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第一章 とても不思議な世界

33話 森の侵入者達⑤

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 暗闇の中、意識を失う魔導士の直ぐそばに佇む二匹のデーモン達は、茂みに隠れる日々喜達の存在に気が付く事なく話し続けていた。
 朧げな光源を頼りにする限り、その二匹は一切の素肌を隠すかのように黒色の装束を全身に纏っており、顔は黒い鳥の様な形をしている。その共通する外観から、二匹は明らかに同じ種族である事が窺えた。しかし、その二匹の間には明確な個体差があった。
 一方のデーモンは肉付きのいいドッシリとした体格をしている。
 もう一方のデーモンはすらりとした細身の体格で、胸部と臀部の辺りに女性特有の膨らみを備えていた。
 両者のシルエットだけを見比べていると、丁度それらがつがいを成した組み合わせにも思えて来る。

 「捨てておけばよかった。一体どうする気だ?」

 ドッシリが細身に話しかける。禍々しい顔つきからは想像できない程、若々しい男性の声であった。

 「殺すのさ。分かるだろモチマル」

 細身が答える。こちらは予想した通り女性らしい声をしていた。それでいて、嫌に興奮したような口調であった。

 「手こずらされたんだ。とどめを刺さなきゃ気が収まらない」
 「これ以上騒ぎを大きくする気か?」
 「死体を隠せばいい。何のためにここまで運んだと思った?」
 「勝手な事を……、お前のやった事は全部お母様に報告してやる。死体を隠したって無駄だからな」

 細身はそう言われ、口惜し気に舌打ちを一つすると、足下に横たわっていた魔導士を蹴り上げた。それまで死んだように横たわっていた魔導士は、身体をくの字に曲げながら、苦し気なうめき声を上げた。
 その声を聞くと、細身のデーモンは溜め込んだストレスを発散できたかの様に、満足気な吐息を漏らした。
 悦に浸るのも一時、細身のデーモンは自分の目の前の茂みが僅かに動いた事に気が付き、確認する様にそちらを凝視し始めた。

 「止めろ! ノブカ、いい加減にしろ!」

 ドッシリは細身の胸ぐらをつかむと、無理やり後ろへと押し出し、横たわる魔導士の下から引き離した。

 「足が滑ったのさ」
 「貴様……、いいか、こいつはここに置いて行く。さっさとやるべき事に戻るぞ」

 ドッシリはそう言うと、ついて来るよう手招きしながら、茂みとは反対の方向へ行ってしまった。

 「どうせ見つかりやしないよ。四六時中、森に居るはずがない」

 ブツブツと文句を呟きながら、細身のデーモンもその後へ続いて行ってしまう。
 後には、地面に倒れ伏す魔導士のみが残された。
 茂みに隠れながらその場を窺っていたキリアンは、去って行ったデーモン達が戻ってこないか慎重に見極めていた。

 「離して日々喜。もう大丈夫よ」

 倒れている魔導士への仕打ちを見咎め、茂みから飛び出そうとしたオレガノを日々喜が羽交い締めにして、その場に留めていた。

 「馬鹿、少しは後先考えろよ。飛び出してたら、あんただってあの魔導士と一緒に転がってたかもしれないんだぞ」

 身動きの取れないオレガノに対してキリアンはそう言うと、日々喜に離してやるように言った。

 「なるべく音を立てるな」

 キリアンは再び周囲を確認すると、慎重に茂みの中から身体を出した。後に続く三人もまたキリアンにならって、慎重に体を茂みから出し倒れている魔導士の下に向かった。
 キリアンは日々喜に明かりをつける様に指示を出すと、怪我の具合を確かめる様に倒れていた魔導士の状態を見始めた。

 「気を失ってるだけでしょうか?」

 遠巻きに様子を窺うリグラが恐る恐る呟いた。

 「ああ、俺達と同じだ」

 魔導士に怪我が無い事を確認したキリアンが答えた。

 「魔法陣を壊されたんだ」
 「く、暗くて良く見えませんでしたが、あれは、デーモンだったでしょうか?」
 「多分な」
 「この人もデーモンに……」
 「他にないだろ」
 「キリアン、直ぐにここを離れましょう。この森は危険です」

 キリアンは押し黙っている。

 「まだ分からないんですか!? 私達の勝てる相手ではないんですよ。直ぐに街道へ出て関所を目指さなくてはいけません!」
 「うるせえな! そんな事は分かってるんだよ!」

 キリアンは一際大きな声でそう言い返した。傍で二人の言い合う様子を窺っていた日々喜は、思わず声の大きさに身体を振るわせた。

 「でも、だったら、このおっさんはどうするんだ? ここに置いてくのか?」
 「そ……、そんな事言ってないでしょ! ちゃんと連れて行くに決まっています!」
 キリアンに合わせる様に、リグラの声も一際大きなものへとなった。

 「じゃあ、あんたが一人で担いで行けよ! 帰るって言い出したのはあんたなんだからな!」
 「そんな、子供みたいなこと言わないでよ!」

 二人の様子にドギマギする日々喜。
 キリアンとリグラが互いに言葉を発する度に「静かに」、「落ち着いて」と、聞こえない程の小さな声を上げた。

 「二人共、静かにして」

 それまで、倒れる魔導士を気遣っていたオレガノが声を掛けた。日々喜達はそちらを振り返る。見れば気を失っていた魔導士が息を吹き返していた。

 「……お、お前達、見習いか? 何故、こんなところに?」

 その場にいる者たちの顔を代わる代わる見渡すと、魔導士は苦しげな声で尋ねた。

 「ルーラーの住処に行きます」

 黙る見習い達に代わり、日々喜が答えた。キリアンは慌てた様に黙らせた。

 「フ、フフ。怖いもの見たさか? 非常事態だというのに……」

 叱りつける気力も湧かない。そんな様子で魔導士はオレガノの支える中で上体を起こし始めた。体がまだ思うように動かない、そして、どうやらアトラスは取られた様だった。
 魔導士は自分が戦える状態ではない事を確認すると、諦めたような溜息を一つ付き、見習い達の方へ顔を向けた。

 「俺は、バイロン・マルマル。イバラ領駐在の憲兵だ。この森でモンスターに出くわし、この様だ」

 マルマルに言われるまでもなく。今までの経緯を見て来た四人にはその事情が分かった。

 「いいかお前達。ここは危険だ。悪巧みはこの辺にして、直ぐにこの場所から立ち去るんだ」

 マルマルはそう言うと、自身の懐から手帳を取り出し、四人に差し出した。

 「何としても街道に出ろ。応援が向かって来ている。道沿いに歩いていれば他の憲兵に出会えるはずだ。彼らにこれを渡して伝えてくれ、……デーモンが出たと」
 「あんたは、どうするんだ?」

 キリアンはその手帳を受け取り尋ねた。

 「俺はいい。ここに残る」
 「そんな! 置いてはいけないわ」

 オレガノは、マルマルを何としても連れ居て行きたい思いでいたが、マルマル同様に、魔法陣を壊された経験のあるキリアンとリグラはその状態を察したように黙っていた。
 魔法陣を壊された瞬間の疲労感、何とも言えない脱力感。デーモンに蹴られた事で意識を取り戻している様だが、今はきっと喋っているのもやっとのはず。また、いつ意識が無くなるか分かったものでは無い。

 「お前達……。見習いのお前達が俺に気を使う必要は無い。……それより、一刻も早くここを離れ、他の憲兵と、合流するんだ」

 マルマルはそこで力なく首をうなだれると大きく息を吐いた。そして、最後の力を振り絞る様にハッキリとした口調で言葉を吐いた。

 「イバラを守りたいなら、俺の言う事を聞いてくれ」

 そう言うとマルマルは力なくオレガノに寄り掛かり始めた。その姿を見たオレガノは心中の葛藤を描いたように顔を歪めた。
 キリアンは、手渡された手帳を自分の懐にしまい込むと立ち上がった。

 「リグラ、オレガノ、日々喜。……行くぞ」

 キリアンにそう言われリグラと日々喜も立ち上がり、その後に続いて行こうとする。
 オレガノはゆっくりとマルマルの身体を横にすると、自分のローブを脱ぎ、その頭の下に敷いてやった。

 「ごめんなさい。必ず伝えます。……ごめんなさい」

 オレガノが最後にそう言い残すと、昏睡しかけるマルマルの表情は少しだけ和らいだ。
 しかし、その変化を見咎める者は最早その場には誰一人居なかった。
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