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第三部 四季姫革命の巻

第二十五章 冬姫革命 5

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 五

 柊はその日の晩を、了念夫婦と共に小屋で過ごした。質素な茣蓙に包まって、良質な眠りが取れたとは思わないが、それでも温かな囲炉裏の傍で眠れたのは有り難かった。
 最悪、二人に出会えていなかったら、野宿をする羽目になって、凍死していたかもしれない。
 熟睡はできなかったが、ウトウトと起きたり眠ったりを繰り返しているうちに、気付くと小屋の隙間から陽が射してきた。夜が明けたのだろう。
 ゆっくりと体を起こし、固まった筋肉をほぐす。
 今のところ、妖怪や悪鬼と言った、怪しい気配は周囲に感じられない。
 静かで、平和な朝だ。
 このまま、何事もなく了念たちが生活を続けてくれれば、柊も安心できるのだが。
 語がこの時代の歴史を改竄しようとしている以上、何かが起こるに違いない。
 柊は気持ちを引き締めて、気を張り巡らせた。
 だが、その時には柊は気付いていなかった。
 身の危機は、決して外側からばかり来るものではないのだと。
 小屋の壁に取り付けられた庇(ひさし)を持ち上げると、中に朝日が差し込んでくる。
 この時代には窓ガラスなんてないから、冷たい風が窓から直接、吹き込んできた。
 だが、囲炉裏の傍で眠っていたために少し火照った頬には、心地よかった。
 深呼吸して部屋の中に目を向けると、大きな異変に気が付いた。
 囲炉裏を挟んで向かい側に横になっていた冬姫の様子がおかしい。
 蹲って、激しい息遣いで体を震わせていた。
「お冬はん、どないしたんや!? 大丈夫か!」
 慌てて駆け寄り、顔を覗き込む。
 それほど暑い室内でもないのに、冬姫は顔から滝のように汗を滴らせていた。苦しそうに浅い呼吸を繰り返しながら、無心で腹部を抑えている。
「お冬、しっかりしろ! 腹が痛むのか!?」
 騒ぎに気付いた了念も飛び起きて、冬姫の上体を起こそうとする。
 冬姫が苦しそうな悲鳴を上げた。同時に、下腹部に掛けていた着物が濡れていると気付いた。
 柊の全身から、血の気が引く。詳しくは知らないが、赤ちゃんが母親のお腹から出てくるときには、中の膜が破れて水が出てくるらしい。破水というやつだ。
「これって、まさか、生まれるんか!? こないな時に」
 冬姫の症状も、きっと陣痛なのだろう。破水が起こったからには、出産は時間の問題だ。
 だが、この小屋にはお産をするための設備も経験者も、何もかも揃っていない。
「産婆さんは、すぐに連れてこれんのか?」
「できぬ、住んでおる場所が遠すぎる。もっと余裕を持たせて連れてくるつもりだったが、思ったよりも早すぎた」
 妊娠してから赤ちゃんが生まれるまでの間の期間は、だいたい十ヵ月くらいと決まっているらしいが、確実にいつ生まれるかなんて、誰にも分からない。
 こんな事態だって、あって然るべきだとは思うが、最悪の状況だった。
「麓まで連れて降りるんも、無理やしな」
 お産の準備が始まってしまっては、体を動かすなんて絶対にできない。
「どうすればよいのだ。どうすれば、お冬は、腹の子は助かる!?」
 了念は取り乱し、大声を張り上げる。普段はいかに屈強で頼もしい男でも、こんな場面ではろくに役立たない。
「騒いだらあかん! お冬はんの体に障る!」
 慌てふためく了念に、柊は声を張り上げて喝を入れた。
「了念はん、湯を沸かすんや! あと、できるだけ綺麗な布を用意して!」
「何を、する気だ、お主……」
「何って、お産の準備に決まっとるやろ。動かせへんねんから、この小屋ん中で産むしかないんやで」
「お主、赤子を取り上げられるのか?」
「そんなん分かるかい、初めてやねんから!」
 柊の大声を聞くと同時に、了念の顔から血の気が引いていく様子が、はっきり分かった。
 了念が絶望的な状況になっても仕方がない。出産に立ち会った経験もない、小娘とおっさんが二人集まったところで、妊婦のために何ができるのか。できることなんてあるのか。
 わからないが、躊躇している暇もない。
 了念が頼りにならない以上、柊が何とかするしかない。
 自信なんてないが、ただ黙って見ているわけにもいかない。
 柊は腹を括った。
「慌てとっても、しゃーないやろ。子供は、確実に生まれてくるんや。生かすための努力、するしかないやろ。環境は悪いけど、初産やないんやろう? 昔の感覚を思い出して産めば、きっと大丈夫や」
 母子共に、死亡率が最も高いのは初産と言われる。その後は、子供を出産する度にそのリスクは少なくなっていく。母親も、出産時の感覚や順序が理解できてくるから、要領よく準備を整えられるからだろう。
 冬姫は、望んではいないにせよ、何度か出産を経験していると言っていた。なら、安全に産める確率は、高いはずだ。
「この子と一緒に、うちの命も賭けたる。了生はんの命もかかっとるんや、絶対に助ける!」
「分かった。お主は幾度も、お冬を救ってくれた。お主の言葉を信じようぞ」
 柊を見つめ返し、了念も覚悟を決めて、強く頷いた。
「他に、要る物は? 何でも言ってくれ。できる限り力を尽くす」
 竈で湯を沸かし、籠の中からありたっけの布や端切れをかき集め、了念は声を荒げる。
「気持ちは有り難いけど、他にできることは、何もないんや。お冬さんの手でも握って、安心させたげ」
 何とかするといっても、お腹の中から子供が出てくるまで、外の人間には何もできない。ただ、冬姫の乱れた呼吸を整え、応援するくらいしかできない。
 舌を噛まないように布を噛ませた冬姫は、涙を流しながら、悲鳴にならない声を上げる。了念が暴れようとする冬姫の体を押さえ、強く手を握りしめた。
「苦しいか、お冬? こんな体で子を産んで、お冬の体は大丈夫なのか!」
 了念が震える声を上げる。冬姫の体調は、万全ではなかったのだろうか。暴れ疲れて痙攣を起こし始めた冬姫の、青褪めた顔を見て、柊は焦る。
 やがて、足の間から、何かが覗いた。短い髪の毛が纏わりついた、小さな頭部だ。
「確か、頭から出てくるんやったら、自然分娩で大丈夫のはずや。あとは、お冬はんの体力次第か」
 少しずつだが、着実に子供は出てくる。それと引き換えに、冬姫の呼吸が弱くなり、体からも力が抜けていく。
 このままでは、出産が成功しても、冬姫の身がもたないかもしれない。
 子供さえ無事なら、了生は助かる。
 そう、割り切っても良かったのかもしれない。だが、柊にはどうしても、できなかった。
 母親と一緒にいられない子供――。その孤独を想像すると、幼い頃の柊の姿と重なった。母親の顔を知らないと言っていた、了生の姿にも重なった。
 生まれてくるこの子に、同じ苦しみを味わわせたくない。
「しっかりしいや! 自分の手で、赤ん坊抱くんやろう!?」
 柊は、冬姫の肩を掴み、声を裏返らせて叫んだ。
 瞬間、冬姫と柊の間に、激しい光が瞬いた。
「何だ、青い光が……」
 了念の、引き攣った声が聞こえる。
 温かな、人魂みたいな青い光が、すーっと冬姫の体の中に吸い込まれていった。すると、冬姫の呼吸が穏やかになり、脈も落ち着き、表情に赤みが戻った。
 同時に、冬姫の足の間で、甲高い産声が上がった。
「生まれたー!!」
 柊は慌てて、生まれ落ちた子供に飛びつき、ゆっくりと持ち上げる。
 血に塗れた小さな子供。臍の緒が、まだ母体と繋がっている。
 元気に声を上げるその姿を見て、安堵した。
「良かった、男の子や……」
 臍の緒を切って母体から離し、了念が沸かした産湯につける。
 感動のせいか緊張のせいか、腕が痙攣して上手く動かせない。
 そのぎこちない動きが気に入らないのか、赤ん坊は更に泣いた。
「ごめんなぁ、手が震えてしもうて。揺れて怖いなぁ」
 でも、元気に泣く姿は健康な証拠だ。問題なく生まれて、本当に良かった。
 体についた血を洗い落とし、清潔な布に包んで、体を温めた。
「よし、綺麗になったで。了念はん、抱いたって下さい」
 柊は、ぐずっている赤ん坊を、了念に差し出した。了念は目に涙を溜め、髭塗れの口を震わせながら、手を差し出してきた。
「わしの子か。わしと、お冬の……」
 大きな手で、しっかりと小さな子を抱きかかえる。父親になった了念の姿は、普段以上に穏やかで、喜びに満ち溢れていた。
 その姿を見届けると同時に、意識が遠退き、柊は倒れた。
「柊殿、しっかりなされよ!」
「大丈夫や。少し休めば、元に戻るわ」
 慌てて顔を覗き込んでくる了念に、柊は力なく腕を振って見せた。体中から力が抜けて、起き上がれそうにないが、なんとか意識は保てている。
「妾に生気を分け与えてくれたのじゃ。死の淵を彷徨うた時、お主と魂が通い合った」
 側で、か細い声が聞こえた。
 冬姫が意識を取り直したらしく、天井を見つめながら呟く。
「……お主には礼を尽くしても尽くしきれぬ。妾と、同じ魂を持つ者よ。お主がいなければ、やや子の命はなかった。妾の、命もな」
 首を回し、柊に視線を向けて、冬姫は涙を流しながら、穏やかに微笑んだ。
 柊も、笑い返す。同時に、涙で視界が滲んだ。
「良かった。了生はん、助かったんやで……」
 柊が、この時代に来てやるべき使命を、一つ果たした。
 無事に、燕下家は続いていく。了生も、ちゃんと存在できる。
 その事実が一番、嬉しかった。
「了生とは?」
 了念に尋ねられ、柊は嗚咽を噛み殺して、口を開いた。
「ずーっと後の時代に生きとる、うちの、大切な人や」
 そう伝えると、了念は何か考え込む表情を見せた。
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