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夜天の主 編

私はだぁれ?

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 これはアイリスとメギド・レナーテが空間の狭間から帰還してからアヴァロンに行くまでのお話。


 目を開いたら青空が広がっていました。
 どうやら森の中にある切り株の上に寝かされていたようです。
 近くには小さな泉があって、キャップをしているのか焚火が見えます。
 とても長く眠っていたような気がします。
 喉が渇いたので、のろのろと重い身体を引き摺って泉の近くまで行きます。泉を覗き込んだ私は凄く驚きました。かなり深く濃い蒼色に染まっている水なのに泉の底がくっきりと見えていたのです。
 小さな両手を合わせて器を作り水を掬ってみると、ずっしりと重みの感じる薄い蒼みがかった水が手の中できらきらと煌く。それはまるで夜空の星々の煌きのように――、

「――っ!?」

 突然襲って来た激しい頭痛に私は頭を抑えて地面に倒れ込んだ。泣き叫びたいほどの痛みなのに痛みが強すぎて叫ぶことも出来ません。
 頭の割れるような痛みに身体を丸めて耐えていると身体がふわりと宙に浮いた。
 必死に瞼を押し上げて涙で歪んだ視界を一杯に広げて見ると紫色の人影が視界を掠めた。

「――っ、――っ!?」

 だれ?
 と言いたかったですが、口を動かそうとするだけで、声を出そうとするだけで激痛が私の全身を駆け巡っていきます。更にその後からどす黒い何かが私を飲み込もうとしてきました。
 それはとても恐ろしいものです。
 私は逃げることも出来ずに黒い何かに飲み込まれてしまいます。それはこの世の黒い部分を詰め込んだようなものでした。ただひたすらに、私は黒い何かの中で耐え続けます。

「――――――――――」

 紫色の人影が何かを言っている気がしますが、よく聞こえません。
 頭の痛みに耐えるのがやっとで他の反応をする余裕がありません。
 不意に私の身体は柔らかくて暖かい物に包み込まれました。
 すると、私を襲っていた痛みが少し和らぎました。
 どうやら紫色の人影が抱き締めてくれたみたいです。
 紫色の人影の顔が耳元に来て、距離が近くなったことでその人の声が、途切れ途切れですが聞こえました。

「――気を――。其方に―帰る――場所がある―――?」

 断片的が分かりません。
 ですが、紫色の人影に抱き締められていると徐々に痛みは引いて行き、少しずつ考える余裕が出てきました。
 帰る、場所――私の帰る場所。

===================================

 私はいつの間にか気を失ってしまっていた様です。
 目を覚ましたら、空は曇り空でした。
 頭痛は嘘のように消えており、今は怖いくらいにスッキリ爽快です。
 頭を抑えて上体を起こします。頭が痛いワケではなく、痛かった記憶が頭を抑えさせたのでした。

「ようやく目が覚めたようだな」

 声が聞こえた方に首を向けると、そこには紫色の髪をした女性が地面に胡坐をかいて座りこちらを見ていました。
 同性でもつい見惚れてしまうくらいにとても綺麗な人です。

「あの、えっと――」

 何を言えばいいのかな?
 まずは自己紹介かな?
 あれ? 私は……だれ?
 私は……アイリス。うん、私はアイリスだ。
 私は……アイリスだけど……アイリスだけど……私の記憶の中にいるアイリスは知らないアイリス……だれ?
 私は……どうしてこんなところにいるんだろう?
 分からない。
 分からないよ。
 私は何処から来たの?
 私はどうしてココにいるの?

「やはり、記憶を失っているか」

 紫色の女性の赤い瞳が私を見てきます。その瞳に少し恐ろしさを感じました。

「あの……私を知ってるの?」

 紫色の女性は首を横に振ります。

「知らん」

 知らないんだ、残念。
 紫色の女性は冷たく言い捨てた後、近くにあった薄い蒼い色の液体が入ったペットボトルを差し出して来る。
 忘れていた喉の渇きが襲い掛かって来て、私はペットボトルを奪うようにして受け取り、キャップを開けて飲み口に口を付けた。ボトルを傾けて中身を一気に身体の中へ流し込んでいく。
 ほのかに甘く、冷たい液体が身体に染み込んでいく感じがする。

「ただの水を美味そうに飲みようる。まあ、ここの水はそこいらの水道水より綺麗で魔力も濃く含まれているからな。今の其方には何よりも美味しく感じるだろうな」

 綺麗な女性の顔には似つかわしくない不遜な物言いは逆に似合ってしまっている気がする。
 それにしても……水ってこんなに美味しかったんだ。

「――、ぷはっ、はぁはぁ、ありがとうございます」
「良い飲みっぷりだ。それと一つ訂正しておく」
「?」
「さっきは知らんと答えたが、少しだけなら其方のことを知っているぞ」
「っ!? ほ、ホント? な、何でも良いです。教えてください……私、何も分からなくて!」
「そう急くな。知っていると言っても一言で終わるようなものだ」

 紫色の女性は膝の上に肘を置いて頬杖をして、愉快そうに口元を歪めて言う。

「我と其方は……殺し合った関係だということだ」

 これが紫色の女性――メギド・レナーテと私アイリス=フレアスターとのちゃんとした出会いだった。



 時間というものは瞬く間に過ぎていき、気付けば1ヶ月が経っていました。本当に早いです。私の体感としては3行改行した程度の一瞬です。
 この1ヶ月の間に気づいたことを整理して行きたいと思います。

 私の名前はアイリス=フレアスター。
 それ以外は分かりません、以上。
 今まで何処で何をしていたのか?
 ここは何処なのか?
 何故、ここにいるのか?
 この人達は誰なのか?
 分かりません。
 2人も私の事を知らないみたいです。
 医学に関してはあまり詳しくはありませんが、思い出……エピソード記憶に障害があるのかというと、目が覚めてから見聞きしたことは鮮明に思い出せるので、それとは違うと思います。
 見当識障害。認知症、アルツハイマー症に近い状態というのが正しいかもしれません。
 しかし、忘れてしまうとか思い出せないという感じではなく、完全に記憶が欠落しているというのが正しいと思います。だって、思い出以外の記憶はちゃんとした覚えています。日常生活に必要なことから難しい言葉まで。
 まるで、私は1ヶ月前に生まれたかのような状態です。
 まあ、これ以上思い出せないことを考えても無意味なので横に置いておきます。
 他に今の私の症状で特筆すべきは精神状態が不安定だということでしょうか?
 私自身はあまり気づいていないのですが、その時々によって口調というか性格というか人格というかが変化しているそうです。
 見た目相応の子供っぽかったり、大人びた落ち着いた口調だったり、とんでもバイオレンス状態だったりと……とんでもバイオレンス状態は気がついたら周囲の地形がボコボコになっていてアオお姉ちゃんとレナーテママが焦げたりしているので流石に気づきました。その後は必死に平謝りです。
 ああ、あと些細な事ですが、私は結構強い力を持っているみたいです。どれだけ強いか分かりませんが、アオお姉ちゃんが少し焦げて溜息を吐くくらいです。
 それから最近になっての変化ですが、たまに夢を見るようになりました。
 その夢の中では大人な私がいて、綺麗な女の人や平凡な男の子、真っ白な小さな女の子が笑っていました。
 知らない人達です。
 でも、どこか懐かしさを感じる人達でもありました。
 夢を見た翌日は大抵、周囲がボコボコの2人はコゲコゲ、私は土下座で赦しをを願いますが、2人はそんなに甘くなく、その日は一日中、力の制御訓練という名目でお手玉のように2人にボコボコにされます。
 特にアオお姉ちゃんは怖いです。自分が焦げたことよりも自然を破壊したこと執拗に責めてきます。破壊の程度によってご飯の量や質が変わります。酷い時は明らかに毒であろうキノコ1本の時がありました。勿論、私が食べるまでアオお姉ちゃんは目を離してくれませんでした。幸い、キノコは毒ではありませんでしたが、めちゃくちゃ苦かったです。
 でも、アオお姉ちゃんの事は大好きです。私はまだ魔力の制御が上手くいかず、飛べないので、たまに背中に乗せて空の散歩をしてくれたりします。
 それから少ししてレナーテママが教えてくれました。
 私は人間どころか生物ですらないということを……。

 ーー私は黒いのと呼ばれた原初の精霊の後継。

 世界中に私のことは知れ渡っているらしく、その呼称は“夜天”。これは私が精霊へと至る切っ掛けになった、今は私の中に溶けている剣と記憶を失う前の私が戦場で使った天空に夜空を作り出す魔法が由来となっているとのことです。
 夜天のアイリス。
 それが今の私。

 日を追うごとに夢は毎日、そして鮮明に見るようになりました。
 夢を見るということは土下座とボコボコにされる毎日です。
 巨大な水玉の中に閉じ込められた時は流石にもうダメかと思いました。でも、頑張ったら水の中でも呼吸ができるようになって事なきを得た次第です。
 そんな日々が過ぎて行く内に、夢を見ても地形が壊れていないーー2人曰く、バイオレンスなアイリスが出てこない日が増えてきて、2ヶ月が経とうとした頃には夢を見ても問題なくなりました。
 そんな折にアオお姉ちゃんから驚愕の事実を教えられました。
 私が見ている夢に登場する男の子と、私を連れて帰るという約束をしていると。
 今までは精神不安定で人前に出せる状態では無かった。他にも私の状態を詳しく理解しておく必要があったという事を伝えられた。

「貴方が望むなら連れて行ってあげる」

 こうして私は未来の最愛の人と出会ったのです。
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