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第二部 四季姫進化の巻

十四章 Interval~悪鬼の目にも~

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 響が病院からキャンプ場に引き返した時には、既に夕刻が近付いていた。
 テントが、夕焼けの光に照らされている。出入口の側で、夕日を眺めながら立ち尽くしている萩の姿を見つけた。
 写真に写った綴の姿を見せてから、体調が思わしくない。今日も朝から、ずっと横になっていた。
 少しは、気分が良くなったのだろうか。
 きっとまた、お腹を空かせているだろうと察し、響は先手を打って声をかけた。
「いやいや、遅くなって、申し訳ない。すぐに夕食の支度をしますね」
 隣に近付くと、萩は虚ろな視線を、響に向けてきた。目の下は隈がくすみ、あまりにも生気が感じられない。
「……まだ、具合が悪いですか?」
 響は少し心配になり、萩の顔を覗き込んだ。
「どこへ、行っていた?」
 萩は掠れて、消え入りそうな声を吐き出した。
「ちょっと、麓まで。……ああ、何もいわずに出掛けたから、もしかして、心配してくれた?」
 少し冗談めかして、茶化した。怒鳴られて、殴られるんだろうなと思いながらも、少し笑って見せる。
 だが、萩からは拳ではなく、予想だにしなかった反応が飛んできた。
 萩は無言で立ち尽くしたまま、突然、大粒の涙を流し始めた。まさか、図星だったのだろうか。
 響の喉の奥から、「えええええええ」と動揺の声が勝手に出てきた。
「ごめんね、ごめんね。まさか、君が不安になるとは思わなかったから」
 慌てて、萩の背中を撫で、宥める。正直、困った。千年以上も生きてきた身ながら、泣いている女の子のあやし方なんて、さっぱり分からない。
「うるさい! 不安になんか、なっていない! 放せ!」
 萩の口は、相変わらず達者なものだ。だが表情は明らかに、普段と違う。苦しそうに嗚咽を漏らしながら、がむしゃらに響の手を振り払おうとした。
 響は萩の暴れる腕を抑え込み、強く抱きしめた。反動で萩は響にしがみつき、胸元に顔を埋めて、肩を震わせて大声で泣きだした。
 目が覚めた時、側に響がいなかったから、不安を覚えたのか。それとも、孤独を恐れたのか。
 初めて見る萩の姿に、響は動揺した。何度も何度も、謝るしかなかった。
「もう、黙って一人にしないから。泣かないで」
 何度も優しく頭を撫でると、萩は徐々に、落ち着きを取り戻した。
 簡素だが、温かなスープを作った。毛布に包まった萩は岩に腰掛け、カップに注いだスープを、ゆっくりと口に運んだ。響とは、目を合わせようとしない。よほど、ばつが悪かったのだろう。
「側にいるからね。ゆっくり、お休みなさい」
 テントの中。萩を寝袋に寝かせ、響は隣に腰掛けて、頭を撫でてやった。
 しばらく、入り口の向こうに見える炭火の明かりを眺めていたが、やがて萩はゆっくりと瞳を閉じた。寝袋から突き出した右手が、がっしりと響のダウンベストを掴んでいる。
 寝息を立て始める様子を確認すると、響は思いっきり、脱力した。
「吃驚したぁ。何だかんだと邪険にされながらも、必要とされているんだな」
 萩の中で、響の存在価値が徐々に変わっているのだろうか。少なくとも、初めて出会った頃に比べれば警戒心もなく、態度は変化している。
 単純に、身の回りの世話や飯炊き係として側に置かれているだけかと思っていたが、響は萩にとって雑用以上に、特別な存在になりつつあるらしい。
「新鮮だな。誰かに求められるなんて」
 自然と、頬が綻ぶ。心の底から、嬉しさが込み上げてきた。
 昔から、人を愛する心を持った経験はあっても、求めては拒まれ、失ってきた。
 響は所詮、鬼だから。誰かを愛おしいと思ったところで、釣り合いが採れるはずもない。
 最早、こんな呪われた悪鬼に干渉が許される存在も世界も、ないと思っていた。だから、誰とも関わらず、自由と孤高を愛でて生きてきた。
 千年もの時が経ち、その均衡が破れるとは、思ってもみなかった。長生きは、するものだ。
 萩が響の側に居場所を得ようとしていると同時に、響も、萩の側を居心地の良い場所だと思っている。
 守らなくてはいけない。絶対に。
 そのために、なりふり構っても、いられなくなってきた。
 萩の衰弱は、目に見えて深刻だ。一刻も早く、綴から何らかの手かがりを引き出さなければ、手遅れになる。
 だが、強引に突っ込んでも返り討ちに遭う。なんとかうまく、伝師のテリトリーに潜り込み、情報を集められないだろうか。
 響の脳裏に、夏姫――水無月榎の姿が浮かぶ。
 綴とも萩とも接点を持つ、あの少女を上手く動かせれば、一番良いのだが。
 事情を話して同情を誘う方法も、あの熱血少女になら通じそうな気がするが。
 だが、散々四季姫を掻きまわした萩を助けるために、今更協力なんてしてくれるとは思えない。逆に、恨みや怒りを引き起こす可能性もある。萩の安否と居場所を教える行為は、危険かもしれない。
「水無月榎……。待てよ、水無月って、まさか、〝あの人〟の娘か?」
 ふと、響の中で、懐かしい記憶が蘇った。水無月の名前に、心当たりがあった。
 響は携帯電話を取り出し、萩の手をゆっくり解いて、電波の良い場所に移動した。古い通話記録を調べ、電話を掛ける。
「もしもし、傘崎です。お久しぶりです、おじさん。お元気になさっていましたか」
 電話の相手は豪快に、響の久方ぶりの連絡を歓迎してくれた。
「ご家族もお変わりなく? ……しばらく会わない間に、色々とご苦労されているんですねぇ」
 世間話を続けながら、響は憶測を確信に変えていった。
「へぇ、娘さんが京都に。丁度良い、娘さんの顔を見るついでに、ちょっと出てこれませんかね。実は、お仕事をお願いしたくて」
 色々と理由を付けて、うまく話を纏めた。
 通信を切り、とんとん拍子に進んだ現状に満足した響は、鼻で笑って空を見上げた。澄んだ星空の美しさも相俟って、気持ちがとても昂った。
「さて、うまい具合に物事が動いてくれるといいんだが」
 役者は揃った。あとは響がうまく、演出を整えるだけだ。
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