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第三部 四季姫革命の巻
第二十二章 封鬼強奪 7
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七
「未来から来た――か。先程の童も、同じような話をしておったな。未来で深淵の悪鬼から、力を手に入れたと、言うておった」
翁が、語とのやり取りを思い出しながら、穴の開いた岩の天井を見上げながら呟いた。
「子供だからと油断しすぎた。真面目に話を聞いておけばよかったのう。まさか、四鬼の封印まで持っていかれるとは」
「安倍家最大の失態、と申しましょうかね」
考えの甘さを悔いる翁に、夏が、茶化して見せた。
「まったく。面目ない話じゃ。わしがもう十年、いや、二十年若ければなぁ」
二人の会話を聞いて、榎は不意に、翁の正体を悟った。
「安倍家って、まさか、このお爺さん、安倍晴明(あべのせいめい)!? 本物の!?」
平安時代・最強の陰陽師。
もっと若い人なのかと思っていたため、今まで結びつかなかった。
だが、人は歳をとるものだ。時代が時代ならば、相応の年齢になっていてもおかしくはない。
「すごい、生(なま)の晴明……」
よもや、本物に出会えるとは、思ってもいなかった。椿に言ったら、羨ましがるだろうか。
もうお爺さんだから、あんまり喜ばないかもしれないが。
榎の反応が面白かったらしく、夏が声を上げて笑い始めた。
「千年後の世界でも、晴明どのの名は知れ渡っておるのか? 大出世ですな、晴明どの!」
夏の笑い声を受け、翁――安倍晴明は複雑そうに表情を歪め、目を細めた。
「揶揄(からか)いなさるな。人の名声など、いっときの戯れで充分。季節が過ぎれば花は散り、木の葉の色も移ろいゆく。変わりゆくからこそ、世の営みは愉快である。だのに、困った話を耳にしてしまいましたな」
「嫌ですか、後世まで名が伝わっていては」
「忘れられてこそ、人は時の流れの一部となれる。私は時世の波の一飛沫でいられれば、満足なのですよ、夏姫殿」
「相変わらず、欲のないお方だ」
榎の知る話でも、安倍晴明は出世欲のない、俗世からはどこか逸脱した存在として描かれていた。想像で描かれた物語の中の人格と実際の人物は、意外と似通っているのかもしれない。
「話が逸れましたな。して、その娘さんと其方は、なぜこの洞窟に?」
いつまでも引っ張られるのは嫌なのだろう。晴明翁は話題を取って替え、尋ねてきた。
夏が、榎に出会ってからの一部始終を話して聞かせると、晴明翁は興味深そうに髭を弄っていた。
「ほう、何やら、複雑な事情が絡み合っておりますのう。では其方たちは、あの伝師の長を救うため、再び死地へと舞い戻るおつもり、と? ちと、無謀ではありますまいか」
常識のある人間なら、信じられない行動だろう。
己の命を狙う相手の元に戻る――みすみす、死にに行くのと変わらない。
晴明翁も、そういった意図を込めて、考え直させようと言葉を選んでいる様子だった。
だが、夏と榎の決意は、既に定まっている。
「逃げたところで、私の命はそう、長くはありませぬ。この娘の力になってやりたいし、京でやり残したことを、全て清算して参りたいと思っております。もう、己を偽りたくはないから」
夏の言葉に、晴明翁は反論しようとはしなかった。ただ黙って、その強い意志を聞き入れてくれた。
「せっかく、お助け下さったのに。貴方の善意を無碍(むげ)にしてしまい、申し訳ありません」
「なに、わしは其方の進む道を、歩きやすいように少し均(なら)して差し上げただけのこと。止めたり、道を捻じ曲げる力などありませぬ故」
晴明翁は寛大に頷き、優しい言葉で夏の背を押した。
「信じた道を、真っ直ぐに進まれよ。其方らしい道をな」
「忝(かたじけな)い」
夏は深々と、頭を下げた。
晴明翁は腕を伸ばし、まっすぐに一点を指さした。色々な場所に繋がっているとされる、たくさんある出入り口の一つだ。
「この道の先は、京の中――私の屋敷に通じておる。そこから出て、伝師の屋敷を目指しなされ。鴨川に置いてある式神たちにも、話を通しておこう。力になれるはずだ」
道を示してくれた晴明翁は、再び陣の中央に胡坐を掻いて座り込んだ。
「翁は、まだ、この洞窟に残られるのか?」
「理(ことわり)を変質させる儀式の途中なのだ。この儀式が完了すれば、無事に世の理が書き換えられる」
返答に応じながらも、護符を手に、黙々と印を結び始める。
「書き換えられると、どうなるんですか?」
「人間と、妖怪や悪鬼たちとの距離が遠くなる。霊力を持たぬ多くの人間たちには異形の者たちの姿も見えず、気配もほとんど感じられなくなる。より、幻に近い存在となるのだ」
以前、朝や月麿たちも言っていた。平安時代と現代とでは、世の理が異なると。
現代までの時代の間に、地脈の流れや力場の乱れによって、理が歪められたせいだと言っていたが。
晴明翁が、理を意図的に変化させた張本人だったのか。
「身近に存在するが、見えなくなる。逆に妖怪たちも、人間の世界にほとんど干渉できなくなる。よって、人間の世も今より、平穏となるであろう。さらに、理の変質によって、陰陽師の神通力で悪鬼を倒せるようになるはず。その事実を悪鬼たちに知らしめれば、連中も身を潜め、やすやすと人の世に出て悪さはしなくなる。もう、完全なる強大な存在では、なくなるのだ」
妖怪や悪鬼と言った、この時代では当たり前に存在していた者たちが、架空の世界の存在に変わっていく。見える人には見え、見えない人には見えない。人の世の裏側で、ひっそりと息づいていく存在となる。
そうして、人間はこの先千年、異能の力を持つ存在に脅かされる心配もなく、文明を発展して歴史を紡いでいくのだろう。
そう考えると、榎たちが生きているあの時代の平穏は、安倍晴明によって作り出されてと言っても過言ではない。
改めて、陰陽師の力の凄さを実感した。
「其方たちだから話したが、他の人間や妖怪には、今しばらく他言無用に願いますぞ。理が変質し終えるまで、まだ時間がかかります故。妨害されては堪らぬ」
晴明翁は念を押す。
「承知いたしました。誰にも口外は致しませぬ」
「忝い。では、ご達者で。ご武運を祈っておりますぞ」
「晴明さん、色々と、ありがとうございました」
「なに、こちらこそ、色々と面白いものを見させてもらった」
榎と夏は、術を唱え始めた晴明翁に心を込めた礼を伝え、通路の向こうに歩き始めた。
「未来から来た――か。先程の童も、同じような話をしておったな。未来で深淵の悪鬼から、力を手に入れたと、言うておった」
翁が、語とのやり取りを思い出しながら、穴の開いた岩の天井を見上げながら呟いた。
「子供だからと油断しすぎた。真面目に話を聞いておけばよかったのう。まさか、四鬼の封印まで持っていかれるとは」
「安倍家最大の失態、と申しましょうかね」
考えの甘さを悔いる翁に、夏が、茶化して見せた。
「まったく。面目ない話じゃ。わしがもう十年、いや、二十年若ければなぁ」
二人の会話を聞いて、榎は不意に、翁の正体を悟った。
「安倍家って、まさか、このお爺さん、安倍晴明(あべのせいめい)!? 本物の!?」
平安時代・最強の陰陽師。
もっと若い人なのかと思っていたため、今まで結びつかなかった。
だが、人は歳をとるものだ。時代が時代ならば、相応の年齢になっていてもおかしくはない。
「すごい、生(なま)の晴明……」
よもや、本物に出会えるとは、思ってもいなかった。椿に言ったら、羨ましがるだろうか。
もうお爺さんだから、あんまり喜ばないかもしれないが。
榎の反応が面白かったらしく、夏が声を上げて笑い始めた。
「千年後の世界でも、晴明どのの名は知れ渡っておるのか? 大出世ですな、晴明どの!」
夏の笑い声を受け、翁――安倍晴明は複雑そうに表情を歪め、目を細めた。
「揶揄(からか)いなさるな。人の名声など、いっときの戯れで充分。季節が過ぎれば花は散り、木の葉の色も移ろいゆく。変わりゆくからこそ、世の営みは愉快である。だのに、困った話を耳にしてしまいましたな」
「嫌ですか、後世まで名が伝わっていては」
「忘れられてこそ、人は時の流れの一部となれる。私は時世の波の一飛沫でいられれば、満足なのですよ、夏姫殿」
「相変わらず、欲のないお方だ」
榎の知る話でも、安倍晴明は出世欲のない、俗世からはどこか逸脱した存在として描かれていた。想像で描かれた物語の中の人格と実際の人物は、意外と似通っているのかもしれない。
「話が逸れましたな。して、その娘さんと其方は、なぜこの洞窟に?」
いつまでも引っ張られるのは嫌なのだろう。晴明翁は話題を取って替え、尋ねてきた。
夏が、榎に出会ってからの一部始終を話して聞かせると、晴明翁は興味深そうに髭を弄っていた。
「ほう、何やら、複雑な事情が絡み合っておりますのう。では其方たちは、あの伝師の長を救うため、再び死地へと舞い戻るおつもり、と? ちと、無謀ではありますまいか」
常識のある人間なら、信じられない行動だろう。
己の命を狙う相手の元に戻る――みすみす、死にに行くのと変わらない。
晴明翁も、そういった意図を込めて、考え直させようと言葉を選んでいる様子だった。
だが、夏と榎の決意は、既に定まっている。
「逃げたところで、私の命はそう、長くはありませぬ。この娘の力になってやりたいし、京でやり残したことを、全て清算して参りたいと思っております。もう、己を偽りたくはないから」
夏の言葉に、晴明翁は反論しようとはしなかった。ただ黙って、その強い意志を聞き入れてくれた。
「せっかく、お助け下さったのに。貴方の善意を無碍(むげ)にしてしまい、申し訳ありません」
「なに、わしは其方の進む道を、歩きやすいように少し均(なら)して差し上げただけのこと。止めたり、道を捻じ曲げる力などありませぬ故」
晴明翁は寛大に頷き、優しい言葉で夏の背を押した。
「信じた道を、真っ直ぐに進まれよ。其方らしい道をな」
「忝(かたじけな)い」
夏は深々と、頭を下げた。
晴明翁は腕を伸ばし、まっすぐに一点を指さした。色々な場所に繋がっているとされる、たくさんある出入り口の一つだ。
「この道の先は、京の中――私の屋敷に通じておる。そこから出て、伝師の屋敷を目指しなされ。鴨川に置いてある式神たちにも、話を通しておこう。力になれるはずだ」
道を示してくれた晴明翁は、再び陣の中央に胡坐を掻いて座り込んだ。
「翁は、まだ、この洞窟に残られるのか?」
「理(ことわり)を変質させる儀式の途中なのだ。この儀式が完了すれば、無事に世の理が書き換えられる」
返答に応じながらも、護符を手に、黙々と印を結び始める。
「書き換えられると、どうなるんですか?」
「人間と、妖怪や悪鬼たちとの距離が遠くなる。霊力を持たぬ多くの人間たちには異形の者たちの姿も見えず、気配もほとんど感じられなくなる。より、幻に近い存在となるのだ」
以前、朝や月麿たちも言っていた。平安時代と現代とでは、世の理が異なると。
現代までの時代の間に、地脈の流れや力場の乱れによって、理が歪められたせいだと言っていたが。
晴明翁が、理を意図的に変化させた張本人だったのか。
「身近に存在するが、見えなくなる。逆に妖怪たちも、人間の世界にほとんど干渉できなくなる。よって、人間の世も今より、平穏となるであろう。さらに、理の変質によって、陰陽師の神通力で悪鬼を倒せるようになるはず。その事実を悪鬼たちに知らしめれば、連中も身を潜め、やすやすと人の世に出て悪さはしなくなる。もう、完全なる強大な存在では、なくなるのだ」
妖怪や悪鬼と言った、この時代では当たり前に存在していた者たちが、架空の世界の存在に変わっていく。見える人には見え、見えない人には見えない。人の世の裏側で、ひっそりと息づいていく存在となる。
そうして、人間はこの先千年、異能の力を持つ存在に脅かされる心配もなく、文明を発展して歴史を紡いでいくのだろう。
そう考えると、榎たちが生きているあの時代の平穏は、安倍晴明によって作り出されてと言っても過言ではない。
改めて、陰陽師の力の凄さを実感した。
「其方たちだから話したが、他の人間や妖怪には、今しばらく他言無用に願いますぞ。理が変質し終えるまで、まだ時間がかかります故。妨害されては堪らぬ」
晴明翁は念を押す。
「承知いたしました。誰にも口外は致しませぬ」
「忝い。では、ご達者で。ご武運を祈っておりますぞ」
「晴明さん、色々と、ありがとうございました」
「なに、こちらこそ、色々と面白いものを見させてもらった」
榎と夏は、術を唱え始めた晴明翁に心を込めた礼を伝え、通路の向こうに歩き始めた。
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