ココロノコドウ

幹谷セイ

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23.ストーカー兄貴と師範代

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ところ変わって、商店街の外れの、たこ焼き屋台。

  そこで一人淋しく、北斗はたこ焼きを突いていた。

 「ちくしょー。何で俺ばっかり怒られるんだ? あれは絶対に俺のせいじゃないぞ、米斗が悪いんだ、そうに決まってる、いや、確実にそうなんだ!」

  日頃のストレスを発散すべく、一人たこ焼きに向かって愚痴をこぼす。たこ焼き程度にしか愚痴のぶつけどころがない現状が、情けなくもあるが。

  だが、イライラする生理現象は止めようがない。さっきからやたらと揺れる地面にも苛立ちを覚えながら、北斗は延々と、くだを撒き続けていた。

  暖簾を潜って、新しい客が屋台に顔を出した。屋台の主人が接待を始める。

 「おいしそうですね。わたくしにも、たこ焼きを一人前。そうそう、もうすぐ連れが来ますので、二人前、焼きはじめておいてくださいな」

  丁寧な言葉遣いの、高い女の声が北斗の耳を右から左へ抜けていく。

  どこの金持ちの令嬢かは知らんが、生意気にも一般庶民の宝、たこ焼きを租借しようとは頭が高いにもほどがある。いつもよりイライラしていた北斗は、どんな小娘じゃ、と横目で隣に腰を据える人物を睨み付けた。

 「はっ! 袴田!」

  途端驚いて思わず席を立ち、構える。頭を屋台の天井にぶつけたが、そんな痛みなど、目の前の緊急事態に比べれば、大した問題ではない。

  目の前の人物は、北斗がとても良く知る人物だった。同時に、最も顔を突き合わせたくない人物でもあった。

  人形のような綺麗な顔をした、長い、乱れの無い黒髪を水平に切りそろえた、白い肌の美しい女。白い着物の上から、白衣を腕に通さず羽織っている。

  どことなく人外めいた、妖艶な美を醸し出す、若い女性。

  袴田道場師範代兼科学者、北斗の高校時代の同級生でもある、袴田戸呂音だ。

  戸呂音はゆっくりと顔を上げ、北斗をじっと見つめた。その目に見つめられた時点で、北斗は蛇に睨まれた蛙の如く、身動きが取れなくなってしまった。

 「あら、まあ。どこの腐れサラリーマンかと思えば、あなたは落合北斗さんではありませんか。お久しゅうございます」

 「ど、どうも……」

 「そんな体勢では、お疲れになるでしょう? どうぞ、こちらにお掛けください」

  驚いたポーズのまま固まってしまっていた北斗は、戸呂音に言われるがままに、大人しく椅子に座る。

  北斗は昔から、この女が苦手だった。高校入学早々、隣の席になったからといって科学研究部なる組織に囲い込まれ、米斗を見守らねばならぬ北斗の使命を、ことごとく邪魔するだけでなく、健全な北斗の体を使って妙な改造実験まで始めようとする、何を考えているのか先の読めない妖怪のような女であった記憶しか残っていないし、その出来事がトラウマになっている。

 「今は母校で生物を教えていらっしゃるそうですね。あなたは化学より生物のほうが向いていると、昔から思っておりました。わが道場の門下生、有栖千具良と真島吉香がお世話になっておりますようで」

 「い、いや、とんでもなかとです」

  頭を下げられ、北斗はビビる。彼女の行動一つ一つが、北斗にとって脅威となっている。しかしながら、千具良の名前が出てきたところから、北斗の勢いが少し強くなった。

 「そうだ、有栖と言えば、弟をたぶらかされて、俺は非常に迷惑をしているんだが。もしや、あんたの差し金じゃないだろうな?」

 「うふふ、本当に弟さんを大事になさっているのですね。先日、米斗さんにお会いしました。あなたそっくりな顔なのに、あなたとは違って寡黙で冷静で、何も考えていない方でしたわ」

  褒められているのか貶されているのか分からないが、とりあえず話を聞こうと北斗は口を突っ込むのを止めておいた。

 「確かに、千具良さんに米斗さんの存在を教え、交際をしてみては、と薦めたのは、わたくしと吉香さんです。ですが別に、あなたの考えていそうな、いかがわしい交流を持たせようとしたわけではありません」

 「俺は別に、そういうつもりで二人を反対しているわけではないのだが……」

  もちろん、まだ未成年である二人が不純交際に手を染めるなど、あってはならない話ではある。だが、あくまで北斗が二人の仲を裂こうとする理由は、その点にはなかった。

 「違うのですか? 失礼、たこ焼きが焼き上がりましたので、一ついただきます。……あらおいしい、お上手ですね」

  戸呂音に褒められ、店主は照れる。口を上品に拭き、戸呂音は続けた。

 「話がそれましたね。それで、なぜわたくしがあなたの弟さんを薦めたかと言うと――」

 「平常心、だろう?」

 「あら、ご存知でしたの?」

 「二人に聞いてみれば、そういったことをゴニョゴニョ言っていたからな。袴田流の教えだとか、何とか?」

 「それもあります。千具良さんは、わたくしの教えを的確に身に付けられなかったので、強攻策に出たのです。結局、失敗に終わってしまいましたけど」

 「……なぜ、そこまで、あんたたちは平常心にこだわるんだ? いくら教えとはいえ、ちょっと厳しいんじゃないのか。本来、そんな人間味のないそっけない心、生きていく上で、何もメリットもない」

  憂鬱そうに息を吐き、北斗は茶を啜った。長年、米斗を見てきたから良く分かる。本人は気にしていないが、回りの人間はみんな、米斗をつまらない人間だとか、訳の分からない奴だといって、見下したり罵ったり、陰口を叩いていた。見つけ次第、そういう輩は叩き伏せたが、それでは解決にならない。

  何とかしてやりたいとも思ったが、一度米斗があんな正確になってしまった以上、どうしようもない。戻す度胸も、北斗にはない。

 「それに、俺があいつに気を配っているのは、全てがあいつを心配しているからって訳でもないんだ。どっちかって言うと、あいつと関わった人間が、あいつのせいでとんでもない目に遭うんじゃないかと思うと、正直やりきれない。だからしつこく見張ったり、彼女とか作るのに反対してるんだよ」

 「それは、どういう意味ですの?」

  北斗の意味深な物言いに、戸呂音は興味深そうに眉を顰めた。

 「……まあ、人様には言えん事情ってもんがある。あんたみたいな人外的な変な奴にも、な」

 「そうですか。では、わたくしがお話をいたしましょうか。なぜそこまで、千具良さんの平常心にこだわるのか」

  戸呂音は千具良に関する、自分が知りうる事実を淡々と北斗に教えた。聞けば聞くほど、北斗の顔を汗が伝い、最後には滝のように流れた。店主に手渡されたタオルで、必死に顔を拭っている。

 「――まあ、そういうわけで、世界を崩壊から救うためには、どうしても米斗さんのような平常心を、千具良さんにも身に付けさせたいと考えたのです」

  話が終わる。少し間をおいて、北斗が声を殺して笑い出した。戸呂音は訝しげに首を傾げた。

 「……何か、おかしな点でもありましたか?」

 「いや、別にないさ。ただ、なんともやりきれなくてね。そんな体質を持った奴が、こんな近くに二人もいるなんて、どうなっているんだろう、と思ってさ」

  タオルを絞りながら苦笑する北斗。汗が大量に捻り出され、地面に水溜まりを作る。

 「二人……?」

  戸呂音の表情が美しく歪んだ。慌てふためき、北斗の腕に手をかける。

 「まっ、まさか、米斗さんまで、地震を起こす体質だなんて言わないでしょうね?」

 「そのほうが、まだ可愛いんじゃないかな。いや、地震だって充分、恐ろしいさ。でも、あいつはきっとそれ以上だ」

 「そっ、それ以上? どういう意味ですか?」

 「失礼します。こちらにおられましたか、師範代」

  暖簾をくぐって、新たに客人がやってきた。吉香だ。

 「師範代。突然、千具良の携帯が繋がらなくなりました。目撃情報もありませんし、捜索の準備を整える必要があるかと」

 「ああ、吉香さん。ち、千具良さんも大変ですが、あ、あなたも座って、北斗さんのお話を……」

 「はい……?」

  吉香は不思議そうに、北斗と戸呂音を交互に見ていた。
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