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第四章 王都
4 王都アイゼンシェーレン
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北の国フロイタールの王都アイゼンシェーレンは、広大なその国土の中心部からやや北寄りの、比較的温暖な地域に位置する。
傍らには雄大なユナス川が豊かな水を湛えて悠然と流れ、その恩恵をうけて広がった牧草地や農地に囲まれたそこは、太古の昔から人々の憩う、穏やかな安寧の地であり続けてきた。
周辺の村々に至るまで、地味も豊かで牧歌的な雰囲気だ。街道沿いで目にする農家らしき人々の顔は、収穫期を迎えていかにも忙しそうに、しかし明るいものに溢れていた。それは平和のうちに今日の仕事に勤しめることを感謝し、収穫の喜びに輝く顔であった。
どうやら、ナイト王がお忍びで各地の武術会の見物に出るのは今に始まったことではないらしい。共に騎馬で歩く兵たちの話によると、王は多忙な公務の合い間を縫って毎年あちこちの大会に出かけては、これはと思う若者を王宮に召し抱えるのだという。
そして、それぞれの才能に合わせた高い教育と各種の訓練を施した上、能力に従ってそれなりの地位を与えるということらしかった。
──『人材こそは、国の命』。
それが、この王の普段からの口癖なのだという。
そう誇らしげに語ってくれる兵たちも、何か胸を張って一様に嬉しげな様子だった。彼らのうちの何人かも、実際にそうやって王都に「引き抜かれた」者たちだったのだ。
見たところ至って穏やかで物柔らかな態度でありながら、この王は彼なりにこの国と民のことを思い、未来を見ようとしているのだろう。
ただそんな話を聞かされても、佐竹の思いは複雑になるばかりだった。
(なにしろ……俺は)
理由はどうあれこの自分は、彼らの大切なその王をいずれはこの世界から連れ去ろうとしている人間だ。
もとは向こうの世界の人間で、しかも無理やりにこちらに連れてこられたからとは言っても、ここまでこの世界に馴染み、愛され、求められる立場になってしまっている「内藤」を、自分は彼らから奪おうとしている。
ただ、強引に力によって奪おうにも、それは不可能に近いと言えた。隣にいるゾディアスはじめ、他の兵たちの強硬な抵抗にあうことは火を見るより明らかだからだ。
みなが敬愛するこの王を彼らが全軍を上げて守ろうとするのは間違いがない。彼らにしてみれば、それは当然のことであろう。
しかも当の「内藤」には、向こうの世界での記憶がない。
どうやら何者かの意図により、その内藤としての「人格」も「記憶」も、今は彼の中に封印されてしまっているようだ。ゾディアスたちの抵抗に加え、本人の抵抗まであるとなれば、とても自分一人の力で易々と逃避行へは持ち込めまい。
(……さて、どうするか)
ようやく「内藤」に会えたとは言っても、この状況からどう「内藤」を救い出せばよいものか。
佐竹の悩みは深かった。
そうして物思いに耽りつつ沈黙している佐竹の横顔を、隣で馬を歩ませるゾディアスが、何やら意味ありげな視線で見つめていた。
◇
結局のところ、王都にはウルの村から三日を要した。途中の宿場町や兵の駐屯地などで宿泊しながらの移動なのでこんなものなのだと言う。もちろんこれが「有事」であり、騎馬隊による強行軍ともなれば話は別だ。
その街が見え始めたのは、三日目の午後のことだった。
はじめ、それは平野の彼方にぼんやりとした陽炎のようにも見えた。それが近づくにつれて次第にはっきりと姿を見せはじめ、やがて巨大な街であることが知れた。
そこは、平野部の中に自然にできた丘をそのまま街にしたという感じだった。最も高い場所に王城があるらしく、その中心には尖塔を含む三、四十メートルほどの高さの建造物がいくつかそそり立っているのが見える。
兵たちの説明によれば、街の広さは縦横におよそ八キロほどであり、人口は約八十万とのことだった。これまで見てきた国土の状況から考えれば、相当な大きさの街だと言えよう。
街の周囲は石造りの高い防壁で守られており、いざとなればここに立て籠もって戦うことも可能であるようだった。防壁のあちこちには、物見と弓矢等を放つための穴が設けられている。日本の城でいうところの「狭間」と同様のものと見えた。
防壁には東西南北にひとつずつ大門が設けられており、今は落とし戸式の巨大な鉄扉が引き上げられ、通行可能になっている。それぞれに警備の兵士がついて、街に出入りする人々を検問していた。
一行はその防壁の開いた大門をくぐり、街の人々の平屋の家屋や商店等々が並び立つにぎやかな界隈を抜けて、くねくねとあちこちに曲がる街路を進んでいった。
建物は、街の中心に入るに従って石造りのものが増えていった。どうやら富裕層ほど木造でなく、石造りの家を好むようだった。
街の人々の様子は至って明るく、街の中もごく清潔に見えた。ウルの村同様、街のあちこちから女や男たちの笑声や子供たちの遊び騒ぐ声が楽しげに聞こえている。
ナイトは飽くまでも「お忍び」からの帰還であるため、馬車から顔を出すこともなく、街の人々が彼を出迎えるといったこともなかった。
そのまま一行は王城に戻った。
王城の周囲は近くのユナス川から引いたものらしい水を張った堀に囲まれ、その門に至るには堀に架かる跳ね橋を渡る。
ようやく王城の敷地に入り、兵たちはそこで解散となった。
佐竹は下馬して持ち主の兵に礼を言い、その馬を彼に返した。
ナイトは馬車に乗ったまま、さらに王宮の奥まで移動するようだった。どちらへ向かうのか見定めようと眺めていると、またちらりとその窓から顔を覗かせ、王は笑顔でこちらに声を掛けてきた。
「サタケ。落ち着いたら一度、私の執務室にきてくれぬか? そなたに色々、確かめておきたいことがある」
(確かめておきたいこと……?)
佐竹は少しばかり疑問に思ったが、特に拒む理由はなかった。
「……承りました」
一礼した佐竹にまた笑って頷くと、ナイトはカーテンの向こうに見えなくなった。
「おっと。兄ちゃんはこっちだぜ」
ナイトの馬車が行ってしまってから、ゾディアスはそう言って佐竹を敷地内の兵舎へと連れて行った。
兵舎の建物は石造りで、二階建てになっていた。敷地面積はちょっとした集合住宅ぐらいはあるのだろうか。
兵舎の外では、兵士たちが厩舎の近くで馬や馬具の手入れをしたり、武器を磨いたり、上半身裸になって井戸のそばで体を拭いたり洗濯をしたりと、日々の作業にいそしんでいる様子だった。
見れば、ゾディアスの着ているような軽鎧を着ている者もいれば、ここで兵士用に支給されるらしい揃いの普段着の者もいる。みなにぎやかに、冗談を飛ばしたり笑い声を上げたりと、ごく楽しげな様子である。
一見して至極風通しのよい、さばけた軍隊であるようだった。少なくとも、酷薄な「鬼軍曹」か何かが彼らを理不尽に締め上げて楽しむ、といったような陰湿な雰囲気は微塵もなかった。
二人は彼らの間を抜けて兵舎の中に入った。
狭い廊下を歩いていると、次々にゾディアスの姿を認めて敬礼をする者や、「おかえりなさい、千騎長どの!」などと嬉しげに声を掛けてくる者たちがいる。
彼はそれに「おう、戻った」と返事をしたり手を上げて見せたりしつつ、彼らの間を勝手知ったる足取りでどんどん歩いていった。どうやら彼は、部下に慕われる上官でもあるらしい。
佐竹は背後からそんな様子を見ながら、ちょっとこの男を見直していた。
ただ、兵士達のほうは、巨躯の上官の後ろを歩いてくる黒髪の青年を目にすると、はっとしたようになって黙り込み、佐竹に対して一様に不審げな視線をぶつけてきた。
やはりここでも「恐怖のノエリオール」の黒髪の呪いは健在であるようだ。
と、ゾディアスが兵舎の一室の前で立ち止まった。
「ここだ、兄ちゃん。入んな」
木製の薄い扉を軽く叩いてから彼が開くと、そこは四人部屋のようだった。
広さは大体、日本家屋でいうところの八畳ぐらいだろうか。簡素な木製の寝台が四つ部屋の隅に設置され、肉色のカーテンで仕切られている。それ以外、特に大した調度のない部屋だ。壁は基本的に石造りで、床はその上から板敷きにしてあるようだった。
「あ……!」
寝台のひとつに座り込んで熱心に普段着の繕い物をしていた兵士が、ゾディアスを見た途端、びしっと立ち上がって敬礼をした。
この世界での兵士の敬礼は、握った拳を胸に当てる形であるらしい。
「これは! ゾディアス千騎長殿!」
そのまま直立不動の姿勢になった彼に、ゾディアスは苦笑して「まあ楽に」とでも言うように手を振って見せた。
「新入りを紹介しとく。『サタケ』だ。今日からここで面倒みることになった。まあ、よろしく頼まあ」
「はっ!」
ゾディアスの軽い態度とは裏腹に、若い兵士はひたすらに固い表情である。
「こいつ、こんな面はしてやがるが、すんげえ田舎もんなんでな。ま、色々教えてやってくれ」
ここで意味ありげな笑顔でにやりと振り向かれて、背後にいた佐竹は半眼になった。「田舎者」「田舎者」と、この男はちょっとうるさすぎる。
田舎者の何が悪い。
(そういうあんたは、どこ出身だ)
そんな佐竹の不快げな表情を見て、ゾディアスは愉快そうに口角を引き上げ、喉奥でまた笑った。
青年兵士はそんな無言のやりとりにも気付かぬ様子で、緊張した声で「はっ、了解であります!」などと返事をしている。
「……ま、頼んだぜ? ユージェス従長」
「はは!」
それだけ言って部屋から出て行こうとしたゾディアスは、「ああ」とさも今思い出したかのように佐竹を振り返った。
「言い忘れてたが。今日から、俺がお前の上官だ。サタケ従士」
「…………」
佐竹は無言で、巨躯の金髪男を見返した。先ほどから何となくそんな予感はしていたが、やはりそうなってしまったらしい。
「今後は一応、敬語使えよ? でねえと、こいつらにシメられっぞ~?」
言いながら、ちらりと隣のユージェスと呼ばれた青年を見やっている。ユージェスがその途端、じろりと佐竹を睨めつけた。今すぐにでも「シメられ」そうな目つきである。
ユージェスは、短い銀髪に紫色の瞳をした見るからに素朴な感じの青年だ。中肉中背で、佐竹よりかなり背は低い。佐竹は彼を上からちょっと見下ろしたが、すぐにゾディアスに向き直った。
「了解しました。ゾディアス千騎長殿」
素直に、しかしごく素っ気無く、見よう見まねで彼に敬礼をして見せる。ゾディアスはそれを見て、思わず噴き出しそうな顔になった。
「例の件は、また追って連絡する。そんじゃま、せいぜい仲良くやんな~?」
あとはもう何も言わず、顔の横でひらひらと手を振って、ゾディアスは兵舎の廊下を大股に歩き去って行った。
「例の件」とは、当然あの「真剣で自分と立ち会え」という、彼の一方的な希望のことであろう。佐竹は少し、溜め息をつきたくなった。
それもこれも、今の自分にとってはどうでも良いことだった。
(……そんなことよりも)
自分にとって何よりも重要なのは、内藤をいかに救い出すかだ。こうして王宮にうまく潜り込めたのはラッキーだったが、問題はここからだろう。
恐らく一番下の階級である「従士」では、おいそれと王宮内部には入れまい。
どうにかして階級を上げ、王に近づきやすい立場を確保する必要がある。
(さて……どうする)
顎に手を当てて考え込んでいると、ふと視線を感じて、佐竹は我に返った。
「お前、その髪……。どこ出身だ?」
見れば自分の肩口のあたりから、「ユージェス従長」が剣呑な視線で佐竹をじろじろと見上げていた。
「…………」
(また、この質問か……)
ゾディアスめ、どうせなら説明してから行けばいいものを。
佐竹は内心うんざりしつつも、そんな感情は噯気にも出さず、ごく淡々と同僚の青年に出身地の説明を始めたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍制ですが、ゾディアスの千騎長が少佐または中佐、従長は伍長、従士が兵(一兵卒)と考えていただけるとよろしいかと思います。
まだまだ上が居ますが、表にしますと、
万騎長(大佐)
千騎長(少佐・中佐)←ここにゾディアス
百騎長(大尉)
十騎長(少尉・中尉)
士長(曹長・軍曹)
従長(伍長)←ここにユージェス
従士(兵)←いまの佐竹
という感じです。ちょっと多かった^^;すみません…。
傍らには雄大なユナス川が豊かな水を湛えて悠然と流れ、その恩恵をうけて広がった牧草地や農地に囲まれたそこは、太古の昔から人々の憩う、穏やかな安寧の地であり続けてきた。
周辺の村々に至るまで、地味も豊かで牧歌的な雰囲気だ。街道沿いで目にする農家らしき人々の顔は、収穫期を迎えていかにも忙しそうに、しかし明るいものに溢れていた。それは平和のうちに今日の仕事に勤しめることを感謝し、収穫の喜びに輝く顔であった。
どうやら、ナイト王がお忍びで各地の武術会の見物に出るのは今に始まったことではないらしい。共に騎馬で歩く兵たちの話によると、王は多忙な公務の合い間を縫って毎年あちこちの大会に出かけては、これはと思う若者を王宮に召し抱えるのだという。
そして、それぞれの才能に合わせた高い教育と各種の訓練を施した上、能力に従ってそれなりの地位を与えるということらしかった。
──『人材こそは、国の命』。
それが、この王の普段からの口癖なのだという。
そう誇らしげに語ってくれる兵たちも、何か胸を張って一様に嬉しげな様子だった。彼らのうちの何人かも、実際にそうやって王都に「引き抜かれた」者たちだったのだ。
見たところ至って穏やかで物柔らかな態度でありながら、この王は彼なりにこの国と民のことを思い、未来を見ようとしているのだろう。
ただそんな話を聞かされても、佐竹の思いは複雑になるばかりだった。
(なにしろ……俺は)
理由はどうあれこの自分は、彼らの大切なその王をいずれはこの世界から連れ去ろうとしている人間だ。
もとは向こうの世界の人間で、しかも無理やりにこちらに連れてこられたからとは言っても、ここまでこの世界に馴染み、愛され、求められる立場になってしまっている「内藤」を、自分は彼らから奪おうとしている。
ただ、強引に力によって奪おうにも、それは不可能に近いと言えた。隣にいるゾディアスはじめ、他の兵たちの強硬な抵抗にあうことは火を見るより明らかだからだ。
みなが敬愛するこの王を彼らが全軍を上げて守ろうとするのは間違いがない。彼らにしてみれば、それは当然のことであろう。
しかも当の「内藤」には、向こうの世界での記憶がない。
どうやら何者かの意図により、その内藤としての「人格」も「記憶」も、今は彼の中に封印されてしまっているようだ。ゾディアスたちの抵抗に加え、本人の抵抗まであるとなれば、とても自分一人の力で易々と逃避行へは持ち込めまい。
(……さて、どうするか)
ようやく「内藤」に会えたとは言っても、この状況からどう「内藤」を救い出せばよいものか。
佐竹の悩みは深かった。
そうして物思いに耽りつつ沈黙している佐竹の横顔を、隣で馬を歩ませるゾディアスが、何やら意味ありげな視線で見つめていた。
◇
結局のところ、王都にはウルの村から三日を要した。途中の宿場町や兵の駐屯地などで宿泊しながらの移動なのでこんなものなのだと言う。もちろんこれが「有事」であり、騎馬隊による強行軍ともなれば話は別だ。
その街が見え始めたのは、三日目の午後のことだった。
はじめ、それは平野の彼方にぼんやりとした陽炎のようにも見えた。それが近づくにつれて次第にはっきりと姿を見せはじめ、やがて巨大な街であることが知れた。
そこは、平野部の中に自然にできた丘をそのまま街にしたという感じだった。最も高い場所に王城があるらしく、その中心には尖塔を含む三、四十メートルほどの高さの建造物がいくつかそそり立っているのが見える。
兵たちの説明によれば、街の広さは縦横におよそ八キロほどであり、人口は約八十万とのことだった。これまで見てきた国土の状況から考えれば、相当な大きさの街だと言えよう。
街の周囲は石造りの高い防壁で守られており、いざとなればここに立て籠もって戦うことも可能であるようだった。防壁のあちこちには、物見と弓矢等を放つための穴が設けられている。日本の城でいうところの「狭間」と同様のものと見えた。
防壁には東西南北にひとつずつ大門が設けられており、今は落とし戸式の巨大な鉄扉が引き上げられ、通行可能になっている。それぞれに警備の兵士がついて、街に出入りする人々を検問していた。
一行はその防壁の開いた大門をくぐり、街の人々の平屋の家屋や商店等々が並び立つにぎやかな界隈を抜けて、くねくねとあちこちに曲がる街路を進んでいった。
建物は、街の中心に入るに従って石造りのものが増えていった。どうやら富裕層ほど木造でなく、石造りの家を好むようだった。
街の人々の様子は至って明るく、街の中もごく清潔に見えた。ウルの村同様、街のあちこちから女や男たちの笑声や子供たちの遊び騒ぐ声が楽しげに聞こえている。
ナイトは飽くまでも「お忍び」からの帰還であるため、馬車から顔を出すこともなく、街の人々が彼を出迎えるといったこともなかった。
そのまま一行は王城に戻った。
王城の周囲は近くのユナス川から引いたものらしい水を張った堀に囲まれ、その門に至るには堀に架かる跳ね橋を渡る。
ようやく王城の敷地に入り、兵たちはそこで解散となった。
佐竹は下馬して持ち主の兵に礼を言い、その馬を彼に返した。
ナイトは馬車に乗ったまま、さらに王宮の奥まで移動するようだった。どちらへ向かうのか見定めようと眺めていると、またちらりとその窓から顔を覗かせ、王は笑顔でこちらに声を掛けてきた。
「サタケ。落ち着いたら一度、私の執務室にきてくれぬか? そなたに色々、確かめておきたいことがある」
(確かめておきたいこと……?)
佐竹は少しばかり疑問に思ったが、特に拒む理由はなかった。
「……承りました」
一礼した佐竹にまた笑って頷くと、ナイトはカーテンの向こうに見えなくなった。
「おっと。兄ちゃんはこっちだぜ」
ナイトの馬車が行ってしまってから、ゾディアスはそう言って佐竹を敷地内の兵舎へと連れて行った。
兵舎の建物は石造りで、二階建てになっていた。敷地面積はちょっとした集合住宅ぐらいはあるのだろうか。
兵舎の外では、兵士たちが厩舎の近くで馬や馬具の手入れをしたり、武器を磨いたり、上半身裸になって井戸のそばで体を拭いたり洗濯をしたりと、日々の作業にいそしんでいる様子だった。
見れば、ゾディアスの着ているような軽鎧を着ている者もいれば、ここで兵士用に支給されるらしい揃いの普段着の者もいる。みなにぎやかに、冗談を飛ばしたり笑い声を上げたりと、ごく楽しげな様子である。
一見して至極風通しのよい、さばけた軍隊であるようだった。少なくとも、酷薄な「鬼軍曹」か何かが彼らを理不尽に締め上げて楽しむ、といったような陰湿な雰囲気は微塵もなかった。
二人は彼らの間を抜けて兵舎の中に入った。
狭い廊下を歩いていると、次々にゾディアスの姿を認めて敬礼をする者や、「おかえりなさい、千騎長どの!」などと嬉しげに声を掛けてくる者たちがいる。
彼はそれに「おう、戻った」と返事をしたり手を上げて見せたりしつつ、彼らの間を勝手知ったる足取りでどんどん歩いていった。どうやら彼は、部下に慕われる上官でもあるらしい。
佐竹は背後からそんな様子を見ながら、ちょっとこの男を見直していた。
ただ、兵士達のほうは、巨躯の上官の後ろを歩いてくる黒髪の青年を目にすると、はっとしたようになって黙り込み、佐竹に対して一様に不審げな視線をぶつけてきた。
やはりここでも「恐怖のノエリオール」の黒髪の呪いは健在であるようだ。
と、ゾディアスが兵舎の一室の前で立ち止まった。
「ここだ、兄ちゃん。入んな」
木製の薄い扉を軽く叩いてから彼が開くと、そこは四人部屋のようだった。
広さは大体、日本家屋でいうところの八畳ぐらいだろうか。簡素な木製の寝台が四つ部屋の隅に設置され、肉色のカーテンで仕切られている。それ以外、特に大した調度のない部屋だ。壁は基本的に石造りで、床はその上から板敷きにしてあるようだった。
「あ……!」
寝台のひとつに座り込んで熱心に普段着の繕い物をしていた兵士が、ゾディアスを見た途端、びしっと立ち上がって敬礼をした。
この世界での兵士の敬礼は、握った拳を胸に当てる形であるらしい。
「これは! ゾディアス千騎長殿!」
そのまま直立不動の姿勢になった彼に、ゾディアスは苦笑して「まあ楽に」とでも言うように手を振って見せた。
「新入りを紹介しとく。『サタケ』だ。今日からここで面倒みることになった。まあ、よろしく頼まあ」
「はっ!」
ゾディアスの軽い態度とは裏腹に、若い兵士はひたすらに固い表情である。
「こいつ、こんな面はしてやがるが、すんげえ田舎もんなんでな。ま、色々教えてやってくれ」
ここで意味ありげな笑顔でにやりと振り向かれて、背後にいた佐竹は半眼になった。「田舎者」「田舎者」と、この男はちょっとうるさすぎる。
田舎者の何が悪い。
(そういうあんたは、どこ出身だ)
そんな佐竹の不快げな表情を見て、ゾディアスは愉快そうに口角を引き上げ、喉奥でまた笑った。
青年兵士はそんな無言のやりとりにも気付かぬ様子で、緊張した声で「はっ、了解であります!」などと返事をしている。
「……ま、頼んだぜ? ユージェス従長」
「はは!」
それだけ言って部屋から出て行こうとしたゾディアスは、「ああ」とさも今思い出したかのように佐竹を振り返った。
「言い忘れてたが。今日から、俺がお前の上官だ。サタケ従士」
「…………」
佐竹は無言で、巨躯の金髪男を見返した。先ほどから何となくそんな予感はしていたが、やはりそうなってしまったらしい。
「今後は一応、敬語使えよ? でねえと、こいつらにシメられっぞ~?」
言いながら、ちらりと隣のユージェスと呼ばれた青年を見やっている。ユージェスがその途端、じろりと佐竹を睨めつけた。今すぐにでも「シメられ」そうな目つきである。
ユージェスは、短い銀髪に紫色の瞳をした見るからに素朴な感じの青年だ。中肉中背で、佐竹よりかなり背は低い。佐竹は彼を上からちょっと見下ろしたが、すぐにゾディアスに向き直った。
「了解しました。ゾディアス千騎長殿」
素直に、しかしごく素っ気無く、見よう見まねで彼に敬礼をして見せる。ゾディアスはそれを見て、思わず噴き出しそうな顔になった。
「例の件は、また追って連絡する。そんじゃま、せいぜい仲良くやんな~?」
あとはもう何も言わず、顔の横でひらひらと手を振って、ゾディアスは兵舎の廊下を大股に歩き去って行った。
「例の件」とは、当然あの「真剣で自分と立ち会え」という、彼の一方的な希望のことであろう。佐竹は少し、溜め息をつきたくなった。
それもこれも、今の自分にとってはどうでも良いことだった。
(……そんなことよりも)
自分にとって何よりも重要なのは、内藤をいかに救い出すかだ。こうして王宮にうまく潜り込めたのはラッキーだったが、問題はここからだろう。
恐らく一番下の階級である「従士」では、おいそれと王宮内部には入れまい。
どうにかして階級を上げ、王に近づきやすい立場を確保する必要がある。
(さて……どうする)
顎に手を当てて考え込んでいると、ふと視線を感じて、佐竹は我に返った。
「お前、その髪……。どこ出身だ?」
見れば自分の肩口のあたりから、「ユージェス従長」が剣呑な視線で佐竹をじろじろと見上げていた。
「…………」
(また、この質問か……)
ゾディアスめ、どうせなら説明してから行けばいいものを。
佐竹は内心うんざりしつつも、そんな感情は噯気にも出さず、ごく淡々と同僚の青年に出身地の説明を始めたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍制ですが、ゾディアスの千騎長が少佐または中佐、従長は伍長、従士が兵(一兵卒)と考えていただけるとよろしいかと思います。
まだまだ上が居ますが、表にしますと、
万騎長(大佐)
千騎長(少佐・中佐)←ここにゾディアス
百騎長(大尉)
十騎長(少尉・中尉)
士長(曹長・軍曹)
従長(伍長)←ここにユージェス
従士(兵)←いまの佐竹
という感じです。ちょっと多かった^^;すみません…。
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