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2 しのりんとゆのぽん(「赤いロープウェイにのって」より)

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「あれ? なにここ」
「えーっと。ちょっと前に流行はやったやつじゃない?」
「だよねえ、やっぱり」

 広くて真四角の白い部屋に、二人の「少女」が立っている。
 一人はもちろん僕、柚木美優ゆのきみゆうだ。
 中央にはキングサイズのベッドが設えられており、部屋の一方には大きな両開きの扉。さらにその上には何かのモニターらしい細長い窓。

「『ナントカしないと出られない部屋』ネタだよね。僕らもあのCPカプこのCPで、散々やらせていただいたよね~。同人誌でもSNSでも」
「ま、そうだね」
 僕は苦笑して頷いた。
「なんだかなあ……」
 茶色がかったさらさらの長い髪をゆらしてしのりんが微笑む。とはいえこれはウィッグだけどね。ともあれ、ショートボブで背の高い僕とはまったく違うビジュアルだ。

 今日のしのりん、こと篠原和馬しのはらかずまは、ゴスロリ風のワインレッドのワンピース姿。足もとは編み上げのブーツ。相変わらず可愛さが爆発してる。
 彼女は女の子の心を持ちながら体が男の子として生まれて来た人だけど、背も高くなければ声も低くない。だからこうしていると、本当にただの美少女にしか見えない。いや、「ただの」は失礼かもしれないな。要するに、「すごい美少女」なのだ。
 対する僕、ゆのぽんは、今日は細身でボーイッシュなジーンズスタイル。「性同一性障害」とはまた違うけれど、一人称に「僕」を使うちょっと変わりものの女子高生だ。

「あーあ。イベント帰りでこれとか、勘弁してほしいよね」
「うん」
「まったくもう。早く戦利品が読みたかったのにい!」
「ま、疲れたし、ベッドに座ってちょっと待とうか?」
「だねー」

 そんなことを暢気のんきに言いあってベッドに座る。
 今の僕らは、あの世界的にも有名になってしまった日本のオタクなイベント夏の陣に、売る側として参加してきたばかりなのだ。だというのに、二人とも手ぶら。身一つ。大事な戦利品がどこへ行ったものかもわからない。
 まあ、大半はとっくに宅配で自宅へ送ったあとだけどね。帰りの新幹線でこそこそ読むのも楽しいけど、人目もはばからずにやれるほど心臓に毛は生えてないし。

「今年もまずまず、よく売れたよね。壁サーさんほどじゃないけどさ」
「うんうん。初めて会えた人もけっこう居たし。楽しかったね~?」
「しのりんのとこ、グッズも完売だったよね。おめでとう」
「えへっ。ありがと」 

 しのりんが色の薄い瞳でにっこり微笑むと、本当にその場に花が咲いたようになる。こんな殺風景な部屋の中が、彼女ひとりいるだけで華やかになる。

「ゆのぽんも、差し入れとかいっぱいだったよね。おめでとう」
「ああ、うん。ありがとう」

 モニターが光りだしたのは、僕が可愛いしのりんに目を細めた時だった。

「あ、出たみたい」
「あー。本当にお約束だねえ」

 相変わらず、僕らのテンションはとてつもなく低い。
 こんな茶番はどうでもいいから、早く元の世界に戻してよね。僕らはただただ、はやくがっつり戦利品が読みたいんだよ!

──『キスしないと出られません』。

「あー。ふーん。ちゅーかあ」
「『ちゅーかあ』って、しのりん。僕はともかく、しのりんはまずいんじゃないの」

 そうだよ。
 一応君は、もう付き合ってる人がいるんだからさ。
 なのになんなの? そのなんとなく残念そうな顔は。

「うーん。そりゃまあ、そうなんだけど」

 しのりんが唇をちょっと突き出す。
 そんな仕草もめちゃくちゃ可愛い。
 またそれをこの子、わざとやってないからね。生粋の女の子がやってもあざとくなりそうな仕草でも、しのりんは自然にできちゃう。

「『そうなんだけど』じゃないよ。僕、いやだからね? 茅野かやのに顔の形が変わるぐらい殴られるとかさ」
「あはは。冗談に聞こえないなあ」
「なに言ってるの。全然、冗談じゃないってば」

 そうなんだ。
 しのりんはもう、あのガタイのいい同級生とのお付き合いを始めてる。詳しいことまでは聞いてないけど、とっくに一線も越えてるみたい。
 茅野穂積かやのほづみは、しのりんと同じ学校に通うサッカー馬鹿だ。もともとはしのりんの一方的な片思いだったんだけど、これまで色んなことがあって、さらにしのりんの秘密も知って、あの事件も乗り越えて。その上でお付き合いを始めた男。
 まあその点だけは、僕もちょっとは評価してるかな。一応、しのりんの一番の友達として、一緒に店まで出す「腐友達」としてね。

「でも、ほづは何だかんだ、女の子には優しいから。ゆのぽんにそんなことはしないと思うよ? 事情を説明すればちゃんとわかってくれると思うし」
「そうかなあ? あれで結構、嫉妬心まるだしじゃない? しのりんのことになったら前後の見境なんてかるーくなくす野郎だと思うけど」
「えーっ。まさかあ」
「まさかじゃないよ。ついでに言うと今の台詞、本人が聞いたら絶対泣くよ」
「あっははは!」
 しのりんがベッドの上で転げまわって笑う。
「ひどい、ゆのぽんが結構ひどい!」
 足なんてぱたぱたさせちゃって、ほんと知らない人が見たら本物の美少女にしか見えないだろうな。
 やがてしのりんは起き上がって座り込み、涙の滲んだ目で僕を見た。

「でも、ほづは分かってくれるよ。だってこれで、僕が一生この部屋から出てこられなくなったら、困るのはほづだもん」
 僕は思わず目を丸くした。それから苦笑。
「……すっごく信頼してるんだね。茅野のこと」
「そりゃそうです。ほづだって、半端な気持ちで僕みたいなのとおつきあいはできないでしょ」
 しのりんの声音がちょっと悲しげになりかかって、僕は慌てて声を明るくした。

「じゃ、いいか!」
「え?」
 今度はしのりんの目が丸くなった。
「だからさ。ちゃちゃっとやっちゃう? ちゅーぐらい、どうってことないんだしさ」
「え、あの。でもさ……」
 しのりんが急に深刻な顔になった。
「ん? なに」
「えっと、えっと。もしかしてゆのぽん、これがはじめて……とかってことない? だったら僕、めちゃくちゃ遠慮するんだけど」
「……あ」

 そうか。そういうことを忘れてたな。
 ファーストキスかあ。……でもまあ、なんていうか。

「んー。うまく言えないけど、それはどうでもいいかな」
「え。どうでもいいってことはないでしょ! さすがにダメでしょ、女の子のファーストキスは!」

 いや、どうでもいい。
 それ以外の色んなことがすでにあって、ありすぎて。
 キスのはじめてとかそんなのは、気にしてもしょうがない話だし。それに。

「ファーストキスがしのりんなら、僕、むしろ嬉しいかな」
「えっ?」
「しのりんが僕の初めてなんて、すっごくイイかも。むしろお願いしたいかも」
「えええっ……」

 途端、しのりんの顔が首のあたりまで真っ赤になった。
 ああ、可愛い。これをあの茅野の野郎が独り占めしてると思うと、ちょっと鳩尾みぞおちのあたりがむかむかしてくる。

「……ダメ。だめだめだめ」

 しのりんが顔の前で必死に両手をふりながら首も振る。

「ゆのぽん、反則だから! そのイケメン顔が反則だからあ!」
「イケメン顔ってなに。僕はこれでも女の子ですが、なにか?」
「うわああ! ダウトだ! 大ダウトだ。このシチュで、無駄にカッコいい顔と声になんないでええ!」
「いいから。ほら、おいでよ」

 言って僕はひょいとしのりんの肩に腕を回した。
 びっくりしてまんまるになったしのりんの目がすぐそばにやってくる。

(ざまあみろ、茅野)

 僕はにこっと笑って、しのりんの唇にちゅっと吸いついた。
 ほんとに軽く。ほんの、触れるぐらいの可愛いキス。

「う、わ……。わわわ……」

 しのりんが口元を隠して、もうほとんど全身林檎みたいな色になってわたわたしている。
 と、背後でぎぎい、と大扉の開く音がした。

「開いたね」

 僕は多分、「自分史上最高の微笑み」を浮かべて彼女に手を差し出した。

「じゃ、行こうか? お姫様」
「ゆっ……ゆゆゆ」
「早く新刊読みたいんでしょ? 急いで帰らなくちゃ。時間がなくなっちゃう」
「ゆゆゆゆのぽん! ゆのぽんったらあ!」

 きゃんきゃん叫んでるしのりんの手を引いて、僕は悠々と扉に向かう。

 さあて。
 あとは茅野にどう報告するかだよな。
 あのでかい図体で、どんな顔してくれるやら。
 ああもう、今から楽しみだ。
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