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第一部 四季姫覚醒の巻

第八章 秋姫対峙 15

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十五
 萩が去り、庵の周囲一帯は平穏な空気を取り戻しつつあった。
 妖怪たちの邪気も消え、頭上には青空が広がり始めた。いつもと変わらない、暑く高い、夏の空だ。
 立ち尽くす榎の側に、猫又と化した猫が歩み寄ってきた。足元で、不安そうな、でも落ち着いた視線を送ってくる。
 榎は屈み込み、猫の喉を優しく撫でた。
「辛かったね、約束通り、元に戻してあげるよ」
 いうまでもなく、猫の体は半ば、浄化しかかっていた。猫の中に溜まった恨みをすべて萩に向かって吐き出し、この世の未練は体内から出て行きつつある。
 榎は何度も、想いを込めて猫を撫でた。猫は気持ち良さそうに榎の手に顔を擦りつけた。やがて、柔らかな毛の感触は薄れ、猫の命は光の粒となり、風に乗って空へと飛び去っていった。
 残った猫の骸を、山へと還す。猫の行く末を祈り、榎たちは静かに黙祷した。
「ところで、椿は、今まで何をしとったんや?」
 目的を遂げ、一息ついた柊が尋ねる。椿は戦いに間に合わずに申し訳なさそうにしていたが、少し遠慮がちに、説明を始めた。
「さっちゃんの名前についてね、少し気になったから、調べていたの」
 椿は嬉しそうに笑いながら、周に視線を向けた。榎たちもつられて、周に向き直る。
「昨日、幼稚園のときの卒園アルバムを見て、もしかして、って思いだしたの。さっちゃん、卒園した頃は佐々木周、なんて名前じゃなかったよね? 写真の名前が書かれた部分が切り取られていたから気になって、椿のアルバムを探していたの。幼稚園のときの先生にも、確認を取ってきたのよ」
 昨日の椿の様子のおかしさは、反抗期ではなく、周の名前について思うところがあったからか。長年の付き合いがある椿だからこそ、気付けた変化だ。
「写真や先生の記憶には、ちゃんとあなたの名前が残っていたわ。あなたの名前が〝長月(ながつき) 楸(しゅう)〟だったって」
 長月 楸――。
 榎はその名前を、反芻して呟いた。
 周は寂しげに微笑み、懐古的な表情を浮かべた。
「昔の、私の名前どす。長月は父親の姓どす。楸という名前も、父がつけてくれましたんや。私は気に入っとるんどすが、人名漢字ではないので、隠し名みたいなもんやったんですけど」
「佐々木っちゃん、家庭の事情で名前が変わったて、前にいうてたな。道理で、表向きな個人情報だけで探しとっても、秋姫はんが見つけられへんわけや」
 記憶を手繰り寄せ、柊が納得している。
 確かに、榎たちの四季姫探しは、いつも手掛かりが根拠に乏しく、短絡的で、効率が悪かった。
 意図して隠れられていれば、見つからなくても当然だった。
 相手が周みたいに頭のいい人間なら、尚更だ。榎たちの捜索網をくぐり抜ける方法なんて、いくらでもある。
 でも、そんな考えは、言い訳に過ぎない。相手がどれだけ素性を隠していたって、やっぱり榎は、仲間として見つけ出さなくてはいけなかった。運任せになんて、している場合ではなかった。
「ずっと一緒に、側にいたのに、気付けなかった。あたしは、何を見ていたんだろう」
「榎はんは、ずっと、前を見ていらっしゃいました。四季姫として、より、正しい道を模索して、必死で歩もうとしておられた」
 落ち込む榎に、周は優しく、笑いかけてくれた。
「私は、ほんまは名乗り出るつもりはなかったんどす。四季姫が揃わずとも、人々を脅威から救う道を、あくまでも部外者として模索して、提示するつもりでした。――でも、榎はんが四季姫の力に委ねる想いは、半端なものではありまへんでした。偽者に対して、あそこまで熱意をぶつけておられる姿を見せ付けられたら、本物が出ぇへんわけには、いきまへんやろう」
 秋姫の気持ちを変えようと、榎は孤軍奮闘してきた。
 結局、目標としていた相手の心には、榎の気持ちなんて、何も響かなかった。
 でも、榎の必死の想いは、秋姫の心を、間違いなく動かした。
 榎の心を覆っていた嫌な靄が、次第に晴れ始めた。
「秋姫として名乗りを挙げたからには、私も、陰陽師として、皆さんと一緒に、使命を果たしたいと思うております。……こんな私を、皆さんが認めてくだされば、の話どすが」
 周は頭を下げた。弓を握る手が、微かに震えている。
 今までずっと黙って、周囲を欺いていた手前、名乗り出るにはとても勇気が必要だったはずだ。
 だからこそ、周の覚悟が、榎には嬉しく、有難かった。
「……楸って、呼んでもいいかな? いつまでも委員長じゃ、味気ないだろう?」
 尋ねると、周は顔を上げた。驚いた表情をしていたが、次第に柔らかな笑顔に変わる。
「いつ以来どすかな。その名で呼んでもらえたんは。とても、懐かしいどす」
 控え目に、はにかむ周を、榎は抱きしめた。
「よろしく、秋姫」
 榎たちを見て、椿も柊も、側に歩み寄ってくる。
「さっちゃんはずっと、椿たちの仲間だったわ!」
「もう、充分に力になってもろうてるんや。つまらん遠慮は、なしでいこうや」
「みなさん、おおきにどす……」
 榎の肩に顔を埋め、秋姫――楸は震える声を返した。
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