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第一部 四季姫覚醒の巻

第九章 陰陽真相 2

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 宵月夜は楸を見つめ、口を開く。
「――やっと、お前の本当の姿が分かった。周(あまね)ではなく、楸(しゅう)か」
 穏やかな微笑み。何もかも受け入れた、といいたげな、心残りのない顔だった。
 対して、楸の顔は冷静で、無表情だった。
「初めて会った時から、お前の中にはいつも秘め事があった。だから、お前の正体が何であっても、今更、驚きなんてない」
 楸が何者でも、宵月夜は目の前に姿を見せる真実を、全て受け止めるつもりでいたのだろう。だから、正体を知っても、敵だとわかっても、驚きも取り乱しもせずに、落ち着いていた。
「……私は、あなたたちを騙して裏切ったんどす。身分を隠し、四季姫としての役割から逃げるために、皆さんを利用した。身勝手な私を、どうか、恨んでください」
 優しく受け入れられるだけでは、良心が許さなかったのだろう。
 楸は俯きがちに、自責した。
「どうしてだ? 俺はお前と分かり合えて、嬉しかった。八咫たちも、同様に思っている」
 だが、宵月夜は穏やかだ。楸に向ける眼差しは、変わらず、優しい。
「楸が秋姫で、良かったと思う。お前に封印されるのならば、俺も本望だ。お前たちの使命を果たしてくれ」
 別れを確信したときから、宵月夜は何もかも受け入れて、覚悟を決めていたのだろう。清々しい顔をしていた。
 石像みたいだった楸の顔が、一瞬だけ、苦痛に歪んだ。
「……あなたの勇気は、無駄にはしません。あなたの願い、必ず果たすどす」
 わざわざ自由を奪われるために、敵の手中に収まるなんて、相当の覚悟がなくてはできない。
 仲間の妖怪たちのためとはいえ、過酷な決断だったに違いない。
 楸は宵月夜の堂々たる決意を、賞賛した。
 示し合わせたみたいに、楸と宵月夜は頷き合った。
 宵月夜は榎たちのほうに、視線を向けてきた。榎たちも姿勢を正し、宵月夜と向き合う。
「四季姫。俺は逃げも隠れもしない。俺の封印がお前たちの目的ならば、俺は大人しく従うつもりだ」
 宵月夜の言葉を、少し緊張しながら受け入れる。榎は椿と柊に視線で合図を送り、揃って頷いた。
「俺と行動を共にしていた妖怪たちも、お前たちに感謝している。俺が封印された以後も、人間に対して悪さを働く真似はしない。どうか、そっとしておいてやって欲しい」
「分かっている。あたしたちだって、無抵抗な妖怪まで、倒そうなんて思わないよ」
 安心しろと、榎は宵月夜に笑い掛けた。宵月夜も、榎に大きく頷き返した。
「もう一つ、頼みがある。白神石にだけは、決して関わるな。あの石だけは、八咫たちに厳重に保管させる。絶対に手を出さないと、約束して欲しい」
 突然、条件を提示されて、榎は一瞬、言葉に詰まる。
「白神石を? まあ、妖怪に封印を解く力があるわけではないし、大事に保管してくれるなら、別にいい気もするけれど」
「宵月夜が抵抗せえへんのやったら、無理に朝月夜を解き放たんでもええわけやしな? 一つ、手間が省けるやん」
 柊の言う通り、宵月夜に抵抗の意思がないのなら、無理に朝月夜を解放する必要はない。
 宵月夜の要求を呑もうとしたが、椿が唯一、難色を示した。
「……別に、解いちゃいけないものでもないんだから、必要なくても、解けばいいと思うわ。せっかく、準備も揃っているんだし」
 椿はかなり強気に、白神石の封印を薦めてくる。
「何や、椿はそんなに、白神石の封印を解きたいんか?」
 柊に不思議そうに尋ねられると、椿は言葉に詰まりながらも、駄々っ子みたいに地団太を踏み始めた。
「だって、だってぇ……。そうよ、朝月夜さまだって、きっと、外に出たがっているはずよ! えのちゃんだって、聞いたでしょう? 「助けて」って言っていたわ」
「「朝月夜さま?」」
 椿の台詞に、榎と柊の驚きの声が重なる。
 榎はよく分からず、困惑していた。だが、柊は即座に悟ったらしく、口の端を吊り上げて、嫌味な笑みを浮かべた。
「ははぁん、つまり椿ちゃんは、私情で朝月夜さまにお目にかかりたい、っちゅうわけかい?」
 遠まわしに、椿を茶化し始める。
「何よぉ、その含んだ言い方! ひいちゃんの意地悪!」
 椿の顔が、一気に真っ赤になった。
「……初めて声を聞いたときから、ずっと、ずっと想ってきたの。白光勾玉を通じて、朝月夜さまは、椿に訴えてきたわ。苦しい、助けて、って。封印の中は、きっと辛いのよ、居心地が悪いのよ。だから、外に出してあげたい。出てきてほしいの。椿は、朝月夜さまを助けたいの」
 椿は、首からかけていた首飾りを引っ張り出し、大事そうに握り締めた。月麿から譲り受けてから、肌身離さず持っている。
 椿は、まだ出会ってもいない朝月夜に、想いを寄せているのか。白神石の存在を知った頃から、時々様子がおかしかった。
 たまに感じていた、椿の異変の原因が、何となく分かった気がした。
 椿は、一途に朝月夜の無事を願い続けていた。四季姫が揃えば、必ず助けられると信じていたのだろう。
 そんな淡い恋心。叶えてあげたいと思った。榎が力になれるのだから、尚更だ。
 榎も以前、白光勾玉から、誰かの助けを求める声を聞いた。あの声が朝月夜のものだとしたら――。本当に、助けを求めているのかもしれない。
 やっぱり、封印は解くべきなのかもしれない。と思ったが、榎たちの私情や一存では決められない。
「……麿や奏さんは、どうすればいいと思いますか?」
 宵月夜の封印は、伝師一族のために行う使命だ。だから、当人たちの意見を尊重するべきだろう。
「過去に封印を施されたものならば、極力、手を付けずに置いておいたほうがよろしいかと思いますわ。妖怪に対抗する妖怪、などと銘打っていても、人間にとって、安全である保障はありませんし」
 奏は冷静に状況を分析し、一番、安全な方法を提示してきた。朝月夜だって、人間に害を及ぼさない存在だと断言できない。安易に手を出すべきではないかもしれない。
「……ならぬ! 当初の予定通り、白神石の封印を解き、朝月夜の力を解放するべし!」
 だが、月麿は奏の意見を拒否し、大声を張り上げた。
「なぜどすか? なぜ、そこまで頑(かたく)なに、封印を解く必要があるんどすか?」
 月麿の意見に、楸が冷静な反論をした。
 楸の表情は終始、冷ややかだ。月麿に対しても、何の感情も見せない。
 月麿を胡散臭そうに思う、含みさえ感じられる。
「麿はんは、宵月夜はんの封印よりも、白神石の封印解除に重きを置いていらっしゃいますな。まるで、四季姫に白神石の封印を解かせるための口実として、宵月夜はんを利用しておられる気さえ、するんどすが……」
 月麿の発言、一つ一つに対して客観的に分析して、追い詰めていく口調。挑発している気さえした。
 痛いところを突かれたのか、月麿は少し怯んでいた。だが、強気に圧し戻し、楸に食って掛かる。
「何を申すか! 麿は世の中の平和のため、伝師の命を遂行しようと……」
「あなたの発言には、以前から理屈の通らへん、強引な話が多かったんどす。無理矢理、台本通りに周囲を動かしておるみたいな……。端から聞いておると、辻褄のあわへん話も、度々されておりました。初めて会った時から、あなたは胡散臭かったんどす」
 眼鏡の奥の瞳を細めて、楸は淡々と述べる。
「私が秋姫としてすぐに名乗らへんかった理由には、あなたの話が信用に足るものかどうか、見定める必要があるという思いもあったからどす。私は、あなたの意見に単純に従うだけでは危険と考え、部外者のフリをして、情報を集めておったんどす」
 楸は一気に、月麿への不信感を露にした。何か、月麿を疑う根拠でも、あるのだろうか。
 榎たちは、黙って楸の言葉に耳を傾け続けた。
「麿はんは、白神石に封じられた朝月夜はんを、宵月夜はんの天敵みたいに仰っておった。ですが、朝月夜はんは、宵月夜はんの双子のお兄さんらしいどす。白神石を手に入れられた後も、とても大事そうに扱っておられた。朝月夜はんがどんな力を持っておるかは分かりまへんし、対となる妖怪である事実も間違いないでしょう。ですが、決して敵対する間柄では、ないんとちゃいますか?」
 榎たちは衝撃を受ける。
 楸の話は憶測の域を出ないが、今までに妖怪たちと接してきただけ、榎たちよりも多くの情報を持っている。その情報を整理して、楸の聡明な頭で弾き出した答なら、より真実に近いのではないだろうか。
「少なくとも、宵月夜はんを封印するために、朝月夜はんの力が必要やとは、私は思うておらんどす」
「……本当なのか、宵月夜? 朝月夜は、お前の敵ではないのか?」
 榎は視線を流し、宵月夜を見つめた。
 宵月夜は榎に、真っ直ぐ、訴える視線を向けてきた。
「朝月夜は、俺の兄貴だ。自ら望んで、封印石に入った。ただし、四季姫たちにうまく言い包められて、だがな。止めようとした俺のほうが、先に封じられちまったが」
 宵月夜の言葉には、棘があった。前世の、四季姫たちに対する憤りが伝わってくる。
 以前からも、宵月夜の四季姫への恨み言は、度々聞いていた。憎しみの原因は、単純に騙されて、自身が封印されたからだと思っていたが、その奥には、更に深い闇があったのか。
 仲間や、己に近しい相手を尊重し、関係を重んじる宵月夜ならば、当然の怒りだ。
「朝は、俺や他の妖怪たちが持たない、特別な力を持っていた。だから白神石の封印に利用されたんだ。決して、俺を封印するために存在していたわけじゃない」
 朝月夜は、宵月夜を封印して世の中に平和を取り戻すための、切り札ではない――。
 宵月夜の言葉は、真実なのか。
 既に、封印される決意をした宵月夜が、今更、嘘を吐く必要はない。
 だが、もしくは、今までの言動さえも、単に萩の脅威から逃げ果(おお)せるための演技だったのか。
 人間の心情を読み取る駆け引きは、榎は苦手だ。
 誰の意見を信じればいい?
 正直、混乱していた。
「惑わされるでない! お主らは、妖怪の話術に誑(たぶら)かされておるのじゃ! 同じ陰陽師である麿の言葉より、妖怪の言葉に心動かされるとは、何事じゃ!」
 月麿が怒鳴り込む。月麿の言葉も、どう受け止めれば良いか、迷う。
 だが、間髪入れず、楸の反論が入った。
「私は相手の言葉よりも、態度で真意を判断しておるんどす。口先だけの嘘吐きでも、動きを見ればその言葉が真実かどうか、大体は分かりますさかい」
 榎たちがいつも折れてきた、月麿の強引な屁理屈も、楸にかかると通用しない。
 宵月夜も上手く嘘をつくタイプだが、今の真剣な表情を見ていると、榎たちを騙そうとしているとは、思えなかった。
 逆に月麿は、必死さが伝わってくるが、楸の言葉を受けての動揺が大きい。体中、汗だくになっていた。
 今まで世話になってきたのだから、月麿を信じたい気持ちはある。だが、楸の指摘には、否定する隙のない正確性があった。
「麿はん。あなたはずっと、榎はんたちに嘘の情報を教えて、思い通りに動かせる道へと、誘導させてきやはったんやないどすか? 四季姫を、思いのままに操るために」
 楸の仮説は、榎たちにも、衝撃的な内容だった。
 もちろん、楸の考えに確固たる根拠はない。でも、今まで部外者としての目線で、榎たちの戦いを見てきた楸が出した結論ならば、信憑性がある。
「なぜ、麿が四季姫たちを騙し、操らねばならぬ。妖怪退治は、陰陽師すべての共通の目的! あれやこれやと理由をつけて、誘導する必要など、ないでおじゃる!」
 月麿の抵抗にも、勢いがなくなってきた。声が少し、震えている。
 完全に、圧されていた。
「真実を素直に話せば、絶対に榎はんたちが拒むと、確信があったからやないですか? ――たとえば、白神石の封印を解くためには、四季姫たちの身にも、大きな代償を伴う、とか」
 月麿の言葉より、楸の言葉のほうが、力強く榎たちの心に響き渡った。
「本当なのか? 麿……」
 考えたくないが、月麿には隠し事が多く、榎たちに与えられている情報は、必要なものだけを取り出して、辻褄を合わせたみたいな、都合のいいものが多かった。
 その理由が、一番大事な部分を隠すためだったとしたら。
 月麿は、何らかの不吉な真実から、榎たちを欺き続けてきていたのか――。
 榎の心中は、大きな不安に駆られた。
 月麿は榎たちの視線を浴び、少し後ずさった。顔中から、大量の脂汗をかいている。
「榎はんたちには、麿はんに四季姫として様々な助言を受けてきた恩がありますから、多少の無茶なら、ごり押ししてでも、まかり通ったでしょう。でも、私はあなたに対して恩も何もありまへんから、あなたの口から真実を話してもらえるまで、動くつもりはないどす。私が協力せんかったら、白神石の封印は解けまへんで。どうなさいますか?」
 楸の反抗的な言葉は、一気に月麿を追い詰めた。
 ふっと、月麿の態度から反抗的なものが消えた。
 諦めた様子で、肩の力を抜く。観念したみたいに、大きく深呼吸した。
「……萩よりは容易であると踏んでおったのに、当てが外れたのう。やはり、麿の手元で覚醒せなんだ秋姫だけは、一筋縄ではいかなんだか。ならば、力ずくで封印を解かせるまで!」
 勢いよく鼻から息を噴出し、月麿は胴の前で短い腕を突き出し、手を組んで印を結んだ。
 掌の中では、既に何らかの力が結集していたらしく、光り輝く梵字が浮かび上がった。
 月麿は物凄い早口で、呪文を唱えた。
 直後、周囲は強烈な光に包まれ、地面が揺れだした。
 驚いて、体のバランスをとったが、榎は体勢を崩して倒れた。
 足下を、目に見えない強い力で払われた。
 椿も柊も楸も油断したらしく、成す術もなく、同時に倒される。声を上げる余裕もなく、榎たちの体は、光を放つ縄みたいなものに巻き取られ、捕らえられた。
 月麿が陰陽師としての術を使う姿を、初めて見た。
 実力も技量も、何も知らなかったが、伝師一族の補佐を任されているだけあって、かなり卓越された術を使う。
 光を放つ縄は、じわじわと榎の体の中に溶け込んでくる。気持ちが悪い。
 その感覚さえ、徐々に鈍ってくる。頭の働きが遅くなり、体の力が抜けていく。暑い夏のはずなのに、全身を悪寒が襲った。
 まるで、考える力を吸い取られていくみたいだ。眠りに落ちるときの感覚に似ている。
 このまま瞼を閉じれば、二度と目を覚ませそうにない気がした。榎はなんとか意識を保ち、周囲を見る。
 他の三人も、光の縄に捕縛されて、虚ろな目をしていた。抵抗する気力も既になく、微動だにしない。
 気力を振り絞り、月麿を見る。
 榎たちを捕らえる光の縄は、月麿の指先から伸びていた。月麿が縄を操作して、榎たちを捕らえている。
 まるで、榎たちが月麿の操り人形になったみたいだ。
 朦朧(もうろう)とする意識の中、榎の顔の側を、激しい風の刃が通過した。
 宵月夜が放ったものだ。
「四季姫を放せ、月麿!」
 宵月夜の攻撃を間一髪でかわした月麿は、指で縄を操作し、楸の体を側へと引き寄せた。
「動くな、宵月夜! どうやら、お主は秋姫に心を奪われておるらしいのう。秋姫を傷つけられたくなければ、手を出すでない」
 宵月夜の弱点を完全に把握していた月麿は、攻撃を仕掛けてくる宵月夜の前に楸の体を翳(かざ)し、盾とした。宵月夜は攻撃を止めて、歯を食いしばる。
 卑怯な真似だ。いくら、月麿とはいえ、許せる行為ではなかった。
 だが、榎には月麿を止める力はなかった。口を開く余力さえ、残っていない。
 広場は一気に、月麿の独壇場と化した。
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