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第二部 四季姫進化の巻

第十五章 夏姫鬼化 12

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 十二
 翌日の放課後。花春寺の麓。
「さて、仕事が終わったんでな。あとは現地の社員に任せて、わしは名古屋に帰る」
「うん、色々とありがとう」
 帰り支度を済ませた樫男を、榎は見送っていた。またすぐに会えるのだし、特に感動の分かれという訳でもなく、淡々としたものだ。
「剣道の試合も終わったことだし、さっさと名古屋に戻ってこい、と言いたいところだが、お前にはまだ、この土地で大事な使命が残っているみたいだな」
 樫男に諭され、榎は少し、控えめがちに頷いた。
 京都に残る口実にしていた剣道の試合は終了したが、肝心の悪鬼との戦いには、まだ決着がついていない。樫男もその事実を汲んで、京都での生活を後押ししてくれた。
「裏の世界に潜んでいた悪鬼たちが、人間の住む場所に出てきて影響を与え始めている。もとはといえば、あたしたちが蒔いた種だから。きちんと決着をつけておきたい」
 榎の真剣な気持ちを、樫男も真剣に受け止めて、頷いてくれた。だが同時に、榎の気合の入れ方に、少し難色を示してきた。
「榎よ。お前は周りの人間に害をなす存在だからと、悪鬼を敵視しすぎている。悪鬼の存在に全ての悪を押し付けていると、いずれ大きな過ちを犯す羽目になる」
 樫男の、重みを感じる言葉に、榎の体に緊張が走った。
「真に悪であるものとは、型には嵌らない。しっかりと、お前自身の目で、何が正しく、何が間違っているかを見定めるべきだ」
「どういう意味? ……あたしたちが倒そうとしている悪鬼たちが、本当は悪くないって言いたいの?」
 樫男の話す内容には、人に害をなす悪鬼を擁護する意味が込められている。
 父親の意見を鵜呑みにするべきか、榎が今まで感じてきた、悪鬼に対する怒りの気持ちを大事にするべきか。
 複雑な気持ちだ。
「その判断を、お前がしっかりと見極めなければならないのだ。たとえば、響くんだ。お前は奴が、悪しき鬼――鬼閻の血を引く存在だからと、根っからの悪だと決めつけている。まあ、奴も、人の神経を逆撫でする行動ばかりとるからいかんのだろうが、本心から悪い男ではない。もう二十年以上も、わしと穏便な交流があるくらいだからな」
 樫男は、鬼の末裔だから、同じ血筋である悪鬼の肩を持つのだろうか。響とも長い付き合いだから、友人のよしみで庇おうとしているのか。
 榎には、よく分からなかった。
「響くんが、お前を脅してでも動かそうとした行動にも、理由はある。その理由について、お前は詳しく知っているのか?」
 榎は首を横に振った。
「なら、知ろうと思ったか? 響くんの立場になって、色々と考えてみたか?」
 再度、榎は首を横に振った。
 正直、最初から諦めていた部分が大きかった。
 悪鬼の考えや、行動理由なんて、榎にはとうてい、理解できない。
 考えるだけ無駄なのだと、最初から決めつけていた気もする。
「教えてくれなかったし、深く考えようとは、しなかった。お父さんは、聞いたの?」
 逆に尋ねると、樫男は頷いた。今までに増して、険しい表情だった。
「聞いた。その上で、もう一度、お前に響くんと話をして欲しいと思った。わしは部外者だから、今回の件について何も口出しはできない。だが、お前にとっては無関係ではないはずだ。――四季姫としてな」
 四季姫として。
 榎にとっては、重い一言だった。
「あの響っていう人は、隠し事が多すぎて、信用していいのか分からない。あたしが一人で突っ走ったせいで、他の四季姫のみんなを危険に晒したくないし」
 少し言い訳じみたが、榎は心中の本音を、しっかりと父親に提示した。
「慎重な性格は、母さんにそっくりだな。もちろん、悪いことではない」
 樫男も、榎の考えを否定することなく、頷いてくれた。
 でも、単純に受け入れるだけではなかった。
「だがな、榎。響くんは少なくとも、隠し事をしている事実を、正直に表に出して、示している。巧みに感情や心情を隠せるだけの狡猾さを持っているにも関わらず、だ。その行いは、響くんの誠実さを表しているとは思えないか?」
 樫男に諭されて、榎の心臓が大きく高鳴った。
 悪人が悪人面して悪事を働く。典型的かもしれないが、単純な榎にとってはそんな情景が当然であり、悪を語る上での大きな基準だった。
 だが、樫男の語る悪の姿は、榎の拙い頭では考えも及ばない、現実的で恐ろしい残像を垣間見せた。
「本当に隙のない、悪魔みたいな奴はな、隠し事をしている事実すら、人に見せようとしないんだ。全ての本音を内に秘め、相手にはいっさい知らせず、残虐な考えを持ちながら親切な笑顔を浮かべている」
 樫男の言葉が、榎の中に強く突き刺さる。
 もちろん、そんな考えが全てではない。何もかもをさらけ出いしている人が善人というわけではないし、隠し事をしているからって相手を疑い始めれば、限がない。
 でも、事実として理解し、受け止めておかなければならい現実でもあった。
「響くんを信用して、味方になれとは言えん。だが、響くんがお前にとって、戦うべき相手か否か、一度ゆっくりと、考えてみるといい」
 頭の中で渦巻く、色々な考えを、整理しなければならない。榎は呼吸を整え、大きく頷いた。
「……分かった。考え直してみるよ」
 榎の返事に、樫男は優し気な瞳を見せた。
「しばらく会わない間に、いい目をするようになったな」
 大きな掌で、軽く榎の頭を撫でてくる。樫男の表情が、少し寂しそうに見えた。
「お前が、伝承の中の存在だと思われていた四季姫として覚醒したと聞いても、驚きはなかった。……お前が生まれた時から、お前の存在する特別な意味があるかもしれん、と思っていたからな」
「特別な意味って?」
「前にも言ったが、水無月家は代々、歴史の裏で鬼の血を受け継いできた家系だ。強靭な血が濃くなりすぎんための制約なのだろうが、うちの家は遥か昔から、男しか生まれない家系だったんだ。そんな中で、なぜか女の子が生まれた。最初は、何かの間違いかと思ったが、まあ事実だし、嬉しかったから、有り難く授かっておいたんだがな」
 またも、初めて聞く事実に、榎は驚いて言葉も出なかった。
 唖然としている榎を見ながら、樫男は黙々と語り続ける。
「本来、生まれるはずのなかった娘だ。きっと、何らかの大きな使命を帯びて生まれてきたに違いないと、確信はしていた。遥か昔の話とはいえ、前鬼の一族は、悍ましい化け物と化した鬼閻を完全に葬りきれなかった。その甘さが、千年前に大きな悲劇を引き起こし、さらに現代にもその尾を引き擦っている。鬼の血を引くお前が、長きにわたる因縁に決着をつけるために、四季姫の使命を授かったのならば、運命に他ならない」
 運命。
 榎が京都に来る羽目になった理由も。
 月麿と出会い、夏姫として覚醒した意味も。
 今までに出会ってきた、仲間たちや妖怪たちとの繋がりも。
 決して偶然ではなく。
 全ては、千年前から続く歴史の流れの中で、定まっていたものなのだろうか。
 壮大な歴史の中にある途方もない道のりを、榎たちは一歩一歩、踏みしめながら進んでいる。
 現代のこの場所に、確かに立っている。
 その事実が、すごく不思議で、神秘的で、榎の小さな胸を締め付けた。
「お前の人生に、大きな運命が圧し掛かった時を考えて、どんな困難にも負けぬよう、強く厳しく鍛えてきたつもりだ。自信と誇りをもって、お前にしかできない戦いを勝ち抜いてこい!」
 樫男の励ましの喝が、今まで以上に強く、激しく榎の中で響いた。
 何を悪として見定めればいいのか。
 まだよく分からないが、どうすればいいのかと戸惑う悩みは、消えた。
「ありがとう、お父さん!」
 大きな声で返事をして、榎自身に気合を入れた。
 今までだってやってこれたのだから、これからも頑張って、苦難を乗り越えていける。
 この先、榎が立ち向かって行かなければならない運命に対して、自信が持てた気がした。
「ただし、勉強も疎かにせんようにな! 母さんにまで角が生えたら、一大事だ」
 最後に、樫男は真剣な表情で耳打ちしてきた。榎の頬が、一気に引き攣る。
「うん……。もう、生えてるかもしれないけれど」
 電話口で怒鳴り散らす母――梢の剣幕から想像するに、既に怒りで角が生えているとしか思えなかった。
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