口出しするこっちゃねえ」

 言って、首の後ろなどさすりながら肩を竦めて見せる。
 眼光の厳しさはそのままに、佐竹はただ沈黙してゾディアスを見上げていた。

「どんな仕事でも、仕事は仕事。……ま、頑張れや」

 とぼけたような顔のまま、いつものように片目をつぶって見せる。 
 佐竹の顔が、また少し嫌そうなものに変わった。
 ゾディアスは彼のこの顔が見てみたくて、ついこの癖がやめられない。
 思わずにやにや笑ってしまうと、佐竹の目が更に剣呑になった。

「っつーことで、試合は明日の朝一番だ。いいな?」
「……了解しました」

 一礼した佐竹の声音は、まだ先ほどまでの怒りを滲ませてはいたが、ずっと静かなものに戻っていた。

「手加減なしだぜ? よろしく頼まあ」

 ゾディアスは踵を返すと、またひらひらと手を振って、彼をそこに残したまま兵舎に向かって歩き出した。
 廊下を行きながらゾディアスは、自分の口のに笑みがのぼってくるのを自覚していた。

(……参ったね、こりゃ)

 つい、喉奥でくくっと笑う。
 色々と不審な点はあるものの、彼と話すのは楽しかった。
 まあこの王宮は、もともとつまらない場所ではない。
 だが、そこに彼がいるというだけで、こうまで心が浮き立つのは何故なのだろう。
 ゾディアスはまた、肩に手を置いて腕をぐるぐると振り回した。

「おっし。そんじゃちょっくら、剣でも振ってきましょうかね――?」

 どうやら明日は久しぶりに、楽しませて貰えそうだった。

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