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第二章 奪い合う世界
15話 玉繭の双生児①
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狭い牢屋に囚われ続ける日々喜。
暴れるでもなく、逃げ出す事を試みるでもなく、ひたすらにテリコの話していた事を考えていた。
太陽が西から昇る。そんな事が実際にあるのだろうか。
例えるなら地球。
自転する地球上にあっては、どんな場所に居てもその影響を受ける。簡潔に考えると、任意の場所に立つ自分自身が空を見上げれば、太陽は自分を中心にして東から昇り、西に沈む様に見えるはずだ。つまり、地上に在るものは全て、地球の自転によって同じ回転を見るはずである。
日々喜は考えを広げてみる。
金星はどうだろう。太陽系の中で唯一、地球とは反対方向に自転している。少し離れた場所にあるとは言え、星の間を行き交えば、異なる回転を見る事が出来る。都合のいい事に、自分は異世界を行き交った経験がある。ありえない事ではない。
そこまで考えた時、日々喜はトウワ国について聞かされた話を思い起こす。コウミは海を渡って、トウワ国に行くと言っていた。海を介して繋がっているのだ。
突飛すぎる考えを反省する様に溜息を着いた。
「他に何があるかな……」
現実的ではないけど、東側では鏡の様に反転していると言うのはどうだろう。
メビウスの輪や、クラインの壺の様に、裏と表が反転しているとすれば、太陽が西から昇る様を見るかもしれない。
未体験の世界だった。しかし、発想としては面白い。要は地上と空の方角の関係さえ逆転していれば、太陽が西から昇って見えるのだ。
今度は考えを狭め始める。
ひっくり返した東側の大地を元に戻し、そこにある全てのものを逆立ちさせる。トウワ国の人々が、逆立ちをしながら生活する姿を想像した。そうすると確かに日没は、太陽が昇っている様に見える。
「理屈はそう……、でも、それはちょっと無理かな」
日々喜は自分の考えを否定しながら、クスクスと笑い声を立てた。
「ううむ……、奇怪な」
「ワサビ兄者、関わらぬ方が良い。気が狂っているのですじゃ」
牢屋の外から話声が聞こえた。
「誰か居るの?」
日々喜の問いに返事はない。しかし、その代わりにガサゴソとうごめく様な物音が聞こえた。
日々喜はそちらを窺い始める。
暗闇の中で、自分と同様に簡易的な牢屋に詰め込まれている生き物達が目に入った。それは、子供の様な体格をしながらも、その顔は老人の様に醜い皺が寄った生き物だった。
「ゴブリン? どうしてこんな所に?」
「どうして? どうしてだと? 可笑しな事を言うのう。わしらをここに連れて来たのは、お主達人間であろうに」
「人間がゴブリンを連れて来た?」
日々喜は、イバラ領内で実施されるゴブリンの捕獲の計画を思い出す。
「イバラの森に居たゴブリン達。じゃあ、ここはフォーリアム商会の工場の中?」
遠くに連れて来られたわけじゃない。ここは、イバラ領内。僕は市街に居たのか。
日々喜は二日目にして、漸くその事に考えが至る。
「人間よ、聞いておるのか人間?」
「ワサビ兄者、まずい! 話し掛けるのは危険だ」
「平気じゃラッキョウよ。我らはこの様に、鋼鉄の柵によって守られておるのだからな」
ゴブリンの一人は、自分の閉じ込められている鉄格子を打ち鳴らしながらそう言った。
「この二日、お主の事を観察していた。食事も満足に食わずに、呆けているとは、情けない」
「はあ……」
「出された物は、残さず食べるのじゃ! それは、ここに居る者の掟なのじゃ!」
「すいません。分かりました」
「よしよし、それで、その、お主の分のそれは?」
ゴブリンは、日々喜の牢屋に置いてあるパンを指差す。
「何です?」
「お主がまた、掟を破るといけないからのう。それは、わしらがいただくとしよう」
「ちゃんと食べますよ」
「フーム、これだから人間は……。良いかここではな、先に居た種族、つまりゴブリンを敬わなければならんのじゃ。それも、掟なのじゃ」
「誰が決めたんですか?」
「わしじゃ。偉大なるヅケ氏族の長老。このヅケ・ワサビが今決めたのじゃ」
「ヅケ氏族……。フクジン君とタマリちゃんの居る氏族?」
「おお! フクジンの知り合いとはな。話が早いわい。お主が掟を守らぬ様なら、ここにフクジンを呼び寄せてやろう。あの丸太の様な腕で折檻を受けたくなかったら、わしの言う事を聞くのじゃな」
「……半分だけで良いですか?」
「うむ。これからは毎日、朝昼晩の食事の際、お主の食事からわしらの分を徴収して行く。くれぐれも忘れぬようにするのじゃ」
「分かりました……」
不平を顔に表しながらも、日々喜は半分にちぎったパンの切れ端をゴブリンの居る牢屋の中に投げ入れた。
「ふっはっは。来た来た、パンじゃ、パンじゃ」
「流石は、ワサビ兄者だ。人間さえもタジタジにしてしまうとは」
「大した事では無いわい。この鉄柵がある限り、わし等は無敵よ。何を言おうとも、手も足も出んのだからな。よし、これはお主の取り分じゃラッキョウよ。皿の上に乗せて食うのじゃ」
ワサビはそう言うと、パンをさらに二つに別け、弟のラッキョウに渡した。
ラッキョウは、パンを受け取ると、自分の皿にそれを乗せ、手を使わず口から直接食べ始めた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「何じゃ、人間?」
「長岐日々喜です。皆さんは捕まっているのでは、無いのでしょうか?」
「その通りじゃ。森で捕まり、ここに連れて来られたのじゃ」
「じゃあ、フクジン君をどうやって、ここに呼ぶんですか?」
「ふふふ、この鉄柵では、わしらも身動きが取れない。そう言いたいのじゃろう? 残念じゃったな。ここには、我が氏族の若い衆が、森から様子を見に来てくれるのじゃ」
ワサビは自慢げにそう話した。
「森に帰らないんですか?」
「ん?」
「フクジン君に助けてもらえばいいのに」
「何を馬鹿な事を、これだから人間は……」
ワサビは溜息交じりにそう言った。
「良いか? 何の為にこの鉄柵があるのか考えるのじゃ」
「僕らを逃がさない為です」
「違う! わしらを守る為じゃ」
「守る、為?」
「そうじゃ。ここには、森の様な危険は無い。黙っていても食事の用意がされる。最早、獣に怯える必要も無く、働く必要も無いのじゃ」
「でも、自由もありませんよ」
「自由? 長岐よ、何と青臭い事を言うものか」
ワサビは日々喜の発言を笑い始める。
「自由。それは、甘美に聞こえる言葉に過ぎん。お主はその言葉に踊らされ、本質が見えていないのじゃ。良いか? 自由等というものは、生きる為には必要の無いものなのじゃ」
日々喜は驚く。
「とは言え、お主の気持ちは分からんでもない。かつてわしらも、その自由を手にする為に、生まれ故郷を捨てたのじゃからな。じゃが、その結果はどうじゃった? 我が氏族は、苛酷な環境に晒されて、その数を半分にまで減らしてしまった。これが、全てなのじゃ。自由、自立を望んだ事こそ、長老たるこのわしの最大の過ちだったのじゃ」
「で、でも、フクジン君は、タマリちゃんだって、長老の言葉を信じて、森で生き抜く力を身に着けたじゃないですか。過ちばかりじゃないはずですよ」
「ふむ……それで、フクジンとタマリは、何時になったら人間と同様の、営みを手にする事が出来ると言うのじゃ? その間に、どれ程の氏族が血を流せばよいのじゃ?」
「それは……」
「ここにおれば、血は流れない。労せずして人の営みに加われると言うのに……、若い者には、その事が分からんのだ。のう、長岐よ。お主の目にはどう映るのじゃ。森から離れ街で暮らす人間と、森で捕まり鉄柵の中で過ごすゴブリン。一体、どんな違いがあると言うのじゃ? わしにはどちらも、自由を捨てた者にしか見えぬ」
日々喜の頭に血が上り始める。
人間とゴブリンを一緒にされたからではない。ワサビの言い方が、まるで、フクジンやタマリの様な、若い者の努力を蔑している様に聞こえたからだ。
「僕の知る人達は、自分の将来に向けてちゃんと勉強しています。フクジン君やタマリちゃんと同じで、努力していますよ。檻に閉じ籠るような真似はしてません!」
「お主は閉じ籠っているではないか?」
「ち、違います! 出れるものなら、抜け出していますよ。こんな場所に、何時までも居るつもりは無いんです!」
「ふん! 分かっとらんな。どいつもこいつも、分かっとらん、分かっとらん!」
ワサビはそう言うと、日々喜からそっぽを向いてしまった。
何てやな人……、やなゴブリンだろう。
日々喜はそんなワサビ達の態度を見ながらそう思った。
そこからは、お互いに話しかける事も無く、長い沈黙の時間が流れて行った。
日々喜は暗がりの中で、ヅケ氏族の若い衆が尋ねて来るのを待ち続けた。フクジンの手を借りれば、ここから抜け出す事が出来るはずと考えたのだ。
そうして、僅かに眠気がさし始めた頃合い。突如として天井から、何か大きなものが落下し、牢屋の目の前でドタリと大きな音を立てた。
その場に居た日々喜とゴブリン達は、驚いた様に牢屋の中で身構える。
「な、何じゃ!?」
天井から落下したその大きなものは、ゆっくりと地面を這いずる様に身をくねらせ、やがて、その突端を上へと擡げた。そして、赤く光る二つの眼光の様な物を日々喜の方に向けると、シュー、シューとガスの抜ける様な音を出し始める。
「ムラサメ?」
日々喜は、こちらを見つめる蛇の様なシルエットに尋ねた。蛇は答えない。代わりに、日々喜の方へとゆっくりとその顔を近づけて見せた。
ムラサメの白い顔が顕わになる。
「どうして君がここに?」
日々喜は檻の中から手を伸ばし、ムラサメの頭を撫でながらそう言った。
「ひ、ひぃ! 森の白蛇だ!」
「お、落ち着くのだラッキョウよ! 我らは無敵なのだ」
ゴブリン達は慌てふためき始める。
ムラサメは、そんなゴブリン達に見向きもせず、日々喜を閉じ込める檻を中心にとぐろを巻き始めた。すると、万力で締め上げているかのように、蛇の胴体によって檻はミシミシと音を立てて潰されて行った。
「うわー!? こ、鋼鉄の柵がー!」
ムラサメの巨体を前に、鉄の檻はあえなく破壊されてしまった。その様を見て、ワサビは驚愕の叫びを上げた。
やがて、白蛇のとぐろの頂上から、日々喜が顔を出し、そこから這い出て来た。
「し、信じられん……、無事なのか?」
「平気です」
ワサビに対して、日々喜は淡々とした口調で答えた。
「何が、平気だ。馬鹿が!」
すると、その場に居ない筈のコウミの声が背後から聞こえた。
見れば、鉄格子のはめられた窓から、コウミが顔を覗かせていた。
「コウミ。来てくれたんだ」
「……四日だ」
コウミは、深いため息と共にそう答えた。
「四日間も、お前は顔を出さなかった。何処で何をしているのかと思っていたら、こんな所で捕まっていやがって。平気なわけがあるか、馬鹿が!」
「ごめん……、でも、捕まってたのは二日くらいで――」
「言い訳は後だ。それより、ここにはどうやったら入れる? ……ムラサメ、お前、どうやって中に入った?」
コウミは、窓から顔を覗かせながら尋ねた。ムラサメは答えない。
「……表から回るか。もう少し待ってろ日々喜」
コウミは舌打ち交じりにそう言うと、窓から顔を引っ込めた。そして、表口に向うらしく、その場から遠ざかる足音が聞こえた。
どうやら、コウミは一人ではないらしい。そこから、耳をそばだてる必要も無く、ぺちゃくちゃとお喋りするような話声が聞こえた。
「い、今のは魔導士、コウミ殿か? 長岐、お主はコウミ殿と知り合いだったのか?」
「弟子です」
「何と!? ……では、やはり、コウミ殿も人間なのか……」
ワサビは落胆した様にそう言った。
「コウミは人間じゃないですよ」
「おお! そうか、そうか! やはり、人外なるモンスターの一人であったか! しかも、弟子として人間さえも取り込まれているとは、さすがじゃ!」
「いえ、モンスターでも無いと思います。昔はちゃんと人間をやっていたと言ってましたし」
「何なのじゃそれは、ハッキリせんのう」
確かに、コウミの立場はハッキリとしていない。
人を攫うデーモンとは違う。過去に人間をやっていた。そのように聞かされていたが、それ以上の事はコウミの口から聞かされる事は無かった。
大伯父灯馬との旅についてさえ、以前、森の中で聞かされた話以外の事はコウミは口にしなかったのだ。
日々喜自身もコウミに対して、詮索するような真似をして来なかった。
その事を考える度に、物悲し気に話をしていた灯馬の姿が、頭にチラつくのである。
山の中で遭難した子がいる。その子はきっと、遠くに行ってしまった。そう話していた事を思い出すのであった。
灯馬は何かを隠している。
あえてこの世界の事、自分が旅をした事、コウミの存在について、話さないでいる理由があったのだろう。
自分の尊敬する肉親が、頑なに秘密にしようとしている事柄に、日々喜自身触れたくないという思いが働いていたのであった。
「うわ!? な、何じゃ!」
ワサビの驚きの声によって、日々喜は物思いから覚めた。
見れば、とぐろを巻いていたムラサメが、その全身から淡い光を放っていた。
「発光してる……」
日々喜がそう呟いた時、一瞬、目が眩むほどの強い光が部屋中を明るく照らした。その場に居た者達は、全員光に目を奪われた。
日々喜は、恐る恐る目を開き始める。
ムラサメは姿を消していた。その代わりに、それまでムラサメの居た場所には、巨大な繭が一つ。そして繭の手前には、床に突き立てられた純白の刀身と、それを握る黒い右腕があった。
巨大な繭は、ピーナッツの様な形状をしており、先程のムラサメと同様に、中から照らす様に淡い光を放ち続けていた。これまで、ムラサメが腹の中で守り続けて来た後継者達の繭に違いなかった。
この剣は一体何であろうか。
日々喜は、剣の下に近づいて、良くそれを見てみた。
白い刀身は僅かに反る様に湾曲しており、まるで夜露が降りたかの様に、幾つもの雫が付着していた。剣をつかむ柄の部分には、丈夫な布紐が柄を描く様に巻き付けられていた。その形状、装飾のされ方等は、日々喜の良く知る日本刀そのものの様に思えた。
そして、柄をつかむ黒い腕は、人間の右腕の様に見える。それは、人肌を隠す様に黒い具足の様な物が付けられ、腕の断面には黒いガスの様な物が漂い、一見して本物の人の腕か、作り物かを判断する事が出来なかった。
「ムラサメ……」
日々喜が刀身に向かって囁く。
「元の姿に戻っただけだ」
表から回って来たコウミが、何時の間にか日々喜の居る部屋にまで入って来ていた。
「元の姿?」
神出鬼没なコウミに馴れたのか、日々喜は驚く事なく尋ねた。
「ムラサメはアーティファクトだ。剣の形をして、人の使う兵器となっていた。それが逆に腕を支配して、生き物の姿に変わっていたんだろ」
「そんな事って、あるんですか?」
「俺も初めて見る。だから初めは気が付かなった。だが、お前なら分かるはずだ」
コウミはそう言うと、突き立てられたムラサメを腕ごと引き抜き、その場で一振りして見せた。刀身にこびり付いていた雫が、その勢いに引かれ、辺りに撒き散らされる。
「こいつは、常に、治癒の摩液を滴らせている。その様が物語に出て来る剣に似てるから、ムラサメと名前が付けられた。灯馬が名付けたんだ。聞き覚えがあるだろ?」
コウミは、日々喜に剣を良く見せる様に、目の前に晒した。
「知らないです」
日々喜が答えた。
「……お前、小説は読まないのか?」
「あまり……」
日々喜は、自分の無知を恥じる様に答えた。
「俺もだ。文字だけじゃ何が言いたいのか分からないよな」
初めて見出した共通点に、コウミは喜々として応えた。
暴れるでもなく、逃げ出す事を試みるでもなく、ひたすらにテリコの話していた事を考えていた。
太陽が西から昇る。そんな事が実際にあるのだろうか。
例えるなら地球。
自転する地球上にあっては、どんな場所に居てもその影響を受ける。簡潔に考えると、任意の場所に立つ自分自身が空を見上げれば、太陽は自分を中心にして東から昇り、西に沈む様に見えるはずだ。つまり、地上に在るものは全て、地球の自転によって同じ回転を見るはずである。
日々喜は考えを広げてみる。
金星はどうだろう。太陽系の中で唯一、地球とは反対方向に自転している。少し離れた場所にあるとは言え、星の間を行き交えば、異なる回転を見る事が出来る。都合のいい事に、自分は異世界を行き交った経験がある。ありえない事ではない。
そこまで考えた時、日々喜はトウワ国について聞かされた話を思い起こす。コウミは海を渡って、トウワ国に行くと言っていた。海を介して繋がっているのだ。
突飛すぎる考えを反省する様に溜息を着いた。
「他に何があるかな……」
現実的ではないけど、東側では鏡の様に反転していると言うのはどうだろう。
メビウスの輪や、クラインの壺の様に、裏と表が反転しているとすれば、太陽が西から昇る様を見るかもしれない。
未体験の世界だった。しかし、発想としては面白い。要は地上と空の方角の関係さえ逆転していれば、太陽が西から昇って見えるのだ。
今度は考えを狭め始める。
ひっくり返した東側の大地を元に戻し、そこにある全てのものを逆立ちさせる。トウワ国の人々が、逆立ちをしながら生活する姿を想像した。そうすると確かに日没は、太陽が昇っている様に見える。
「理屈はそう……、でも、それはちょっと無理かな」
日々喜は自分の考えを否定しながら、クスクスと笑い声を立てた。
「ううむ……、奇怪な」
「ワサビ兄者、関わらぬ方が良い。気が狂っているのですじゃ」
牢屋の外から話声が聞こえた。
「誰か居るの?」
日々喜の問いに返事はない。しかし、その代わりにガサゴソとうごめく様な物音が聞こえた。
日々喜はそちらを窺い始める。
暗闇の中で、自分と同様に簡易的な牢屋に詰め込まれている生き物達が目に入った。それは、子供の様な体格をしながらも、その顔は老人の様に醜い皺が寄った生き物だった。
「ゴブリン? どうしてこんな所に?」
「どうして? どうしてだと? 可笑しな事を言うのう。わしらをここに連れて来たのは、お主達人間であろうに」
「人間がゴブリンを連れて来た?」
日々喜は、イバラ領内で実施されるゴブリンの捕獲の計画を思い出す。
「イバラの森に居たゴブリン達。じゃあ、ここはフォーリアム商会の工場の中?」
遠くに連れて来られたわけじゃない。ここは、イバラ領内。僕は市街に居たのか。
日々喜は二日目にして、漸くその事に考えが至る。
「人間よ、聞いておるのか人間?」
「ワサビ兄者、まずい! 話し掛けるのは危険だ」
「平気じゃラッキョウよ。我らはこの様に、鋼鉄の柵によって守られておるのだからな」
ゴブリンの一人は、自分の閉じ込められている鉄格子を打ち鳴らしながらそう言った。
「この二日、お主の事を観察していた。食事も満足に食わずに、呆けているとは、情けない」
「はあ……」
「出された物は、残さず食べるのじゃ! それは、ここに居る者の掟なのじゃ!」
「すいません。分かりました」
「よしよし、それで、その、お主の分のそれは?」
ゴブリンは、日々喜の牢屋に置いてあるパンを指差す。
「何です?」
「お主がまた、掟を破るといけないからのう。それは、わしらがいただくとしよう」
「ちゃんと食べますよ」
「フーム、これだから人間は……。良いかここではな、先に居た種族、つまりゴブリンを敬わなければならんのじゃ。それも、掟なのじゃ」
「誰が決めたんですか?」
「わしじゃ。偉大なるヅケ氏族の長老。このヅケ・ワサビが今決めたのじゃ」
「ヅケ氏族……。フクジン君とタマリちゃんの居る氏族?」
「おお! フクジンの知り合いとはな。話が早いわい。お主が掟を守らぬ様なら、ここにフクジンを呼び寄せてやろう。あの丸太の様な腕で折檻を受けたくなかったら、わしの言う事を聞くのじゃな」
「……半分だけで良いですか?」
「うむ。これからは毎日、朝昼晩の食事の際、お主の食事からわしらの分を徴収して行く。くれぐれも忘れぬようにするのじゃ」
「分かりました……」
不平を顔に表しながらも、日々喜は半分にちぎったパンの切れ端をゴブリンの居る牢屋の中に投げ入れた。
「ふっはっは。来た来た、パンじゃ、パンじゃ」
「流石は、ワサビ兄者だ。人間さえもタジタジにしてしまうとは」
「大した事では無いわい。この鉄柵がある限り、わし等は無敵よ。何を言おうとも、手も足も出んのだからな。よし、これはお主の取り分じゃラッキョウよ。皿の上に乗せて食うのじゃ」
ワサビはそう言うと、パンをさらに二つに別け、弟のラッキョウに渡した。
ラッキョウは、パンを受け取ると、自分の皿にそれを乗せ、手を使わず口から直接食べ始めた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「何じゃ、人間?」
「長岐日々喜です。皆さんは捕まっているのでは、無いのでしょうか?」
「その通りじゃ。森で捕まり、ここに連れて来られたのじゃ」
「じゃあ、フクジン君をどうやって、ここに呼ぶんですか?」
「ふふふ、この鉄柵では、わしらも身動きが取れない。そう言いたいのじゃろう? 残念じゃったな。ここには、我が氏族の若い衆が、森から様子を見に来てくれるのじゃ」
ワサビは自慢げにそう話した。
「森に帰らないんですか?」
「ん?」
「フクジン君に助けてもらえばいいのに」
「何を馬鹿な事を、これだから人間は……」
ワサビは溜息交じりにそう言った。
「良いか? 何の為にこの鉄柵があるのか考えるのじゃ」
「僕らを逃がさない為です」
「違う! わしらを守る為じゃ」
「守る、為?」
「そうじゃ。ここには、森の様な危険は無い。黙っていても食事の用意がされる。最早、獣に怯える必要も無く、働く必要も無いのじゃ」
「でも、自由もありませんよ」
「自由? 長岐よ、何と青臭い事を言うものか」
ワサビは日々喜の発言を笑い始める。
「自由。それは、甘美に聞こえる言葉に過ぎん。お主はその言葉に踊らされ、本質が見えていないのじゃ。良いか? 自由等というものは、生きる為には必要の無いものなのじゃ」
日々喜は驚く。
「とは言え、お主の気持ちは分からんでもない。かつてわしらも、その自由を手にする為に、生まれ故郷を捨てたのじゃからな。じゃが、その結果はどうじゃった? 我が氏族は、苛酷な環境に晒されて、その数を半分にまで減らしてしまった。これが、全てなのじゃ。自由、自立を望んだ事こそ、長老たるこのわしの最大の過ちだったのじゃ」
「で、でも、フクジン君は、タマリちゃんだって、長老の言葉を信じて、森で生き抜く力を身に着けたじゃないですか。過ちばかりじゃないはずですよ」
「ふむ……それで、フクジンとタマリは、何時になったら人間と同様の、営みを手にする事が出来ると言うのじゃ? その間に、どれ程の氏族が血を流せばよいのじゃ?」
「それは……」
「ここにおれば、血は流れない。労せずして人の営みに加われると言うのに……、若い者には、その事が分からんのだ。のう、長岐よ。お主の目にはどう映るのじゃ。森から離れ街で暮らす人間と、森で捕まり鉄柵の中で過ごすゴブリン。一体、どんな違いがあると言うのじゃ? わしにはどちらも、自由を捨てた者にしか見えぬ」
日々喜の頭に血が上り始める。
人間とゴブリンを一緒にされたからではない。ワサビの言い方が、まるで、フクジンやタマリの様な、若い者の努力を蔑している様に聞こえたからだ。
「僕の知る人達は、自分の将来に向けてちゃんと勉強しています。フクジン君やタマリちゃんと同じで、努力していますよ。檻に閉じ籠るような真似はしてません!」
「お主は閉じ籠っているではないか?」
「ち、違います! 出れるものなら、抜け出していますよ。こんな場所に、何時までも居るつもりは無いんです!」
「ふん! 分かっとらんな。どいつもこいつも、分かっとらん、分かっとらん!」
ワサビはそう言うと、日々喜からそっぽを向いてしまった。
何てやな人……、やなゴブリンだろう。
日々喜はそんなワサビ達の態度を見ながらそう思った。
そこからは、お互いに話しかける事も無く、長い沈黙の時間が流れて行った。
日々喜は暗がりの中で、ヅケ氏族の若い衆が尋ねて来るのを待ち続けた。フクジンの手を借りれば、ここから抜け出す事が出来るはずと考えたのだ。
そうして、僅かに眠気がさし始めた頃合い。突如として天井から、何か大きなものが落下し、牢屋の目の前でドタリと大きな音を立てた。
その場に居た日々喜とゴブリン達は、驚いた様に牢屋の中で身構える。
「な、何じゃ!?」
天井から落下したその大きなものは、ゆっくりと地面を這いずる様に身をくねらせ、やがて、その突端を上へと擡げた。そして、赤く光る二つの眼光の様な物を日々喜の方に向けると、シュー、シューとガスの抜ける様な音を出し始める。
「ムラサメ?」
日々喜は、こちらを見つめる蛇の様なシルエットに尋ねた。蛇は答えない。代わりに、日々喜の方へとゆっくりとその顔を近づけて見せた。
ムラサメの白い顔が顕わになる。
「どうして君がここに?」
日々喜は檻の中から手を伸ばし、ムラサメの頭を撫でながらそう言った。
「ひ、ひぃ! 森の白蛇だ!」
「お、落ち着くのだラッキョウよ! 我らは無敵なのだ」
ゴブリン達は慌てふためき始める。
ムラサメは、そんなゴブリン達に見向きもせず、日々喜を閉じ込める檻を中心にとぐろを巻き始めた。すると、万力で締め上げているかのように、蛇の胴体によって檻はミシミシと音を立てて潰されて行った。
「うわー!? こ、鋼鉄の柵がー!」
ムラサメの巨体を前に、鉄の檻はあえなく破壊されてしまった。その様を見て、ワサビは驚愕の叫びを上げた。
やがて、白蛇のとぐろの頂上から、日々喜が顔を出し、そこから這い出て来た。
「し、信じられん……、無事なのか?」
「平気です」
ワサビに対して、日々喜は淡々とした口調で答えた。
「何が、平気だ。馬鹿が!」
すると、その場に居ない筈のコウミの声が背後から聞こえた。
見れば、鉄格子のはめられた窓から、コウミが顔を覗かせていた。
「コウミ。来てくれたんだ」
「……四日だ」
コウミは、深いため息と共にそう答えた。
「四日間も、お前は顔を出さなかった。何処で何をしているのかと思っていたら、こんな所で捕まっていやがって。平気なわけがあるか、馬鹿が!」
「ごめん……、でも、捕まってたのは二日くらいで――」
「言い訳は後だ。それより、ここにはどうやったら入れる? ……ムラサメ、お前、どうやって中に入った?」
コウミは、窓から顔を覗かせながら尋ねた。ムラサメは答えない。
「……表から回るか。もう少し待ってろ日々喜」
コウミは舌打ち交じりにそう言うと、窓から顔を引っ込めた。そして、表口に向うらしく、その場から遠ざかる足音が聞こえた。
どうやら、コウミは一人ではないらしい。そこから、耳をそばだてる必要も無く、ぺちゃくちゃとお喋りするような話声が聞こえた。
「い、今のは魔導士、コウミ殿か? 長岐、お主はコウミ殿と知り合いだったのか?」
「弟子です」
「何と!? ……では、やはり、コウミ殿も人間なのか……」
ワサビは落胆した様にそう言った。
「コウミは人間じゃないですよ」
「おお! そうか、そうか! やはり、人外なるモンスターの一人であったか! しかも、弟子として人間さえも取り込まれているとは、さすがじゃ!」
「いえ、モンスターでも無いと思います。昔はちゃんと人間をやっていたと言ってましたし」
「何なのじゃそれは、ハッキリせんのう」
確かに、コウミの立場はハッキリとしていない。
人を攫うデーモンとは違う。過去に人間をやっていた。そのように聞かされていたが、それ以上の事はコウミの口から聞かされる事は無かった。
大伯父灯馬との旅についてさえ、以前、森の中で聞かされた話以外の事はコウミは口にしなかったのだ。
日々喜自身もコウミに対して、詮索するような真似をして来なかった。
その事を考える度に、物悲し気に話をしていた灯馬の姿が、頭にチラつくのである。
山の中で遭難した子がいる。その子はきっと、遠くに行ってしまった。そう話していた事を思い出すのであった。
灯馬は何かを隠している。
あえてこの世界の事、自分が旅をした事、コウミの存在について、話さないでいる理由があったのだろう。
自分の尊敬する肉親が、頑なに秘密にしようとしている事柄に、日々喜自身触れたくないという思いが働いていたのであった。
「うわ!? な、何じゃ!」
ワサビの驚きの声によって、日々喜は物思いから覚めた。
見れば、とぐろを巻いていたムラサメが、その全身から淡い光を放っていた。
「発光してる……」
日々喜がそう呟いた時、一瞬、目が眩むほどの強い光が部屋中を明るく照らした。その場に居た者達は、全員光に目を奪われた。
日々喜は、恐る恐る目を開き始める。
ムラサメは姿を消していた。その代わりに、それまでムラサメの居た場所には、巨大な繭が一つ。そして繭の手前には、床に突き立てられた純白の刀身と、それを握る黒い右腕があった。
巨大な繭は、ピーナッツの様な形状をしており、先程のムラサメと同様に、中から照らす様に淡い光を放ち続けていた。これまで、ムラサメが腹の中で守り続けて来た後継者達の繭に違いなかった。
この剣は一体何であろうか。
日々喜は、剣の下に近づいて、良くそれを見てみた。
白い刀身は僅かに反る様に湾曲しており、まるで夜露が降りたかの様に、幾つもの雫が付着していた。剣をつかむ柄の部分には、丈夫な布紐が柄を描く様に巻き付けられていた。その形状、装飾のされ方等は、日々喜の良く知る日本刀そのものの様に思えた。
そして、柄をつかむ黒い腕は、人間の右腕の様に見える。それは、人肌を隠す様に黒い具足の様な物が付けられ、腕の断面には黒いガスの様な物が漂い、一見して本物の人の腕か、作り物かを判断する事が出来なかった。
「ムラサメ……」
日々喜が刀身に向かって囁く。
「元の姿に戻っただけだ」
表から回って来たコウミが、何時の間にか日々喜の居る部屋にまで入って来ていた。
「元の姿?」
神出鬼没なコウミに馴れたのか、日々喜は驚く事なく尋ねた。
「ムラサメはアーティファクトだ。剣の形をして、人の使う兵器となっていた。それが逆に腕を支配して、生き物の姿に変わっていたんだろ」
「そんな事って、あるんですか?」
「俺も初めて見る。だから初めは気が付かなった。だが、お前なら分かるはずだ」
コウミはそう言うと、突き立てられたムラサメを腕ごと引き抜き、その場で一振りして見せた。刀身にこびり付いていた雫が、その勢いに引かれ、辺りに撒き散らされる。
「こいつは、常に、治癒の摩液を滴らせている。その様が物語に出て来る剣に似てるから、ムラサメと名前が付けられた。灯馬が名付けたんだ。聞き覚えがあるだろ?」
コウミは、日々喜に剣を良く見せる様に、目の前に晒した。
「知らないです」
日々喜が答えた。
「……お前、小説は読まないのか?」
「あまり……」
日々喜は、自分の無知を恥じる様に答えた。
「俺もだ。文字だけじゃ何が言いたいのか分からないよな」
初めて見出した共通点に、コウミは喜々として応えた。
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