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第三部 四季姫革命の巻

第二十三章 秋姫革命 11

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 十一
 突如現れた、十二単姿の楸を見て、刺客たちの動揺が広がる。
「どうなっておる! 秋姫が、もう一人……?」
 藤原椎常と共に討たれ、地面に横たわっている秋姫と楸を交互に見て、刺客たちは混乱を極めていた。
 恐らく、どちらかが目晦めくらましのための、偽物だと思っていたのだろう。椎常が率先して庇ったほうが本物であると確信し、止めを刺したに違いない。
 なのに、もう一人が秋姫の姿を見せたせいで、訳が分からなくなっているのだろう。
 この連中には、いくら考えても分かるはずがない。
 どちらかが本物、というわけではない。どちらも、本物の秋姫なのだから。
「陰陽師の使う幻術か!?」
 秋姫が二人いたという現実を把握できない刺客たちは、楸を幻でも見るかのような目で睨みつけてくる。
 楸も負けじと睨み返し、足元に転がっていた秋姫の弓を拾い上げた。
 やっぱり、急ごしらえで作った物よりも、手に馴染む。構えて、標的に狙いを定めた。
「この場から去りなさい。抵抗せんなら、命まではとらんどす」
 静かな声で脅しをかけると、男たちは怯んだが、腰を引いて逃げ出そうとまではしなかった。
「何者でも構わん! 四季姫に関わるものは、誰であろうと根絶やしにせよ!」
 刺客の一人が、指笛を吹いた。それを合図に、周囲の闇の中から、続々と異様な気配が迫って来る。
 ざしり ざしり。
 雪を踏み分け、人影が大勢集まってきて、楸たちを取り囲む。
 宵が殺気を放って、楸を庇って前に立った。
 やってきたその者たちは、ボロボロの着物を身に纏い、裸足で、ふらふらとよろめきながら進んできた。
 その表情に、生気はない。目に眼球はなく、黒い、吸い込まれそうな闇が二つ、穴の中に広がっていた。
 あの瞳、よく知っている。
 悪鬼の持つ、独特な目だ。
 だが、見た目は悪鬼と呼ばれる連中とは、また異なる。死にかけた廃人みたいな風貌だが、間違いなく“人間〟ではあった。
 人でありながら、人ではなく、悪鬼でもない。
 喩えるならば、ゾンビみたいに、意志も何もなく、ただ道のある場所を彷徨っているという感じだ。
 その人々の額には、梵字らしい呪文が刻まれていて、黒衣の男たちが札を手に呪文を唱えると、その文字が赤く光を帯びた。
 すると突然、ゾンビじみた人々は奇声を放ち、ものすごい勢いで楸たちに襲い掛かってきた。
 宵が周囲に風の壁を作り、連中を吹き飛ばす。
 だが、何度倒されても、後ろへ追いやられても、何のダメージも負っていないと言わんばかりに、ただ淡々と前進してくる。
「何どすか、この人たちは……」
「悪鬼化した人間だ。人間と悪鬼の血を混ぜて作られたが、悪鬼の血に負けて取り込まれた。悪鬼としても知性を持つ存在にはなれず、ただの餓鬼と化した奴らだ」
 人間を悪鬼化させる。
 伝師一族が力を得るためにやってきた実験の末路。
 四季姫や紬姫といった、人の世で力を振るってきた者たちは、ごく僅かな成功例でしかないのだろう。
 多くは失敗作として、誰にも知られることなく、闇の中に葬られてきた。
 それが、目の前の人々だ。
 虫唾が走る。こんな付け焼刃の力を得るために、どれだけの人の命を犠牲にしてきたのか。
 秋姫だって、いうなれば犠牲となった者の一人。運命を翻弄され、最後の最後まで愛する人の側にもいられなかった。
 だが、いくら体を悪鬼の力に蝕まれていようとも。
 魂までは、人間の根底にある命の灯までは、悪鬼の血に侵されてはいない。
 それは、楸の元に巡って戻ってきた、秋姫の澄み切った魂が証明してくれている。
 秋姫の純粋な魂を受け継ぎ、この世の邪を払うため、楸は戦う。
 そう、固く決意した。
「この人たちを、助ける方法はないんどすか?」
「駄目だ。もう、人間だった時の記憶すら残っていないだろうし、意識を取り戻したところで、体がもたない。倒すしか、ないだろうな。悪鬼にもなりきれていない半端者だ。妖怪と同様、退魔の力で止めを刺せる」
「そうどすか。……宵はん。私は、目の前の敵に集中します。背中、守って下さいますか?」
 楸は宵に背を向けて、通りの西側からやって来る悪鬼化した人間たちに弓を構えた。
 戦うしかないのなら、せめて少しでも、苦しませず。
 宵も頷いた。
「分かっている。楸には指一本、触れさせねえ」
 互いに背を預け、楸と宵は戦闘態勢に入った。
「平安時代は、治外法権どす。法の枷に怯える必要も、私自身に嘘を吐く理由もない。多少の流血は、大目に見てもらいますえ? 私は手加減できるほど、大人やないんどす」
 楸は弓矢を自動装填できるボウガンに変形させ、矢を連射させた。悪鬼化した人々を、とてつもない速さで射貫いていく。急所を撃たれて倒れた者たちは悲鳴を上げて絶命し、地面に倒れ伏した。その体から、とてつもない量の邪気が噴き出した。空気中に飛散して、雪と混じって暗闇の中に消えていく。
 背後では、宵が風と電流を操り、敵を次々となぎ倒し、止めを刺して行った。
 しばらくの戦闘の後、周囲に動くものはほとんどいなくなった。
 悪鬼化した人々の屍が広がる通りで、黒衣の男二人が、怯えた表情を松明に浮かび上がらせている。
「何だ、この桁違いの力は……」
「四季姫とは、まことに化け物であったのか……」
 恐れ慄き、呟くその声に、楸は睨み付けて声を上げた。
「四季姫は、ただの人どす。人として最期まで必死で生き抜いてきた、気高い人間どす」
 楸の剣幕に圧されたか、男たちはへっぴり腰で逃げ出した。
「かような危険な尻拭い、伝師の者たちがすればよいのだ! 命がいくつあっても足りぬわ!」
 どうやら、この男たちも、伝師に雇われていただけの末端の人間だったのだろう。勝ち目がないと分かった時点で繊維が喪失し、あっけなく戦線離脱していった。
 ようやく、敵の猛攻から、解放された。
 周囲の惨劇の痕を見つめながら、楸は締め付けられる心臓を、強く抑えつけた。
「まだ、奇妙な気配がする」
 気持ちを鎮める暇もなく、宵が辺りを警戒し始めた。
 楸も、異様な気配を感じた。悪鬼でも、妖怪でもない。独特な気配。
 空が急に、青白い光を帯びたかと思うと、頭上から何かが降ってきた。
 楸は宵に腕を引かれ、辛うじて躱す。
 楸たちが立っていた場所の雪が、大きな円を描いて吹き飛んだ。水面に触れたみたいに、ぐしょぐしょになり、すぐに凍って固まった。
 その円の中心部に、中国風の豪勢な鎧を身に纏った、大きな男が立っていた。
 引き締まった筋肉に覆われた腕や足の色は青く、額から角が生えていた。
 楸は以前、榎の力が暴走した時に額から角を生やしていたことを思い出した。あの時、榎が放っていた気配に、似たものを感じる。
 この男、鬼の眷属か。
 鬼は、遥か昔から妖怪たちとは一線を画しながらも、人間と密接な関わりを持ってきた種族だ。その強大な力の使い方を誤ったせいで、悪鬼がこの世に生み出されたとも言われている。鬼閻がその最初であり、最も確実な例だろう。
 その鬼がこの時代に、当たり前に徘徊していても不思議には思わないが、なぜ、楸たちの前に現れたのか。
「我は四鬼が一人、水鬼。気高き魂を持つ者よ、我と戦え!」
 水鬼と名乗るその鬼は、楸めがけて敵意を放ってきた。
「何だ、てめえは!?」
 その突然の態度に怒りをうかべ、宵が突っかかっていった。水鬼は宵の肩を、片手の甲で弾いた。大した力を入れていたとは思えないが、宵はものすごい勢いで飛ばされ、壁に激突して瓦礫に飲まれた。
「宵はん!」
 駆け寄ろうとした楸の前に水鬼が立ちはだかる。
「弱きものに、用はない。力持つ娘よ、其方の魂の強さを、我に見せよ!」
 偉そうな態度で見下してくるこの鬼に、楸は怒りの琴線が切れた。
 楸の怒りを察知した水鬼は、先手を打って攻撃してきた。
 両手で印を結ぶと同時に、周囲から大量の水が噴出して、楸に襲い掛かる。水の中に閉じ込められた楸は、もがいた。だが、逃げ道は見つけられず、呼吸も続かなくなってきた。
 苦しい。だが、こんなところで、訳の分からない鬼の奇襲にやられている場合ではない。
 楸は武器の弓にありったけの力を込め、炎を纏った矢を構えた。水の中でもその炎は消える気配がなく、より激しく、燃え盛っていた。
 矢を放つと、矢先が水の膜を弾き飛ばし、大穴を開けた。
 同時に水の膜は弾け飛び、楸は解放された。
「こんな水ごときで、私の火は消せまへん!」
 呼吸を素早く整えた楸は、全身から燃え上がる魂を感じ取りながら、力を集中させた。
「焦熱(しょうねつ)にて灰となれ。――〝朱雀(すざく)の炎翔(えんしょう)〟!」
 禁術を放つ。巨大な炎の朱雀が、水鬼めがけて疾走する。
 その鋭い嘴が水鬼の胴体を貫き、はるか上空に押し上げる。空でまばゆい炎が花火みたいに燃え広がり、激しい爆発を起こして消えた。
 楸は少し体をよろめかせたが、以前みたいに体力を使い果たして倒れることはなかった。
 暗くなった路地に、水鬼が落ちてきて、勢いよく地面に叩きつけられた。体はボロボロに焼け焦げて、満身創痍だ。
 だが、まだ起きる力は残っているらしく、体を震わせながらも上体を起こして楸を見上げてくる。
「素晴らしき、煮え滾る熱き魂! 確かに見せてもらった! 我が力、其方のために使わせてくれ」
 まだ、攻撃をしてくるのかと思い武器を構えていたが、相手に戦意がないと気付き、弓を下ろした。
「私の手下になると?」
 尋ねると、水鬼は牙を剥き出しにして、何とも満足そうな表情を浮かべていた。
「我ら四鬼は、我らに打ち勝てる、強く気高い力を持つものにのみ従い、この力を以て守ることを使命とする。必ずや、其方の力となろうぞ」
 楸の返事を聞くまでもなく、水鬼の体は青い光に包まれて、消滅した。その青い発行体は楸の武器に吸い込まれ、弓の胴体に奇妙な模様を刻ませた。
 触った感触から、呪い、といった類のものではないと思える。むしろ、武器から今まで以上の強い力が感じ取れる。
 本当に、その命を糧として、水鬼は楸を守る使命を全うするつもりなのか。
「随分と、強引どすな。……力になるものなら、何でも使わせてもらうどす」
 嵐のようにやって来て、嵐のように手中に収まった謎の鬼に不信感を抱きつつも、楸はその力を受け入れた。

 * * *

 気付くと、空が白く、明るくなってきていた。もう、夜明けだ。
 瓦礫の中から宵を助け出し、楸は息絶えた秋姫と、藤原の椎常の元に歩み寄った。
 朝日に照らされた死に顔は、まるで眠っているだけではないかと思えるくらい、穏やかだった。
 宵が、秋姫の側に膝を突いて、肩を震わせて嗚咽を漏らす。
 後悔しているのではないだろうか。楸を庇ったばかりに、秋姫を死なせてしまったと。選択を、誤ったのではないかと。
 楸さえ見捨てれば、秋姫は助かったはずだ。楸なんかを、助けたばかりに。
 そんな気持ちが、じわじわと楸を襲う。
 秋姫の側から離れる決意ができずにいる宵にとって、これ以上楸と一緒に戦いに赴くなんて、無理かもしれない。
 結果的に、秋姫の力は戻った。この先なら、一人でもなんとかなる。
 楸は宵の背後に立ち、矢先を宵の心臓部に突き付けた。
「秋姫はんの側へ、逝きますか?」
 静かに、訊ねた。理由があるわけではないが、本能的に、こうすることが宵にとって一番いい気がした。
「そのほうが宵はんにとって幸せなら、私が、引導を下します」
 楸自身は冷静に、心を無にして全ての言動を行っているつもりだったが、実際は、声も手も、恐ろしいほど激しく震えていた。
「楸が、そうしたほうがいいと思うなら、殺してくれ」
 宵は項垂れたまま、ゆっくりとそう告げてきた。楸の心臓が、激しく跳ね上がる。
 同時に、宵が振り返り、涙に濡れた黒い瞳で、楸を見つめてきた。
「――けど、俺は死んでも、絶対にお前の側を離れねえからな」
 楸の手から、弓矢が落ちた。
 気が付くと。楸は宵に飛びついて、強く抱きしめていた。
 涙が止まらない。やっぱり、楸に宵を仕留めるなんて、できるはずがない。
 強がっていても、相手に気を遣っていても、無理なものは無理だ。
「ごめん。また、お前を不安にさせた」
 宵は優しく、楸の頭を撫でてくれた。
「姫様の魂は、巡り巡って、お前のところに行ったんだ。だから、俺は楸を守るんだ。姫様の分まで」
 楸を抱きしめ返し、宵も声を上げて泣いた。
「今度こそ、絶対に守るから!」
 叫ぶように、震えた声を必死で吐き出す。そんな宵の背を、楸は強く掴んだ。
「守ってくれんでも、ええんどす。側にいてくれれば、一緒に歩いてくれれば、それで充分幸せなんどす」
 ようやく、素直になれた。
 ずっと、宵が離れて行ってしまうかもしれない恐怖から弱い心を守ろうとしていた楸の体から、力が完全に抜けた気がした。

 * * *

 朝焼けに包まれながら、楸と宵は二つの亡骸を通りの脇の空き地に運び、その場所に大きな穴を掘った。
 穴を掘る道具なんてない。秋姫の杖や木の棒などを使い、凍った土を柔らかくしながら、手を使って必死で掘った。手が悴んで、摩擦で擦り切れて血が出ても、構わず掘り続けた。
 その様子を遠目に見ていた、貧困街の人々が、徐々に集まってきて、道具を貸してくれた。一緒に穴を掘ってくれた。お陰で、すぐに大きな墓穴ができあがった。
 必死で掘りぬいた穴に、椎常と、秋姫だったその人を、並んで寝かせた。
 その、二人の表情が穏やかで、満たされたものであったことだけが、ささやかな幸いだった。
 血と涙と、感謝の気持ちと一緒に、二人を埋めた。
 適当な石を上に立て、墓標を作り、手を併せた。最大限の感謝と共に。
 やがて人々は去り、楸と宵だけが、残された。
「まだ、こちらにいらっしゃいますか?」
 立ち上がった楸は、まだ墓前に座り込んでいる宵に声を掛けた。
 宵は立ち上がり、大きく深呼吸した。
「じっとしているのは性に合わない。楸と、前に進む」
 楸は宵と顔を向き合わせ、強く笑い合った。
「では、一刻も早く、紬姫を探しましょう。私たちの帰る場所を、守らんといかんどす。――秋姫はんに、胸を張れるように」
 二人は手を取って、通りを中心街に向かって歩き出した。
 この犠牲を無駄にしないためにも、必ず使命を果たさなければならない。
 四季姫の魂を、現代に繋げるために。
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