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第三章 花火大会
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しおりを挟む「あの時、キラちゃん……僕を呼んだよね。その……ちょっと不思議な呼び方で」
「えっ?」
あたしはきょとんと、お兄ちゃんの顔を見つめ返した。
「確か、『ユウジン様』って。……そう聞こえた。覚えてない?」
「あ……えっと」
あたしは困って、目をぱちぱちさせた。
本当のことを言うと、うっすらとおぼえてる。
あの時。大ケガをして階段の下に転がってたとき、あたしの中のだれか……多分、大人の女の人が、急にうわっとあたしの中で目を覚ました。
昔むかしの、とてもつらいことを思いだして、その人は泣いているみたいだった。
でも、ユウお兄ちゃんを見たら急に、とってもうれしそうになって。
あの時、あたしの口を使ってお兄ちゃんに話しかけたのは、多分その人だったんだと思う。
だけどあの時のことは、全体がなんとなく夢みたいでぼんやりしてて。実は本当のことじゃなかったんじゃないかって、あたしはずっと思ってた。
そんなことをぽつりぽつりと話したら、お兄ちゃんは納得したみたいにうなずいた。
「そうだったんだね。……その人は、今もキラちゃんの中にいるんだ」
「え?」
お兄ちゃんの茶色がかった瞳の奥に、ふしぎな光がまたたいている。
「……実はね。ずっとずっと、不思議に思っていたことがあって」
あたしは首をかしげた。
「なあに?」
お兄ちゃんは、またそこから少し黙った。
「ずうっと前。まだ、僕が小学生のころ。お隣に、君のご両親が引越しをしてこられて。……しばらくして、君がお母さんのおなかの中にいるって分かって」
「うん」
「君が生まれて、しばらくは外に出られなかったはずだけど。壁ごしに、ときどき君の泣き声が聞こえてた」
「あ……」
あたしはそこで、急に色々とはずかしくなった。
「ご、ごめんなさい。あたし、うるさかった……とか?」
「あ、いや。そうじゃなくて」
お兄ちゃんはすぐに笑って首をふった。
「でもまあ、本当のことを言うとね。ハルもうちの父さんも、『赤ん坊の声がちょっとうるさいなあ』なんて、思わなくはなかったみたいなんだよね」
「う……」
それはそうだろう。無理ないわ。
電車やバスの中で、ギャンギャン泣いている赤ちゃんとか小さい子の声って、頭にキンキンひびくみたいで、とってもうるさいことがあるもの。
「あれってもう、朝から晩まで聞こえるじゃない? 赤ちゃんって、泣くのが仕事だっていうものね。夜中だってお構いなしでしょ?」
「…………」
「うちの母さんも言ってた。『赤ちゃんって、最初は三時間おきにミルクを飲むんだからしょうがないでしょ? 大変なのは、あちらのお母さんなんだから。外野がごちゃごちゃ言わないの』って。『あんたたちなんか、その上に双子だったのよ? どんだけご近所に迷惑かけたと思ってんの?』ってね」
「ふわああ……。ごめんなさいっ!」
あたしは体がきゅうっとちぢむみたいな気持ちになった。
たぶんその頃って、お兄ちゃんたちも中学受験の準備をしていたはず。
でもお兄ちゃんたち、結局公立の中学に行ったって言っていた。もしかしてあたし、大事な二人の受験勉強の邪魔になってたのかも……?
恐るおそるそう言ったら、ユウお兄ちゃんは「ああ!」ってあわてて首をふった。
「だから、そんなのは気にしないで。あれは父さんと母さんが、あんまり僕らに高望みをしすぎたんだよ。目指していたのは日本でも一、二を争う難関校だったんだからね。落ちたからって、恥に思うような所じゃないし」
「うう……」
「前にも行ったけど、公立中学だって決して悪くなかったんだし。そこでちゃんと勉強し直して、結局、三年後に二人して同じ私立の高等部に滑り込んだわけだから。『終わり良ければ総て良し』っていうやつだよ」
「で、でも──」
そこでお兄ちゃんはちょっとだけ苦笑した。
「まあ、本当のことを言うとね。確かにハルは少しだけいらいらしてた。でも、僕は不思議に、なんとも思わなかったんだ。むしろ泣き声が聞こえたら、『ああ、お隣の赤ちゃん、今日も元気だなあ』って、変に嬉しい気持ちになっちゃったりして」
「ええっ……?」
もうほんっと、ユウお兄ちゃんって天使?
ううん、神様? ほとけ様??
だって、ママがよく言ってるわ。
やっぱり赤ちゃんや子育てのことって、女の子はまだ理解があるけど、男の子は、っていうか男の人は全体的に、あんまり理解してくれないもんよ、って。
やっぱり、ユウお兄ちゃんってすごいんだわ。
それも、自分の受験勉強が大変なときに。
「その時は、僕もたまたまなのかなって思ってたんだけどね。そのうち、ほかの赤ちゃんの声を聞いたり、顔を見たりする機会があって。それで、『どうも変だな』って思うようになったんだ」
「えっ……?」
それって、どういうこと?
「君のお母さんから、赤ちゃんだった君に会わせてもらったときね。僕は、ものすごく嬉しい気持ちになった。なのに、親戚だとか、友達の弟や妹の赤ちゃんを見ても、そこまでのことは思わなかった。いや、もちろん『元気な赤ちゃんで良かったね』とは思うんだけどね。なんだかこれって変でしょう?」
「…………」
「それで、だんだん分かってきた。僕はどうやら、キラちゃんだから嬉しいんだ。それがキラちゃんの声だから、赤ちゃんの泣き声だってちっともうるさいって思わなかったんだ。むしろ『ああ元気なんだ、嬉しいな』なんて思ったんだな、って」
「…………」
あたしは多分、ぽかんと口をあけていた。
どういうこと。
どういうことなの?
まさか……まさか。
ユウお兄ちゃんも、あたしみたいに……?
「僕ね。昔から、不思議な夢をよく見るんだ」
「僕はこーんな、長い髪をしていてね。どこかの王族か貴族みたいな衣装を着て、腰にはとてもきれいな装飾のされた剣なんかさして。それで、周りに色んな人を従えて、政治の実権を握ってるんだ」
お兄ちゃんは今、あたしのほうは見ていない。
目の中にある、その映像のほうをずっと追っているみたいに見えた。
「それでね。隣にはいつも、金色の髪をしたとても綺麗な女性がいる」
「最初のうちはものすごく冷たくて、とても仲よくなれそうになかったんだけどね。多分、僕がその女性の父親から政権を奪ったとかなんとか、そういう理由で」
「でも、どうやら僕らは結婚していた。しばらくはぎくしゃくしてて……つまり、形だけの夫婦だね。でも、そのうちだんだんと仲良くなった。とってもとっても、仲良くね」
ユウお兄ちゃんの目が、とても懐かしそうに優しい光をともす。
その優しい光が、そうっとあたしの方を見た。
「その女はね。いつも、夢の中で僕をこう呼ぶ」
──『ユウジン様』、ってね。
(……!)
あたしの背中を、ぞくぞくっと電気が走った。
電気はそのまま腕や背中までかけ抜けて、じいんと体じゅうをしびれさせていく。
あたしはそのまま、黙ってお兄ちゃんを見つめていた。
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