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第一部 四季姫覚醒の巻
第九章 陰陽真相 6
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六
長い顎鬚(あごひげ)を生やした、丸坊主の老人が目の前に現れた。何の気配も感じなかった。
「皆さんが、生まれ変わった四季姫様方ですか。いや中々、若くてお元気ですな」
老人は目尻を皺だらけにして、にこやかに笑っていた。榎は、突如として現れたこの老人に、ただならぬ妖怪的な気配を感じた。
老人の人間離れした雰囲気に反応して、側に落ちていた木の枝を拾って、老人に踊りかかった。
「子泣き爺や! 倒せ!」
柊も、同じ感想を持ったらしい。榎の隣で、同様に攻撃を仕掛けた。
「違う! わしは子泣き爺やない、ただの爺じゃ!」
突然の榎たちの襲撃に、老人は慌てた。驚き逃げ惑いながらも、榎たちの攻撃は、老人には掠り傷一つ、負わせられなかった。やっぱりこの爺は、只者ではない。
「皆さん、一旦、落ち着きましょう。大丈夫です、こいつは妖怪やないし、危害も加えてきませんから」
了生が仲裁に入り、事態は治まった。
「親父、帰ってきとったんか。こないな場所で、何をしとるんや?」
「親父?」
了生が老人に向かって吐いた台詞に、榎たちは驚く。
確かに、似ているといえば、似ている。
「俺の父親の、了封寺住職、嚥下 了海(りょうかい)です。日本一周温泉旅行に出かけて、長いこと寺を空けとったんですが」
固まっている榎たちに、了生が老人の紹介をした。
紹介を受けた作務衣姿の坊主――了海は、不満そうな顔で了生を横目に睨んだ。
「旅行やない、修行じゃ。何べんいうたらわかるんじゃ、アホ息子が」
毒を吐く父親に、負けじと息子も眼を飛ばした。
「温泉地ばっかり渡り歩いて、何が修行や。肝心なときにおらんと、俺に全部押し付けて。どれだけ大変やったと思うとるねん!」
しばらく睨みあいを続けていた二人だったが、ほぼ同時に堰を切り、互いの頬を掴んで抓(つね)りあいを始めた。
あまり、仲の良い親子ではないのだろうか。逆に、仲が良いと捉えるべきなのか。
何にしても、似た者親子みたいだ。
「で、その住職はんが、何しにこられたんどすか?」
楸が冷静に口を挟むと、二人はいがみ合いを中止して、榎たちに向き直った。
姿勢を正し、了海は一つ、大きな咳払いをする。
「この度は、不肖の息子の手際が悪いせいで、皆さん方を危険な目に遭わせてしもうた。まさか、わしが行脚修行で京都を離れておる間に、立て続けに四季姫が覚醒するとは、予想しておらんかったでな。申し訳ない」
まず第一声に、了海は詫びの言葉を述べてきた。以前に了生から聞いた話から察するに、この住職は榎たちの覚醒の気配を、ずっと前から察知していたそうだ。
見た目は飄々とした、ただの爺だが、侮れない気配がする。
「そちらの秋姫殿が覚醒したと察知した時点で、何としても接触を試みて、事情を説明するべきでしたんやが。このアホ息子は、ほんまに要領が悪うて」
了海は楸に軽く、視線を向けた。楸は緊張の面持ちで、少し遠慮がちに頭を伏せた。
同時に、また息子への嫌味文句が炸裂しそうになっていたが、榎たちが視線で訴えて、何とか事なきを得た。
「その口振りから察するに、住職はんは封印石について、詳しい話を知ってはるんやな? その話を、もっと早(はよ)うに、うちらにしてくれる予定やった、と」
了生は元々、この住職の指示によって、四季姫を探したり、協力してくれていた。
つまり、この老人のほうが、四季姫や伝師、封印石について多くを知っていると見て、間違いない。
尋ねた柊の顔を、了海は無言で、まじまじと見つめていた。ふっと一瞬、懐かしそうな、切なそうな光が、瞳に宿った気がした。
「……何や、うちの顔に何ぞ、ついとりますか?」
不思議そうに、柊は了海に視線を送り返す。我に返った了海は、顔を皺だらけにして微笑んだ。
「いや。冬姫殿ですな? 貴女の仰るとおり、わしは千年前の事件の顛末を、存じておる」
はぐらかす様子で話を変えた。榎たちも深くは詮索せず、話に乗った。
「教えて頂けるんでしょうか?」
「皆さんが望むのであれば。長く、辛い話になりますが」
辺りに緊張が走る。榎は大きく頷いた。ほかの三人も、同様だ。
「構いません。あたしたちは、真実を知らなくてはいけない」
榎たちの覚悟を、了海は快く受け入れてくれた。
「あい分かった。では、始めようかのう」
了海は背後から、風呂敷包みの荷物を取り出し、開け放った。
中には、長方形の木の枠が入っていた。絵画などを飾っておく、額縁にも似ている。
額縁の横には、何かを差し込む細い穴が開いていた。了海は別に梱包されていた、紙の束を取り出して、その隙間に差し込んだ。
木の枠の中に納まった紙の一番前には、「古代昔話」とタイトルが筆書きで書かれていた。
「さあさあ、楽しい紙芝居のはじまりはじまり~」
さも楽しそうに、了海は小さな太鼓を叩いて盛り上がっていた。
「舐めとるんか、この爺さん」
「すんません、ほんまに、すんません……」
少し苛立ちを露にする柊に、了生は謝る。
「一生懸命作ったみたいだし、見てあげましょうよ……」
わざわざ、紙芝居道具一式を持ってきたところからしても、榎たちに話を聞かせる気はあったらしい。
椿に宥められて、柊は紙芝居の前に腰を下ろした。
「あたしは難しい話をされるより、分かりやすくていいぞ」
何気に、榎はちょっと、楽しみにしていた。紙芝居なんて、ずっと小さかった頃以来だ。
「まだ、水飴を貰(もろ)うとりまへんえ?」
「安心せい。水飴も用意しとる」
「腐ってへんやろうな?」
「お腹が痛くなったら、堪忍や」
何だかんだで、話が始まった。
* * *
今は昔、奈良時代の頃に、役小角(えんのおづぬ)という男がおった。
修験道の開祖と呼ばれる役小角は、毎日険しい山に篭り、日々修行をして、強い霊能力を身につけておったそうな。
ある日、悪さをしていた二体の鬼を捕獲し、式神として手元に置いたのじゃ。
鬼の名は、前鬼(ぜんき)と後鬼(こうき)。前鬼は赤い肌をした男の鬼で、後鬼は青い肌をした、女の鬼であった。二人は夫婦でもあったとさ。
前鬼、後鬼の間には、五人の子供がおった。それぞれ鬼上(きがみ)、鬼童(きどう)、鬼熊(きぐま)、鬼継(きつぐ)、鬼助(きすけ)といった。
子供たちは立派に育ち、役小角の弟子となった。やがて、人間の世に加わり、修験者の世話をする宿坊を全国各地に構えた。鬼たちの子孫は代々家業を引き継ぎ、その家柄は、現代まで続いておる。
実は知られておらんが、兄弟たちには、もう一人、末の弟が存在しておった。
名を、鬼閻(きえん)と申す。
鬼閻の中には、両親である二体の鬼の中に潜み続けていた、人間を憎む心がそのまま受け継がれておった。
鬼閻が大きく成長し、大人になれば、必ず人間にとって災いの種になる。
恐れた兄弟たちによって、鬼閻は生まれて間もなく、存在を抹消されてしもうた。
じゃが、兄弟たちの懸けた僅かな情けが、鬼閻を生かした。
鬼閻は山奥で、殺されかけた恨みを溜め込みながら成長し、やがて恐ろしい力を秘めた、悪鬼へと変貌を遂げたのじゃ。
* * *
「質問! 鬼と悪鬼は、別物なの?」
話を中断させ、椿が挙手した。了海はうむ、と大きく頷く。
「その通りじゃ。鬼は古来より、獣と同じく山に暮らし、時には悪さをすれども、人間と程よい距離感と関係を持って栄えておった一族じゃ。より人間に近い知性や感情を有し、人間たちとも上手く関係を築いておった。今では環境の変化から、ほぼ絶滅してしもうたが、一部は妖怪や人間との混血として、子孫を残しておる」
「では、元々は、その鬼たちが怨念に飲まれて変化したものが、悪鬼と呼ばれていたのですか?」
榎の質問に、了海は首を横に振る。
「少し違う。悪鬼とは、世の中を呪いに呪って、修羅へと落ちた者の総称。こやつは鬼に限らず、世の中を恨む悪しき生命の根源じゃ。人でも獣でも、妖怪であっても。悪鬼の起源は様々なのじゃよ。さらに厄介じゃが、そやつらと意識を共鳴できる存在が近くにいると、その存在に悪鬼の邪気が感染してしまうんじゃ。条件が整えば、新たなる悪鬼が次々と生まれていく。しかも、確実な退治方法は、未だに確立されておらん」
以前、四季山が崩落したときに、宵月夜から簡単な話は教えてもらった。やっぱり、退治が困難な、大変な相手みたいだ。
「悪霊や妖怪の放つ妖気に反応すると我を忘れ、凶暴性を増して破壊の限りを尽くす習性もある。奴らにとって、妖怪を駆る行為は、薬物に取り付かれるに似た快楽を伴うのであろうな」
榎は、妖怪を倒して満悦していた、萩の恐ろしい笑顔を思い出していた。
悪鬼の特徴、性質。すべてが、萩の行動にあてはまる。
やっぱり、萩は悪鬼だったのだろう。改めて実感し、気持ちが沈んだ。
「悪鬼と化した鬼閻は、平安の世に様々な影響をもたらした。当時の世はかなり荒んでおったから、仲間となる悪鬼を容易に増やせた。戦力を巨大化させ、時に京を襲い、破壊の限りを尽くそうとした。その度に、陰陽師や修験者たちが力を揮い、なんとか危機を防いできた。決して語られぬ鬼閻との戦いは、表ではほとんど語られぬ、長く続いた闇の歴史でもあった」
了海は、まるでその場にいたのかと思えるほど、感情を込めて語る。ただの紙芝居だからといって、手を抜かないあたりに何らかのプロ根性が見て取れる。
「じゃが、その歴史も、平安中期になると、大きく歪められ始めた。全ての元凶は、禁じられた悪鬼と人間との交わりから始まったのじゃ」
了海は上手く話の流れを掴み取り、紙芝居の続きを語り始めた。
* * *
悪さを働き、その度に力を持つ人間たちに邪魔をされてと、常に人と対立を繰り返してきた鬼閻じゃったが、とある人間との間に、友好的な接点を持ち始めた。
その人間こそが、伝師の開祖だった男じゃ。
伝師は、どの家柄を起源とするかも分からん、弱小の陰陽師の家系じゃった。しかも、術者の力は弱く、宮廷勤めも儘ならず、いつも賀茂家や安倍家を妬みながら、後ろで指を咥えておる一族でもあった。
力を持たぬが見栄と矜持は他一倍強く、己よりも優れたものを嫌い、己よりも劣ったものを卑(いや)しんだ。
伝師は力を欲した。平安の世で、誰よりも強くありたいと願った。
その結果、妖怪を狩る能力に長けた、悪鬼の力を手に入れる荒業にでた。
野を彷徨う悪鬼を捕らえて屋敷に囲い、伝師一族の女と、悪鬼との間に子を生ませ、悪鬼の血を引き継ぐ人間をこの世に生み出した。より、悪鬼の力を濃く引く子供たちに、一族を支配させた。
悪鬼の血は、すさまじい陰陽の術を人の子に与えた。代償として、悪鬼の血を引くものは体が弱く、無理をすればすぐに死んでしまったが、代わりなどいくらでもいた。
何度も何度も、悪鬼との交配を繰り返し、いつしか伝師は、平安の京でもかなりの地位を持つ陰陽師一族として君臨しておった。
じゃが、どこまで悪鬼の力を持って術を高めても、賀茂、安倍の勢力には、どうしても一歩、及ばなかった。
伝師は、最後の手段として、当時最強の力を誇っておった伝師の長、紬姫に、鬼閻の力を直接、取り込ませようとした。
紬姫は、悪鬼との混血の中でも歴代一、優れた力を持っていた。その血に、最凶と謳われる鬼閻の血を加えれば、とてつもなく強力な陰陽師が生まれるに違いないと、一族は考えたのじゃな。
じゃが、鬼閻とて、人間に大人しく取り込まれるほど落魄(おちぶ)れてはおらん。
伝師との間に、互いに関係を築きながら、寝首を掻く瞬間を狙っておった。
その、実に危険な駆け引きは、一部の主要な人間にしか知られておらなんだが――。
僅かに、一族内の意変に気付き、危機を察した者たちがおった。
その者たちこそが、四季姫様じゃ。
* * *
話が盛り上がっていくにつれて、榎の緊張もピークに達していた。
体中、汗でびっしょりだ。暑さのせいだけではないだろう。
「四季姫様たちは、伝師の分家に当たる遠縁の家から出た、強い力を持つ陰陽師であった。少しは、悪鬼の血も引いておったじゃろうが、伝師中枢部の血の濃い人間たちとは一線を画し、人間らしい考えと判断力を持っておられた。じゃから、鬼閻の力を取り込めば、たちまち伝師は、悪鬼の道に落ち、滅びると分かっておられた。じゃから、嚥下家と手を組み、妨害をなさったのじゃ」
「っちゅうことは、つまり、四季姫たちが、ほんまに封印した奴ってのは……」
柊が生唾を飲み込み、恐る恐る、憶測を口にする。
予想は、間違っていない。了海は肯定を全身で表現した。
「左様。白神石に、真に封じられておるものは、最凶の悪鬼と恐れられた存在――鬼閻である」
榎たちは、愕然とした。誰も、一言も、驚きの声さえ発しない。
発せなかった。知らなかったとはいえ、榎たちは本当に恐ろしいものの封印を解こうとしていた。
まるで、絶望が詰まった箱を開く直前の、愚かな女(パンドラ)みたいに。
「本来ならば、過去に鬼閻を倒してしまえれば、一番良かったんじゃがの。当時の鬼閻の力は強く、四季姫たちでも歯が立たんかった。朝月夜を人柱として力を抑え込み、封印する手段しか、遺されておらんかったんじゃ」
朝月夜は、鬼閻を封じるために、共に白神石の中に入ったのか。
話を聞いた途端、椿の表情が苦痛に歪んだ。
「人柱なんて。今も、朝月夜さまは苦しみながら、鬼閻の力を抑え込んでいるの? 酷いわ」
朝月夜の苦しみを感じ取ったみたいに、椿は涙を流す。
「そんな化け物、今更復活させて、月麿はどうしようと考えていたのです!?」
少し離れた場所で、黙って話を聞いていた奏が、取り乱した声を上げた。一族の末裔でも知らなかった真実を突きつけられて、少し混乱していそうだ。
「伝師の一族の中に、陰陽師として力を持つ者は、もうほとんどおりません。陰陽師が覇権を握れる時代でも、ないですのに……」
確かに。鬼閻の力を取り込ませようとしていた紬姫は、千年前に既に亡くなっている。
今更、封印を解いて鬼閻を蘇らせたところで、月麿は何をどうするつもりだったのか。
「今の伝師が、鬼閻の力をどう扱おうとしているかは、いささか謎じゃ。ただ、伝師一族の中には、今なお、悪鬼の血を強く受け継いだものが生まれておるはず。血の濃い者は、生まれつき髪が真っ白で、体が非常に虚弱となり、精神的に特殊な力を得るという。そういった人物が、伝師の中には今も存在しているのではないのか?」
了海の打診に、榎の心臓は大きく高鳴った。
「……綴さん」
「お兄さま」
奏も、榎と同じ想像を、頭に描いたに違いない。
綴の姿は、了海の説明する、伝師の力を強く受け継いだ者の人物像と、著しく相似している。
月麿や伝師の長は、綴に鬼閻の力を取り込ませて、最強の陰陽師を蘇らせようと目論んでいたのだろうか――。
「悪鬼の血の濃い人間が現存する限り、野望は潰えず、更なる悲劇を生み出す可能性も、否定はできん。じゃが、伝師が白神石の封印解除に躍起になっておる理由は、別にある」
榎たちの困惑を掻き消さんと、了海は更なる真実を、ゆっくりと伝えてきた。
「別の理由とは、何ですか?」
きっと、ろくな理由ではないだろう。だが、最後まで知っておかなければ、気が済まない。
「復讐じゃよ。かつて、鬼閻との取引を無に帰した、愚かな反逆者たちへのな」
了海はいかにも恐ろしい話だ、といわんばかりに、暑い夏空の下で体を悪寒で震わせた。
この物知りな老人が、何をいおうとしているのか。
何となく察した。
榎の体から、一気に血の気が引いた。
「伝師一族、最大の願望を叩き壊した、四人の姫君の完全抹殺。それこそが、そこに転がっておる男が、時を越えて千年前からやってきた目的なんじゃ」
気絶する月麿を横目に睨み、了海は言い放った。
長い顎鬚(あごひげ)を生やした、丸坊主の老人が目の前に現れた。何の気配も感じなかった。
「皆さんが、生まれ変わった四季姫様方ですか。いや中々、若くてお元気ですな」
老人は目尻を皺だらけにして、にこやかに笑っていた。榎は、突如として現れたこの老人に、ただならぬ妖怪的な気配を感じた。
老人の人間離れした雰囲気に反応して、側に落ちていた木の枝を拾って、老人に踊りかかった。
「子泣き爺や! 倒せ!」
柊も、同じ感想を持ったらしい。榎の隣で、同様に攻撃を仕掛けた。
「違う! わしは子泣き爺やない、ただの爺じゃ!」
突然の榎たちの襲撃に、老人は慌てた。驚き逃げ惑いながらも、榎たちの攻撃は、老人には掠り傷一つ、負わせられなかった。やっぱりこの爺は、只者ではない。
「皆さん、一旦、落ち着きましょう。大丈夫です、こいつは妖怪やないし、危害も加えてきませんから」
了生が仲裁に入り、事態は治まった。
「親父、帰ってきとったんか。こないな場所で、何をしとるんや?」
「親父?」
了生が老人に向かって吐いた台詞に、榎たちは驚く。
確かに、似ているといえば、似ている。
「俺の父親の、了封寺住職、嚥下 了海(りょうかい)です。日本一周温泉旅行に出かけて、長いこと寺を空けとったんですが」
固まっている榎たちに、了生が老人の紹介をした。
紹介を受けた作務衣姿の坊主――了海は、不満そうな顔で了生を横目に睨んだ。
「旅行やない、修行じゃ。何べんいうたらわかるんじゃ、アホ息子が」
毒を吐く父親に、負けじと息子も眼を飛ばした。
「温泉地ばっかり渡り歩いて、何が修行や。肝心なときにおらんと、俺に全部押し付けて。どれだけ大変やったと思うとるねん!」
しばらく睨みあいを続けていた二人だったが、ほぼ同時に堰を切り、互いの頬を掴んで抓(つね)りあいを始めた。
あまり、仲の良い親子ではないのだろうか。逆に、仲が良いと捉えるべきなのか。
何にしても、似た者親子みたいだ。
「で、その住職はんが、何しにこられたんどすか?」
楸が冷静に口を挟むと、二人はいがみ合いを中止して、榎たちに向き直った。
姿勢を正し、了海は一つ、大きな咳払いをする。
「この度は、不肖の息子の手際が悪いせいで、皆さん方を危険な目に遭わせてしもうた。まさか、わしが行脚修行で京都を離れておる間に、立て続けに四季姫が覚醒するとは、予想しておらんかったでな。申し訳ない」
まず第一声に、了海は詫びの言葉を述べてきた。以前に了生から聞いた話から察するに、この住職は榎たちの覚醒の気配を、ずっと前から察知していたそうだ。
見た目は飄々とした、ただの爺だが、侮れない気配がする。
「そちらの秋姫殿が覚醒したと察知した時点で、何としても接触を試みて、事情を説明するべきでしたんやが。このアホ息子は、ほんまに要領が悪うて」
了海は楸に軽く、視線を向けた。楸は緊張の面持ちで、少し遠慮がちに頭を伏せた。
同時に、また息子への嫌味文句が炸裂しそうになっていたが、榎たちが視線で訴えて、何とか事なきを得た。
「その口振りから察するに、住職はんは封印石について、詳しい話を知ってはるんやな? その話を、もっと早(はよ)うに、うちらにしてくれる予定やった、と」
了生は元々、この住職の指示によって、四季姫を探したり、協力してくれていた。
つまり、この老人のほうが、四季姫や伝師、封印石について多くを知っていると見て、間違いない。
尋ねた柊の顔を、了海は無言で、まじまじと見つめていた。ふっと一瞬、懐かしそうな、切なそうな光が、瞳に宿った気がした。
「……何や、うちの顔に何ぞ、ついとりますか?」
不思議そうに、柊は了海に視線を送り返す。我に返った了海は、顔を皺だらけにして微笑んだ。
「いや。冬姫殿ですな? 貴女の仰るとおり、わしは千年前の事件の顛末を、存じておる」
はぐらかす様子で話を変えた。榎たちも深くは詮索せず、話に乗った。
「教えて頂けるんでしょうか?」
「皆さんが望むのであれば。長く、辛い話になりますが」
辺りに緊張が走る。榎は大きく頷いた。ほかの三人も、同様だ。
「構いません。あたしたちは、真実を知らなくてはいけない」
榎たちの覚悟を、了海は快く受け入れてくれた。
「あい分かった。では、始めようかのう」
了海は背後から、風呂敷包みの荷物を取り出し、開け放った。
中には、長方形の木の枠が入っていた。絵画などを飾っておく、額縁にも似ている。
額縁の横には、何かを差し込む細い穴が開いていた。了海は別に梱包されていた、紙の束を取り出して、その隙間に差し込んだ。
木の枠の中に納まった紙の一番前には、「古代昔話」とタイトルが筆書きで書かれていた。
「さあさあ、楽しい紙芝居のはじまりはじまり~」
さも楽しそうに、了海は小さな太鼓を叩いて盛り上がっていた。
「舐めとるんか、この爺さん」
「すんません、ほんまに、すんません……」
少し苛立ちを露にする柊に、了生は謝る。
「一生懸命作ったみたいだし、見てあげましょうよ……」
わざわざ、紙芝居道具一式を持ってきたところからしても、榎たちに話を聞かせる気はあったらしい。
椿に宥められて、柊は紙芝居の前に腰を下ろした。
「あたしは難しい話をされるより、分かりやすくていいぞ」
何気に、榎はちょっと、楽しみにしていた。紙芝居なんて、ずっと小さかった頃以来だ。
「まだ、水飴を貰(もろ)うとりまへんえ?」
「安心せい。水飴も用意しとる」
「腐ってへんやろうな?」
「お腹が痛くなったら、堪忍や」
何だかんだで、話が始まった。
* * *
今は昔、奈良時代の頃に、役小角(えんのおづぬ)という男がおった。
修験道の開祖と呼ばれる役小角は、毎日険しい山に篭り、日々修行をして、強い霊能力を身につけておったそうな。
ある日、悪さをしていた二体の鬼を捕獲し、式神として手元に置いたのじゃ。
鬼の名は、前鬼(ぜんき)と後鬼(こうき)。前鬼は赤い肌をした男の鬼で、後鬼は青い肌をした、女の鬼であった。二人は夫婦でもあったとさ。
前鬼、後鬼の間には、五人の子供がおった。それぞれ鬼上(きがみ)、鬼童(きどう)、鬼熊(きぐま)、鬼継(きつぐ)、鬼助(きすけ)といった。
子供たちは立派に育ち、役小角の弟子となった。やがて、人間の世に加わり、修験者の世話をする宿坊を全国各地に構えた。鬼たちの子孫は代々家業を引き継ぎ、その家柄は、現代まで続いておる。
実は知られておらんが、兄弟たちには、もう一人、末の弟が存在しておった。
名を、鬼閻(きえん)と申す。
鬼閻の中には、両親である二体の鬼の中に潜み続けていた、人間を憎む心がそのまま受け継がれておった。
鬼閻が大きく成長し、大人になれば、必ず人間にとって災いの種になる。
恐れた兄弟たちによって、鬼閻は生まれて間もなく、存在を抹消されてしもうた。
じゃが、兄弟たちの懸けた僅かな情けが、鬼閻を生かした。
鬼閻は山奥で、殺されかけた恨みを溜め込みながら成長し、やがて恐ろしい力を秘めた、悪鬼へと変貌を遂げたのじゃ。
* * *
「質問! 鬼と悪鬼は、別物なの?」
話を中断させ、椿が挙手した。了海はうむ、と大きく頷く。
「その通りじゃ。鬼は古来より、獣と同じく山に暮らし、時には悪さをすれども、人間と程よい距離感と関係を持って栄えておった一族じゃ。より人間に近い知性や感情を有し、人間たちとも上手く関係を築いておった。今では環境の変化から、ほぼ絶滅してしもうたが、一部は妖怪や人間との混血として、子孫を残しておる」
「では、元々は、その鬼たちが怨念に飲まれて変化したものが、悪鬼と呼ばれていたのですか?」
榎の質問に、了海は首を横に振る。
「少し違う。悪鬼とは、世の中を呪いに呪って、修羅へと落ちた者の総称。こやつは鬼に限らず、世の中を恨む悪しき生命の根源じゃ。人でも獣でも、妖怪であっても。悪鬼の起源は様々なのじゃよ。さらに厄介じゃが、そやつらと意識を共鳴できる存在が近くにいると、その存在に悪鬼の邪気が感染してしまうんじゃ。条件が整えば、新たなる悪鬼が次々と生まれていく。しかも、確実な退治方法は、未だに確立されておらん」
以前、四季山が崩落したときに、宵月夜から簡単な話は教えてもらった。やっぱり、退治が困難な、大変な相手みたいだ。
「悪霊や妖怪の放つ妖気に反応すると我を忘れ、凶暴性を増して破壊の限りを尽くす習性もある。奴らにとって、妖怪を駆る行為は、薬物に取り付かれるに似た快楽を伴うのであろうな」
榎は、妖怪を倒して満悦していた、萩の恐ろしい笑顔を思い出していた。
悪鬼の特徴、性質。すべてが、萩の行動にあてはまる。
やっぱり、萩は悪鬼だったのだろう。改めて実感し、気持ちが沈んだ。
「悪鬼と化した鬼閻は、平安の世に様々な影響をもたらした。当時の世はかなり荒んでおったから、仲間となる悪鬼を容易に増やせた。戦力を巨大化させ、時に京を襲い、破壊の限りを尽くそうとした。その度に、陰陽師や修験者たちが力を揮い、なんとか危機を防いできた。決して語られぬ鬼閻との戦いは、表ではほとんど語られぬ、長く続いた闇の歴史でもあった」
了海は、まるでその場にいたのかと思えるほど、感情を込めて語る。ただの紙芝居だからといって、手を抜かないあたりに何らかのプロ根性が見て取れる。
「じゃが、その歴史も、平安中期になると、大きく歪められ始めた。全ての元凶は、禁じられた悪鬼と人間との交わりから始まったのじゃ」
了海は上手く話の流れを掴み取り、紙芝居の続きを語り始めた。
* * *
悪さを働き、その度に力を持つ人間たちに邪魔をされてと、常に人と対立を繰り返してきた鬼閻じゃったが、とある人間との間に、友好的な接点を持ち始めた。
その人間こそが、伝師の開祖だった男じゃ。
伝師は、どの家柄を起源とするかも分からん、弱小の陰陽師の家系じゃった。しかも、術者の力は弱く、宮廷勤めも儘ならず、いつも賀茂家や安倍家を妬みながら、後ろで指を咥えておる一族でもあった。
力を持たぬが見栄と矜持は他一倍強く、己よりも優れたものを嫌い、己よりも劣ったものを卑(いや)しんだ。
伝師は力を欲した。平安の世で、誰よりも強くありたいと願った。
その結果、妖怪を狩る能力に長けた、悪鬼の力を手に入れる荒業にでた。
野を彷徨う悪鬼を捕らえて屋敷に囲い、伝師一族の女と、悪鬼との間に子を生ませ、悪鬼の血を引き継ぐ人間をこの世に生み出した。より、悪鬼の力を濃く引く子供たちに、一族を支配させた。
悪鬼の血は、すさまじい陰陽の術を人の子に与えた。代償として、悪鬼の血を引くものは体が弱く、無理をすればすぐに死んでしまったが、代わりなどいくらでもいた。
何度も何度も、悪鬼との交配を繰り返し、いつしか伝師は、平安の京でもかなりの地位を持つ陰陽師一族として君臨しておった。
じゃが、どこまで悪鬼の力を持って術を高めても、賀茂、安倍の勢力には、どうしても一歩、及ばなかった。
伝師は、最後の手段として、当時最強の力を誇っておった伝師の長、紬姫に、鬼閻の力を直接、取り込ませようとした。
紬姫は、悪鬼との混血の中でも歴代一、優れた力を持っていた。その血に、最凶と謳われる鬼閻の血を加えれば、とてつもなく強力な陰陽師が生まれるに違いないと、一族は考えたのじゃな。
じゃが、鬼閻とて、人間に大人しく取り込まれるほど落魄(おちぶ)れてはおらん。
伝師との間に、互いに関係を築きながら、寝首を掻く瞬間を狙っておった。
その、実に危険な駆け引きは、一部の主要な人間にしか知られておらなんだが――。
僅かに、一族内の意変に気付き、危機を察した者たちがおった。
その者たちこそが、四季姫様じゃ。
* * *
話が盛り上がっていくにつれて、榎の緊張もピークに達していた。
体中、汗でびっしょりだ。暑さのせいだけではないだろう。
「四季姫様たちは、伝師の分家に当たる遠縁の家から出た、強い力を持つ陰陽師であった。少しは、悪鬼の血も引いておったじゃろうが、伝師中枢部の血の濃い人間たちとは一線を画し、人間らしい考えと判断力を持っておられた。じゃから、鬼閻の力を取り込めば、たちまち伝師は、悪鬼の道に落ち、滅びると分かっておられた。じゃから、嚥下家と手を組み、妨害をなさったのじゃ」
「っちゅうことは、つまり、四季姫たちが、ほんまに封印した奴ってのは……」
柊が生唾を飲み込み、恐る恐る、憶測を口にする。
予想は、間違っていない。了海は肯定を全身で表現した。
「左様。白神石に、真に封じられておるものは、最凶の悪鬼と恐れられた存在――鬼閻である」
榎たちは、愕然とした。誰も、一言も、驚きの声さえ発しない。
発せなかった。知らなかったとはいえ、榎たちは本当に恐ろしいものの封印を解こうとしていた。
まるで、絶望が詰まった箱を開く直前の、愚かな女(パンドラ)みたいに。
「本来ならば、過去に鬼閻を倒してしまえれば、一番良かったんじゃがの。当時の鬼閻の力は強く、四季姫たちでも歯が立たんかった。朝月夜を人柱として力を抑え込み、封印する手段しか、遺されておらんかったんじゃ」
朝月夜は、鬼閻を封じるために、共に白神石の中に入ったのか。
話を聞いた途端、椿の表情が苦痛に歪んだ。
「人柱なんて。今も、朝月夜さまは苦しみながら、鬼閻の力を抑え込んでいるの? 酷いわ」
朝月夜の苦しみを感じ取ったみたいに、椿は涙を流す。
「そんな化け物、今更復活させて、月麿はどうしようと考えていたのです!?」
少し離れた場所で、黙って話を聞いていた奏が、取り乱した声を上げた。一族の末裔でも知らなかった真実を突きつけられて、少し混乱していそうだ。
「伝師の一族の中に、陰陽師として力を持つ者は、もうほとんどおりません。陰陽師が覇権を握れる時代でも、ないですのに……」
確かに。鬼閻の力を取り込ませようとしていた紬姫は、千年前に既に亡くなっている。
今更、封印を解いて鬼閻を蘇らせたところで、月麿は何をどうするつもりだったのか。
「今の伝師が、鬼閻の力をどう扱おうとしているかは、いささか謎じゃ。ただ、伝師一族の中には、今なお、悪鬼の血を強く受け継いだものが生まれておるはず。血の濃い者は、生まれつき髪が真っ白で、体が非常に虚弱となり、精神的に特殊な力を得るという。そういった人物が、伝師の中には今も存在しているのではないのか?」
了海の打診に、榎の心臓は大きく高鳴った。
「……綴さん」
「お兄さま」
奏も、榎と同じ想像を、頭に描いたに違いない。
綴の姿は、了海の説明する、伝師の力を強く受け継いだ者の人物像と、著しく相似している。
月麿や伝師の長は、綴に鬼閻の力を取り込ませて、最強の陰陽師を蘇らせようと目論んでいたのだろうか――。
「悪鬼の血の濃い人間が現存する限り、野望は潰えず、更なる悲劇を生み出す可能性も、否定はできん。じゃが、伝師が白神石の封印解除に躍起になっておる理由は、別にある」
榎たちの困惑を掻き消さんと、了海は更なる真実を、ゆっくりと伝えてきた。
「別の理由とは、何ですか?」
きっと、ろくな理由ではないだろう。だが、最後まで知っておかなければ、気が済まない。
「復讐じゃよ。かつて、鬼閻との取引を無に帰した、愚かな反逆者たちへのな」
了海はいかにも恐ろしい話だ、といわんばかりに、暑い夏空の下で体を悪寒で震わせた。
この物知りな老人が、何をいおうとしているのか。
何となく察した。
榎の体から、一気に血の気が引いた。
「伝師一族、最大の願望を叩き壊した、四人の姫君の完全抹殺。それこそが、そこに転がっておる男が、時を越えて千年前からやってきた目的なんじゃ」
気絶する月麿を横目に睨み、了海は言い放った。
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