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第三部 四季姫革命の巻
第二十八章 伝記終焉 2
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一番最初に切り込んできた連中は、小回りの利く素早い妖怪たちだった。
津波の如く押し寄せてくる妖怪を、榎が何体か切り捨てた後、京の中心部から甲高い鐘の音が鳴り響いた。
その音に妖怪たちは著しく反応を示し、音のする方角へと一目散に移動していった。その間、側にいた榎など、眼中になしだ。
何が起こったのかと、音のした方角を見つめていると、激しい轟音や稲光が地上から放たれ、妖怪たちが盛大に吹き飛ぶ姿が確認できた。
音の発生源は、きっと紬姫が指揮する伝師の陰陽師たちのいる場所だ。妖怪が反応する特殊な音でおびき寄せて、一気に叩こうとしているのだろう。
お陰で、榎たちが妖怪に襲われる心配はなくなった。お陰で、目的の標的への攻撃に集中することができる。
唯一、放たれる音に反応せず、ゆっくりと京をの中を直進してくるのは、巨大な悪鬼だ。
つと、悪鬼の歩みが途中で止まる。翼を広げて、悪鬼の背後に回り込み、攻撃を加える朝と宵の姿が遠目に確認できた。朝が持つ悪鬼殺しの力は効果覿面らしく、背中に衝撃派を受けた悪鬼は、耳を劈きそうな悲鳴をあげた。
足元でも、激しい光や風が吹き荒れている。柊の放つ氷の攻撃や楸の炎を纏った矢が、間髪入れずに悪鬼へと繰り出される。その攻撃もどうやら有効らしく、悪鬼はバランスを崩していた。
全体的に悪鬼の動きが鈍いのは、椿が動きを制する調べを奏て足止めをしているのだろう。
あの調子なら、きっと大丈夫だ。
榎は安心して、目の前に集中した。
榎の眼前には、二つの人影が立ちはだかる。
語と、四鬼の一体、隠形鬼だ。
「わざわざ僕の前に一人で現れておいて、よそ見してるなんて。いい度胸だね、お姉ちゃん」
語は苛立った様子で、榎を睨みつけてきた。
今まで見せていたみたいな余裕がみられない。ひどく疲れているようにも感じる。
相当、弱っているのではないかと思えた。
「あんたの相手なんて、こいつで充分だよ。隠形鬼、あの目障りな四季姫を始末してしまえ」
榎が剣を構える様子を見ても、語は気怠そうで、やる気がなかった。隠形鬼に視線で合図を送り、代わりに戦わせようと命令を送る。
だが、隠形鬼は腕を組んだまま仁王立ちして、動こうとしない。
「どうしたんだよ、何をだんまりを決め込んでいるんだ」
声を荒げる語に、隠形鬼は冷静に返した。
「目の前に、強き魂を持つ者が二人。果たして、どちらが強いのか。我には見定める必要がある」
「なにそれ。僕を品定めしようっていうの? 生意気だな。もういいよ、お前みたいな役立たずはいらない。また僕に付きたいなんて言ったら、今度こそ殺してやるからな」
舌打ちして、語は素早い身のこなしで先制攻撃を繰り出してきた。腕の起動さえ見えないくらい俊足の動きを見せて、語は邪気を纏った攻撃をぶつけてくる。榎は直感的な勘を働かせて剣を動かし、紙一重で受け止める。
やはり、まだ子供だけあって、打撃の威力はそれほど強くない。だが、この速度で連撃を繰り出されると、厄介だ。
次第に動きについていけなくなり、徐々に榎は体に手傷を受け始める。軽いダメージであるものの、何度も受ければその痛みも消耗も蓄積される。
早めにケリをつけなければ。
榎は精神を集中させ、語の攻撃を一気に弾き返した。
跳ね飛ばされた語は背後に飛び、一旦体勢を整える。
そのわずかな合間に、榎は声を張り上げた。
「語くん、もう潮時だ。こんなことをしても、何の解決にもならない。終わりにしよう」
「そうだね。僕もいい加減、飽きてきたし。だから、何もかも終わりにするよ。この世界、全てを滅ぼしてね」
語は邪悪な影を顔に宿して、陰気に笑う。榎は眉を顰めて、声を荒げた。
「違う、そんな終わり方じゃ意味がない! 悪い力を棄てて、元の時代に戻るんだよ」
「誰が戻るもんか。もう、あの時代に未練なんてないもの。あの時代に、僕の居場所なんてないし、いる理由もない。まあ、この時代にもなかったけれどね!」
語は地面を蹴り付け、忌々しそうに吐き捨てた。
「どこへいっても、思い通りにならない。つまらない、退屈な世界だ。だからいらない。全部ぶっ壊して消してやる。そして、僕も消える。それでいいじゃないか」
語は数々の妨害を受けたり、物事がうまくいかない現状に嫌気がさし、自暴自棄になっているらしい。危険な思想を抱いていた。
榎はなんとか説得できないかと考えるが、中々効果がありそうな言葉が浮かんでこない。
黙っている間にも、語は次々と思いの丈を吐き出していく。
「僕を止めたいのは、あの暴走している妖怪たちを止めたいからだろう? でも、ご生憎さま。僕にはもう、あの暴走している妖怪たちを止める力なんてないよ。何とかしたければ、僕に止めを刺せばいい。殺せよ、さっさと。あんたたちと遊ぶのも、飽きたんだよ」
「駄目だ、一緒に帰るんだ!」
榎のやっとの反論に、語は怒りを露わにして怒鳴り散らした。
「しつこいな! いちいち、僕に命令するな! 僕の人生だぞ、いつ、どこで終わらせたって、僕の自由だろう!?」
「人や妖怪の生き死にの自由を奪っておいて、自分だけ思い通りになると思うのか!?」
語が直接手を下していないにしても、妖怪たちを暴走させたせいで、巻き込まれた人たちはたくさんいる。その妖怪たちだって、望んでそんな行為に走った者ばかりではない。
何の関係もない一般人だって、そして、夏も間接的には、語の生み出した歴史の歪みによって命を落としたと言っても間違いではない。
それだけの罪を犯しておきながら、己の死に自由を求めるなんて、絶対に許されるはずがない。
「うるさい! あんただって、結局お兄さまを助けたいだけなんだろう!? そのためだけに、僕を悪者にするんだろう!? 僕のことを考えてくれない人に、どうしてとやかく言われなくちゃいけないのさ!」
語の怒鳴る台詞の中から、榎は少しずつ、語の本音、心の中に巣食う闇を拾い集め、考えた。
語の暴走の根源にあるものは、伝師の家で受けていた異質な英才教育かと思っていた。
だが、それだけではないのかもしれない。
きっと、語は孤独だったのだろう。
母親とはほとんど会えず、父親も仕事で忙しい。奏や綴とだって、いつも一緒にいられるわけではないし、ただひたすら、一人の空間に籠って学習だけを課せられる毎日。
榎なら、同じ状況に置かれたら、きっと我慢できなかっただろう。その我慢を、語は延々と続けてきた。それだけのことができる強い意志があったのかもしれないし、強要されて無理矢理やらされてきた結果かもしれない。
だが、その生活は、まだ幼い語の心を壊し、歪ませてしまった。同時に、何でも知っていて、何でも得られる身分でありながら、唯一愛情だけが手に入らないと気付き、一番望んだ愛情を与えてくれないこの世界に落胆して、興味を失ったのかもしれない。
誰からも愛情を受けられない。その絶望が憎しみと破壊の願望に変わり、今の語を形成してしまったのだ。
でも、そうじゃないはず。語が完全な孤独の中にいるとは、榎には思えない。
「綴さんや奏さんが、君のことを考えていないと思うのか? 君を思ってくれている人は、ちゃんと近くにいたんだ!」
榎が声を張り上げる。一瞬だけ、語の動きが鈍った。
その隙を逃さず、榎は地面を蹴る。
「君が何を考えていても、あたしが何と言われても構わない。でも、これだけは言わせてもらう!」
榎は語の目の前まで突き進んだ。顔と顔を突き合わせ、最大まで口を開いて、語の耳に言葉を叩きこむ。
「君は狡いよ! 現実から逃げているだけだ! 思い通りにならないから、何もかもなかったことにしようなんて、考えが単純すぎるよ。君は頭が良いんだろう? 誰よりも世の中の仕組みを理解して、悪い部分もたくさん知っているから、この世界に絶望しているんだ。けど、知っているなら、君の頭の中にある知識を使って、変えていけばいいんじゃないのか? その方法だって、君なら導き出せるんじゃないのか?」
榎がまくしたてると、語は少し怯んで目を細めた。体を震わせ、困惑の表情を浮かべる。
動揺している。きっと、榎の意見は、語の中には全くなかった発想だったのだろう。そのため、考えれば考えるほど、語の世界に組み立てられたあらゆる世界観と、本来の世界との間に歪ができているのかもしれない。
「世界を壊す力があるなら、救う力だって持っているはずだろう!? どうしてその力を、大切な人のために使わないんだ! あたしは馬鹿だから、突っ込んで、ぶつかっていく方法しか分からないんだ。でも、君は違う。ちゃんと見つけ出せる。役立たずなんかじゃないよ、綴さんを救う力を、ちゃんと持っているはずなんだ! そんな君を、綴さんも奏さんも尊敬して、弟として愛しているんだ! そんなかけがえのない人たちを、君は消してしまうのか!? 本当に、それでいいのか!?」
榎は語の小さな肩を掴む。抵抗しなかった。語話はなすがままに、肩を揺すぶられて呆然としていた。
「思い出して、綴さんや、奏さんの姿を」
「お兄さま、お姉さま……」
語の、小さな呟き。
少しずつ、語の心は揺らいでいる。もうひといきだ。
「帰ろう。みんな、待ってるから。君には、帰る場所が、あるんだから」
榎は、語をやさしく、しかし力強く抱きしめた。
途端に、語の大きな瞳から大粒の涙が溢れだし、口からは嗚咽が漏れた。
それと同時に、語の体から邪気が湯気みたいに立ち昇り、勢いよく抜けて行った。
空中に飛散した邪気は、意志を持った生物みたいに空中を動き回り、どこか遠くへと飛んでいった。
直後、語の体から力が抜け、ぐったりと榎に身を任せて、気を失った。
邪気を体内に吸収したせいで、この小さな体ではとてつもない疲労を蓄積していたのだろう。深い眠りについた語のあどけない寝顔を見つめながら、榎は安堵した。
語を脇の壁際に座らせ、榎は側でじっと戦いの結末を観察していた隠形鬼に向き直った。
「お前の主人は、もうそちら側には戻らない。それでも、まだ戦うか?」
「勝負あった。其方こそ、真に強き魂を持つ者。歪んだ強き力に惑わされ、危うく見誤るところであった」
榎の言葉を無視して、隠形鬼は淡々と言葉を紡ぐ。
「我が同胞たちは皆、強き魂を見つけてその力を得た。最後は、我の番だ」
「何を、訳の分からないことを……」
隠形鬼は有無を言わさず、全体から白い光を放った。体の輪郭はその光の中に溶け込んで原型を失い、ただの眩しい塊へと姿を変える。
その光の塊は物凄い速さで榎に向かって飛んできて、構えた剣に纏わりついて、中に吸い込まれていった。
「剣の柄に、勝手に……」
光は完全に剣と同化して、その面影は完全に見えなくなった。ただ、柄の部分に、大きな真珠みたいな白く丸い塊が埋め込まれていた。
だが、以前に鬼閻の呪いを受けた経験があるために、また悪影響が出るものではないかと、榎は少し気味悪さと警戒心を抱いた。
だが、そういった悪いものとは対照的に、妙に力が漲る感覚が気になった。
直感的に考えると、この力は、榎に良い効果をもたらしてくれるものかもしれないとも、思えてきた。隠形鬼の力のせいなのか、頭がすっきりと冴えわたる。視界や聴覚も研ぎ澄まされ、周囲の状況が今まで以上に細かく、鮮明に認識できるようになった。
一番に入り込んできたのは、京の中心部で大量の妖怪たちと戦いを続ける、紬姫と陰陽師たちの声。幾重にも呪文を唱える声が積み重なり、大きくなる。
同様に聞こえる、気味の悪い雑音は、妖怪たちの怒号や悲鳴。音のバランスは拮抗していて、決着がつきそうにない。戦いが難航している状況が理解できる。
だが、語の体から抜け去った邪気が京から離れ、感じ取れなくなるにつれて、妖怪たちに影響を与えていた邪気も、徐々に薄まってきた感じがした。それと共に妖怪たちの覇気や勢いも衰え、次第に陰陽師たちの力が圧してきた。
紬姫の、甲高い鈴が激しく鳴り響くような声と共に、黄金色に輝く雷が落ち、地上を金色の輝きに染めた。直後、断末魔の悲鳴が幅広い場所で響き渡り、やがて妖怪たちの気配は静まり返って、感じられなくなった。
紬姫たちが勝利を得た。あちらは、もう大丈夫だ。
続いて耳に入っていた音は、恐ろしい威圧感を放つ咆哮。
巨大な悪鬼が放つ、邪気に満ちた声だ。
声のする方角に目を向けると、巨大な悪鬼は体勢を崩しつつも、まだ足をしっかりふばって立ち続けていた。
悪鬼との戦いは、かなり難航しているらしい。
早く、助けに行かなければ。
榎は語を人目に付かない低木の下に隠し、悪鬼の足元に向かって駆けて行った。
一番最初に切り込んできた連中は、小回りの利く素早い妖怪たちだった。
津波の如く押し寄せてくる妖怪を、榎が何体か切り捨てた後、京の中心部から甲高い鐘の音が鳴り響いた。
その音に妖怪たちは著しく反応を示し、音のする方角へと一目散に移動していった。その間、側にいた榎など、眼中になしだ。
何が起こったのかと、音のした方角を見つめていると、激しい轟音や稲光が地上から放たれ、妖怪たちが盛大に吹き飛ぶ姿が確認できた。
音の発生源は、きっと紬姫が指揮する伝師の陰陽師たちのいる場所だ。妖怪が反応する特殊な音でおびき寄せて、一気に叩こうとしているのだろう。
お陰で、榎たちが妖怪に襲われる心配はなくなった。お陰で、目的の標的への攻撃に集中することができる。
唯一、放たれる音に反応せず、ゆっくりと京をの中を直進してくるのは、巨大な悪鬼だ。
つと、悪鬼の歩みが途中で止まる。翼を広げて、悪鬼の背後に回り込み、攻撃を加える朝と宵の姿が遠目に確認できた。朝が持つ悪鬼殺しの力は効果覿面らしく、背中に衝撃派を受けた悪鬼は、耳を劈きそうな悲鳴をあげた。
足元でも、激しい光や風が吹き荒れている。柊の放つ氷の攻撃や楸の炎を纏った矢が、間髪入れずに悪鬼へと繰り出される。その攻撃もどうやら有効らしく、悪鬼はバランスを崩していた。
全体的に悪鬼の動きが鈍いのは、椿が動きを制する調べを奏て足止めをしているのだろう。
あの調子なら、きっと大丈夫だ。
榎は安心して、目の前に集中した。
榎の眼前には、二つの人影が立ちはだかる。
語と、四鬼の一体、隠形鬼だ。
「わざわざ僕の前に一人で現れておいて、よそ見してるなんて。いい度胸だね、お姉ちゃん」
語は苛立った様子で、榎を睨みつけてきた。
今まで見せていたみたいな余裕がみられない。ひどく疲れているようにも感じる。
相当、弱っているのではないかと思えた。
「あんたの相手なんて、こいつで充分だよ。隠形鬼、あの目障りな四季姫を始末してしまえ」
榎が剣を構える様子を見ても、語は気怠そうで、やる気がなかった。隠形鬼に視線で合図を送り、代わりに戦わせようと命令を送る。
だが、隠形鬼は腕を組んだまま仁王立ちして、動こうとしない。
「どうしたんだよ、何をだんまりを決め込んでいるんだ」
声を荒げる語に、隠形鬼は冷静に返した。
「目の前に、強き魂を持つ者が二人。果たして、どちらが強いのか。我には見定める必要がある」
「なにそれ。僕を品定めしようっていうの? 生意気だな。もういいよ、お前みたいな役立たずはいらない。また僕に付きたいなんて言ったら、今度こそ殺してやるからな」
舌打ちして、語は素早い身のこなしで先制攻撃を繰り出してきた。腕の起動さえ見えないくらい俊足の動きを見せて、語は邪気を纏った攻撃をぶつけてくる。榎は直感的な勘を働かせて剣を動かし、紙一重で受け止める。
やはり、まだ子供だけあって、打撃の威力はそれほど強くない。だが、この速度で連撃を繰り出されると、厄介だ。
次第に動きについていけなくなり、徐々に榎は体に手傷を受け始める。軽いダメージであるものの、何度も受ければその痛みも消耗も蓄積される。
早めにケリをつけなければ。
榎は精神を集中させ、語の攻撃を一気に弾き返した。
跳ね飛ばされた語は背後に飛び、一旦体勢を整える。
そのわずかな合間に、榎は声を張り上げた。
「語くん、もう潮時だ。こんなことをしても、何の解決にもならない。終わりにしよう」
「そうだね。僕もいい加減、飽きてきたし。だから、何もかも終わりにするよ。この世界、全てを滅ぼしてね」
語は邪悪な影を顔に宿して、陰気に笑う。榎は眉を顰めて、声を荒げた。
「違う、そんな終わり方じゃ意味がない! 悪い力を棄てて、元の時代に戻るんだよ」
「誰が戻るもんか。もう、あの時代に未練なんてないもの。あの時代に、僕の居場所なんてないし、いる理由もない。まあ、この時代にもなかったけれどね!」
語は地面を蹴り付け、忌々しそうに吐き捨てた。
「どこへいっても、思い通りにならない。つまらない、退屈な世界だ。だからいらない。全部ぶっ壊して消してやる。そして、僕も消える。それでいいじゃないか」
語は数々の妨害を受けたり、物事がうまくいかない現状に嫌気がさし、自暴自棄になっているらしい。危険な思想を抱いていた。
榎はなんとか説得できないかと考えるが、中々効果がありそうな言葉が浮かんでこない。
黙っている間にも、語は次々と思いの丈を吐き出していく。
「僕を止めたいのは、あの暴走している妖怪たちを止めたいからだろう? でも、ご生憎さま。僕にはもう、あの暴走している妖怪たちを止める力なんてないよ。何とかしたければ、僕に止めを刺せばいい。殺せよ、さっさと。あんたたちと遊ぶのも、飽きたんだよ」
「駄目だ、一緒に帰るんだ!」
榎のやっとの反論に、語は怒りを露わにして怒鳴り散らした。
「しつこいな! いちいち、僕に命令するな! 僕の人生だぞ、いつ、どこで終わらせたって、僕の自由だろう!?」
「人や妖怪の生き死にの自由を奪っておいて、自分だけ思い通りになると思うのか!?」
語が直接手を下していないにしても、妖怪たちを暴走させたせいで、巻き込まれた人たちはたくさんいる。その妖怪たちだって、望んでそんな行為に走った者ばかりではない。
何の関係もない一般人だって、そして、夏も間接的には、語の生み出した歴史の歪みによって命を落としたと言っても間違いではない。
それだけの罪を犯しておきながら、己の死に自由を求めるなんて、絶対に許されるはずがない。
「うるさい! あんただって、結局お兄さまを助けたいだけなんだろう!? そのためだけに、僕を悪者にするんだろう!? 僕のことを考えてくれない人に、どうしてとやかく言われなくちゃいけないのさ!」
語の怒鳴る台詞の中から、榎は少しずつ、語の本音、心の中に巣食う闇を拾い集め、考えた。
語の暴走の根源にあるものは、伝師の家で受けていた異質な英才教育かと思っていた。
だが、それだけではないのかもしれない。
きっと、語は孤独だったのだろう。
母親とはほとんど会えず、父親も仕事で忙しい。奏や綴とだって、いつも一緒にいられるわけではないし、ただひたすら、一人の空間に籠って学習だけを課せられる毎日。
榎なら、同じ状況に置かれたら、きっと我慢できなかっただろう。その我慢を、語は延々と続けてきた。それだけのことができる強い意志があったのかもしれないし、強要されて無理矢理やらされてきた結果かもしれない。
だが、その生活は、まだ幼い語の心を壊し、歪ませてしまった。同時に、何でも知っていて、何でも得られる身分でありながら、唯一愛情だけが手に入らないと気付き、一番望んだ愛情を与えてくれないこの世界に落胆して、興味を失ったのかもしれない。
誰からも愛情を受けられない。その絶望が憎しみと破壊の願望に変わり、今の語を形成してしまったのだ。
でも、そうじゃないはず。語が完全な孤独の中にいるとは、榎には思えない。
「綴さんや奏さんが、君のことを考えていないと思うのか? 君を思ってくれている人は、ちゃんと近くにいたんだ!」
榎が声を張り上げる。一瞬だけ、語の動きが鈍った。
その隙を逃さず、榎は地面を蹴る。
「君が何を考えていても、あたしが何と言われても構わない。でも、これだけは言わせてもらう!」
榎は語の目の前まで突き進んだ。顔と顔を突き合わせ、最大まで口を開いて、語の耳に言葉を叩きこむ。
「君は狡いよ! 現実から逃げているだけだ! 思い通りにならないから、何もかもなかったことにしようなんて、考えが単純すぎるよ。君は頭が良いんだろう? 誰よりも世の中の仕組みを理解して、悪い部分もたくさん知っているから、この世界に絶望しているんだ。けど、知っているなら、君の頭の中にある知識を使って、変えていけばいいんじゃないのか? その方法だって、君なら導き出せるんじゃないのか?」
榎がまくしたてると、語は少し怯んで目を細めた。体を震わせ、困惑の表情を浮かべる。
動揺している。きっと、榎の意見は、語の中には全くなかった発想だったのだろう。そのため、考えれば考えるほど、語の世界に組み立てられたあらゆる世界観と、本来の世界との間に歪ができているのかもしれない。
「世界を壊す力があるなら、救う力だって持っているはずだろう!? どうしてその力を、大切な人のために使わないんだ! あたしは馬鹿だから、突っ込んで、ぶつかっていく方法しか分からないんだ。でも、君は違う。ちゃんと見つけ出せる。役立たずなんかじゃないよ、綴さんを救う力を、ちゃんと持っているはずなんだ! そんな君を、綴さんも奏さんも尊敬して、弟として愛しているんだ! そんなかけがえのない人たちを、君は消してしまうのか!? 本当に、それでいいのか!?」
榎は語の小さな肩を掴む。抵抗しなかった。語話はなすがままに、肩を揺すぶられて呆然としていた。
「思い出して、綴さんや、奏さんの姿を」
「お兄さま、お姉さま……」
語の、小さな呟き。
少しずつ、語の心は揺らいでいる。もうひといきだ。
「帰ろう。みんな、待ってるから。君には、帰る場所が、あるんだから」
榎は、語をやさしく、しかし力強く抱きしめた。
途端に、語の大きな瞳から大粒の涙が溢れだし、口からは嗚咽が漏れた。
それと同時に、語の体から邪気が湯気みたいに立ち昇り、勢いよく抜けて行った。
空中に飛散した邪気は、意志を持った生物みたいに空中を動き回り、どこか遠くへと飛んでいった。
直後、語の体から力が抜け、ぐったりと榎に身を任せて、気を失った。
邪気を体内に吸収したせいで、この小さな体ではとてつもない疲労を蓄積していたのだろう。深い眠りについた語のあどけない寝顔を見つめながら、榎は安堵した。
語を脇の壁際に座らせ、榎は側でじっと戦いの結末を観察していた隠形鬼に向き直った。
「お前の主人は、もうそちら側には戻らない。それでも、まだ戦うか?」
「勝負あった。其方こそ、真に強き魂を持つ者。歪んだ強き力に惑わされ、危うく見誤るところであった」
榎の言葉を無視して、隠形鬼は淡々と言葉を紡ぐ。
「我が同胞たちは皆、強き魂を見つけてその力を得た。最後は、我の番だ」
「何を、訳の分からないことを……」
隠形鬼は有無を言わさず、全体から白い光を放った。体の輪郭はその光の中に溶け込んで原型を失い、ただの眩しい塊へと姿を変える。
その光の塊は物凄い速さで榎に向かって飛んできて、構えた剣に纏わりついて、中に吸い込まれていった。
「剣の柄に、勝手に……」
光は完全に剣と同化して、その面影は完全に見えなくなった。ただ、柄の部分に、大きな真珠みたいな白く丸い塊が埋め込まれていた。
だが、以前に鬼閻の呪いを受けた経験があるために、また悪影響が出るものではないかと、榎は少し気味悪さと警戒心を抱いた。
だが、そういった悪いものとは対照的に、妙に力が漲る感覚が気になった。
直感的に考えると、この力は、榎に良い効果をもたらしてくれるものかもしれないとも、思えてきた。隠形鬼の力のせいなのか、頭がすっきりと冴えわたる。視界や聴覚も研ぎ澄まされ、周囲の状況が今まで以上に細かく、鮮明に認識できるようになった。
一番に入り込んできたのは、京の中心部で大量の妖怪たちと戦いを続ける、紬姫と陰陽師たちの声。幾重にも呪文を唱える声が積み重なり、大きくなる。
同様に聞こえる、気味の悪い雑音は、妖怪たちの怒号や悲鳴。音のバランスは拮抗していて、決着がつきそうにない。戦いが難航している状況が理解できる。
だが、語の体から抜け去った邪気が京から離れ、感じ取れなくなるにつれて、妖怪たちに影響を与えていた邪気も、徐々に薄まってきた感じがした。それと共に妖怪たちの覇気や勢いも衰え、次第に陰陽師たちの力が圧してきた。
紬姫の、甲高い鈴が激しく鳴り響くような声と共に、黄金色に輝く雷が落ち、地上を金色の輝きに染めた。直後、断末魔の悲鳴が幅広い場所で響き渡り、やがて妖怪たちの気配は静まり返って、感じられなくなった。
紬姫たちが勝利を得た。あちらは、もう大丈夫だ。
続いて耳に入っていた音は、恐ろしい威圧感を放つ咆哮。
巨大な悪鬼が放つ、邪気に満ちた声だ。
声のする方角に目を向けると、巨大な悪鬼は体勢を崩しつつも、まだ足をしっかりふばって立ち続けていた。
悪鬼との戦いは、かなり難航しているらしい。
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