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第二章 奪い合う世界

16話 玉繭の双生児②

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 コウミの後に続く様にして、ヅケ氏族らしきゴブリン達が、続々と部屋の中へと入って来た。彼らは部屋に入るなり、長老ワサビの閉じ込められる牢屋の前に座り込み、話をし始める。

 「ワサビ長老。森へ帰ろう」
 「嫌じゃ!」
 「ベッタラ爺、心配してる。皆も待ってる」
 「知らん! ここにおるんじゃ!」

 どうやら、森に帰るよう説得している様子だった。

 「皆コウミが連れて来たの?」
 「いや、俺がついて来たんだ。こいつらが、お前を見つけたって言うからな」

 ゴブリン達は全員、フクジン程では無いものの逞しい身体つきをしている。牢屋に捉えられている長老達と比べると、皺の寄っていないツヤツヤの肌をしていた。その為、見た目だけでも、彼らが長老ワサビの話していた若い衆であると言う事が、日々喜にも分かった。
 やがて、若い衆の後に続き、フクジンが部屋に顔を出した。
 フクジンは日々喜の姿を確認すると、そちらの方へと近づいて行った。

 「長岐。無事だったか、良かった」
 「フクジン君。皆のおかげで助かったよ、ありがとう」

 フクジンは、日々喜の礼に笑みを返す。そして、コウミの方へ向き直る。

 「コウミ殿。見張り、全て倒した」
 「ああ。殺したか?」

 フクジンは首を横に振る。

 「そうか、なら直ぐにここを出た方がいいんだがな……。あれは説得する必要があるのか?」

 コウミはそう言うとワサビ達の方へ視線を向ける。

 「いっそ、檻ごと運んじまえよ」
 「コウミ殿。ワサビ長老は氏族の長。俺達、その言葉だけは、無下にできない」
 「……お前らには義理が出来た。さっさと済ませろ」

 コウミがそう言うと、フクジンはワサビの下に歩いて行った。氏族の中でも一目置かれている様子で、フクジンの大きな身体を通すように、居並ぶ若いゴブリン達は道を開け始めた。

 「おお、フクジンか。お主からも他の者達に言ってやってくれ。ここは安全で、食べ物もある。皆でここに来て、我らの楽園としよう」

 フクジンの存在に気が付いたワサビは、鉄の柵にしがみ付く様にしながら話をし始めた。

 「長老。森の生活、安定してきた。俺達強くなった。獣にも、人にも負けない。俺達が皆を守る。だから、森へ帰ろう」
 「ば! 馬鹿な事を! お前まで何を言うか! あの程度の貧相な暮らしに甘んじおって。もっと、志を高くもたんか! わしがどんな思いで故郷を捨てたと思っとる。氏族達全員に、人と同じ暮らしをさせてやりたいと思ったからじゃ!」
 「長老。俺達、人の暮らし、学んでいる最中。直ぐには無理。でも、少しずつ良くなってる。ゴブリンの営み、これから形になる」
 「馬鹿者!」

 ワサビはおもむろに、牢屋の中に置いてあった皿をつかむ。

 「見るがいいフクジン! この器は人の器じゃ、人間は皆これを使って飯を食う! お主が作って見せた器は何じゃ? ただの土くれではないか! 情けないお主達、一体何を身に纏っとる? 木の皮、獣の皮をあつらえたボロキレではないか! わしの服を見ろ! 人の身に着ける布じゃ! ここには全てがあるのじゃ、それを労せず手にする事が出来ると言うのに、何故、お主達にはそれが分からないんじゃ!」

 居並ぶ若い者達を必死な思いで説得する様にワサビは捲し立てた。
 その様は、これまで人に追われ続けて来たゴブリン達の苦労を表すかのようで、ワサビは思わず、胸の奥に溜め込んでいた感情を溢れさせ、目に涙を溜めた。
 そんな気持ちを慮ってか、若いゴブリン達は全員押し黙りながら、ワサビの話を聞き続けていた。

 「……長老」

 しかし、そんな中で、フクジンは重々しく口を開く。

 「長老は間違っている」
 「何じゃと!」
 「人間と俺達ゴブリン。対等な関係にあるべき。長老の話し、一方的に与えられるばかり。それ、侮られる。営みを持つゴブリン、違う。ただの家畜。そう見られる」
 「うう……」

 ワサビは絶句し、その場に膝を着いた。

 「大丈夫。俺達、営みを栄えさせる。コウミ殿からそれ学んだ。ゴブリンとして、誇りを持って生きれば、人間とも必ず理解し合える。長岐から、その事を知った」

 フクジンの言葉を聞き、ワサビはボロボロと涙を流した。

 「うう、わしは、皆の為を、氏族達の将来を考えて……、ただ、それだけを思って……」
 「……ワサビ兄者、わしらの負けだ。ここで、駄々をこねてもしょうがない。一先ず森に帰り、様子を見よう」

 ラッキョウがそう言う。
 ワサビは自分の袖口で涙を拭いながら、何も言わずに頷いた。

 「フクジンよ。この檻を壊してくれ。わしらは、皆と共に歩いて森へ帰る」

 若い衆はラッキョウの言葉に従い、ゴブリンを拘束していた檻を破壊した。そして、数名の若い衆と共に森へと帰って行った。

 「くたばり損ないの干物野郎。黙って若いのに任せておけばいいものを」

 その場から去って行ったワサビ達に、コウミがそう言葉を投げた。

 「コウミ。これはどうしよう」

 日々喜が、その場に残される大きな繭を指差した。

 「ほっとけ。ムラサメがいなきゃ、ここから運び出す事も出来ない」
 「ムラサメは元に戻らないの?」
 「気合を出しつくしたみたいだからな、暫くは目を覚まさないだろ」
 「気合?」
 「どんな奴だって、ガキを産み落とす時は気合を入れるだろ。あれと同じさ。直ぐに繭から出そうだから、ここに吐きだしたんだ。まあ、養蚕工場でってのは出来過ぎだったがな。いずれにせよ、出てくればほっといても森に帰って来るだろ」
 「後継者が、出て来る……」

 待ち望んでいた事が、唐突に起きようとしている。日々喜は驚きとも喜びとも言えないような気持で繭をながめた。

 「日々喜。それよりも、さっさとここから出るぞ。魔導士共がここに集まってきたら厄介だからな」

 日々喜はハッとした様に思い出す。

 「魔導士……、そうだった。コウミ。復興機関員の魔導士の中に、トウワ国出身の人がいました」
 「何?」
 「テシオ・テリコという人です。僕がトウワ国出身でないと見破られてしまいました」
 「テシオ・テリコ……。テシオ一門の人間か?」

 コウミは自問する様に呟く。

 「コウミは知っているの?」
 「ダイワ国の、剣士の一門だ。……そうか、森に居た剣士崩れはテシオ一門の人間。そして、ここにお前を連れて来たのも……」

 コウミはそう呟く。感情を無理やり押し殺そうとする様に、僅かに声を震わした。

 「コウミ?」

 そんなコウミの様子を日々喜は心配した。
 その時、二人の前にあった大きな繭が、ゴソゴソとうごめく様に揺れた。
 日々喜もコウミも、そばに居たゴブリン達も、一斉にそちらを向いた。
 すると、その繭の上部が内部から押し上げられる様に盛り上がり、繭を破って生物らしき茶色い身体が露出し始めた。
 露出した身体は、さらに、バリバリと音を立て、殻を割る様に真っ二つに裂けて行った。そして、その中から、薄く水色がかった肌をした女の子が姿を現した。
 女の子はそのまま、大きく伸びをすると、繭のそばに居る者達を見下ろす。そして、額から伸びる二本の櫛状の触角を揺らし、ニコリと笑みをこぼした。

 「今晩は、皆さん。この領域、各種族の代表とお見受けします」
 「君は……」

 日々喜が女の子に尋ねた。

 「アリーナ・プティ。イバラの支配者、アイディ・クインの娘」

 女の子はそう答えた。

 「君が、後継者。……美しい」

 日々喜が女の子の姿に見惚れその場に立ち尽くす中、若いゴブリン達は平伏する様にその場に跪いた。

 「こいつ……、まだ、ルーラーじゃないのか」

 コウミは、日々喜とゴブリン達の様子を見てそう言った。

 「どう言う事です?」
 「支配する側と従属する側の関係が希薄になっているんだ。だから、こいつは俺達に姿を見せている。威光を示しているんだ。神話の時代の様に、この領域で自分の立場を盤石にする為にな」
 「でも、確かに彼女は後継者のはずです」
 「前任者が勝手に決めた事だろ。普通の人間の目から見れば、こいつはよからぬ者と大した違いは無い」
 「よからぬ者……、こんなに可愛いのに」

 コウミは鼻で笑った。

 「見てくれは重要だ。威光を示し、親和性を高める為の道具の一つ。……だが、支配者に愛嬌は必要ないだろ」

 アリーナの事をそっちのけにして、コウミは日々喜に話しをし続けた。

 「そこの、黒い人。この私を目の前にして、良くもそんな失礼な事が言えたものね」

 どうやら、その話は彼女の気に障った様だった。

 「何なら、その威光というもの、もっと分かり易く示してもいいのよ」

 アリーナはそう言うと、どこにしまってあったのか分からない程の大きな羽を広げた。背中から伸びるその羽は、蝶や蛾の様に二枚一組がそれぞれ左右に広がり、全体として薄く若草の色合いをしている。それでいて羽の上部、縁の辺りにはその輪郭を際立たせるように、鮮やかな程の赤い色が引かれていた。
 アリーナが、その羽をゆっくりと羽ばたかせると、部屋の中には、まるで平地を駆け抜ける様な、なだらかな風が吹き抜け、キラキラと輝く鱗粉の様な物が振り撒かれた。

 「俺は今、機嫌が悪い。不用意な真似をするなよ……」

 コウミは一段とドスを利かせた声でそう言うと、全身から、あの黒い瘴気の様な物を立ち昇らせる。
 間に挟まれる者達は、両者の態度に動揺した。

 「あの! すいません! アリーナ、ちゃん。……さん?」

 そんな中、日々喜が二人の間に入る様に声を出した。

 「フォーリアムの屋敷に来てください! 君に会いたがってる人が居るんです」

 アリーナは羽ばたきを止める。

 「私に会いたがる?」
 「そうです! イバラ領主の娘。魔導士フェンネル・フォーリアムお嬢様です」
 「フォーリアム? ああ……」

 その名前に聞き覚えがある。アリーナはそんな反応を示した。

 「君が繭からでて来るのを心待ちにしていたんです。だからぜひ、お屋敷に来て、お嬢様に会ってほしいです」
 「ふーん。……どうしようかなー」

 アリーナは、悪戯に悩む様な態度を見せた。

 「駄目だよ!」

 突然、繭の中から別の女の子の声が響く。そして、繭の中から押し上げる様に、座っていたアリーナの身体を上下に揺らした。

 「ちょっと、どいて! アリーナ。出れないんだから!」

 その叫びと同時に、勢い良く押上げられ、アリーナは思わず繭の上から転がり落ちる。
 日々喜は機敏に反応し、落っこちるアリーナの事を受け止めた。

 「ぷはー! おはよう、僕はノーマ・プチャだよ!」

 繭の中から、二人目の女の子が顔を出す。ノーマと名乗ったその女の子は、アリーナと瓜二つ。双子の女の子だった。

 「もう! ノーマったら。乱暴な真似はしないで!」
 「アリーナがどかないのが悪いんだよ! そんな事より――」

 ノーマは、日々喜の事を睨みつける。

 「――やい、人間!」
 「長岐日々喜です」
 「うるさい! 話は聞かせてもらったぞ! 用があるなら、お前達の方から出向いて来るのが筋だろ! 僕らは後継者なんだぞ! おいそれと、人の下に足を運ぶもんか!」

 そう言うと、ノーマはプイッと顔を背けた。
 これが支配者か。可愛い。何をされてもきっと自分は許せる。
 日々喜はノーマの仕草を見てそう思った。

 「分かったよ。仕方ないね。……アリーナちゃんは平気かな?」

 日々喜は、自分に寄り掛かったままだったアリーナの肩を優しく撫でながら尋ねた。
 アリーナは戦慄する。

 「ぎゃー!!」

 叫び声を上げて、繭を駆け上がり、ノーマに抱き着いた。

 「アリーナ!? どうしたのさ?」
 「こ、こ、この人間。声に聞き覚えがある。前に、私の背中を撫で廻した奴よ!」
 「何ー!」

 アリーナの話を聞き、ノーマは怒った表情を見せた。繭の上から飛び降り、日々喜の下に詰め寄った。

 「お前か! 僕達の寝所に入ったのは!」
 「え、違うよ」

 日々喜は揶揄うようにそう言った。

 「惚けんな! 確かに聞き覚えがあるぞ!」
 「どうだったかなー、覚えてないよ。証拠はあるのかな? 困ったなー」

 つかみ掛る程の勢いのノーマに対し、日々喜は終始、締まりの無い表情を浮かべながらそう言った。

 「うるっせ!!」

 それまで黙っていたコウミが、突然、怒鳴った。

 「さっさとここから出なくちゃならねえ! 後継者も! 人間も! ゴブリンも! 遊んでないで、森に帰れ!!」

 コウミがそう言い放つと、じゃれ合う様に話をしていた者達は黙った。そのしらけた空気の中で、コウミは気にせず話し続けた。

 「フクジン。ここは、任せるぞ。先導して森へ行け」
 「御意」

 フクジンはそう言うと、後継者達の下に駆け寄り、事情を説明し始めた。

 「日々喜。お前もだ。フクジン達と一緒に森へ行け」
 「僕はお屋敷に帰るよ。皆、心配してると思う。後継者の子達の事を伝えないと」

 コウミは、その手につかんでいたムラサメを日々喜の胸に押し当てる。日々喜は咄嗟に、その剣を抱えた。

 「そいつは、お前に預けておく。森へ連れてってやれ」
 「コウミ、だけど――」
 「お前は狙われてる」

 日々喜の言葉を遮り、コウミはそう言った。

 「俺が良いと言うまで、今は森に居ろ。言いたい事は、後で必ず聞いてやるから」
 「……分かった」

 日々喜がそう言うと、コウミは落ち着きを取り戻す様に、肩の力を抜いた。そして、自らが被るフードを取り、日々喜の頭に被せた。

 「森に入るまで油断するなよ。人目につかぬよう、フクジン達のそばから離れるな」
 「コウミはどうするの?」
 「俺はやる事が出来た」
 「やる事?」
 「二度だ。身内に手を出されたのが二度。それが、同じ奴だと言うのなら、黙っている理由はない」

 コウミは怒りを押し留める様に、拳を強く握りしめた。

 「三度目は無い。その事を教えてやる」

 日々喜はコウミを心配そうに見つめる。

 「大丈夫だ。ただの陽動だ。俺も直ぐに森に戻るさ」

 コウミはそう言って、日々喜の頭を優しく叩いた。
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