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第二章 奪い合う世界

1話 新年度の為に①

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 新年度を迎えた。
 人の往来が盛んになるこの季節。それは、例え異世界でも変わらぬ事情であった。
 東西南部、及び、中央の王都に存在する魔導学院では、この節目の季節を挟んで、卒業生達の送り出しと、新入生達の迎え入れを行っている。
 地方の田舎を出たばかりの新入生達は、初めて見る発展した都市の風景に目を奪われ、これからの学院での生活に期待を寄せた。
 また、学院を卒業した者達は、それぞれの道へと進む事になる。
 キリアンやリグラの様に、修練生への道を進み、見習い魔導士として各領地の魔導士一門へ入門を果たす者達。または、学院で習得した技術を生かし、魔法に関連する職業に付く者達。そして、旅に出る者達もいる。
 各領地では、こうした人の流れを歓迎するかのように、新たな年度に祭り等の行事を行うのが常であった。それは、日々喜達の居るイバラ領でも変わる事は無い。
 モンスターの出現した騒ぎから数日の時を経て、遅ればせながらイバラ領も漸くその準備に取り掛かり始めていたのだった。
 そんなイバラ領において、新年度を迎えてから数回目の朝を迎えようとした時、日々喜は森の洞窟の中で目を覚ました。

 「目が覚めたか?」

 寝ずに火の番をしていたコウミが、マントに包まる様にして眠っていた日々喜に声を掛けた。

 「……おはようございます」
 「ああ」

 イバラ領に留まる事を決めてから、日々喜は白蛇ムラサメとコウミの根城に入り浸る様になっていた。宿舎のベッドより、岩肌の露出した洞窟の方が、本人にとっては寝つきが良いらしい。
 とは言え、流石に体には堪えるらしく、日々喜は目が覚めると直ぐに立ち上がり、大きく伸びをしたり、ストレッチをしたりして、身体をほぐし始めた。

 「直ぐに帰るか?」

 そんな日々喜の様子を見ながらコウミが尋ねる。

 「帰ります。今日は、朝食の当番ですから」
 「そうか」

 日々喜の世話になる魔導士の一門、フォーリアム一門では、見習い魔導士達が、自分達の分の食事を当番制によって賄っていた。今日は日々喜の当番でもある。ここからフォーリアムの館まで急いで帰る必要があった。
 日々喜は、脱いであった靴を履き、靴紐を結び直し始めた。館に仕え、初めて貰った給金で買った靴だった。
 旅人用の靴らしく、少し不格好で重たい。しかし、丈夫そうな革靴を見て、日々喜はそれだけで気に入ってしまった。
 靴紐を結び終えると、日々喜は身支度を整え始める。

 「その手斧はどうした? 買ったのか?」

 日々喜の腰の後ろに携帯する手斧が、マントの切れ目から顔を覗かせていた。

 「はい」
 「この前、鉈を買ったばっかりだったろ?」

 日々喜の腰回りには、同じく鉈が備えられていた。

 「自分用の手斧が欲しかったんです」
 「鉈があれば十分だろ」
 「コウミ、分からないかもですけど、森で鉈を使っていると、どうしても手斧が欲しくなるんです」
 「森で鉈を使ってると、手斧が欲しくなる?」

 日々喜の言っている事が理解できない様子で、コウミは日々喜の言った事をそのまま復唱した。日々喜はカクカクと首を縦に振って答える。

 「だったら、初めから手斧を買えばよかったろ?」
 「それはそうなんですけど、そうすると、今度は鉈が欲しくなるんですよ」

 日々喜の言葉に呆れたようにコウミは溜息を返した。

 「あのな日々喜。少しは考えて金は使えよ。自分の稼いだ物だ。使いたくなるのは分かるが、無限にあるわけじゃないんだからな」
 「分かりました」

 日々喜は自分の身に着けている物を隠す様に、マントの端をつかんでそう言った。

 「まったく、金の稼ぎ方以前に、使い方を覚える必要があるんじゃないのかお前は、……おい、ちょっと待て」

 マントで身を隠す日々喜にコウミが声を掛ける。マントに押し付けれらた日々喜の背中には、備え付けられた別の手斧が、その形を顕わにしていた。
 コウミに指摘され、日々喜はあえなく隠していた二本目の手斧を差し出した。

 「……つまりこういう事か、初めに手斧を買って、鉈を買って、また手斧を買ったと?」

 日々喜は申し訳なさげに頷いた。

 「馬鹿が! 没収だ、没収!」

 コウミはそう言うと、日々喜の手斧を一本ひったくった。
 日々喜は悲し気にコウミの握る手斧を見つめた。

 「そんな顔するな、捨てたりしねえよ。ここに置いておくだけだ。だいたい、こんなもん幾つも身に着けて歩く方がどうかしてるだろ」
 「分かりました。大切にしてくださいよ」
 「……おう」

 身支度を終えた日々喜と、それを見送るコウミとムラサメが洞窟から出て来た。
 イバラの空は既に白み始めていた。

 「気を付けて帰れよ」
 「大丈夫です。僕は誰にも見つかりませんよ」

 生意気なセリフに、コウミはフードの奥からフンと鼻を鳴らす様な音を出した。しかし、日々喜はこれまで、フォーリアムの館からこの洞窟までの道のりを幾度となく通い詰めていたが、後継者を探すために他の見習い達とこの森に入って以来、一度として危険な目には遭っていなかった。
 日々喜は既に、この森を掌握し始めている。馬鹿の様に里山を駆け回っていた頃から見守っていたコウミには、その事が何となく分かっていた。

 「今晩も顔を出すのか?」

 別れの挨拶をする様に、ムラサメの頭を撫でる日々喜に、コウミが尋ねる。
 聞くまでも無く、日々喜は毎晩顔を出して来ている。翌朝、早くから仕事があってもだ。コウミが別れる時にそう尋ねるのは、ほぼ日課の様になっていた。

 「今日は無理です」
 「そうか……、え!? 何で?」

 何時もの返事と違ったので、コウミは思わず聞き返した。

 「もう直ぐ、イバラでお祭りが行われるそうです。その準備で少し忙しくなりそうなんです」
 「祭り? こんな田舎の祭りの為に、顔も出せなくなるのか?」
 「はい。今日は、ヴァーサ領へ行ってきます。お使いです」
 「ああ、そう……」

 ヴァーサと聞き、コウミはクレレ夫妻の事が頭に過ったのか、納得した様にそう呟いた。

 「まあ、だったら、ついでにエリオット達によろしく言っておいてくれ」
 「分かりました」

 日々喜がそう言うと、コウミは洞窟の中へと戻ろうとした。

 「明日の夜はちゃんと来ます」
 「ああ、そうしろ」

 コウミは振り返らずにそう言うと、暗い洞窟の中に姿を消した。

 「また来るね、ムラサメ」

 日々喜はそう言いながら、無表情な白蛇の頭を撫でつけると、その場を後にして行った。
 白み始めていた空。その東の方角から太陽が僅かに顔を出し始めていた。日々喜は一人、森に差し込む僅かな陽の光を背中で浴びながら走り続けた。
 その速さは、風の様に森の中を走り抜けたコウミ程では無いものの、平地を駆ける大人程の速度を出していた。
 日々喜は森の木々を右に左にと避け、藪を潜り抜け、ひたすら道なき道を突き進んで行く。時折り、行く手を遮る様に生える太い枝や若木等に遭遇すると、腰に帯びる鉈を引き抜き、すぐさま自分の通る道を切り開いてしまう。そうして一直線にフォーリアムの館を目指して行った。
 すぐさま森の中を通る街道に到着する。警戒にあたる魔導士達が居ないか、日々喜は森の中から顔を出しながら確認した。
 マジックブレイカー達の襲撃を受けた日から、ここの警戒は大きく変更されているのだ。
 日々喜達から後継者の話を聞いた魔導士達は、白蛇ムラサメの事を駆除すべきモンスターでは無く、守るべき存在に位置付けたのであった。以来、ムラサメの住処にするイバラの森東側は、魔導士達の手によって守られ、その侵入は硬く禁じられる様になった。
 そして、日々喜達を襲ったマジックブレイカー達は、先の戦争によって滅んだダイワ国の残党で、このイバラ領へ侵入して来た者として、今も必死の捜査が行われているのであった。
 街道に誰も居ない事を確認すると、日々喜は道を横断し、森の西側へと入って行った。そして、再び、森の中を走り出した。
 この森の西側は相変わらずゴブリン達が住みついている。コウミの話しでは、必死に集落を移しながら魔導士の目を掻い潜っているらしい。
 どうやら森の東側へ移住する事を望んでいた若いゴブリン達。フクジンとタマリは長老達への説得に失敗したようだ。長老を含むゴブリンの年長者は、自分達を襲った人間もムラサメも信用する事が出来なかったのだろう。
 そんな事を考えていると、日々喜はこの森の境界となるフォーリアムの前庭を囲う柵の前に到着した。
 コウミに宣言した通り、誰にも見つかる事は無かった。
 日々喜は空を見上げた。太陽はまだ完全に姿を出し切っていない。
 その事を確認すると、にわかにほくそ笑んだ。
 どうやら、朝の仕事には十分間に合いそうだ。
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