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第三部 四季姫革命の巻

第二十四章 春姫革命 4

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 四
 遊び疲れた春姫が、お昼寝に入ったため、椿は女中たちのところに引っ張り戻された。
 春姫の様子を根掘り葉掘り尋ねられる。椿は見たままの様子を話して聞かせた。
 板取も立壺も、顔を見合わせて、驚いたり不思議そうにしていた。
 だが、すぐに満足そうな表情を浮かべた。
「其方が来てから、姫様の機嫌がすこぶる良い。屋敷の中は平穏そのものじゃ」
「いきなりであったとはいえ、よくやってくれていますね。感謝しますよ」
 周りの安堵する姿を見ていると、普段はかなり、春姫に振り回されているのかもしれない。
 見る限り、屋敷で働いている女中たちは、それなりに歳を経た大人ばかりだ。春姫と歳が近い人がいないから、なかなか同じテンションで遊び倒すことができないのだろう。
 一緒に遊べる同年代の子供が近くにいない。一人ではないとはいっても、孤独を感じるには充分な環境だ。
 似た境遇で子供時代を送って来た椿にも、春姫の心境が分かる気がした。
 でも、今がそんな環境だからといって、この先もずっと同じ生活が続くわけではない。
 椿だって、中学生になって新しい友達や仲間も増えた。今まで知らなかった、いろんな場所に行って、世界を広げられた。
 だから春姫にも、そんな未来があるのだと、前向きに考えてもらいたい。
 そのためにも、春姫が負った傷を治す方法を見つけなくては。
 椿は、部屋の隅でちょこんと座っている立壺を見た。
 この老婆は年季が入っているせいか、とても落ち着いていて、冷静に物事を判断してくれる。椿にもさり気なく気を懸けてくれるし、博識で何でも知っていそうだ。
 この人なら、何か手掛かりになりそうな情報を持っていないだろうか。
「ねえ、お婆ちゃん」
「お婆ちゃんとは何ですか、無礼な! きちんと立壺様とお呼びなさい!」
 椿が立壺に声を掛けると、板取から激しい怒声が飛んできた。
 板取は規律正しい真面目気質な女性で、屋敷の女中をまとめ上げる敏腕上司、といった感じだが、椿からしたら、他だの口うるさい小母さんでしかない。
「はーい。立壺様は、春姫さまの顔や体の傷を直す方法、何か知らないの?」
「そんな方法があれば、我らが既に行っておるわ」
 立壺が口を開くより先に、板取が呆れた口を開く。
 そりゃ尤もな意見だが、誰もが気が付いていない、隠れた方法が見つかるかもしれないし。
 椿はまだ期待を捨てずに粘っていたが、周りの反応は絶望的だった。
「以前も、力を使いすぎた反動でお体に傷を受けることはあったが、時が経てば自然と傷は癒えておった。しかし、今回の傷は、いっこうに癒える兆しが見えぬ」
「春姫様は、先の妖怪たちとの戦い、加えて鬼閻の封印の儀式において、陰陽師としての力のほとんどを失ってしまわれた。そのせいで、自らの体に作用していた治癒の力さえも、意味をなさなくなってしもうたのでしょうね」
 椿は声を上げそうになり、慌てて口を塞いで抑えた。
 確か、白神石の封印を解いた時、鬼閻を倒すためにと、朝は千年前の封印の儀式で四季姫たちから譲り受けた力を椿たちに返してくれた。
 その時には、体中から漲ってくる強い力をフルに使って鬼閻を倒したわけだが、あの力が、この時代の四季姫たちの持つ力の全てだったに違いない。
 だから、春姫は陰陽師としての力を失い、癒しきれなかった傷に苛まれているのか。
 椿は複雑な心境に襲われた。
「唐から来た薬師たちから得た、様々な薬草や治療方法も試みてみたが、どれも効果がなくてな」
「もはや、私たちにできることは、傷つき腐ってゆく姫様の体を綺麗に洗い、布を巻き直して差し上げるだけ。癒えぬ傷が姫様の命を食い荒らす様を、最後まで見届けるために、この屋敷におるのです」
 ただ、主を看取るためだけに、この人たちはこの屋敷で、春姫と共に生活をしている。
 未来も希望も見て取れないこの空間の圧力に、椿は押し潰されそうになった。
「……四季姫の力を取り戻す方法は、ないの?」
 椿が小声で尋ねると、板取も立壺も、揃って首を否定的に振った。
「封印石がすぐにでも破れることでもあれば、姫様の力も戻ってくるかもしれんがな。それでは、姫様たちの今までの苦行までもが、水の泡となってしまう」
「せめて姫様には、心安らかに日々を送ってもらいたいものですね」
 結局、春姫の傷を治す方法は見つからず、そのまま話はお流れになってしまった。

 * * *

「春ちゃん、体を綺麗にしましょう」
 春姫が目を覚ました頃には、夕刻が迫ろうとしていた。
 薄暗くなってきた屋敷の中で小さな明かりを灯し、椿はお湯の入った桶と端切れを床に置いた。
 この時代のお風呂は、現代みたいに湯船に浸かるものではなく、蒸気で汗を流して身を清める、いわゆるサウナみたいな形式のものだそうだ。
 どちらにしても、体中酷い傷だらけの春姫が入るには、体にかかる負担が大きすぎる。そのため、軽く体を拭くだけに留めているらしい。
 春姫は大人しく着物を脱ぎ始める。本来なら、とても綺麗だったはずの白い肌は、着物に隠れて見えなかった部分も裂傷や痣だらけで、思わず目を背けたくなるほどの凄惨さだった。
 それでも椿は正面から春姫と向き合い、お湯で濡らした手ぬぐいで丁寧に体を拭いてあげた。傷に布が触れると、春姫は少し表情を歪めたが、喚き声一つ上げずに、じっと耐えていた。
「椿には、愛し、愛してくれるものがおると申しておったな」
 一通り拭き終わると、おもむろに春姫が口を開いた。
「春にも、そんな相手はいたのよ。もう、二度と会えないけれど」
「二度と会えないって、死んじゃったの?」
「死んではおらぬだろうが、会えぬのならば同じこと。せめて最期に、もう一目だけでも、会いたかったわ」
 瞼を伏せ、哀愁漂う顔を項垂れる。
 その様子を見ながら、椿は春姫に着物を着せ直して、軽く背中を叩いた。
「最期なんて言わないのよ。この傷を治して、その人に会いに行きましょう」
 どんなに絶望の淵にいたって、心の支えになってくれる人がいるのなら、きっと立ち直れる。
 春姫を愛していたその人だって、その気持ちが本物なら、傷だらけになった春姫を放っておかないはずだ。きっと助けて、守ってくれる。力になってくれる。
 その人に、春姫を会わせてあげたい。椿はそのために、何でも協力しようと決めた。
 着物を着せ終えた直後、春姫は体を激しく振るわせて、顔を上げた。
「……来る、春を殺しに、奴が来る!」
 何か、異様な気配でも感じ取ったのか、春姫は頭を抱えて蹲った。
「どうしたの、春ちゃん!?」
「嫌じゃ、あんな女に殺されるのは嫌じゃ!」
 取り乱す春姫を宥めようとするが、激しい震えが止まらない。
 何が起こっているのだろう。この時代に来てから、妖怪や悪鬼の気配がまるで感じ取れなくなっている椿には、周囲の変化がまるで分らない。
 だが、間違いなく平穏を崩す存在が蠢いているらしく、御簾の向こう側が騒がしくなってきた。
 女中たちが慌ただしく走り周り、板取が何やら鬼気迫る声を張り上げている。
 状況を把握しようと、椿が御簾を捲って外の様子を伺う。
 空は日が落ちかけて薄暗くなり、空には、微かに光る三日月が昇り始めている。
 その空を埋め尽くすように、数多くの怪しげな影が、屋敷の上空にひしめいていた。
「椿、出てきてはならぬ! 姫様をお守りするのだ」
 唖然とする椿を見つけ、板取が慌てて御簾の向こうに押し戻そうとする。その手には弓を構え、表情が緊張と殺気で歪んでいた。
「何なの、これは……。妖怪の群れ!?」
「違う、式神じゃ。伝師の式神の気配がする!」
「結界が緩んだのか。この場所を嗅ぎつけられたのです」
 式神――。以前、伝師家の隠家で紬姫が行使していた、小さな謎の生き物。見た目は可愛く愛くるしいが、とても凶暴で強い。敵に回すと厄介な存在だ。
 よく目を凝らすと、あの式神が大量に、上空を漂っている。
 その姿からは、殺気も何も感じられない。ただただ、その場所に存在して、無感情のまま、屋敷を見下ろしていた。
「紬姫の、式神……。春ちゃんの命を狙っているのね!!」
「春ちゃんとは何ですか、無礼な!」
「今はそんなこと言っている場合じゃないでしょう!?」
「椿の申す通りです。早く、屋敷の守りを固めよ!」
 色々な出来事にパニックになりかけながらも、立壺の冷静な指示で、女中たちは陣営を組み、各々の武器を構えて戦闘態勢に入る。
「我らとて、弱くとも伝師の一門に属する陰陽師! そう易々とやられはせぬぞ!」
 板取の合図で、弓を構えた女中たちが、いっせいに矢を放った。狙いは正確で、矢先が頭上に浮かぶ式神に突き刺さる。
 だが、式神は少しぐらついてバランスを崩したものの、特にダメージを受けているわけでもない。
 式神たちは、足元からの攻撃などものともせず、屋敷に向かって統率の取れた動きを見せた。
 奴らが屋敷へ降りてこようとすると、屋敷に張られているという結界が作用して、眩しい電工を放って式神をはじき返した。だが、式神たちが何度も何度も懲りずに体当たりを続けていくうちに、徐々に結界に亀裂が走り、やがて砂粒みたいに砕けて破れた。
「結界が破られた。来るぞ!」
 板取の掛け声とともに、槍や刀を構えた女中たちも声を張り上げ、攻め込んでくる式神たちに攻撃を繰り出した。
 だが、いくら切り捨てても突き刺しても、式神たちにはこれといったダメージが見受けられない。
 そのうち動きを読まれ、攻撃を躱された挙句、式神の繰り出すパンチにやられて、女中たちは次々と倒れていった。
「強いわ、この式神……」
 椿は建物の柱の陰で戦いの様子を見ているだけしかできない。
「どうしよう、みんなが……。椿にも、力が使えれば」
 力が使えたとしても、式神を相手にした経験のない椿が戦力になれるかは分からないが、みんなの援護をするくらいならできたはずなのに。
 何もできない現状がとてももどかしく、悔しさに歯を食いしばる。
「椿よ、この場は私たちは引き留めます。もし、私たちが破れるようなことがあれば、春姫を連れてお逃げなさい」
 式神たちの攻撃に圧されて背後に下がって来た立壺が、椿の姿を見つけて、しゃがれた声を吐き出した。
「そんなこと、できないわよ!」
 みんなを囮にして逃げるなんて、絶対に嫌だ。
 この人たちは、命を懸けて春姫を守る覚悟で側にいるのだろうが、そんな言葉通りに忠実に命を捨てる必要なんて、ないはずだ。
 何か、方法はあるはず。みんなで逃げ切れる方法が。
 椿は必死で考えるが、焦りが勝って考えが纏まらない。
 すると、一匹の式神が、女中たちの合間を縫って、屋敷の中に飛び込んできた。立壺を押し倒し、椿めがけて狙いを定めてくる。
 目の前で小さな腕を振り上げた式神を避ける暇もなく、椿は恐怖で目を閉じた。
 だが、いつまでたっても、攻撃を受ける様子はない。
 ゆっくり目を開くと、目の前で式神が腕を振りかざした状態のままで固まっていた。
 やがて、その体が透け始め、立体映像みたいに薄れて消えていった。
 他の式神たちも、次から次に動きを止めて、消えていった。やがて屋敷の中は、何事もなかったように穏やかな静寂が訪れた。
「どうなっておるのじゃ、式神が……?」
「助かったと、捉えて良いのでしょうか……」
 板取と立壺が呆然と辺りの状況を伺っていると、空から大きな羽音が下りてきた。
 みんなが警戒する中、椿だけは地上に降り立ったその姿を見て、安堵の声を上げた。
 白い髪と翼を持つ、白い着物を纏った少年――朝だ。
「式神を操っていた遠隔の術を断ち切りました。今のうちに、結界を張り直してください」
「朝ちゃん!」
 椿は裸足のままで外に飛び出し、朝に抱きついた。
 ようやく見知った相手と再会できた喜びと安心感から、体の力が抜けて涙が止まらない。
「椿さん。無事でよかった」
 朝も安心した息を吐き、椿を受け止めて、抱きしめてくれた。
「すみません、探すのに手間取ってしまって。駆けつけるのが遅くなりました」
「ううん、来てくれただけで、嬉しいわ」
 朝がいてくれれば、妖怪や式神が襲ってきても大丈夫だ。榎たちとも合流できるはず。
 色々な未来の展望が一気に開けてきて、椿の心が軽くなった。
 それも束の間。朝の体が一瞬、激しく震えて、強張った。
 どうしたのかと顔を上げると、朝の表情が仮面みたいに固まっていた。
 血の気が引いているのか、白い肌や唇は青褪め、瞳は瞳孔が開ききっていた。
 朝の視線の先には、縁側で立ち尽くす春姫の姿があった。
「朝月夜……?」
 春姫は掠れる小さな声で、朝の名を呼ぶ。
「春姫、様……」
 朝も、消え入りそうな小さな声で、春姫の名を呼んだ。
 気味が悪いほどの静寂。
 それを打ち破り、春姫が朝に向かって勢いよくとびついた。
「朝月夜、春のところに戻って来てくれたのね!」
 その反動で椿は弾き飛ばされ、地面に倒れる。
 起き上がって見上げると、春姫と朝が、激しく抱き合っていた。
「ちょっと、何よ、これ……」
 頭が真っ白になり、椿はしばらく、何も考えられなくなった。
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