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第三章 広がる世界

16話 よからぬ領域②

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 皆が寝静まる中で、コウミは一人火の番を続けていた。
 再び眠る様に目をつむる事は無く、火の勢いが少しでも弱まったのを見ては、音も無く立ち上がり、集めてあった枯れ木を焚火の中へとくべて行く。
 普段ならば、そこまで律儀に火の番をする事は無かっただろう。しかし、今のコウミは落ち着かない様子で、目の前の炎の変化を見守り続けていた。

 「師母様」

 どこからともなく、そう言う女の声がコウミの耳に届いた。

 「ソウシか、遅かったな」

 コウミの言葉に応え、焚火の灯りが届かない暗闇からソウシが姿を現した。ソウシはそのままコウミの下に歩み寄ると、静かに片膝を着き跪いた。

 「申し訳ございません。水場を探すのに手間取りました」
 「うん。それで、奴らは?」
 「全て仰せのままに。縛り上げた上、その場に放置しました。死ぬ事は無いかと」
 「そうか」

 コウミはそう言うと、自らの顔を隠すフードを取った。焚火の明かりに照らされて、黒光りするカラスの仮面が顕わになった。それを見てソウシは、咄嗟に焚火の周りに寝付く見習い達の様子を窺った。

 「大丈夫だ。全員寝ている」

 コウミが応えた。

 「やはり、身の上を偽られているのですね」

 自分と同じ剣士であるにもかかわらず、魔導士の格好をしているコウミの事だ。ソウシはある程度の事情を察していた様だった。

 「俺の面を見て、驚かない奴はこの国には居ないからな」
 「何故、そうまでして」
 「フフ……。長くなるぞ、聞くか?」

 コウミは自嘲する様に笑い声を漏らした。

 「お聞かせください」

 コウミはこれまでの経緯を一からソウシに話し始めた。
 シェリルとの戦闘の後、自分は何故か、かつて共に旅をした如月灯馬の生まれた世界に居た。そればかりか、姿は鳥獣となり人の言葉を話す事もできなかった。
 そのまま、半世紀以上の時が過ぎた頃、日々喜と出会い、偶然元の世界に帰るきっかけを得た。そして、今は日々喜を家に帰えす旅の最中である事を話した。

 「それは、奇妙な……。実に奇妙な話です。まるで、我が国で聞く輪廻転生の経過を辿った様な」
 「畜生道か。確かに、言われて見ればそうだが……」

 しかし、そうなれば、日々喜の生まれた世界は言わば地獄の様なものという事になる。日々喜達の生活を目の当たりにして来たコウミに取って、とてもそのようには思えない事だった。

 「まあ、それはどうでもいい。それに、帰るべき世界が地獄では、あいつが可哀想だ」
 「では、あの長岐日々喜という少年が、師母様の探し求めていた」
 コウミが恩人の家族を探す旅を続けていた事をソウシは知っていた。他ならぬ自分自身も、その旅の最中にコウミに拾われた事を子供の頃に聞かされていたのだった。
 「……そう言う事にもなる。義理を返す為に、俺はあいつを無事に家へ帰さなきゃならないんだ」
 「目的地はやはり、デーモンの森?」

 ソウシの言葉にコウミは頷いた。

 「お前も知っているだろ。あそこへは、その土地に関して記されたアトラスと、それを使える術者……、魔導士の力が無ければ入れない。俺はともかく、日々喜を森の中で迷わせる訳にはいかないからな」
 「それで、ツキモリの魔導士を頼ろうと……。しかし、何故西へ向かうのです?」

 コウミは深い溜息を着いた。

 「それも話せば長くなる。寄り道の最中だとでも言っておこう」

 異世界へ行っていたと言う突拍子もない話に始まり、今は寄り道をしていると言う漠然とした事情でコウミの話は終わった。しかし、ソウシはそんなコウミの話を全て信じたかのように納得した表情を浮かべた。

 「そう言う事でしたか。てっきり私は、この国いるツキモリ一門の人間を頼られているものとばかり」
 「この国のツキモリ? どう言う事だ」

 不意に出たソウシの言葉に反応しコウミは尋ね返した。

 「一門の長兄たるツキモリ・ユーゴ、並びに数名の門人が、現在、この魔導連合王国の北部に潜んでいると聞いております。私は彼らに会う為、トウワ国を出国したのです」
 「ユーゴ? あの赤髭の小僧か……。確かあいつは、魔導の学院を出た魔導士だったな」

 ソウシの後に続く様にして、コウイチのハグクミによって門下に加えられた男。東の国の生まれながら、魔導士としての才能がありコウイチには良く可愛がられていたのをコウミは思い出す。

 「しかし、何でまたこの国の北部に? 相当な田舎と聞いてるぞ」

 魔導の技術を取り入れ始めたトウワ国に居れば、活躍の場は多くあった事だろう。ましてや、その立役者となったツキモリ一門の人間であればなおさらの事だ。
 そんな疑問に答える様にソウシは話し始めた。

 「実は、終戦の直ぐ後、トウワ国内で大きな改革が行われました。俗に『戦い方改革』と呼ばれるものです」
 「タタカイカタカイカク?」

 舌を噛みそうな呼び方だ。本当に世間に流通する呼び方なのかと、コウミは思った。

 「しばらく、姿をお隠しになられていた師母様がご存じないのは無理もない事。それは、主に剣士の在り方に対する改革で、その一端として、学校制度の導入と共に、門下制度の廃止が決まったのです。その為、魔導の門下であったとは言え、ツキモリ一門もまた解散を余儀なくされました」
 「解散!? 一門が断絶したのか?」

 ソウシは無言で頷いだ。

 「トウワには、魔導の学校が出来たと聞いていたが……、まさか、そんな形で」

 祖国へ魔導の伝播をという、ツキモリ・コウイチの願いは叶えられた。最早、ツキモリ一門自体存続する意味は無くなったと言う事だろうか。

 「一門に所属していた者は、各種国家機関への配属が決まっていました。新たに開校した魔導学院で教鞭を振るう者も数名おります。しかし、ユーゴだけは国家への帰属を拒んだのです」

 ソウシの話を聞き、コウミは納得した。
 国内に魔導の学校ができた事は、ツキモリ一門の人間にとっても本望であっただろう。しかし、コウイチの養子でもあるユーゴ達に取って、一門は家族の様なものだ。剣士の一門ではない自分達の家族が煽りを受けて解体されるのは堪ったものではない。その様に考えていたのかもしれない。

 「不器用な奴め……」

 そう呟きつつも、コウミは内心ほくそ笑んでいた。

 「まあ、それならそれで都合がいい。旅が終れば、俺達も北部に赴いて見る事にしよう」

 ひょっとすれば、この異世界での旅も直に終わりを告げるかもしれないと思ったのだった。

 「ユーゴに会うおつもりですか? それならば、急がれた方が良いかもしれません」
 「何で?」
 「不穏な噂を聞いております。北部では亡国の残党が姿を現し、テロリストとして活動をしているとか」
 「テロリスト? そんな話をどこかで聞いたな……」

 そう言えば、イバラ領のステーションを一人で襲撃した時、その様な呼ばれ方をした様な気がするのをコウミは思い出した。
 同じ様な襲撃活動をしている連中が北部に居る。それが、亡き国の残党という事なのだ。しかし、連中はどうやって魔導連合王国に姿を現した。海を渡るにしたって、トウワ国を経由する必要があっただろうに。テシオ一門の様にこの国の誰かが手引きしない限りは不可能なのではないか。

 「ハッ!? まさか、あの野郎!」

 その様に考えを巡らせていた時、コウミははたと自分の目的とその疑念の答えが一致する事に気が付いた。

 「あいつが手引きしやがった。ユーゴの野郎が、残党を率いてデーモンの森を越えやがったのか?」

 ソウシは、恐らくとだけ答えた。

 「あのバカ! 一体何を考えてやがる。一門を潰されたくらいでグレやがったか!」
 「師母様、どうか落ち着いて」
 「落ち着け? 落ち着いていられるか! あのバカが戦場で死ぬか、この国の人間に捕まって手出しできなくなったら、迷惑するのはこっちなんだよ」
 「テロリスト共は容易くは死にません。あの大戦でもしぶとく生き残った者達です。そしてユーゴに付き添うツキモリの門人は、私同様、師母様の弟子であった者達。残念ながらこの国の魔導士如きでは、生け捕りは不可能でしょう」

 取り乱すコウミを落ち着かせる為か、ソウシはいたって冷静にそう話した。コウミはその言葉から、何とも言えない冷たさの様なものを感じた。

 「……ソウシ。お前がユーゴに会いに行くってのは、ひょっとして」

 ソウシは頷き答えた。

 「あれらは師父コウイチの名を汚しました。ツキモリの人間が、テロリストに手を貸したとなれば、トウワとこの国の関係にも影響が出かねません。醜聞が広がる前に、内々に片を付ける必要があると私は考えました」

 仮にも、同じ一門。教わった事は違うとは言え、義理の兄弟の様なもの。それを簡単に片づけるなどと言ってのける。コウミはそんなソウシから、怒気が失せる程の冷酷さを感じ取ったのだった。

 「ですが、アンナから止められました。自分の考えのみで行動せず、兄弟達とまず話をして来いと」

 ソウシは沈みゆく様な声でそう話し続けた。自分の中に沸き起こった不満を何とか押し込めようとする気持ちが窺えた。

 「そうか、色々と大変そうだな」

 極端な奴だ。義理とは言え、親に対する色濃い情を見せたかと思えば、兄弟達には縁が切れた途端にこれだ。アンナも相当、こいつの扱いには苦労しているに違いない。
 いずれにせよ今は事情が事情だ。深い関りを持たない方がいい。コウミはソウシを眺めつつ、つくづくそう思った。

 「お前達がそう決めたのなら、俺から言う事は何もない。ただ、片を付けるにしても、俺の用向きが済んでからにしてくれ。面倒だからな」
 「心得ました」
 「少し休め。俺が火の番をしておく」

 ソウシは頷くと、音を立てずに就寝の用意をし始めた。
 その様子をコウミはじっと見つめている。ふと、ある事に気が付いた。それは、ソウシの身に着けている装備品の事だった。

 「ソウシ。お前、剣はどうした?」

 ソウシはコウミの方を振り向く。

 「出国の際、兵器の全てを持ち出す事を禁じられました。ですので、ナイフはこの国へ入国してから手に入れ、弓はこの森でこさえました」

 独特の曲線を描く、東の国の剣士達の剣は魔導連合王国では出回っていない。それを持たずに来たと言う事は、剣士達の用いる剣技アクシスを使う事を禁じられた事と同じだろう。

 「その荷物は? 昼には持っていなかった」

 コウミはそう言いながら、ソウシの足元に置いた風呂敷包みを指差した。長さにして一メートル程の細長い長方形の箱だった。丁度、剣をしまうのに丁度いい大きさに思える。

 「ツキモリの末の娘の遺品です。この国の国庫に納めるべきアーティファクトと聞いておりますが、遺族のいる上では、まずはその者達に返すのが筋であると、アンナが私に託しました」

 コウイチのハグクミによって門下に入った者達は、自分が今目の前にするソウシを入れて五名いるはず。末の娘とは、最後に門下に迎え入れられたシェリル・ヴァーサの事だとコウミには分かった。

 「……死んだのか、あの娘」
 「遺体は見つかっておりません。何分にも、人の立ち入る事の無い、デーモンの森の中での出来事ですので。私がこの剣を見つけたのも単なる偶然。ですが、アンナに見せた所、当人のもので間違いないと」
 「そうか……」

 遺体が見つかってないなら、生きているかも知れない。しかし、剣も無しでは、無事に森を出る事も出来ないだろう。あそこで魔導を使う事は、デーモンを呼び寄せる事に等しいのだから。

 「それにしても、思い切ったな。話し合いの切っ掛け作りの為だけに、英雄の所有物を持ち出すとは。アンナも相当覚悟を決めた事に違いない」

 まあ、あの女らしいと言えばそうなのだろうが。
 コウミは自分の記憶の中にあるアンナの事を思い浮かべながらそう考えた。

 「お前も、奴のそう言う所を汲んでやるべきだ」

 いつも通りの機械的な返事が帰って来ない。コウミはソウシの事を窺うようにそちらを見た。
 「どうかしたか?」

 暗い森の中を見渡すようにソウシは辺りに警戒していた。

 「霧です。青みがかった」
 「霧?」

 コウミも周囲を窺うように森を見渡した。
 木の枝葉の間から見えていた夜空。何時の間にか姿を現していたあの朧げな光る靄が見えていた。そればかりか、まるで森の中にはその朧げな光源の僅かが降って来たかのように、青白く薄い光を放つ霧の様なものが立ち込めていた。

 「こいつは……」

 ソウシの指摘した変化にコウミが漸く気が付く。その時、森の奥の方、ここから大分離れた所から、地崩れを起こしたような激しい音が聞こえて来た。

 「ソウシ、日々喜達を!」

 危機を感じ取ったコウミは声を上げた。既にソウシは焚火の周りで眠りこける見習い達のそばに控えていた。
 地鳴りは断続的に凄まじい音を立ててこちらへと近づいて来る。同時にコウミ達の居るその場所には、衝撃を伝えるかのような地震が起きた。
 頭上の木々がギシギシと音を立てて揺れ、茂らせていた枝葉を舞い落す。途端に足下から凄まじい程の衝撃が走り、大地に亀裂が入ったかと思う程の破壊音が響いた。

 「おお!?」

 コウミは思わず地面に手を着いた。
 ただの揺れではない。自分の居るこの場所が隆起したかのように盛り上がったのだ。

 「師母様!」

 騒ぎが収まり始めた時、自分の安否を気にするソウシの声が聞こえた。コウミは振り向きソウシの姿を探した。

 「ご無事で?」
 「俺は平気だ。そっちは?」
 「問題ありません」

 辺りを窺うコウミは漸くソウシの姿を見つけ出した。それは、自分の居る場所から二、三メートル程下、地溝の先でこちらを見上げるソウシの姿が、焚火の灯りに映し出されていた。
 地形が変わった。こちらが迫上がったのだとコウミには分かった。

 「師母様。この霧は異常です。催眠に近い何かがかけられている」

 眠りから覚めぬ日々喜達を示し、ソウシはそう言った。そして、懐から黒塗りの仮面を取り出し、自らの顔に装着した。コウミの顔と似た鳥の様な仮面。しかし、カラスの様でありながらそのくちばしは短く、先端がかぎ爪の様に曲がっていた。

 「お前はここに居ろ。俺が調べて来る」

 全員の安否を確かめると、コウミは森の奥深くへ、先程の地崩れの様な音が鳴り響いた辺りへと駆け出した。

 「師母様!」

 背後からソウシの慌てるような声が聞こえる。コウミはそれを無視して、ひたすらに真っすぐ走り続けて行った。それは昼間、歩いて来た方角だった。日々喜達が苦労してこえた道のりをコウミは風の様に飛び越えて行った。
 しばらくしてコウミの行く手を妨げる様に、大きな溝が目の前に現れた。

 「この溝は、昼にはなかった」

 大地が裂けたかのように深々と空いたその溝は、どこまでも続いているかのように横へ横へと伸び、ちょっとした谷間を形成しているかのようだった。
 昼間にこんな場所を越えた覚えはコウミには無かった。
 激しい音の原因はこれか、たった今、この溝が作り出されたのだろうか。コウミはそんな疑問の答えを探る様に溝の中を覗き込んだ。その時、崖すれすれに立つ足下で何かがうごめくのが目に入る。
 コウミは咄嗟に飛び上がり、大木の枝へと移動した。
 溝の中から出て来たのは、人の両手を合わせたくらいの大きさの蜘蛛だった。それらは次々と、列をなす様に溝から這い出て来る。

 「何だこいつらは……」

 大地から新たに生まれ出たその生物をコウミは奇異の目で眺め続けた。すると、その蜘蛛達の後を追う様に、溝の中から巨大な突起が姿を現す。その突起は上空に向かって伸びて行くと、所々にある節に合わせて折れ曲がり、断崖の端へとその先端を突き立てた。そうすると、溝の中の何かを引っ張り上げようとするかのように、先端が地面にめり込む程の力が込められて行く。そうして、一本、また一本と同じ様な突起が次々と溝の中から姿を現し、同じようにその先端を地面に引っ掛けて行った。
 やがて地中から何か固い物が擦れ合う様なくぐもった音が響くと、溝の中から巨大な蜘蛛の頭が姿を現した。
 辺りを窺うかのように、巨大蜘蛛は頭に備えた八つの目を白く輝かせ、その正体を隠すかのように、自らの口から青い霧の様なものを吐きだす。そして、未だ地面に埋まる自分の巨体を地上へ出そうと持ち上げ始めた。

 「デカい……。まさか、こいつが」

 その様を傍でながめるコウミは、巨大蜘蛛の正体を推し量るように呟いた。

 「この領域のルーラー」

 突然背後から声が掛かり、コウミは振り向く。見れば、そこには先程置いて来たソウシの姿があった。

 「ソウシ!? お前、残っていろと言ったろ!」
 「長岐日々喜の事なら大丈夫。ここからは離れています。貴女より、安全のはず」

 くちばしをこちらに向けてソウシは答えた。

 「それより見てください。あれらは、昼にお会いした場所を目指して行く」

 何時の間にかその全貌を地上へとあらわにした巨大蜘蛛は、ソウシの言う通り、昼間マジックブレイカーに襲われた場所へと向かって行った。
 こちらに向けられたその巨大な丸いお尻は、割れた壺の様に大きく欠けていて、その中から森に生える大木と同じくらいの三本の木が突き出すように伸びていた。

 「あの場所、何らかの儀式の痕跡がありました。恐らく、昼に出会ったマジックブレイカー達によるもの」

 岩肌の上で焼かれた虫達の残骸の事だろう。ソウシは自分と同じものを見たのだとコウミは思った。

 「ああ、全てあいつを呼び出す為の物だ」
 「何かご存じなのですね」

 コウミは頷く。
 キリアンの読み通り、ここは新たに姿を現したよからぬ者によって創り出された領域。そして、マジックブレイカー達は、あのよからぬ者からアーティファクトを生成しようとしている。
 その為に虫を焼いた。よからぬ者に従属するモンスターを殺し、怒らせる為だ。

 「木を育てる為の温室か……」

 コウミは日々喜の話していた言葉を復唱する。

 「いいや。ここは、虫を育てる為の場所だ」

 巨大蜘蛛の後を追う様に、周囲でうごめいていた子蜘蛛達が再び列を成しその場所を去って行く。
 木の枝に止まる二人は、その様を黙って見送った。
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