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第三部 四季姫革命の巻

第二十六章 夏姫革命 4

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 4

 話は纏まったが、すぐには動けそうになかった。
 守親は気分が悪いと言って屋敷の奥に籠ってしまった。夏も無言を貫き、縁側に腰掛けて、庭と曇り空を見つめている。
 榎が夏の側に近寄ると、振り向きもせずに静かに語り掛けてきた。
「気味の悪い話を、聞かせてしまったね」
 詫びる夏に、どう返していいか分からず、榎は困ってたじろぐ。
「いや、あの、そういう話って、本当にあるんだなあって……」
 そんな言葉しか、出てこなかった。だが実際、こんな空気の中で、夏にどんな言葉をかけていいのかも分からない。
 夏がさっきのやり取りで何を感じ、今、何を思っているのかさえ、分からないのだから。
「別に、珍しいものでもないさ。何なら、其方も試してみるかい?」
 落ち込んだり、不愉快な気分になっているというわけでは、なさそうだった。逆に、いつもと変わらない飄々とした調子で振り返り、意地の悪そうな笑みを浮かべて、体を近付けてくる。
 榎は顔が熱くなるのを感じながら、首を振って後退った。
「いやいや、あたしは、そういうのは……」
「冗談だ、真に受けるな。榎は初心な娘だな」
 榎の動揺しまくった挙動を見て、夏は吹き出して笑った。夏の冗談は冗談に思えないから、怖いのだが。本人は自覚がないらしい。
「でも、女同士であっても、お互いに好き合っていたんですよね……?」
 夏の趣向が特殊なものであっても、榎はそれを軽蔑したり、気味の悪いものだとは思わなかった。その行為の中に、相手を本気で思う気持ちがあるのならば、何の問題もないはずだと榎は思っている。
「恋慕などなくとも、人は抱けるよ。多くの女は皆、そうして望まぬ男に抱かれて生きておるのだから」
 だが、夏の言葉からは相変わらず、真摯な意思が伝わってこない。
「最初は、あの女の身に恥を与えることで、私の身を守るつもりだった。本来、私は宝剣以外に認められた夏姫ではなかったし、本物の夏姫であった姉――橘子が悪鬼になったなど、本家に言えるはずもなかった。正体が知れる前に、少しあの小娘を脅しておけば口封じになると思ったのだ」
 そんな話を聞くと、夏と紬姫の関係は強制的なものだったのだろうかと、嫌な感じが心中に広がる。
「紬姫は望んでいなかったのに、夏さんが無理矢理……?」
「さあ、どう思っていたのかな。あの女の頭の中は、今もって分からぬのだ」
 最初は、何の情もない行いだったのかもしれない。でも、少なくとも夏の中には、紬姫に対する特別な感情が生まれていたのではないだろうか。
 夏の複雑そうな表情を見ていると、そう思わずにはいられなかった。
 たいして関心がなさそうな言動を貫いているが、夏は常に、紬姫の存在を意識しているように思える。表向きは口封じや脅しだと嘯(うそぶ)いているが、本当は何よりも、紬姫を気に懸け、心の中で想い続けているのではないだろうか。
 もしかして、夏にとっては、あの封印の儀式は、四季姫の使命以上の意味を持っていたのかもしれない。
「あの、命懸けで鬼閻を封印した理由は、平安京を救うためだけじゃなくて、紬姫の命を助けようとしたんじゃ……」
「さあね。忘れてしまったよ。今となっては、どうでもよい話だ。私は既に、獅子に狩られる兎なのだから」
 変わらず、気力のない返事をする夏に、榎は更に食いついた。
「あなたは、必死に諦めようとしている気がします。必死で、好きな人を、紬姫を遠ざけて、忘れようとしている、そんな感じがします」
「……其方のような子供の眼にも、分かってしまうのかね」
 しばらく間を開けて、夏が初めて、本音を語った気がした。
 穏やかな、寂しげな瞳を細めて、雪が降りだしそうな空を仰ぐ。
「だって、どう願っても、叶わぬ夢なのだから。私のような者が、愛するものと、結ばれるはずなどない。だから、さっさと忘れてしまおうとした。二度と会わなければ、お互いに狂った欲情に身を焼かれることもない」
 女同士では、いくら愛し合っていても結ばれない。現代でだってまだ偏見や差別が多い問題なのだから、千年前のこの時代で、快く受け入れられていたとは思えない。
「紬姫には、添い遂げるべき男がいる。相応しい男とは思えぬが、それが定めである限り、どう足掻いても何も変わらないのだ」
「あなたのその気持ちを、紬姫は知っているのですか? ただ、何も言わずに身を引いたあなたに、裏切られたと勘違いして、憎んでいるのではないのですか?」
 もし、紬姫にも夏に対して強く思うところがあったとしたなら。
 紬姫にとって、四季姫の――夏の行いは、酷い裏切りに思えたのではないだろうか。
 二人の間には、大きなすれ違いと亀裂が生まれてしまう原因になったのかもしれない。
「なら、そのまま憎み続けて、殺してくれれば本望だ」
「諦めちゃ駄目ですよ! 紬姫だって、夏さんが自分の身を案じてくれたと分かれば、裏切りが誤解だったと分かってくれるかもしれない。そうなれば、四季姫たちを根絶やしにしようなんて考えも、変わるかもしれない。皆さんの命も、助けられるかもしれないんですよ!?」
 もし、紬姫が今でも夏に対して想いを抱いているとしたら。その気持ちこそが、紬姫を暴走させた怒りの根源なのだとしたら。
 ちゃんと夏の本心を伝えれば、二人の仲は修復できるのではないだろうか。
「――まことに、そこまでしてこの世で生き続けることが、幸福であるのか」
 夏は榎の案を否定はしなかったが、代わりに懇々と、自身の考えを吐き出した。
 夏の中からいつも垣間見えていた、底の見えない陰りが具現化したような、絶望に満ちた言葉だった。
「そうまでして生き続けて、我等に何が残る? ただ生きているだけの命と、望むままに生きることが、同じだと思うか?」
 榎に向けられた夏の視線は、深い闇に澱んで見えた。直視すると、その闇の中に吸い込まれそうな気がして、榎は自然と目線を足元にずらしていた。
「――榎。千年後の世界は、平和だろうか。皆が不安から救われ、幸せに暮らせているのだろうか」
 突然の問い掛けに、榎は言葉を返せなかった。
 以前の榎なら、胸を張って「平和だ」と言えたかもしれない。
 だが、いろんな人たちが苦しみ、人生に葛藤を抱きながら生きている様子を垣間見てきた今、そんな軽々しい言葉を平然と放ってはいけない気がしている。
 現代にだって、絶望は間違いなくある。幸せな人もいれば、不幸な人も必ずいる。
 どんな言葉を放てばいいのか、考えが纏まらずに固まっている榎を見て、夏は寂しげに微笑んだ。
「愚問だったな。お主がわざわざ時を渡ってやってきた理由を考えれば、すぐに分かる。――結局、何をどう足掻いても、人が望む幸福の欲望に限りはないのだ。そなたも、暮らしている時代の行く末に不満があるから、過去を変えるためにわざわざやってきたのであろう? もし、受け入れがたい運命を受け入れて生き続けなければならないと悟った時、それでも其方は、生き続けていられるか?」
 夏の問い掛けは、究極の問題だった。
「この時代で使命を果たせずに元の時代に戻った時に、愛する者が、望む者の姿がそこにいなかったら、お前はどうする? それでも前を見て、未来を見据えて幸せに生きて行けるのか?」
 もし、榎が伝師の消滅を受け入れて、時も渡らずにそのまま現代に留まって暮らし続けたら。
 そんな生活に、納得がいっただろうか。耐えられただろうか。
 きっと、無理だ。
「私も、無理だ」
 榎の心を読んだみたいに、夏は呟いた。
「私よりも、あの呪われた家を取り、誤った道を歩んで滅んでいくあの娘の姿など、見るに堪えない。せめて、力の拠り所となる鬼閻を封じれば目が覚めるかもしれぬと、自分だけではなく、仲間の力さえ犠牲にして一族の未来を救ったというのに、この仕打ちだ。私には、未来は変えられなかった」
 やっと、分かった気がする。
 夏は、紬姫の未来を救うために、四季姫の力を駆使して必死で戦った。
 今の榎と同じように、がむしゃらに。持てる力の全てを使って。
 それでも、どうにもならない現実だった。夏の生きる未来には、絶望しか残らなかった――。
「私はもう、疲れ切っているのだろうね。この世で生きることに。私の知る紬姫は、もう死んだのだ。だから私も、後を追う。それだけだ」
 項垂れる夏を見て、榎は夏に協力を求めたことを後悔した。
「ごめんなさい。夏さんも、ずっと、辛い思いを押し殺して、苦しんでいたんですね。本当は、都の中に戻ってくるのだって、嫌だったはずだ。なのに、あたしに付き合って、無理に……」
 この人に、事情なんて話すべきじゃなかった。また、余計な重荷を背負わせてしまう。
 いつまでも、夏に甘えていてはいけない。榎は拳を握り、決意を固めた。
「夏さんは、ここに隠れていてください。ここから先は、あたし一人で行きます」
「其方一人の力で、何ができる?」
「分かりません。でも、何もせずに、ただ最悪の未来を受け入れるだけなんて、あたしは嫌だから。もしかしたら、どうにもならないかもしれない。あたしなんかのちっぽけな力では、未来は変えられないのかもしれない。それでも、足掻くだけ足掻いておかなければ、後で絶対に後悔する。どうせ絶望するなら、後悔せずにしたい」
 それが、榎のやり方だ。今までだって榎は、最悪な結果になるかもしれないと思っていても、決して立ち止まらなかった。
「夏さんも、そう思ったから、止められる確証がなくても、全てを投げ打って紬姫を止めようとしたんでしょう? だから、絶望はしても、後悔はしていないはずだ。たとえ、四季姫たちの身を犠牲にしたことに罪悪感を覚えていても」
 夏の瞳が、大きく開かれる。榎は強く、頷き返した。
 榎には、榎のするべき使命がある。だが、それに夏を巻き込んで、無理矢理辛い場所に戻す必要はない。
「心が疲れて動けないのなら、ここで休んでいてください。あたしが頑張って、もし紬姫を救うことができたなら、夏さんだって、元気になれるかもしれないから」
 呆然としている夏を尻目に、榎は屋敷の奥に足を踏み入れた。入り口に背を向けて壁を睨み付けている守親に歩み寄り、声を掛ける。
「守親さん。あたしに、力を貸してください。紬姫を助けるために、事情を話したい。話を聞いてもらえるように、紬姫を説得して欲しいのです」
「あの汚らわしい女も、共に来るのであろう?」
 守親は、不満そうに低い声を漏らした。
「夏さんは、来ません。あたし一人です」
 榎の言葉を聞くと同時に、守親の表情が一気に明るくなった。
「ようやく、身の程をわきまえたか! 当然だ、あのような狂った化け物を二度と妻に近付けさせはせぬ!」
 勢いよく立ち上がり、腰に手を当ててふんぞり返る。よっぽど夏が嫌らしい。
 守親を手早く説得するためにも、夏をここに留めておくのは得策だった。
「だが、説得と言うても、我も賊共を倒すためにと外に飛び出してきた身。手ぶらで帰っては示しがつかぬし、紬姫も機嫌を損ねるやもしれぬ」
 実の夫であっても紬姫のご機嫌取りは難しいらしく、どうやって紬姫に話を通そうかと、深く考え込み始めた。
 他に方法がないとはいえ、本当にこの人に任せて大丈夫か。少し、不安になった。
 しばらく考えを巡らせた後、何やら閃いたらしく、守親は榎を指さしてきた。
「其方は姿が夏姫に似ておる。我が夏姫を捕えた、ということにして、紬姫の下に連れて行くのはどうであろう」
 意外と、筋の通った作戦だった。それなら榎が直接、紬姫の側まで行けるし、話もできるかもしれない。
「いい方法かもしれません、それでいきましょう!」
「そうであろう、流石は伝師の長! 我の頭も捨てたものではない!」
 榎も乗り気になると、守親はますます鼻高々になり、高笑いを始めた。
「おそらく、紬姫の元には行けるだろうが、その後有無を言わさず殺されたとしても、我を恨むでないぞ」
 せっかくテンションを上げて勢いをつけているのに、最後の最後に嫌な言葉を吐く。空気を読まない人だ。
「……殺されないように、努力します」
 危険は承知の上だ。榎は再度、気を取り直して覚悟を決めた。
 守親によって、麻の紐で手首を後ろ手に縛られる。口には猿轡を噛まされ、いかにも無念に捕まった、といった様相を作ってみた。
 どこからどう見ても、榎は捕らえられた夏姫にしか見えないはずだ。この格好なら、都の中でも堂々と歩ける。
 ――行ってきます、夏さん。待っていてくださいね。
 屋敷の玄関で、榎は心の中で呟く。
 式神たちが快く手を振って、見送ってくれた。
 夏の姿は、ここからでは見えなかった。
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