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第一部 四季姫覚醒の巻

六章 Interval~宵月夜と周~

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 夕刻。
 周(あまね)は自宅に戻り、庭に面する縁側に足を踏み入れた。
 庭で一番大きな松の木の上で、宵月夜がいつも通り陣取って、木を背凭(せもた)れにして座り込んでいた。
 腕には、白神石を大事そうに、抱えている。
 目を閉じて、物思いに耽(ふけ)っている様子だ。今までに拝んだ記憶のない、安らいだ表情だった。
「宵月夜はんの、あんな穏やかな顔、初めて見るどす」
「目的の石が見つかって、安心なさったのであろう」
 ひとりごちて呟いていると、側に寄ってきた八咫(やた)が、対話してきた。
 八咫も、主人の目的が達せられて、非常にご満悦だ。とても嬉しそうにしていた。
 だが、周には腑に落ちない点もあった。
 白神石は、宵月夜を再び封印する力を持つ、朝月夜を封じた石だと、月麿は言っていた。
 だとすれば、朝月夜は宵月夜にとって、邪魔な存在であるはずだ。
 なのに、宵月夜はとても大切なものだといわんばかりに、白神石を丁寧に扱っている。
 周は訝しんだ。もしかすると、まだ月麿が語っていない秘密が、あの石には込められているのではないだろうか。
 考えをめぐらせていると、視線が突き刺さった。
 宵月夜が、周の存在に気付いて、警戒した眼差しで睨み下ろしていた。
「夏姫たちから、石を取り戻して来い、とでも言われたか」
 相変わらず、人間を敵視した、突っ撥ねる態度だ。
 周は軽く息を付き、返答した。
「榎はんたちは、目的を果たすために人を利用するなんて、卑怯な真似はされまへん」
「俺が卑怯だとでも、いいたいのか」
 周の言葉に不満があったらしく、宵月夜の態度は不機嫌になった。
「あれだけ堂々と言い放っておいて、違う、とでも仰るんか? どんな理由があるにせよ、人を騙して、いいように動かそうなんて、ずるくて卑怯なやり方どす」
 宵月夜の物言いに、少し苛立ちを覚えた。自然と、周の語気は、きつくなっていった。
「あなたの行いには、責任や覚悟が微塵(みじん)も感じられまへん。良くも悪くも、自身の言葉と考えには、責任を持たなあかんのです」
 根拠はない、だが、周はその考えが正しいと思っている。だから、周は口から吐き出す言葉の全てに、責任を課している。行動した後の結果が最悪なものであっても、全て受け入れる覚悟でいる。
 だが、宵月夜は違う。
「あなたは過去の苦しみから、一方的に人間を嫌って、勝手に距離を置いて、自己満足してはるだけどす。昔に、人間に酷い目に遭わされたから、全ての人間に同じ痛みを与えても、ええと思うておられる。憎むも嫌うも自由どすけれど、あなたの言い分を甘んじて受け入れるほど、人間はお人好しではありまへん」
 今回は運よく、宵月夜の思い通りにことが運んだ。だがもし、失敗していたとしたら。きっと何もかもを榎たちのせいにして、己の行いから目を背けていたはずだ。
 簡単に覆せる言葉なんて、ただの屁理屈だ。優柔不断な態度が、周には許せない。
 目を細めて吐き捨てると、宵月夜は少し圧され気味に、肩を震わせた。
 今更、大嫌いな人間の剣幕に怯えているのか。それとも、妖怪に好意を持って、傾倒している周だけは、宵月夜には絶対に逆らわないと、勝手に自負していたのか。
 この妖怪は、少し調子に乗りすぎている。
 一言、叩きつけておいても、悪くはない。周は初めて、宵月夜に不満をぶつけた。
「宵月夜はん、あなたの言葉も態度も、薄っぺらすぎます。甘ったれた、餓鬼の我侭(わがまま)どす。大概にしなはれや」
 宵月夜は、何も返しては来なかった。ただ、唖然として、困惑した表情で、周を見下ろしていた。
 周は踵(きびす)を返し、家の中へ戻った。背後から、宵月夜が呼び止めようと声を掛けてきたが、無視した。
 奥の畳の間で立ち尽くし、少し言い過ぎただろうかと、周は一瞬、罪悪感に囚われた。
 だがすぐに思い直した。口に出した言葉には、責任を持たなくてはいけない。ちゃんと考えた上で放った言葉だ。後悔なんてしない。
「周どの、白神石を手に入れるためとはいえ、お主の親切心を利用してしまい、まことに申し訳ない。全ては、宵月夜さまのご意思であるがゆえ、我には止められず……」
 慌てて後を追ってきた八咫が、申し訳なさそうに声を掛けてきた。
 周のご機嫌をとろうと、必死だった。八咫としては、今、周に愛想をつかされると、非常に困るのだろう。
 どっちつかずで、おろおろしている八咫を見ていると、少し同情したくなった。
「別に、八咫はんが謝らんでもええんどすえ? 八咫はんは、しっかりと与えられた役割を果たしていらっしゃる。泣き言も文句も言わずに、立派やと思います」
 本心だった。会社の中間管理職みたいな微妙な立場で板ばさみに遭いながらも、八咫は八咫なりに、頑張っている。賞賛すべき努力だ。
「私も、興味本位に妖怪はんたちについて知りたがって、皆さんを振り回しておりますし。お互い様で、ええんとちゃいますか?」
 周とて、妖怪について詳しく知りたい欲求のままに、妖怪たちに突っ込んでいった。
 敵意を向けられて、傷つけられる恐れだってあった。何が起ころうと、全て自己責任のつもりで、妖怪たちと向かい合ってきた。
 その過程で、妖怪たちが周に心を開いてくれた事実は、ほんの偶然に過ぎない。
 周こそ、妖怪たちに感謝するべきだ。
「周どのは、まことに心の広い人間であるな。人間と関わらなければ、我らも人間の持つ、いろんな顔には気付けなかった」
 周が笑って見せると、八咫は少し安心した様子で、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「宵月夜さまも、表では強く拒否しておられるが、内心では決して、人間を嫌ってはおらぬ。ただ、過去に色々あって、心を閉ざしておるだけで」
 八咫は、宵月夜の困った行動を庇いたいのだろうが、その考えが、甘え以外の何物でもない。
「辛い思いを、されたんかもしれまへん。けど、誰かに理不尽(りふじん)に傷つけられて、苦しんでおる者は、宵月夜はんだけではないんどす」
 八咫に当たっても、意味がない。だが、ぶつけずにはいられない言葉だった。
「ならば、周どのも、誰かに傷つけられたのであるか? その苦しみを和らげるために、我らが力には、なれぬのか?」
 真剣に、八咫は周を気遣ってくれた。正直に、嬉しい言葉だった。
 だが、立場上、素直に受け入れていい親切だとは、思わなかった。
「そのお気持ちだけで、充分どす。私も少し、我儘が過ぎましたな」
 心配そうに周を見ている八咫をしばらく眺めて、周は気持ちを切り替えて、話題を振った。
「……ときに、八咫はんは、朝月夜はんという妖怪を、ご存知どすか?」
「おお、懐かしいお名前。朝月夜さまは、宵月夜さまの双子の兄上であらせられた」
 八咫の口から出た言葉に、周は驚く。
「双子の兄弟、どすか……?」
 月麿は、宵月夜と朝月夜は、対を成す妖怪だと言っていた。だから、宵月夜を封印する力になったと。
 確かに、血の繋がりのある妖怪ならば、互いに干渉できる要素があるのかもしれない。
 でも、何か、違和感がある。
「朝月夜はんが、今はどうされているかは、ご存知で?」
「千年前に起こった戦いで、命を落とされたと聞き及んでおる」
「では、宵月夜はんが、どないして封印されたか、というお話は……?」
「実は我はその時、宵月夜さまの命により別の地へ仲間を集めに行っておったゆえ、詳しくは何も分からぬのだ。戻ってきてみれば、見知った妖怪たちは、誰もいなくなっておった……」
 八咫は、千年前に平安の京で起こった出来事を、詳しく知らないのか。
 封印は、どんな状況で、どんな方法で行われたのだろう。
 誰にも知らされていない歴史の闇に、別の真実が隠れているのでは。嫌な考えが、周の頭を過ぎり始めた。
 もし、周の考えた仮説が正しければ、榎たち――四季姫の使命に課せられた意味が、大きく違ってくる。
 榎たちに知らせるにしても、もう少し、詳しく調べてみなければいけないと思った。
「朝月夜はんは、どういったお方やったんどす? ご兄弟の仲は、よろしかったんどすか?」
「無論、仲睦まじく暮らしておられた。朝月夜さまも宵月夜さまと同じで、お優しい方であった。宵月夜さまが、弱き妖怪たちを大事に守ってくださる理由は、おそらく朝月夜さまとの温かな思い出があるからなのであろうな。美しき兄弟愛なり!」
「皆さんも、家族みたいに仲良しですもんな」
 返しながら、気付くと周は目を細めて、長い息を吐いていた。だったら、二人の兄弟の間に、何が起こったのだろう。深く考えたかったが、雑念が多くて、うまく頭で纏(まと)められなかった。
「どうかなされたか、周どの」
「いいえ。今日はバタバタして、疲れましたな。ゆっくりしましょうか」
 困惑している八咫に笑いかけ、周は自室へと戻った。
 周の部屋は、家の東側にある。静かな四畳半の部屋だ。朝は気温が上がって熱いが、昼からは日陰になるので、夕刻は比較的、涼しい。
 換気のために、窓を開けて網戸をとりつけてある。窓の側にある勉強机の上に、何かが置いてあった。
 白くて綺麗な石と、切り取ったササユリの花だった。
 網戸を開けて外を仰ぐと、部屋の目の前にある植木の影に、宵月夜が隠れていた。
 本人は見つかっていないつもりらしいが、丸見えだ。
 周に気を遣って、持ってきてくれたのだろうか。
 ササユリの茎を掴んだ。主に西日本に生息し、初夏に咲く、野生の百合だ。
 清楚で、綺麗な花だった。見ていると、とても目映く感じる。
「百合の花は、榎はんに似合う花どすなぁ」
 百合の花言葉は、純粋、無垢(むく)、威厳。まっすぐで、穢(けが)れを知らない榎に、相応しい。
「私には、不釣合いな花どす。眩しすぎて、足元にも及ばへん」
 呟きつつも、心は温かくなった。
「おおきにどす。大事に、飾っておくどす」
 周はわざと大きな声を出して、窓を閉めた。
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