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第二部 四季姫進化の巻

第十二章 冬姫進化 7

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 了封寺の居間は締め切られ、凄まじい熱気に包まれていた。趣のある火鉢に炭が焼かれ、石油ストーブまでフル稼働だ。
 朝と宵が汗だくになりながら、お湯や熱い飲み物を運んで来る。
「こんなクソ熱い真夏に、氷漬けになるなんて。修行が足りねーぞ、兄ちゃん」
「夏に凍傷になりかける人なんて、兄上さまくらいでしょうね」
「不可抗力や……。修行で、どうにかできたとは、到底思えん」
 呆れた物言いで、文句を垂れる二人。部屋の中心では、毛布で全身を包んで震える了生が、歯をガチガチ鳴らしながら、言い訳を呟いていた。
 柊が放った術で氷漬けにされ、了生の体温が一瞬で奪われてしまった。救出が遅れていたら、重傷を負っていただろう。
「すんませんでした。勢い余って、派手にやってしもうて……」
 了生の隣で正座し、汗を垂れ流しながら、柊は頭を下げた。己が放つ術の威力も把握できずにいた、修業不足の身を歎いた。
「俺こそ、いつの間にか、我を忘れて本気になってしもうとった。お体に、異常はありませんか?」
 逆に、了生は柊の心配をしてくれる。
 了生の放つ攻撃は、外だけでなく、体の内部にも大きな負荷を掛ける。少し時間が経ってから、何らかの異変が生じる場合もあるらしいが、柊は今のところ、何の不調もなくピンピンしていた。
「全然、大丈夫ですわ。頑丈さだけが、取り柄やしな。手加減なくやってもらえて、有り難かったです」
 四季姫に変身している時の防御力は、普段の比にならないほど高いし、柊自身も打たれ強い。無事であると陽気にアピールすると、了生は少し、青白い表情を緩めた。
「……柊さんになら、全てをぶつけられると思うたんです。優柔不断な心を、打ち払ってくれる気がした。実際、武器を交えて、とても清々しい気持ちになれました」
 本当に、憑き物が落ちたみたいな、爽やかな表情をしていた。柊に全力でぶつかって、心の中で凝り固まっていた何かが、吹っ切れたのかも知れない。
 力になれたのなら、本望だ。
「柊さんの中に眠っておった力も、無事に目覚めた。よう、頑張らはりましたな」
 了生は、穏やかな笑顔で微笑みかけてくれた。柊も、気持ちが高揚し、自然と笑顔になった。
「底上げされた冬姫様の力をもってすれば、禁術も問題なく会得できるじゃろう。体を休めたら、挑戦してみるとええ」
 入口近くで様子を見ていた了海は、静かに言葉を紡ぎ、逃げ出す勢いで部屋を後にした。暑すぎて、部屋にいたくなかったのだろう。
「もう、限界だ! 俺たちも、さっさと外に出ようぜ」
「では、兄上さま。何かあったら、呼んでください」
 宵と朝も、苦しそうに部屋から離脱していった。いくらか涼しい山の上といっても、西日のきつい夏の午後に、締め切って暖房を点けていれば、サウナ並みの厳しさがある。
「柊さんも、暑いし、お疲れでしょう。俺に構わず、どうぞ外で涼んでください」
 汗だくのままで居座っている柊に、了生が心配そうに声を掛けた。柊は、首を横に振った。顎を伝って、汗の粒がボタボタと落ちる。
「大丈夫です。この寺で、こないして生活できるんも、あと僅かですから……」
 少しでも、了生の側にいたい。
 隣に座っていられるなら、灼熱地獄でも何でも構わない。
 汗を垂れ流しながらも、柊の心は爽やかだった。
「もうすぐ、一週間ですか。時間の流れは、ほんまにあっという間や」
 遠い目をした了生が、懐かしそうに呟いた。柊が来てからの、修業の日々を思い返しているのだろうか。
「俺が優柔不断なせいで、逆に、柊さんの修行の邪魔をしておった。柊さんの実力やったら、もっと早く、封印を解けておったんでしょう。俺が足を引っ張ったせいで、無駄な時間を使わせてしもうた」
 反省した表情を向けてきた。だが、柊は、了生に責任があったとは、思っていない。
 気持ちの弱さは、お互い様だ。一緒に強くなれたのだから、時間を掛けて良かったと思える。
「誰にでも優しいところが、了生はんのええところなんです。この先も、大事にしてください。了生はんと修行しとる間は、今までで一番価値のある、楽しい時間やった。ほんまに、感謝しとります」
 ゆっくりと、柊は想いの丈を言葉に紡いだ。了生に伝えたい言葉は、だいたい集約されていた。
 了生はしばらく、無言で柊を見つめていた。しばらく戸惑った後、真面目な顔で口を開いた。
「……今回の修行が明けても、時々、飯なんぞ、作りにきてくれませんか?」
 柊は、唖然として言葉を失った。暑さも合間ってか、意識が遠退きそうになる。
「いや、無理なら断ってもろうて、ええんですけど。男所帯で作れる料理なんて、たかが知れておるんで。たまにでも、美味い飯が食えたら、有難いなと思うて」
 少し照れた様子で、了生は笑顔を浮かべた。頬の血色が、良くなっている。体温が戻ってきているみたいだ。
「ご迷惑や、ないんですか?」
 何とか気持ちを落ち着けて、柊は返した。了生は、首を大きく横に振った。
「とんでもない。家の中が明るうなるて、親父も喜んどります。修行が終わったら寂しゅうなるなと、話しておったんです」
 何だか、夢みたいな言葉だった。また、寺に来てもいいのか。来る理由を、作ってくれたのか。
 柊の心臓が、激しく脈を打った。色んな気持ちが心の奥から込み上げて、頭が爆発しそうになった。
「絶対に来ます。来させて、ください……!」
 大声をあげた途端、柊の意識がぶっ飛んだ。畳の上に倒れて、動けなくなった。
「誰か、水くれー! 柊さんが倒れた!」
 了生の慌てた大声が、微かに聞こえて、消えていった。

 * * *
 外で涼んで水分をとると、夕方には柊の体調は良くなった。
 汗の掻きすぎが原因の、熱疲労だったのだろう。
 了生の体調との兼ね合いもあり、今日は体を休めようと話が纏まった。
 明日、朝一番で禁術を会得して、家に帰る。
 そう予定を組んで、柊は気持ちを引き締めた。
 だが、色々と嬉しい出来事が重なって、興奮が冷めない。
 了生から禁術について書かれた巻物の訳文を貸してもらい、事前に術の予習を始めた。
「なるほど。けっこう、細かく書いてあるねんな」
 訳文には、力の安定や集中をコントロールする方法、技を発動するための基本の型まで、かなり綿密に記載されていた。なんとも親切な古文書だ。
 この書さえあれば、柊一人でも、自力で会得できるかもしれないと思った。
 でも、最後の集大成だ。術を使うときは、了生に見届けて貰いたい。
 柊は逸る気持ちを抑えながら、満足な気分に浸っていた。
 周囲では、朝と宵が寺の掃除に精を出していた。朝は作業は遅いがとても丁寧。宵は素早いが、かなり適当だ。双子なのに掃除のやり方や手際のよさはバラバラだった。観察していると、意外に面白かった。
「掃除は、ちゃんとできるんやな。隅っこの埃まで、綺麗にとれとるわ」
 朝の勤勉な掃除に、柊は感心した。
「あとは料理さえできたら、完璧やな」
 時々教えているが、朝はやっぱり、調理具を持たせると不器用だ。
 朝も実感しているらしく、謙虚に否定した。
「いいえ、まだまだですよ。……柊さん、申し訳ないのですが、兄上さまの部屋のお掃除を、手伝ってもらってもよろしいですか?」
 恥ずかしそうに、朝は柊に同行を求めてきた。
「そないに人手がいるほど、汚いんか?」
 了生の部屋は、玄関から一番遠い、奥まった場所にある。柊も、一度も見た試しはなかった。
 男の人の部屋なんて、想像もつかないが、意外と荒れているものなのだろうか。
「いえ、汚くはありませんが。……兄上さまの部屋からは、時々、破廉恥な書物が飛び出してきますので、一人だと怖くて」
「破廉恥な書物……エロ本か。まあ、子供の目には、毒かもしれんな」
 朝は恐怖に慄いていた。柊達の夏の恰好を見ただけで赤面する、初心な心の持ち主だ。エロ本の表紙を見るだけで、トラウマになるほどの衝撃を受けるのだろう。
「人の部屋まで掃除するんか。了生はん、嫌がらへんの?」
 ある程度の年齢になれば、部屋に人を入れたがらなくなるものだが。了生はあまり、プライバシーに五月蝿くない性格なのだろうか。
「兄上様は、掃除しなくていいと仰っているのですが、爺さまがやれと言われるので。爺さまの指示が、優先なのです」
 なるほど、一応、寺の中での地位は、しっかりと定まっているらしい。単なる、了海の了生に対する嫌がらせにも思えたが。
「一人で行くと恐ろしいですし、宵を連れていくと、変な書物を見つける度に、僕に見せてからかって来るので……」
 感極まって、朝は泣きそうだった。側で柱を拭いていた宵が、澄ました顔で口を開いた。
「だって、朝の反応が大袈裟すぎて、面白れえんだもん」
 双子とはいえ、兄をおちょくって楽しむとは、いい性格をしている。朝も朝で、弟に好き勝手されて、軟弱すぎだ。
「宵は、そんな破廉恥なもん見ても、平気やねんな」
「あいつは、順応性がありますからね。慣れると、大概の出来事は受け入れる性格です」
 何を見て、順応したのだろうか。柊は少し訝しく、宵を見た。
「自分、まさか妖怪やった頃に、楸の家で風呂やら着替えやら、覗いとったんと違うやろな?」
 宵は怒って、柊を睨み返してきた。
「馬鹿言ってんな! 俺はちゃんと、節度を守って居候してたんだよ。寝所にだって、一度も入ってねえんだぞ! ずっと我慢して、我慢し続けてだな……」
 悔しそうな顔が、真実を物語っている気もした。
「ほー。意外と、真面目さんなんやな。感心やわ」
「だいたい、こそこそと覗く必要なんて、ないだろう。俺と楸は固い絆で結ばれているんだ。そのうち、風呂でも何でも、楸のほうから誘ってくるって」
「誘うかいな。もの凄い自信やな。楸に聞かれたら、瞬殺されるで。気をつけな」
「お話でしか知らないのですが、本当に楸さんと宵は、恋仲だったのですか? 普段のやり取りを見ていると、むしろ楸さんは宵を避けている気さえするのですが」
 朝も、さりげなく疑問を呟いた。誰の目から見ても、四季姫の封印解除の使命を終えてからの楸は、宵にそっけない。朝が不思議に思っても、無理はなかった。
「以前に比べたら、興味が失せたっちゅう感じもするな」
 妖怪怪だった頃には、中々良い感じだったが、当時の気持ちが今でも続いているとは、限らない。秋姫として素性を明かしてから、どこか吹っ切れた感じがするから、余計に態度は顕著だ。
 もしくは、妖怪達に好意を持って接していた理由も、四季姫だと周囲に悟らせないための演技だったかもしれない。慎重な楸の行動理由としては、充分に考えられた。
「楸さんは、真面目で立派な方ですからね。宵なんかとでは、釣り合いませんよ」
 珍しく、朝が宵に反撃していた。鼻を鳴らして、少し優越感に浸っている。
 だが、朝の言葉が癇に障ったらしく、宵は怒りを込めて朝を睨んだ。
「俺に喧嘩を売るとは、いい度胸だな、朝。今夜は枕元に、兄ちゃんの部屋の変な本、全部積み重ねておいてやるからな」
 朝は悲鳴をあげ、怯えて柊の背後へ隠れた。ちょっとやそっとでは、立場は反転しない。阿保らしい兄弟喧嘩だった。
「喧嘩すんなや。楸の本心なんて、本人に訊かな分からんわ。朝も、今日はついて行ったるから、ちゃんと一人で掃除できるようになるんやで。うちも明日には、家に帰るさかいな」
 話を纏め、柊はやかましい双子を引き離して、朝と廊下を歩いていった。
 引き戸を開け、了生の部屋へとお邪魔する。普段から、どんな部屋で生活しているのか。興味が沸いてきた。
 入ってみると、純和風の畳の部屋で、座布団と座卓が置いてあるだけの、質素な部屋だった。土壁には、カレンダーや行事の書かれた模造紙などが、画鋲で貼付けてあった。
 ただ、収納場所が足りていないらしく、あちこちに仏教関連の冊子や辞書などが、山積みになっている。
「了生はん、意外と几帳面に見えて、だらしないんやな」
 お世辞にも、すごく綺麗な部屋、とはいえなかった。
「足元は、うちが片付けるから、天井やら壁やら掃除したらええ。 そんなにビビらんでも、大丈夫や 」
 たいがい、エロ本などが出てくるとすれば、他の本の隙間や押し入れの中だろう。ゴキブリに怯える女子みたいに警戒する朝に、掃除しやすそうな場所をあてがって、指示した。
 だが、朝の恐怖に染まった顔は、晴れない。
「いえ、この前は、天井板の隙間や壁の貼紙の裏から落ちてきましたので!」
「どこに隠しとんねん。懲りすぎやろう」
 呆れて、思わず突っ込む。座布団を捲ってみると、下から一冊、出てきた。何だか宝探し気分だ。見つけても嬉しくない宝だが。
「どこから飛び出すか分からんのやったら、運やな。気をつけながら掃除するしかないわ」
 柊も匙を投げ、適当に分担して掃除を始めた。朝にとっても、下手に手を貸すより自力で慣れさせた方がいい。
 なかなか捗らない朝を尻目に、柊は黙々と作業を続けた。
 部屋の中を片付けていると、普段からは想像できない、了生のいろんな一面が見えてきた。どんな勉学に力を入れているのか。使用している道具の使い込まれ具合から想像できる、ちょっとした癖。
 生活の断片が垣間見えると、柊は少し嬉しくなった。
 気分よく、四つん這いになって掃除をしていると、座卓に肩が当たった、振動で、卓上に置かれていたものが、畳の上に落ちる。
 慌てて拾う。写真立てだった。
 納められた写真を見て、柊は動きを止める。
 写真には、了生が写っていた。もう一人、女の人と一緒に。
 同年代くらいの、髪の長い、綺麗な女性だった。色白で小柄で華奢で、いかにも男が好きそうな、小動物みたいな女。
 二人は肩を寄せ合い、幸せそうな笑顔を浮かべている。
 疑問に思う必要もなく、恋人同士の姿だった。
「……なんや。彼女、おるんか」
 女には免疫がなさそうな態度をとっていたくせに、恋愛はちゃっかりと楽しんでいるわけか。
 寺に来てから、ずっと穏やかに波打っていた柊の心が、また冷え固まった気がした。
 柊は無心で、坦々と部屋の掃除を再開した。
 冊子の上に、一粒の雫が落ちる。
 涙だとは、柊は気付かなかった。
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