上 下
175 / 336
第二部 四季姫進化の巻

十三章 Interval~悪鬼たちの復活~

しおりを挟む
 暗い暗い、針葉樹の森の中。
 人間の手が及ばない、深淵の者が住まう場所。
 巨大な黒い塊が、気怠そうに蠢いていた。
 黒い塊は、人のていを成した十の存在が溶け合い、絡まり合って存在していた。
 その捩れが、徐々に解れようとしていた。
 一つ、塊から黒い影が剥がれ落ちた。
 べちょりと、泥状になりながら、地面に落ちる。
 落ちた影が、むくりと起き上がった時には、目と口の部分に吸い込まれそうな穴を開けた、人の姿になっていた。
 古来より生き続けてきた、悪鬼の本来の姿だった。
「おお、ようやく体に自由が戻った。もう、窮屈で堅苦しい思いをせずに済む」
 解放された深淵の悪鬼は、自在に体を動かし、喜んだ。
「なぜ、貴様だけ呪いが解けたのだ。我らの解放は、まだか!」
 大きな塊の中から、おぞましい嫉妬の声が響く。あとの九体は、まだ接合したままだ。
「時間差が、あるのだろう。直に少しずつ、剥がれてくる」
「一ヵ月も待ったのだ。あと数日くらい、我慢できよう」
 互いに不満を吐き合い、宥め合い、興奮を鎮めていた。
「さて、我らが自由の身となった暁には、何から始めよう?」
 塊の一部が、切り出した。
 次々と意見が飛ぶ。
「まずは凝り固まった体を慣らさねば」
「四季姫どもに復讐だ!」
「まずは、憎き鬼蛇を始末しろ!」
 だが、みんなバラバラだった。
「一つ一つ、目的をこなしていては、要領が悪いと思わぬか?」
 解放された悪鬼が、意見に口を挟んだ。
 九体の悪鬼たちの塊が一斉に、ギロリと睨みを利かせる。
「ならば貴様には、もっと効率的な方法が提示できるのか」
 挑発されて、解放された悪鬼は不気味な笑い声をあげた。
「自由になったお陰で、外気を強く感じられるようになった。嬉しい気配を感じ取れた」
「嬉しい気配とは?」
「我らが長―?鬼閻の気配だ」
 辺りの空間が、激しく震えだした。
 悪鬼たちの、歓喜の震えが空間まで捻じ曲げようとしていた。
「鬼閻どのは、四季姫たちに倒されたのではなかったのか?」
「九割方、とでも言っておこうか」
「つまり、完全には倒されておらぬと?」
「恐らく、僅かな命の灯を、この世に残しておられる。再び復活せんと、力を蓄えておられる」
 悪鬼たちの納得の声が、響き渡った。
「鬼閻どのに復活を遂げてもらい、憎き四季姫たちも裏切り者の鬼蛇も、まとめて始末してもらってはどうだろう」
「珍しく、良い案だ」
 反対する悪鬼は、いなかった。
「だが、ほんの一割程度の命では……」
「復活までに、何百年かかるか、見当もつかぬな」
「何か、我らにも手伝いはできぬだろうか」
 悪鬼たちは唸り始める。何か良い案はないかと、必死で考えていた。
「鬼閻どのを復活させる手立て探しも大事だが、まずは鬼閻どのの魂の一部がどこにあるか、はっきりさせねば」
 解放された悪鬼の意見に、塊は同意した。
「もちろんだ。叶うなら、手元に置いておきたい。お護りしやすいからな」
「どこにおられるか、分からぬのか」
「大体の場所の検討なら、ついている。??四季姫どもの側だ」
「何だと!? 四季姫どもが、鬼閻どのを捕えて、幽閉しているとでも?」
 悪鬼たちが怒りを露にした。
「分からぬ。だから、確かめる必要がある」
 悪鬼たちの視線は、下手に移った。
 広場の隅で小さくなっていたみすぼらしい妖怪―?小豆洗いは、目をつけられて怯えた。
「使える妖怪は、あと一匹か……」
 悟りの眷属、梵我は倒された。妖狐の首領、赤尾も、偵察に行ったきり、帰ってこなかった。気配が完全に消えたから、四季姫たちにやられたとみえる。
 残る、悪鬼に忠誠を誓う上等妖怪は小豆洗いだけだが、見るからに役に立ちそうにない。
 所詮は、川で小豆を砥ぐしか能のない、つまらない妖怪だ。平和主義な妖怪どもを束ねて隠し村を作ったりしているから、上等妖怪扱いされているに過ぎない。
「堪忍してくんろ! 梵我だけでなく、赤尾の旦那まで倒しちまう相手に、オラが敵うわけねえだ!」
 小豆洗いも実力のなさは熟知しているらしく、必死で許しを乞うてきた。
「里で娘が待ってんだ、死にたくねえ。見逃してけろ!」
 土下座して、何度も何度も頭を下げる小豆洗いを見つめていた悪鬼たちの顔が、急に綻んだ。
「確かに、こんな無能そうな奴では、四季姫に近付くことすら叶わんだろうな……」
「ならば、四季姫たちを油断させられる妖怪を使えばいいのではないか?」
 悪鬼たちの興味が逸れたと分かり、小豆洗いの顔に安堵が浮かんだ。
「見逃してくれるだか? ありがとうだべ! 安心して村に帰れるだ」
「誰が返すといった、馬鹿者が」
 だが、大人しく小豆洗いを解放するほど、悪鬼たちも寛大ではなかった。
 塊から放たれた、真っ黒な長い腕が、小豆洗いに巻き付いて束縛する。
「お前は、人質ならぬ妖怪質だ」
 突然の仕打ちに、小豆洗いは恐怖に悲鳴を上げた。
「質って、オラなんか捕まえたって、誰の得にもならねえだよ!」
「お前みたいな役立たずでも、必要としている存在くらいはいるはずだ。娘が、いるのだろう? 村の妖怪共も、お前を慕っているはずだ」
 小豆洗いは、絶望を表情に浮かべた。鬼たちは役立たずな小豆洗いの代わりに、村の妖怪や大切な娘を四季姫の元にけしかけようと企んでいた。
「お前の娘が四季姫たちの懐に入り込み、四季姫たちをうまく捕らえてくれば、解放してやる。お前が近付いても怪しまれるだけだが、娘ならきっと隙を突けるはず」
「倒されてしまったら、責任はとれんがな」
 娘を捨て駒みたいに扱われると知った小豆洗いは、涙を溢れさせて喚いた。
「やめてけれ! 娘には何の関係もない話だ! あの子は優しい、いい娘なんだ、悪いことさせないでくんろ! 頼むから……」
 だが、願いが聞き届けられるはずもなく。小豆洗いは真っ黒な腕に全身を巻かれ、姿も見えなくなった。
「こいつの娘や隠し村の妖怪は、我が上手く言い包めて動かそう」
 解放された悪鬼が、小豆洗いの暮らす隠れ里に向かって移動を始めた。
「さて、我らには別の仕事がある」
 悪鬼を見届けた後、まだ自由になれない塊たちは、せわしなく蠢き始めた。
「鬼閻どのは、魂の断片をこの世に残した。代償として、体を四季姫に消滅させられた。だから、新しい器を用意せねば」
「器と魂を融合させるためには、儀式が必要だ。我らの体が分離次第、準備を始めねば」
「だが。鬼閻どのの魂を受け止められるほどの器が、この世にあるのか」
「あるではないか。格好の、強く気高き器が」
 運よく、この時代には、鬼閻の力を凌駕するものが存在している。それも、すぐ近くに。
「手に入れる方法も、考えてある。奴の側にいる、かけがえのない弱き者を手中に収めればよい。弱みを握られれば、逆らえんからな」
 悪鬼たちは笑った。ぶよぶよと体を震わせているうちに、一体、また一体と、悪鬼たちの体は分離して、離れていった。
 深淵の者たちが、完全に復活する日は、近い。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

処理中です...