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命のバトン 始まりの短編
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雪が降り積もった真冬のある日。
今日は全国の高校三年生の多くが今までの全てを絞り出す日――センター試験。
俺――相川信一もまたその一人だ。
特別、勉強が出来る方じゃない。
特別、やりたいことがあるワケでもない。
特別、夢があるワケでもない。
友人達まわりが進学すると言うから、ただの惰性で進学を決めた。
両親も「肩書社会の世の中だ。何処でもいいから大学は出ておきなさい」「大学に行ってからでもやりたい事は見つけられる。父さんなんて――」、そんな感じで背中を押してくれた。
姉は「大学行っても、まだやりたいことが見つけられてない前例がここいるけどね」と進学の意味を考えさせられる台詞を並べていたのが良く記憶に残ってる。
だから俺は、一つだけ将来の目的を立てた。
それは――教師になることだ。
今までに良い思い出のある恩師がいるわけじゃない。むしろ、その逆だ。教師なんて大嫌いだ。生徒には大きな顔をしている癖に、PTAや世間の目が向けられた途端に自己保身に走って見る影も無くなる。ドラマやマンガに登場するような熱血教師なんて幻影だ。
けれど、彼らの気持ちはその立場になって見ないと分からない。
それを知るために俺は教師になると決めた。
試験の出来は上々だったと思う。合っていると確信していても、蓋を開けてみれば間違っているってのはよくあることだ。過度な期待は反動がデカイので、この話題はこれで終わり。
高望みをした大学を志望していないから、多分、大丈夫だ。
帰ったら全力で寝ようと決め込んでいた帰路。
歩行者用の信号機が青に変わり、横断歩道に踏み出した。
――ガシャン!!
金属と金属が衝突する激しい音が鼓膜をつんざく。
音の方に顔を向けた。
そこからは全てがスローモーションのように遅く感じた。
停車していたはずの赤い車がタイヤを回さずに前へと滑り出てきていた。その後ろに大型のトラックが赤い車の尻を突き上げるように後部を斜めに振りながら前進してきている。
ああ、と俺は理解した。
赤い車は大型トラックに後ろから追突されたんだ。大型トラックは雪のわだちか何かに足を取られて予期せぬスリップに見舞われてしまったのだろう。
赤い車が車体を右斜めにして俺に向かってくる。
今、後ろに飛び退けば助かるかもしれない。少なくとも赤い車との正面衝突は回避できる。
だが身体は――動かなかった。
―――
――
―
小鳥遊弥生は名前も知らない他人から命を貰って生きている。
心臓の病気――病名はなんとか心筋症……それが発覚したのは随分前で、病名なんて忘れてしまった。要は根本的な治療方法のない不治の病というやつだ。
三年前、私はあと一年生きられるかどうかと主治医から宣告された。
それまでは投薬で症状を先延ばしにして誤魔化していたけれど、私の身体は薬に免疫を付けだして意味を成さなくなり、ついに先延ばしの手段が無くなってしまったのだ。
心臓移植を除いては。
そんな折、偶然か奇跡か、私と合致するドナー提供者が現れた。
生きていたい特別な理由は無かった。でも、死にたい理由も無かった。
生か死か。二つを天秤に掛けた結果、私は"生"を望んだ。
その時、私は不謹慎にも名前も知らない他人に心臓を残して死んでくれたことを感謝してしまっていた。人の死を喜ぶなんてしてはいけない。酷い、最低な女だと自分を苛んだ。
手術は成功、術後も良好で無事に退院を果たしたその日、私は一つの決意を固めた。
この命に報い、恥じないように生きようと。
胸の奥で鼓動を続ける心臓に誓った。
私の住んでいる町はド田舎とまでは行かないまでも、都会に比べれば圧倒的に田舎だ。
小学校と中学校は幾つかの小学校が統合される感じで顔ぶれは変わらない。学区を越えて遊んでいた子も多く、新学年だと言われても新鮮味はゼロだ。
それと同じように中学から高校も、徒歩・自転車で通える最寄りの高校が一つしかないので四分の一は同じ顔が揃う。
電車を利用すれば、それなりの数の高校が登校圏内に該当してくるけれど……電車が一時間に一本しかないのが面倒です。毎朝、一時間に一本しかない電車で登校なんて考えたくもない。
最寄りの高校は緩やかから急な坂へと移り変わる山の中腹にある学校なのは難点ですが、電車通学よりマシです。
そして高校生になって二度目の夏がやってきた。
一年の時、中学の同級生の四分の一が、また同級生になるということは、私の噂が広まるのは至極当然だった。私は良く言えば割れ物のように大切に扱われ、悪く言えば腫れ物を見るような眼で見られた。
病院のベッドの上の方がマシだと思える息の詰まる、気を遣う生活だった。
それは、私が他の皆と変わらないことを証明し続けることで、時間と共に解消されていった。
ただ一つ、水泳の授業だけは身体のことを盾にして欠席していた。
二年になった今年も水泳の授業だけはプールサイドの木陰に座って見学している。
泳げないわけじゃない。
胸元に薄っすらと、けれど確かに一目で分かる手術の痕を見られたくないという感情が私をそうさせていた。
水着を着ている間は隠れてしまうから気にはならない。
問題は着替えの時だ。体操服と違って、身を隠してさっと着替えてしまうなんてことが出来ない。傷跡を見せたことのある親しい友人が、「気になるなら私たちが壁になって上げる」と優しい言葉を掛けてくれた。
でも、それが余計に私の中で後ろめたい、自分が皆とは違うんだという感情が膨れ上がり、受け入れられなかった。
後ろめたさを引き摺ったままの下校中、私の心臓がちくりと刺すような痛みと共に悲鳴を上げた。
暗転。
――大丈夫、大丈夫。もう少しだけ、持ってくれ
〇●〇●
目を覚ますと、私は病院のベッドの上にいた。やけに大層な個室に丁重にもてなされたものだと溜息が出る。
主治医の先生の話によれば、心臓発作を起こして倒れた私は近くの病院に搬送された後、心臓移植患者であったことから、ただちに医療ヘリで府内にあるこの大きな病院に担ぎ込まれたそうだ。豪華な個室は、偶然空いていたことと大切なモルモッ……可愛い女の子への病院からの贈り物だそうな。
バイタルは安定しているものの、これまで何の問題もなく安定していただけにニ三にさん日の検査入院を宣告される。合わせて、先生は不思議なことを口にして私に称賛の言葉を送って来た。
発作を起こした際、私は自分で119番に電話をして救急車を呼んだというのだ。
身に覚えはない。
しかし、スマフォを確認してみると確かに通話履歴が残っていた。
通りすがりの誰かが私の代わりに……、そんなことを考えながら大量に着信している両親にメールを送ろうとしたところでバッテリーが落ちた。
夜、面会時間のギリギリに両親が着替えを持って飛び込んで来た。てっきり、今日は仕事が抜けられなくて来られないと思っていた私は、飲んでいたお茶を噴き出して驚いた。
私の無事な姿に涙を流して、苦しいくらいに強く抱きしめてくれる。
それから暫く、先生と幾つか話をしてから二人は明日も仕事があると言って病室を後にした。
慣れたこと。昔の二人は、残る残れないで口論になっていたが、私が仕事を蔑ろにする二人は嫌いだと言ってからは大人しく帰るようになった。
本当のところは自分を喧嘩の口実にされているのが嫌だっただけ。
ふと、夜の闇に染まる窓を見た私の眼は見覚えのない男の子を映した。
同い年くらいの男の子で、特別目立った特徴のないザ・平凡といった印象だ。
それはおかしなことだ。
ここは何階かまでは分からないけれど、二階以上で窓の向こうは外だ。人が立てる足場なんてないはず。
袖で目をゴシゴシと擦り、何度か瞬きをしてから、もう一度窓の外を見ると――そこには男の子の姿はなく、見慣れた私がいた。
「見間違い?」
暗闇しか映っていない窓に何と見間違えるというのか?
首を傾げた私の頭の中に、遠慮がちな声が響いた。
『……聞こえるか?』
「っ!?」
室内を見回しても私以外には誰もいない。それに声は耳を通して鼓膜を震わせて聞こえたものではなく、頭の中に直接反響するような感じで響いた。
意味の分からなさに気が動転して心臓が高く鐘を鳴らす。
『落ち着いて、深呼吸しろ。大きく吸って、吐いて』
頭の中に反響する冷静な声に促されるように私は深呼吸を繰り返した。その度に、ゆっくりともう一回、と優しい男の子の声が頭の中に反響する。心臓の鼓動が安定する頃には、私の頭はその声への警戒を解いていた。
最後にもう一度、深呼吸をしてから切り出した。
「あなたは誰?」
ややあってから声の主は言葉を紡いだ。
『俺は相川信一。お前の中にある心臓の前の持主ってところかな』
そんな摩訶不思議な台詞に加えて、彼は「調べて欲しいことがある」と言う。
私は充電中のスマフォを起動させて言われたとおりに日時と地名を入力して検索を掛ける。頭は付いて行っていない。乱立する検索結果の中、声に指示されてニュース記事のページを開いた。
それは三年前の交通事故の記事だった。
"わだちに乗り上げスリップか!? 1人重傷2人けが"
雪が降り積もった夕刻、赤信号で停車していた乗用車に大型トラックが雪のわだちに後輪を取られてスリップして追突。勢いよく押し出された乗用車に横断歩道を横断していた学生が跳ねられ、頭部を強く打って重傷。大型トラックと乗用車の運転手は軽い怪我で命に別条はないということ。
「えっと……これ」
『その学生ってのが俺だろうな』
「でもでも、重傷って書いてあるから……勘違いとか?」
『俺の意識がここにあって、お前に心臓が移植されたって証明しかないけど、頭部を強く打っていたって書いてあるから助からなかったんだろうな。この程度の事故、マスコミは喜々として速報記事は書くけど続報の記事は書かないからな。よっぽど、凄惨な事故になっていない限り、な』
彼の声は怖いくらいに冷静で達観しているように思えた。
そこで私の意識は現実に引き戻されるように異常な事態を認識した。
心臓の前の持主? そんな馬鹿な話があるはずがない。そういうものは物語の中だけの話でしょ。
私は、心臓病の次は二重人格なんていう精神病を患ってしまったようだ。
こういう場合、どうするのが正解なのだろうか。
主治医の先生に相談する? それとも忘れてしまう? うん、そうしよう。
『いや、待て待て。そういう現実逃避はいけないですよ、弥生さんや』
もう一つの人格が老人会のお爺ちゃんのように語り掛けて来る。
謝るように困った声で言う。
『声が届くとは思ってなかったんだ。だから、もう二度と話しかけない……悪かった。お前の人生を邪魔するつもりはないんだ。俺はもう死んでるんだからな。
ただ、声が届くなら一つだけ言っておきたいことがあってだな』
相川信一と名乗る人格は言い難そうに一度押し黙ってから、
『年頃の女の子だからしゃーないと思うけどさ。その、なんだ……人の趣味趣向は否定しないが、水が勿体ないからシャワーでするのはどうかと思うゾ』
私の頭に?マークが大量に並んだ。何を言っているんだろう?
年頃? シャワー?
『ベッドの中でやるのはいいとしても、回数は少し減らした方がいいんじゃないか?』
ベッド……回数……私は心当たりに行きつく。
―――っ、カァァァ、
顔が逆上せたように熱くなるのが嫌でも分かった。耳まで熱い。
『幾ら何でも毎日はしないだろ、普通』
私は死にたい気分になった。両手で耳を押さえてベッドの中に潜り込んで両目をぎゅっと瞑った。
その日を境に、私はモヤモヤとした気分になっても極力我慢することにした。
〇●〇●
私と信一くんの奇妙な共同生活が始まってひと月が過ぎた。
学校は夏休みに入り、うだるような夏の日差しが照り付ける。
エアコンを入れていても窓から差し込む太陽の光に身を焼かれて、一時間前に始めたはずの数学のプリントは一枚も進んでいない。ついに耐えきれず、ベッドに倒れ込んで音を上げた私は、最近では日課となった信一くんに呼び掛ける。
「ねえ、私の代わりに宿題やってー」
『自分でやれ』
基本的に信一くんは、私が呼ばない限り話しかけて来ない。本当に私の生活には介入しないようにしてくれている。当然、私が助けを求めても助けてはくれない。
「じゃあ……信一くんって、どうしてそんなに落ち着いてるの?」
『ん? 何でそんなこと聞くんだよ』
「そりゃあ、共存関係にあるんだしぃ。気になるよ。それに……私だけ何もかも知られてるのは不公平だし」
『そっちが本音か……』
俺は弥生に話していいものか迷った。
話せば間違いなく、弥生の心に負担を掛けるのが明白だ。三年間、小鳥遊弥生という女の子を傍で見続けてきたのだから手に取るように分かってしまう。
かと言って、沈黙を貫いても彼女が引き下がるとは思えない。弥生は虫も殺さない人畜無害な可愛い顔をしている癖に頑固かつ強情で、人の領域に土足で踏み入って自然に馴染み始める恐ろしい子なのだ。
弥生が早く言えよと催促するかのように、ボスッボスッと枕を殴り始めた。
無駄な誤解が生まれたり、不用意に暴走されても困る。打ち明けることで追及されなくなるならそれが一番いいと思い、俺は言葉を慎重に選んでいく。
『そうだなあ。三年……三年間、お前の中で色んなことを整理して決め終わってるから落ち着いてられるんだよ』
慎重に絶対にある一つだけは悟られないように説明を続ける。
実のところ三年前の手術後からずっと俺の意識は覚醒していた事。
だが、俺を待っていたのは一方通行の現実だった事。
意味の分からない状況に叫んでも、泣いても、狂っても、こちらの声は一切届かなかった事。
『その代わりに、お前が見たモノ、聞いたモノは否応なく流れ込んでくるって感じだ』
ここで俺はウソを吐いた。
本当は感じたモノも全て伝わってきている。痛み、苦しみ、悲しみ、辛み……快楽まで。初めて女性の快楽――絶頂というものを体験した時は、なんかこう……もう新鮮で、凄すぎて、なんて言葉にしてたらいいのか未だに思いつかない。男の俗に賢者モードと称されるスッと性の高ぶりが欠損するかのような感覚とは異なり、緩やかなオーガズムが一定時間続く――話を戻そう。
日々、自慰行為に耽っていることを注意しただけで赤面して取り乱す。そこまでは普通の反応ではあるが、その感覚まで知られていると知れば……さすがにどんな暴挙に出るか想像も出来ない。これは胸の内に秘めて墓場まで持って行くと決めている。
一通り話し終えたところで、弥生の頬に涙が伝った。
「なんで……なんで、もっと早くに声をかけてくれなかったの?」
『言ったろ? 今まではずっと一方通行だったって』
「あっ、もしかして一か月前」
『あの時、お前が発作を起こして意識を失った瞬間、俺の意識が表に出ていた。心臓がばっくんばっくん言って張り裂けるかと思ったぜ、マジで。でも、ここで俺が意識を失ったらそれこそマズイと思ったから、何とか救急車呼んで、救急車が来るまで大丈夫、大丈夫って自分に言い聞かせたわけよ。褒めてくれたっていいんだよ?』
「うん、ありがとう」
弥生の素直な返しに面食らってしまう。久しぶりに自分の気恥ずかしさというものを感じた。
「よし! 決めた!?」
そう言って、弥生が枕を抱きしめて上体を起こした。立ち上がり、勉強机に向かって宿題を再開するのかと思いきや、おもむろに財布を開いて中身を確認を始めた。千円札が三枚と硬貨が数枚を机に広げて、今度はスマホを取り出して電車の乗換案内アプリを起動させる。
『俺の自惚れであればいいと願って、念のために訊くけど……お前、何処へ出かけるつもりだ?』
「決まってるでしょ! 相川信一くんが本当に存在していたかどうかを確かめるの! もし存在していなかったら、あなたは私が作り出した人格で存在してたら心臓と一緒に移植された人格。このままはっきりしないのは嫌!」
こうして突発的に打ち出された小鳥遊弥生の真実究明ツアーは――大阪までの往復料金によって頓挫した。
小鳥遊弥生はアルバイトが禁止されている。
毎月のお小遣いは五千円。支給日は毎月一日。今日は八月の八日だ。今月分は既に支給されている。それはつい先日のこと、弥生は友人たちとちょっと遊びに出掛けた。先月から溜めて置いたお小遣いで洋服を購入した。残金は三千円弱。
これが現実だ。
「なんで、片道で二千円以上するの! 大阪なんて隣の隣でしょ!?」
両親が仕事でいないことをいいことに、弥生は癇癪を起した子供のように吠える。
『お前、電車乗ったこと無いのか?』
「あるよ! でも、切符は買ったこと無い!?」
弥生は自慢げに胸を張った。
前途多難だ。このまま放置しておいたらヒッチハイクでもして大阪に向かいかねない。
そう思いつつも、俺自身も確かめたい気持ちは僅かながらにある。もしかしたら俺は、弥生が生み出した人格ではないかと。そんな一抹の不安がアドバイスをしてしまう。
『来週、定期検診の日だろ?』
弥生が通院している病院は大阪市内にある。今の定期検診は四ヶ月に一回で次回は九月の予定になっていたが、先月倒れたこともあって一ヵ月前倒しで検診の予定が組まれた。
定期検診は問題が無ければ昼までに終わる。両親から往復切符を渡されるのが通例で、昼食代にプラスお金も貰える。大阪市内なら今の手持ちで十分に移動圏内だ。
「あっ、そっか。信一くんあったまいい!」
鳴りもしない指パッチンを鳴らす仕草をした弥生は手帳を開いて予定の確認を始めた。俺の記憶違いでなければ、両親は仕事で一人で行くことになっているはず。お盆休みのない日本のサラリーマンの実態……と言うものの、二人のお盆休みが無くなったのは月末の家族旅行に合わせる為、休みをズラしたのだ。
シーズンを少し外して旅行に行く、それが小鳥遊家スタイル。
俺と弥生は、両親に悟られないように計画を立てて行った。
ただ一つだけ、弥生に約束させたことがある。
――相川信一の実家には行かないこと。
それだけは絶対に踏み入ってはいけない気がして……弥生も納得してくれた。
決行日は八月十二日。盆入り直前だ。
その前日、八月十一日。
私は学校に呼び出された。用件は――白紙で提出した進路希望調査票だった。
新任の女性教師、ゆうこ先生が真剣な眼差して私を睨む。
「小鳥遊さん、ご両親から身体のことは伺っています。けど、今のあなたには将来があるはずです。もう一度、将来のことを考えてみてください」
蒸し器の中にいるような暑さの中、帰宅した私はエアコンのスイッチを入れて、更に蒸し暑い部屋の温度を下げ始める。ベッドに倒れ込んでリモコンの設定温度の『↓』を連打して十六度まで下げる。いい感じに涼しくなってきたらニ十五度に戻して、机に向かった。
白紙の進路希望調査票を前にして腕を組んで唸る。
ひとしきり"将来"を考えて見ても何も思い浮かんでこない。
三年前に余命一年だと宣告されていた。将来への渇望なんてものは、その時に全て捨て去った。心臓を移植して延命に成功した今も同じだ。心臓移植をしても、その余命は凡そ五年と言われている。最近の事例では二十年以上も生きられている方がいるみたいだけど、私がそうだとは限らない。
あと二年以上先には、私はどうなっているか分からない。こう言うと、皆同じだと返して来る人がいる。でも、そうじゃない。私が言いたいのは、その確率が圧倒的に高いのが分かっているんだと言うことだ。普段から皆と変わらないと振舞ってはいても、この一点だけは私が皆と違うところだ。
余命を宣告されたこともない人が、気安く将来のことを考えろなんて言うな!
私のことなんて目の上のたん瘤としか思っていない癖に、良い教師面して点数稼ぎをしようとしてるだけの癖に!!
今を生き抜くことで精一杯だ。他人ひとから貰った心臓に恥じないように悔いを残さないように……そこまで道が続いているか分からない将来の為に使っていられる時間はない。
私は手を机に力いっぱい叩きつけた。衝撃が骨にまで響いて、じんとした痛みが腕にまで伝わってくる。掌がじりじりと熱く痛い。
「将来なんて……、…………、……そんなの分かんないよ」
目に涙が滲んで視界が歪む。目元に溜まった涙が防波堤を乗り越えた波の飛沫のように零れて頬を伝っていく。
誰一人として、この苦しみを理解してくれる人はいない。両親でさえ解っていない。誰もが上辺だけの理解で、本当に解ってくれている人は誰もいない。
誰も、だれ……も――、
「ゆういち、くん……どうしたらいいのかな。……教えてよ。ねえってば……ゆういちくん!」
唯一、理解してくれているかも知れない人に私は縋った。呼び掛けて、自分では出せない問題の答えを求める。
返事は少し遅れて返って来た。
『ゆういちって誰だよ! 俺はしんいちだから!? ゆういちなんて言うどこの馬の骨とも分からんヤツに弥生はやらんぞ!』
昔のドラマかなんかで見たことがあるようなお父さんを気取って、私を元気づけようとしてくれる。口からは自然と笑いが漏れた。
『ま、冗談はさておき……ちゃんとした答えはやれないけどさ。将来何て気にするな。ただ、後悔だけはしないようにすればな』
「……意地悪だなあ」
『それじゃ個人的なアドバイスをやろう』
信一くんは急に偉そうに言い始める。腰に手を当てて胸を張ってる姿は目に浮かんだ。
『ゆうこ先生のこと、点数稼ぎしてるだけって思ってたみたいだけどさ。本当にそうなのか?』
「どういうこと?」
『さあ、それは俺にも分からん』
「なにそれ」
『でも、分かんないならその立場に成って見れば分かると思わないか?』
「それは教師を目指せってこと?」
『結論だけ言えばな。分からないなら分かるように努力する。相手のことを知りもしないで頭ごなしに否定しないのが俺の主義だからな!
……取りあえずさ。やらないで後から後悔するよりも、やってから後悔したほうが良いと俺は思う』
歳は四つか五つしか違わないはずなのに、自分とは全然違う考え方をしている信一くんに私は驚いて言葉が出なくなっていた。
やがて、私の中に芽生えた感情は――、
「何だろう、このすっごいムカツクのは!? なんていうか、こう……他人ひとに諭されてるんじゃなくって、自分に言われてる感じがして、このやりようのない怒りはどうしたらいいの!」
『……知らんし』
何とかなった、と俺はほっと安堵した。
弥生に語り掛けられる直前、俺の意識は真っ暗な闇に溶けようとしていた。あの瞬間、弥生が声が引き上げてくれなければ、どうなっていたか分からない。
不意に面白い仮説が思い浮かんだ。
今、俺が弥生と意思を疎通できているこの時間は、神様がくれたロスタイムなのかもしれない。もうすぐお前は消えるから、少しの間だけ世界に干渉させてやるぞ、なんてな。
……馬鹿馬鹿しい。
馬鹿な考えを振り払うと次は後悔と嘆恨たんこんが押し寄せて来た。
ああ、と俺は無い息を吐く。
自分のひねくれた考え方を、都合よく弥生に押し付けてしまった。あいつがその道を選ぶかは分からない。それでも、そういう考え方があると教えてしまったのは間違いだろう。
三年間考え抜いて、あいつが幸せであればいいと整理をつけたはずなのに……やはり、話しかけるべきでは無かったのかもしれない。
後悔の念が堪えず、俺を押し潰そうとしてくるのだった。
〇●〇●
「――ん、――いち、くん、……信一くん!?」
弥生の大声で俺の意識は覚醒した。
視界には車の通りが多い景色が流れている。
『そんなに大声出さなくったって聞こえてるよ。今日は検診の日だったな。ちょっと考え事があるから終わったら――』
「終わったよ、もう」
俺は無い耳を疑った。
『終わったって何が?』
「だから、定期検診!」
一瞬、目の前が真っ白になった。
弥生は一体、何を言っているんだ? 昨日は進路や将来の話をしていて……その後、どうなったんだっけか。
……これは本格的にマズイか?
弥生の視界に映っているのは府内にある病院の前だ。丸一日近く、俺の意識は無くなっていたことになる。
「昨日の夜も今朝だって呼んだのに無視してくれちゃって!」
『悪い、ちょっと考え事しててな』
「それって?」
『言わないとダメか?』
「無視してくれちゃったんだから、当たり前だし」
『ちょっと言い難いんだけどな……お前の自慰の回数をどうすれば減らせるかって考えてたんだ』
「き、きき、昨日のはドラマの濡れ場が悪いだけだから!」
呆れて物も言えない。
仮に、俺の意識がもうすぐ完全に消えるのだと仮定しても……将来のことを考えて、これだけは少し改善しておくべきではないだろうか? 人として……。
そんなことを考えていると弥生がスマフォを耳に当てて歩き出した。今の弥生は第三者から見れば一人で喋っている可哀そうな子だ。なので、電話をしている風を装うことで対策とした。
「そ、それで図書館で良いんだよね?」
『ああ。まあ、可能性は薄いけどな』
すると、弥生は言い難そうにおずおずと訊いてきた。
「その、図書館で何するの?」
そういうのは計画の段階で訊いて欲しいものだ。
『……新聞を探すんだよ』
「新聞?」
『あの事故からお前の手術が成功した日の前後くらいまでのな』
「なんで?」
『お前、ちょっとは新聞読め』
「むぅ……いいから教えてよ」
『新聞にはお悔やみ欄ってのがあってな。死んだ人の名前が載るんだよ。掲載される範囲は区域とかで分かれてるんだろうけど……この近くの図書館なら俺ん家までそう遠くないから載ってる可能性はある』
「へえ、そんなのあるんだぁ。じゃあ、早く行って探しちゃお!」
呑気に言って歩みを早める弥生は、それがどれだけ大変か気づいていないようだ。
俺が事故に遭ったニュース記事にあった日付から弥生の手術が行われた日までで八日。プラス一日をして九日。
大阪府内で出回っている新聞の種類は全国紙四種、府域紙一種、地域紙一種。位置関係的に地域紙は外しても大丈夫だろう。それでも五種類、四十五部になる。それで見つかれば小一時間だが、見つからなければもうニ、三日分は追加することになるだろう。
弥生の集中力さえ持てば二時間もあれば終わるはずだ。
途中、通りがかりのパスタ屋で昼食を摂り、図書館に着いたのは十三時を回っていた。
弥生は親切な司書のお姉さんが目の前に各新聞社ごとに並べてくれた新聞の量を目にして、手にしていたスマホの画面に映った彼女の表情は文句を言いたげだった。
「それじゃ、夏休みの宿題頑張ってね♪」
一仕事を終え、満足げな表情で司書のお姉さんはカウンターの方へと戻って行った。
時刻が十五時を回った頃、私は全ての新聞に目を通し終えた。
それは同時にタイムアップの合図でもある。
帰宅時間を考えると遅くとも四時台の電車に乗らないといけない。
まず結論だけ言うと、相川信一の文字は何処にもなかった。
図書館を後にして駅へと向かっていた私の足が止まる。スマホのナビアプリを起動させ、私は踵を返した。検索欄に打ち込むのは信一くんが事故に遭った場所だ。
ここから歩いて十分もかからない。
釘を刺される前に私は言う。
「実家には行かないって約束したよ。でも、事故現場に行かないとは約束してない!」
『……ああ』
信一くんは諦めたように一言返して黙り込んでしまった。
怒らせてしまったのだろうかと、私の中に不安が滲んだ。
ほどなくして目的に到着した。
そこは何処にでもあるような横断歩道のある交差点だった。片側二車線の中央分離帯のあるよくある道路。事故から三年経っている。事故の痕跡は一つを除いて何処にも残っていなかった。
横断歩道脇の電柱に真新しい花束が供えられていた。
それはここで事故があったことの証明。
私は、他に歩行者がないことを確認してから恐る恐る語り掛ける。
「ここ、で合ってる?」
横断歩道で信号待ちをしているように立って周囲を見渡してみる。
ややあってから信一くんの声は聞こえて来た。
『ああ、間違いない。ちょっと白く塗りつぶしたら俺の記憶にある最後の景色と一緒だ』
事故は一月の中旬、大阪では珍しく大雪で積雪した日に発生した。私の住む田舎くんだりと違って、大阪では雪が積もることは珍しいそうだ。
胸元に手を当てる。服の上から傷痕をなぞるように指を這わした。
私が知らない景色を知っている信一くんは、私が生み出した別の人格などではなく、やっぱり前の心臓の持主で間違いないのかもしれない。
どうしてか、胸がチクりと痛む。心臓じゃない。心が痛い。
信一くんは私の中にいるのに、でも、信一くんは死んでいて……ああ、わけがない。
私は花束が供えられた電柱の前にしゃがみ込んで両手を合わせた。不謹慎だと思いながら、故人を悔やむのと一緒に感謝を捧げた。
「あら? それ、貴方が供えてくれたの?」
背後から声がして振り返る。
そこには黒色のスーツ姿の綺麗な女性が立っていた。手には供えられているものと同じような花束が握られている。
『…………』
信一くんが何かを言っているような気もするけれど、はっきりと聞こえない。
「この花は私が来た時にはあって……」
「そう」
言って、綺麗な女性は花束を並べて備えて両手を合わせた。シュっと伸びた背筋にさらさらとそよ風に揺らぐ柔らかなショートカットの髪、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んだ羨ましい限りの素晴らしいスタイル。
とても絵になる。
ゆっくりと目を開けた綺麗な女性はこちらを見た。
「手を合わせてくれてた見たいだけど……貴方は?」
「えと、えっと、その……」
言葉が詰まる。どう説明していいのか、そもそも言って良いのか、言って信じて貰えるのか、ダメだ、言葉が見つからない。
横断歩道信号が青に変わった。
「ご、ごめんなさい」
私は逃げるように走り出――、
『馬鹿っ!?』
「危ないっ!?」
耳の鼓膜を破るような音と信一くんの声が私に現実を知らせる。
それは右方向から迫って来ていた。
黒い乗用車がけたたましいブレーキ音とクラクションを鳴らしている。
私の心臓が激しく、強く、警笛を鳴らした。
弥生の意識が落ち、入れ替わるようにして俺の意識が表に出た。
――後ろだ、後ろに飛べ。
無我夢中に心の中で何度も繰り返す。
心臓が張り裂けそうなくらい悲鳴を上げている。
差異はあれど、三年前の俺が巡り合った事故と類似した状況。
神様はこの一瞬を俺に与えてくれたのかもしれない。
要らないお世話だ。
――後ろに飛ぶんだ!
弥生のひょろっこい身体は強張って動いてくれない。
――飛べ、飛べ、飛べっ!!
両足で後ろに倒れ込むように踏み切る。そして手を伸ばして叫ぶ。
「ああああぁぁぁ、姉貴ぃぃっ!?」
か細い弥生の腕を三年見ない間に変貌を遂げたカッコいい姉が引っ張ってくれる。
「――っ」
肩が外れそうになる痛みを奥歯を噛みしめて堪えた。
弥生の身体は姉に引き寄せられて、腕の中にすっぽりと納まった。
信号を無視した黒い乗用車が酷いブレーキ音と鼻に付くゴムの臭いをまき散らしながら停止線を超えて交差点に侵入していく。左右から走行してきた軽自動車と接触して停止した。
交差点は騒然となる。
「はあはあ、はぁ――っ」
心臓の発作が収まらない。
視界がバチバチと火花を散らすように明滅する。
まだ意識を失うな。
「貴方、大丈夫っ!?」
弥生の持っていたカバンに手を突っ込んで紙袋を握る。引きずり出す。病院が処方した弥生用の薬だ。
「あ、姉貴……こいつをこの病院、まで」
「ちょ、なに言って……しっかりして!?」
「たの、む――」
俺の意識もそこで途切れた。
――深い闇に落ちて行く。
〇●〇●
目を開くと、私は真っ暗な闇の中にいた。
右も左も、上も下も分からない暗闇が私の前に広がっている。
そもそも私は本当に目を開いているのだろうか?
目を閉じているのかもしれない。
瞼を押し上げようとして気付いた。
身体の感覚がない。
心臓の鼓動も聞こえない。
痛みもない。
生きている心地がしない。
感情が湧いてこない。
悲しみも後悔も……何も沸かない。
無気力のような状態だ。
ああ、これが"死ぬ"ということなのかな。
「バカ野郎、勝手に死ぬな」
ゴツン、と声と共に頭に痛みが走った。このひと月で聞き慣れてしまった信一くんの声だ。
闇から抜け出るように、私の腕、足、胴と次々に姿を現していく。
「いったーい。殴らないでよ!」
私は痛みの残る頭を押さえながら声を荒げた。背後を振り返り、そこにいた真夏には不釣り合いなコートにマフラー姿の男の子を睨んだ。初めて見るはずなのに、私は彼が相川信一くんだと疑いもせずに納得していた。
信一くんは、私より頭一つ分くらい背が高く、体格は痩せ型でスポーツをしている風には見えない典型的なインドア派な印象だ。
しばしばの沈黙の後、どちらからかと示し合わせた訳でも無く、私たちは同時に口を開いた。
「「初めまして(だな)」」
暗闇が、暗幕を開くようにして見覚えのある交差点を描き出した。
俺と弥生だけが存在しているあの交差点。
ここは相川信一を繋ぎ止めている原風景なのだろう。今の俺という存在が始まった場所であり――そして俺という存在が終わる場所。
もうすぐ消えてしまう場所。
「初めてじゃないのに初めましてって、なんか変なの」
弥生がコロコロと無邪気に笑う。
交差点の奥の方は既に消え始めている。
もう時間がない。
襲ってくる睡魔に似た感覚を噛み殺して、俺は弥生の手を引いた。
「えっ、な、なになに!?」
ふわり、と弥生の身体が宙に浮いて、俺の手から離れて高く昇って行く。
説明している時間も納得させられるだけの答えもない。あるのは漠然とした終わりの気配だけだ。ここにいれば弥生の意識も一緒に消えてしまう。
だから、すぐにでも向こう側に返さないと。
「お前の身体は俺が何とか救っておいてやった。皆が心配してるだろうから、早く戻れ」
「そっか、信一くんが助けてくれたんだ」
「宿が無くなって困るのは俺の方だからな。ああ、そうそう。目醒めたら、さっき話しかけてきたカッコいい女の人がいると思うんだけどさ。それ、俺の姉貴だから、ヨロシク言っておいてくれ」
「えぇ、私が? 自分で言いなよ」
「自由に表に出られないんだからしゃーないだろ」
「んー、それもそっか……分かったよ」
納得いかなさそうな仏頂面の弥生を微笑んで見送る。
――これでいい。
やがて、弥生の姿が米粒ほどになると、原風景の交差点が崩壊を始めた。闇が生き物のように動き出して世界を飲み込み、黒一色に塗り替えていく。
俺と言う存在は魂の残滓のようなもの。今まで存在し続けられていたことが奇跡だったのかもしれない。
――弥生、お前と一緒にいられた三年は幸せだったよ。
世界が崩壊していくのを私は見た。
崩壊の中心で信一くんがこちらを見て微笑んでいた。
必死に手を伸ばした私の手は――虚空を切った。
「……ダメ、信一くん!!」
見知った天井に私は手を伸ばしていた。
病院のベッドの上。室内には他には誰もいない。私の心音を告げる医療機器が一人で鳴いていた。私が上体を起こすとポツ、ポツと胸元に取り付けられていた吸盤状の物体が外れる。医療機器がピィーと高い声で鳴いた。
私は視線を落とす。着せられた病衣を少し開けさせる。お世辞にも大きいとは言えない平たい胸元に薄く残る一筋の傷痕に指を這わせて、そこに居たはずの彼がいなくなっていることを悟った。
ぽっかりと胸に穴が開いたような感覚だ。
……突然過ぎるよ。私、言えなかった。
いつでも言えると思っていたから……助けてくれてありがとう、って言えなかった。
流れ出る涙が止まらない。悔しくて、悲しくて、そして腹が立った。
「ちゃんと……言ってよ、バカッ」
病室の扉が勢いよく開いた。
機器の異常を受けて大人たちがぞろぞろと雪崩れ込んでくる。主治医の先生、看護師、お父さんとお母さん、それとカッコいい女の人。
大人たちが口々に私の名前を呼ぶ中、私はただ一人泣き続けた。
〇●〇●
一年後。
私は一つのお墓の前で手を合わせる。
――相川家之墓。
相川信一くんがここに眠っている。
あれから色々なことがあった。
信一くんが消えたあの日、泣き止んだ私は全てを話した。最初にカッコいい女の人が信一くんのお姉さんだと言い当てたことで、頭ごなしに否定はされず、一応は信じて貰えた。それから我が儘を言って、信一くんのご両親にも挨拶をした。お姉さんの口添えもあって、思いの外、すんなりとことが進んだのには驚いた。
それを切欠に小鳥遊家と相川家は交友関係を深めるようになった。
「そういえば弥生ちゃん、学校の先生目指すんだって?」
「ど、どこでそれを……」
信一くんのお姉さんが悪戯っぽい笑みを浮かべて、逃げられないように私の肩を抱いた。
まだ両親にも話していない担任のゆうこ先生しか知らない私の大学進学理由をどうして……。
「ゆうことは大学時代からの親友なの」
ゆうこ先生……個人情報の漏洩ですよ!
「秘密にして欲しいって言ってたみたいだけどぉ。お姉さん、その理由が気になっちゃって夜も眠れないんだけどなあ」
教師を目指す理由。それは、
「えっと……秘密です、ね」
私は胸元の傷痕に語り掛けた。
私たちの関係の中で、一つだけ誰にも分からないことがある。
それは信一くんが記入したドナーカードを所持していたことだ。
彼はどういう思いで名前を記入したのだろうか。
今日は全国の高校三年生の多くが今までの全てを絞り出す日――センター試験。
俺――相川信一もまたその一人だ。
特別、勉強が出来る方じゃない。
特別、やりたいことがあるワケでもない。
特別、夢があるワケでもない。
友人達まわりが進学すると言うから、ただの惰性で進学を決めた。
両親も「肩書社会の世の中だ。何処でもいいから大学は出ておきなさい」「大学に行ってからでもやりたい事は見つけられる。父さんなんて――」、そんな感じで背中を押してくれた。
姉は「大学行っても、まだやりたいことが見つけられてない前例がここいるけどね」と進学の意味を考えさせられる台詞を並べていたのが良く記憶に残ってる。
だから俺は、一つだけ将来の目的を立てた。
それは――教師になることだ。
今までに良い思い出のある恩師がいるわけじゃない。むしろ、その逆だ。教師なんて大嫌いだ。生徒には大きな顔をしている癖に、PTAや世間の目が向けられた途端に自己保身に走って見る影も無くなる。ドラマやマンガに登場するような熱血教師なんて幻影だ。
けれど、彼らの気持ちはその立場になって見ないと分からない。
それを知るために俺は教師になると決めた。
試験の出来は上々だったと思う。合っていると確信していても、蓋を開けてみれば間違っているってのはよくあることだ。過度な期待は反動がデカイので、この話題はこれで終わり。
高望みをした大学を志望していないから、多分、大丈夫だ。
帰ったら全力で寝ようと決め込んでいた帰路。
歩行者用の信号機が青に変わり、横断歩道に踏み出した。
――ガシャン!!
金属と金属が衝突する激しい音が鼓膜をつんざく。
音の方に顔を向けた。
そこからは全てがスローモーションのように遅く感じた。
停車していたはずの赤い車がタイヤを回さずに前へと滑り出てきていた。その後ろに大型のトラックが赤い車の尻を突き上げるように後部を斜めに振りながら前進してきている。
ああ、と俺は理解した。
赤い車は大型トラックに後ろから追突されたんだ。大型トラックは雪のわだちか何かに足を取られて予期せぬスリップに見舞われてしまったのだろう。
赤い車が車体を右斜めにして俺に向かってくる。
今、後ろに飛び退けば助かるかもしれない。少なくとも赤い車との正面衝突は回避できる。
だが身体は――動かなかった。
―――
――
―
小鳥遊弥生は名前も知らない他人から命を貰って生きている。
心臓の病気――病名はなんとか心筋症……それが発覚したのは随分前で、病名なんて忘れてしまった。要は根本的な治療方法のない不治の病というやつだ。
三年前、私はあと一年生きられるかどうかと主治医から宣告された。
それまでは投薬で症状を先延ばしにして誤魔化していたけれど、私の身体は薬に免疫を付けだして意味を成さなくなり、ついに先延ばしの手段が無くなってしまったのだ。
心臓移植を除いては。
そんな折、偶然か奇跡か、私と合致するドナー提供者が現れた。
生きていたい特別な理由は無かった。でも、死にたい理由も無かった。
生か死か。二つを天秤に掛けた結果、私は"生"を望んだ。
その時、私は不謹慎にも名前も知らない他人に心臓を残して死んでくれたことを感謝してしまっていた。人の死を喜ぶなんてしてはいけない。酷い、最低な女だと自分を苛んだ。
手術は成功、術後も良好で無事に退院を果たしたその日、私は一つの決意を固めた。
この命に報い、恥じないように生きようと。
胸の奥で鼓動を続ける心臓に誓った。
私の住んでいる町はド田舎とまでは行かないまでも、都会に比べれば圧倒的に田舎だ。
小学校と中学校は幾つかの小学校が統合される感じで顔ぶれは変わらない。学区を越えて遊んでいた子も多く、新学年だと言われても新鮮味はゼロだ。
それと同じように中学から高校も、徒歩・自転車で通える最寄りの高校が一つしかないので四分の一は同じ顔が揃う。
電車を利用すれば、それなりの数の高校が登校圏内に該当してくるけれど……電車が一時間に一本しかないのが面倒です。毎朝、一時間に一本しかない電車で登校なんて考えたくもない。
最寄りの高校は緩やかから急な坂へと移り変わる山の中腹にある学校なのは難点ですが、電車通学よりマシです。
そして高校生になって二度目の夏がやってきた。
一年の時、中学の同級生の四分の一が、また同級生になるということは、私の噂が広まるのは至極当然だった。私は良く言えば割れ物のように大切に扱われ、悪く言えば腫れ物を見るような眼で見られた。
病院のベッドの上の方がマシだと思える息の詰まる、気を遣う生活だった。
それは、私が他の皆と変わらないことを証明し続けることで、時間と共に解消されていった。
ただ一つ、水泳の授業だけは身体のことを盾にして欠席していた。
二年になった今年も水泳の授業だけはプールサイドの木陰に座って見学している。
泳げないわけじゃない。
胸元に薄っすらと、けれど確かに一目で分かる手術の痕を見られたくないという感情が私をそうさせていた。
水着を着ている間は隠れてしまうから気にはならない。
問題は着替えの時だ。体操服と違って、身を隠してさっと着替えてしまうなんてことが出来ない。傷跡を見せたことのある親しい友人が、「気になるなら私たちが壁になって上げる」と優しい言葉を掛けてくれた。
でも、それが余計に私の中で後ろめたい、自分が皆とは違うんだという感情が膨れ上がり、受け入れられなかった。
後ろめたさを引き摺ったままの下校中、私の心臓がちくりと刺すような痛みと共に悲鳴を上げた。
暗転。
――大丈夫、大丈夫。もう少しだけ、持ってくれ
〇●〇●
目を覚ますと、私は病院のベッドの上にいた。やけに大層な個室に丁重にもてなされたものだと溜息が出る。
主治医の先生の話によれば、心臓発作を起こして倒れた私は近くの病院に搬送された後、心臓移植患者であったことから、ただちに医療ヘリで府内にあるこの大きな病院に担ぎ込まれたそうだ。豪華な個室は、偶然空いていたことと大切なモルモッ……可愛い女の子への病院からの贈り物だそうな。
バイタルは安定しているものの、これまで何の問題もなく安定していただけにニ三にさん日の検査入院を宣告される。合わせて、先生は不思議なことを口にして私に称賛の言葉を送って来た。
発作を起こした際、私は自分で119番に電話をして救急車を呼んだというのだ。
身に覚えはない。
しかし、スマフォを確認してみると確かに通話履歴が残っていた。
通りすがりの誰かが私の代わりに……、そんなことを考えながら大量に着信している両親にメールを送ろうとしたところでバッテリーが落ちた。
夜、面会時間のギリギリに両親が着替えを持って飛び込んで来た。てっきり、今日は仕事が抜けられなくて来られないと思っていた私は、飲んでいたお茶を噴き出して驚いた。
私の無事な姿に涙を流して、苦しいくらいに強く抱きしめてくれる。
それから暫く、先生と幾つか話をしてから二人は明日も仕事があると言って病室を後にした。
慣れたこと。昔の二人は、残る残れないで口論になっていたが、私が仕事を蔑ろにする二人は嫌いだと言ってからは大人しく帰るようになった。
本当のところは自分を喧嘩の口実にされているのが嫌だっただけ。
ふと、夜の闇に染まる窓を見た私の眼は見覚えのない男の子を映した。
同い年くらいの男の子で、特別目立った特徴のないザ・平凡といった印象だ。
それはおかしなことだ。
ここは何階かまでは分からないけれど、二階以上で窓の向こうは外だ。人が立てる足場なんてないはず。
袖で目をゴシゴシと擦り、何度か瞬きをしてから、もう一度窓の外を見ると――そこには男の子の姿はなく、見慣れた私がいた。
「見間違い?」
暗闇しか映っていない窓に何と見間違えるというのか?
首を傾げた私の頭の中に、遠慮がちな声が響いた。
『……聞こえるか?』
「っ!?」
室内を見回しても私以外には誰もいない。それに声は耳を通して鼓膜を震わせて聞こえたものではなく、頭の中に直接反響するような感じで響いた。
意味の分からなさに気が動転して心臓が高く鐘を鳴らす。
『落ち着いて、深呼吸しろ。大きく吸って、吐いて』
頭の中に反響する冷静な声に促されるように私は深呼吸を繰り返した。その度に、ゆっくりともう一回、と優しい男の子の声が頭の中に反響する。心臓の鼓動が安定する頃には、私の頭はその声への警戒を解いていた。
最後にもう一度、深呼吸をしてから切り出した。
「あなたは誰?」
ややあってから声の主は言葉を紡いだ。
『俺は相川信一。お前の中にある心臓の前の持主ってところかな』
そんな摩訶不思議な台詞に加えて、彼は「調べて欲しいことがある」と言う。
私は充電中のスマフォを起動させて言われたとおりに日時と地名を入力して検索を掛ける。頭は付いて行っていない。乱立する検索結果の中、声に指示されてニュース記事のページを開いた。
それは三年前の交通事故の記事だった。
"わだちに乗り上げスリップか!? 1人重傷2人けが"
雪が降り積もった夕刻、赤信号で停車していた乗用車に大型トラックが雪のわだちに後輪を取られてスリップして追突。勢いよく押し出された乗用車に横断歩道を横断していた学生が跳ねられ、頭部を強く打って重傷。大型トラックと乗用車の運転手は軽い怪我で命に別条はないということ。
「えっと……これ」
『その学生ってのが俺だろうな』
「でもでも、重傷って書いてあるから……勘違いとか?」
『俺の意識がここにあって、お前に心臓が移植されたって証明しかないけど、頭部を強く打っていたって書いてあるから助からなかったんだろうな。この程度の事故、マスコミは喜々として速報記事は書くけど続報の記事は書かないからな。よっぽど、凄惨な事故になっていない限り、な』
彼の声は怖いくらいに冷静で達観しているように思えた。
そこで私の意識は現実に引き戻されるように異常な事態を認識した。
心臓の前の持主? そんな馬鹿な話があるはずがない。そういうものは物語の中だけの話でしょ。
私は、心臓病の次は二重人格なんていう精神病を患ってしまったようだ。
こういう場合、どうするのが正解なのだろうか。
主治医の先生に相談する? それとも忘れてしまう? うん、そうしよう。
『いや、待て待て。そういう現実逃避はいけないですよ、弥生さんや』
もう一つの人格が老人会のお爺ちゃんのように語り掛けて来る。
謝るように困った声で言う。
『声が届くとは思ってなかったんだ。だから、もう二度と話しかけない……悪かった。お前の人生を邪魔するつもりはないんだ。俺はもう死んでるんだからな。
ただ、声が届くなら一つだけ言っておきたいことがあってだな』
相川信一と名乗る人格は言い難そうに一度押し黙ってから、
『年頃の女の子だからしゃーないと思うけどさ。その、なんだ……人の趣味趣向は否定しないが、水が勿体ないからシャワーでするのはどうかと思うゾ』
私の頭に?マークが大量に並んだ。何を言っているんだろう?
年頃? シャワー?
『ベッドの中でやるのはいいとしても、回数は少し減らした方がいいんじゃないか?』
ベッド……回数……私は心当たりに行きつく。
―――っ、カァァァ、
顔が逆上せたように熱くなるのが嫌でも分かった。耳まで熱い。
『幾ら何でも毎日はしないだろ、普通』
私は死にたい気分になった。両手で耳を押さえてベッドの中に潜り込んで両目をぎゅっと瞑った。
その日を境に、私はモヤモヤとした気分になっても極力我慢することにした。
〇●〇●
私と信一くんの奇妙な共同生活が始まってひと月が過ぎた。
学校は夏休みに入り、うだるような夏の日差しが照り付ける。
エアコンを入れていても窓から差し込む太陽の光に身を焼かれて、一時間前に始めたはずの数学のプリントは一枚も進んでいない。ついに耐えきれず、ベッドに倒れ込んで音を上げた私は、最近では日課となった信一くんに呼び掛ける。
「ねえ、私の代わりに宿題やってー」
『自分でやれ』
基本的に信一くんは、私が呼ばない限り話しかけて来ない。本当に私の生活には介入しないようにしてくれている。当然、私が助けを求めても助けてはくれない。
「じゃあ……信一くんって、どうしてそんなに落ち着いてるの?」
『ん? 何でそんなこと聞くんだよ』
「そりゃあ、共存関係にあるんだしぃ。気になるよ。それに……私だけ何もかも知られてるのは不公平だし」
『そっちが本音か……』
俺は弥生に話していいものか迷った。
話せば間違いなく、弥生の心に負担を掛けるのが明白だ。三年間、小鳥遊弥生という女の子を傍で見続けてきたのだから手に取るように分かってしまう。
かと言って、沈黙を貫いても彼女が引き下がるとは思えない。弥生は虫も殺さない人畜無害な可愛い顔をしている癖に頑固かつ強情で、人の領域に土足で踏み入って自然に馴染み始める恐ろしい子なのだ。
弥生が早く言えよと催促するかのように、ボスッボスッと枕を殴り始めた。
無駄な誤解が生まれたり、不用意に暴走されても困る。打ち明けることで追及されなくなるならそれが一番いいと思い、俺は言葉を慎重に選んでいく。
『そうだなあ。三年……三年間、お前の中で色んなことを整理して決め終わってるから落ち着いてられるんだよ』
慎重に絶対にある一つだけは悟られないように説明を続ける。
実のところ三年前の手術後からずっと俺の意識は覚醒していた事。
だが、俺を待っていたのは一方通行の現実だった事。
意味の分からない状況に叫んでも、泣いても、狂っても、こちらの声は一切届かなかった事。
『その代わりに、お前が見たモノ、聞いたモノは否応なく流れ込んでくるって感じだ』
ここで俺はウソを吐いた。
本当は感じたモノも全て伝わってきている。痛み、苦しみ、悲しみ、辛み……快楽まで。初めて女性の快楽――絶頂というものを体験した時は、なんかこう……もう新鮮で、凄すぎて、なんて言葉にしてたらいいのか未だに思いつかない。男の俗に賢者モードと称されるスッと性の高ぶりが欠損するかのような感覚とは異なり、緩やかなオーガズムが一定時間続く――話を戻そう。
日々、自慰行為に耽っていることを注意しただけで赤面して取り乱す。そこまでは普通の反応ではあるが、その感覚まで知られていると知れば……さすがにどんな暴挙に出るか想像も出来ない。これは胸の内に秘めて墓場まで持って行くと決めている。
一通り話し終えたところで、弥生の頬に涙が伝った。
「なんで……なんで、もっと早くに声をかけてくれなかったの?」
『言ったろ? 今まではずっと一方通行だったって』
「あっ、もしかして一か月前」
『あの時、お前が発作を起こして意識を失った瞬間、俺の意識が表に出ていた。心臓がばっくんばっくん言って張り裂けるかと思ったぜ、マジで。でも、ここで俺が意識を失ったらそれこそマズイと思ったから、何とか救急車呼んで、救急車が来るまで大丈夫、大丈夫って自分に言い聞かせたわけよ。褒めてくれたっていいんだよ?』
「うん、ありがとう」
弥生の素直な返しに面食らってしまう。久しぶりに自分の気恥ずかしさというものを感じた。
「よし! 決めた!?」
そう言って、弥生が枕を抱きしめて上体を起こした。立ち上がり、勉強机に向かって宿題を再開するのかと思いきや、おもむろに財布を開いて中身を確認を始めた。千円札が三枚と硬貨が数枚を机に広げて、今度はスマホを取り出して電車の乗換案内アプリを起動させる。
『俺の自惚れであればいいと願って、念のために訊くけど……お前、何処へ出かけるつもりだ?』
「決まってるでしょ! 相川信一くんが本当に存在していたかどうかを確かめるの! もし存在していなかったら、あなたは私が作り出した人格で存在してたら心臓と一緒に移植された人格。このままはっきりしないのは嫌!」
こうして突発的に打ち出された小鳥遊弥生の真実究明ツアーは――大阪までの往復料金によって頓挫した。
小鳥遊弥生はアルバイトが禁止されている。
毎月のお小遣いは五千円。支給日は毎月一日。今日は八月の八日だ。今月分は既に支給されている。それはつい先日のこと、弥生は友人たちとちょっと遊びに出掛けた。先月から溜めて置いたお小遣いで洋服を購入した。残金は三千円弱。
これが現実だ。
「なんで、片道で二千円以上するの! 大阪なんて隣の隣でしょ!?」
両親が仕事でいないことをいいことに、弥生は癇癪を起した子供のように吠える。
『お前、電車乗ったこと無いのか?』
「あるよ! でも、切符は買ったこと無い!?」
弥生は自慢げに胸を張った。
前途多難だ。このまま放置しておいたらヒッチハイクでもして大阪に向かいかねない。
そう思いつつも、俺自身も確かめたい気持ちは僅かながらにある。もしかしたら俺は、弥生が生み出した人格ではないかと。そんな一抹の不安がアドバイスをしてしまう。
『来週、定期検診の日だろ?』
弥生が通院している病院は大阪市内にある。今の定期検診は四ヶ月に一回で次回は九月の予定になっていたが、先月倒れたこともあって一ヵ月前倒しで検診の予定が組まれた。
定期検診は問題が無ければ昼までに終わる。両親から往復切符を渡されるのが通例で、昼食代にプラスお金も貰える。大阪市内なら今の手持ちで十分に移動圏内だ。
「あっ、そっか。信一くんあったまいい!」
鳴りもしない指パッチンを鳴らす仕草をした弥生は手帳を開いて予定の確認を始めた。俺の記憶違いでなければ、両親は仕事で一人で行くことになっているはず。お盆休みのない日本のサラリーマンの実態……と言うものの、二人のお盆休みが無くなったのは月末の家族旅行に合わせる為、休みをズラしたのだ。
シーズンを少し外して旅行に行く、それが小鳥遊家スタイル。
俺と弥生は、両親に悟られないように計画を立てて行った。
ただ一つだけ、弥生に約束させたことがある。
――相川信一の実家には行かないこと。
それだけは絶対に踏み入ってはいけない気がして……弥生も納得してくれた。
決行日は八月十二日。盆入り直前だ。
その前日、八月十一日。
私は学校に呼び出された。用件は――白紙で提出した進路希望調査票だった。
新任の女性教師、ゆうこ先生が真剣な眼差して私を睨む。
「小鳥遊さん、ご両親から身体のことは伺っています。けど、今のあなたには将来があるはずです。もう一度、将来のことを考えてみてください」
蒸し器の中にいるような暑さの中、帰宅した私はエアコンのスイッチを入れて、更に蒸し暑い部屋の温度を下げ始める。ベッドに倒れ込んでリモコンの設定温度の『↓』を連打して十六度まで下げる。いい感じに涼しくなってきたらニ十五度に戻して、机に向かった。
白紙の進路希望調査票を前にして腕を組んで唸る。
ひとしきり"将来"を考えて見ても何も思い浮かんでこない。
三年前に余命一年だと宣告されていた。将来への渇望なんてものは、その時に全て捨て去った。心臓を移植して延命に成功した今も同じだ。心臓移植をしても、その余命は凡そ五年と言われている。最近の事例では二十年以上も生きられている方がいるみたいだけど、私がそうだとは限らない。
あと二年以上先には、私はどうなっているか分からない。こう言うと、皆同じだと返して来る人がいる。でも、そうじゃない。私が言いたいのは、その確率が圧倒的に高いのが分かっているんだと言うことだ。普段から皆と変わらないと振舞ってはいても、この一点だけは私が皆と違うところだ。
余命を宣告されたこともない人が、気安く将来のことを考えろなんて言うな!
私のことなんて目の上のたん瘤としか思っていない癖に、良い教師面して点数稼ぎをしようとしてるだけの癖に!!
今を生き抜くことで精一杯だ。他人ひとから貰った心臓に恥じないように悔いを残さないように……そこまで道が続いているか分からない将来の為に使っていられる時間はない。
私は手を机に力いっぱい叩きつけた。衝撃が骨にまで響いて、じんとした痛みが腕にまで伝わってくる。掌がじりじりと熱く痛い。
「将来なんて……、…………、……そんなの分かんないよ」
目に涙が滲んで視界が歪む。目元に溜まった涙が防波堤を乗り越えた波の飛沫のように零れて頬を伝っていく。
誰一人として、この苦しみを理解してくれる人はいない。両親でさえ解っていない。誰もが上辺だけの理解で、本当に解ってくれている人は誰もいない。
誰も、だれ……も――、
「ゆういち、くん……どうしたらいいのかな。……教えてよ。ねえってば……ゆういちくん!」
唯一、理解してくれているかも知れない人に私は縋った。呼び掛けて、自分では出せない問題の答えを求める。
返事は少し遅れて返って来た。
『ゆういちって誰だよ! 俺はしんいちだから!? ゆういちなんて言うどこの馬の骨とも分からんヤツに弥生はやらんぞ!』
昔のドラマかなんかで見たことがあるようなお父さんを気取って、私を元気づけようとしてくれる。口からは自然と笑いが漏れた。
『ま、冗談はさておき……ちゃんとした答えはやれないけどさ。将来何て気にするな。ただ、後悔だけはしないようにすればな』
「……意地悪だなあ」
『それじゃ個人的なアドバイスをやろう』
信一くんは急に偉そうに言い始める。腰に手を当てて胸を張ってる姿は目に浮かんだ。
『ゆうこ先生のこと、点数稼ぎしてるだけって思ってたみたいだけどさ。本当にそうなのか?』
「どういうこと?」
『さあ、それは俺にも分からん』
「なにそれ」
『でも、分かんないならその立場に成って見れば分かると思わないか?』
「それは教師を目指せってこと?」
『結論だけ言えばな。分からないなら分かるように努力する。相手のことを知りもしないで頭ごなしに否定しないのが俺の主義だからな!
……取りあえずさ。やらないで後から後悔するよりも、やってから後悔したほうが良いと俺は思う』
歳は四つか五つしか違わないはずなのに、自分とは全然違う考え方をしている信一くんに私は驚いて言葉が出なくなっていた。
やがて、私の中に芽生えた感情は――、
「何だろう、このすっごいムカツクのは!? なんていうか、こう……他人ひとに諭されてるんじゃなくって、自分に言われてる感じがして、このやりようのない怒りはどうしたらいいの!」
『……知らんし』
何とかなった、と俺はほっと安堵した。
弥生に語り掛けられる直前、俺の意識は真っ暗な闇に溶けようとしていた。あの瞬間、弥生が声が引き上げてくれなければ、どうなっていたか分からない。
不意に面白い仮説が思い浮かんだ。
今、俺が弥生と意思を疎通できているこの時間は、神様がくれたロスタイムなのかもしれない。もうすぐお前は消えるから、少しの間だけ世界に干渉させてやるぞ、なんてな。
……馬鹿馬鹿しい。
馬鹿な考えを振り払うと次は後悔と嘆恨たんこんが押し寄せて来た。
ああ、と俺は無い息を吐く。
自分のひねくれた考え方を、都合よく弥生に押し付けてしまった。あいつがその道を選ぶかは分からない。それでも、そういう考え方があると教えてしまったのは間違いだろう。
三年間考え抜いて、あいつが幸せであればいいと整理をつけたはずなのに……やはり、話しかけるべきでは無かったのかもしれない。
後悔の念が堪えず、俺を押し潰そうとしてくるのだった。
〇●〇●
「――ん、――いち、くん、……信一くん!?」
弥生の大声で俺の意識は覚醒した。
視界には車の通りが多い景色が流れている。
『そんなに大声出さなくったって聞こえてるよ。今日は検診の日だったな。ちょっと考え事があるから終わったら――』
「終わったよ、もう」
俺は無い耳を疑った。
『終わったって何が?』
「だから、定期検診!」
一瞬、目の前が真っ白になった。
弥生は一体、何を言っているんだ? 昨日は進路や将来の話をしていて……その後、どうなったんだっけか。
……これは本格的にマズイか?
弥生の視界に映っているのは府内にある病院の前だ。丸一日近く、俺の意識は無くなっていたことになる。
「昨日の夜も今朝だって呼んだのに無視してくれちゃって!」
『悪い、ちょっと考え事しててな』
「それって?」
『言わないとダメか?』
「無視してくれちゃったんだから、当たり前だし」
『ちょっと言い難いんだけどな……お前の自慰の回数をどうすれば減らせるかって考えてたんだ』
「き、きき、昨日のはドラマの濡れ場が悪いだけだから!」
呆れて物も言えない。
仮に、俺の意識がもうすぐ完全に消えるのだと仮定しても……将来のことを考えて、これだけは少し改善しておくべきではないだろうか? 人として……。
そんなことを考えていると弥生がスマフォを耳に当てて歩き出した。今の弥生は第三者から見れば一人で喋っている可哀そうな子だ。なので、電話をしている風を装うことで対策とした。
「そ、それで図書館で良いんだよね?」
『ああ。まあ、可能性は薄いけどな』
すると、弥生は言い難そうにおずおずと訊いてきた。
「その、図書館で何するの?」
そういうのは計画の段階で訊いて欲しいものだ。
『……新聞を探すんだよ』
「新聞?」
『あの事故からお前の手術が成功した日の前後くらいまでのな』
「なんで?」
『お前、ちょっとは新聞読め』
「むぅ……いいから教えてよ」
『新聞にはお悔やみ欄ってのがあってな。死んだ人の名前が載るんだよ。掲載される範囲は区域とかで分かれてるんだろうけど……この近くの図書館なら俺ん家までそう遠くないから載ってる可能性はある』
「へえ、そんなのあるんだぁ。じゃあ、早く行って探しちゃお!」
呑気に言って歩みを早める弥生は、それがどれだけ大変か気づいていないようだ。
俺が事故に遭ったニュース記事にあった日付から弥生の手術が行われた日までで八日。プラス一日をして九日。
大阪府内で出回っている新聞の種類は全国紙四種、府域紙一種、地域紙一種。位置関係的に地域紙は外しても大丈夫だろう。それでも五種類、四十五部になる。それで見つかれば小一時間だが、見つからなければもうニ、三日分は追加することになるだろう。
弥生の集中力さえ持てば二時間もあれば終わるはずだ。
途中、通りがかりのパスタ屋で昼食を摂り、図書館に着いたのは十三時を回っていた。
弥生は親切な司書のお姉さんが目の前に各新聞社ごとに並べてくれた新聞の量を目にして、手にしていたスマホの画面に映った彼女の表情は文句を言いたげだった。
「それじゃ、夏休みの宿題頑張ってね♪」
一仕事を終え、満足げな表情で司書のお姉さんはカウンターの方へと戻って行った。
時刻が十五時を回った頃、私は全ての新聞に目を通し終えた。
それは同時にタイムアップの合図でもある。
帰宅時間を考えると遅くとも四時台の電車に乗らないといけない。
まず結論だけ言うと、相川信一の文字は何処にもなかった。
図書館を後にして駅へと向かっていた私の足が止まる。スマホのナビアプリを起動させ、私は踵を返した。検索欄に打ち込むのは信一くんが事故に遭った場所だ。
ここから歩いて十分もかからない。
釘を刺される前に私は言う。
「実家には行かないって約束したよ。でも、事故現場に行かないとは約束してない!」
『……ああ』
信一くんは諦めたように一言返して黙り込んでしまった。
怒らせてしまったのだろうかと、私の中に不安が滲んだ。
ほどなくして目的に到着した。
そこは何処にでもあるような横断歩道のある交差点だった。片側二車線の中央分離帯のあるよくある道路。事故から三年経っている。事故の痕跡は一つを除いて何処にも残っていなかった。
横断歩道脇の電柱に真新しい花束が供えられていた。
それはここで事故があったことの証明。
私は、他に歩行者がないことを確認してから恐る恐る語り掛ける。
「ここ、で合ってる?」
横断歩道で信号待ちをしているように立って周囲を見渡してみる。
ややあってから信一くんの声は聞こえて来た。
『ああ、間違いない。ちょっと白く塗りつぶしたら俺の記憶にある最後の景色と一緒だ』
事故は一月の中旬、大阪では珍しく大雪で積雪した日に発生した。私の住む田舎くんだりと違って、大阪では雪が積もることは珍しいそうだ。
胸元に手を当てる。服の上から傷痕をなぞるように指を這わした。
私が知らない景色を知っている信一くんは、私が生み出した別の人格などではなく、やっぱり前の心臓の持主で間違いないのかもしれない。
どうしてか、胸がチクりと痛む。心臓じゃない。心が痛い。
信一くんは私の中にいるのに、でも、信一くんは死んでいて……ああ、わけがない。
私は花束が供えられた電柱の前にしゃがみ込んで両手を合わせた。不謹慎だと思いながら、故人を悔やむのと一緒に感謝を捧げた。
「あら? それ、貴方が供えてくれたの?」
背後から声がして振り返る。
そこには黒色のスーツ姿の綺麗な女性が立っていた。手には供えられているものと同じような花束が握られている。
『…………』
信一くんが何かを言っているような気もするけれど、はっきりと聞こえない。
「この花は私が来た時にはあって……」
「そう」
言って、綺麗な女性は花束を並べて備えて両手を合わせた。シュっと伸びた背筋にさらさらとそよ風に揺らぐ柔らかなショートカットの髪、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んだ羨ましい限りの素晴らしいスタイル。
とても絵になる。
ゆっくりと目を開けた綺麗な女性はこちらを見た。
「手を合わせてくれてた見たいだけど……貴方は?」
「えと、えっと、その……」
言葉が詰まる。どう説明していいのか、そもそも言って良いのか、言って信じて貰えるのか、ダメだ、言葉が見つからない。
横断歩道信号が青に変わった。
「ご、ごめんなさい」
私は逃げるように走り出――、
『馬鹿っ!?』
「危ないっ!?」
耳の鼓膜を破るような音と信一くんの声が私に現実を知らせる。
それは右方向から迫って来ていた。
黒い乗用車がけたたましいブレーキ音とクラクションを鳴らしている。
私の心臓が激しく、強く、警笛を鳴らした。
弥生の意識が落ち、入れ替わるようにして俺の意識が表に出た。
――後ろだ、後ろに飛べ。
無我夢中に心の中で何度も繰り返す。
心臓が張り裂けそうなくらい悲鳴を上げている。
差異はあれど、三年前の俺が巡り合った事故と類似した状況。
神様はこの一瞬を俺に与えてくれたのかもしれない。
要らないお世話だ。
――後ろに飛ぶんだ!
弥生のひょろっこい身体は強張って動いてくれない。
――飛べ、飛べ、飛べっ!!
両足で後ろに倒れ込むように踏み切る。そして手を伸ばして叫ぶ。
「ああああぁぁぁ、姉貴ぃぃっ!?」
か細い弥生の腕を三年見ない間に変貌を遂げたカッコいい姉が引っ張ってくれる。
「――っ」
肩が外れそうになる痛みを奥歯を噛みしめて堪えた。
弥生の身体は姉に引き寄せられて、腕の中にすっぽりと納まった。
信号を無視した黒い乗用車が酷いブレーキ音と鼻に付くゴムの臭いをまき散らしながら停止線を超えて交差点に侵入していく。左右から走行してきた軽自動車と接触して停止した。
交差点は騒然となる。
「はあはあ、はぁ――っ」
心臓の発作が収まらない。
視界がバチバチと火花を散らすように明滅する。
まだ意識を失うな。
「貴方、大丈夫っ!?」
弥生の持っていたカバンに手を突っ込んで紙袋を握る。引きずり出す。病院が処方した弥生用の薬だ。
「あ、姉貴……こいつをこの病院、まで」
「ちょ、なに言って……しっかりして!?」
「たの、む――」
俺の意識もそこで途切れた。
――深い闇に落ちて行く。
〇●〇●
目を開くと、私は真っ暗な闇の中にいた。
右も左も、上も下も分からない暗闇が私の前に広がっている。
そもそも私は本当に目を開いているのだろうか?
目を閉じているのかもしれない。
瞼を押し上げようとして気付いた。
身体の感覚がない。
心臓の鼓動も聞こえない。
痛みもない。
生きている心地がしない。
感情が湧いてこない。
悲しみも後悔も……何も沸かない。
無気力のような状態だ。
ああ、これが"死ぬ"ということなのかな。
「バカ野郎、勝手に死ぬな」
ゴツン、と声と共に頭に痛みが走った。このひと月で聞き慣れてしまった信一くんの声だ。
闇から抜け出るように、私の腕、足、胴と次々に姿を現していく。
「いったーい。殴らないでよ!」
私は痛みの残る頭を押さえながら声を荒げた。背後を振り返り、そこにいた真夏には不釣り合いなコートにマフラー姿の男の子を睨んだ。初めて見るはずなのに、私は彼が相川信一くんだと疑いもせずに納得していた。
信一くんは、私より頭一つ分くらい背が高く、体格は痩せ型でスポーツをしている風には見えない典型的なインドア派な印象だ。
しばしばの沈黙の後、どちらからかと示し合わせた訳でも無く、私たちは同時に口を開いた。
「「初めまして(だな)」」
暗闇が、暗幕を開くようにして見覚えのある交差点を描き出した。
俺と弥生だけが存在しているあの交差点。
ここは相川信一を繋ぎ止めている原風景なのだろう。今の俺という存在が始まった場所であり――そして俺という存在が終わる場所。
もうすぐ消えてしまう場所。
「初めてじゃないのに初めましてって、なんか変なの」
弥生がコロコロと無邪気に笑う。
交差点の奥の方は既に消え始めている。
もう時間がない。
襲ってくる睡魔に似た感覚を噛み殺して、俺は弥生の手を引いた。
「えっ、な、なになに!?」
ふわり、と弥生の身体が宙に浮いて、俺の手から離れて高く昇って行く。
説明している時間も納得させられるだけの答えもない。あるのは漠然とした終わりの気配だけだ。ここにいれば弥生の意識も一緒に消えてしまう。
だから、すぐにでも向こう側に返さないと。
「お前の身体は俺が何とか救っておいてやった。皆が心配してるだろうから、早く戻れ」
「そっか、信一くんが助けてくれたんだ」
「宿が無くなって困るのは俺の方だからな。ああ、そうそう。目醒めたら、さっき話しかけてきたカッコいい女の人がいると思うんだけどさ。それ、俺の姉貴だから、ヨロシク言っておいてくれ」
「えぇ、私が? 自分で言いなよ」
「自由に表に出られないんだからしゃーないだろ」
「んー、それもそっか……分かったよ」
納得いかなさそうな仏頂面の弥生を微笑んで見送る。
――これでいい。
やがて、弥生の姿が米粒ほどになると、原風景の交差点が崩壊を始めた。闇が生き物のように動き出して世界を飲み込み、黒一色に塗り替えていく。
俺と言う存在は魂の残滓のようなもの。今まで存在し続けられていたことが奇跡だったのかもしれない。
――弥生、お前と一緒にいられた三年は幸せだったよ。
世界が崩壊していくのを私は見た。
崩壊の中心で信一くんがこちらを見て微笑んでいた。
必死に手を伸ばした私の手は――虚空を切った。
「……ダメ、信一くん!!」
見知った天井に私は手を伸ばしていた。
病院のベッドの上。室内には他には誰もいない。私の心音を告げる医療機器が一人で鳴いていた。私が上体を起こすとポツ、ポツと胸元に取り付けられていた吸盤状の物体が外れる。医療機器がピィーと高い声で鳴いた。
私は視線を落とす。着せられた病衣を少し開けさせる。お世辞にも大きいとは言えない平たい胸元に薄く残る一筋の傷痕に指を這わせて、そこに居たはずの彼がいなくなっていることを悟った。
ぽっかりと胸に穴が開いたような感覚だ。
……突然過ぎるよ。私、言えなかった。
いつでも言えると思っていたから……助けてくれてありがとう、って言えなかった。
流れ出る涙が止まらない。悔しくて、悲しくて、そして腹が立った。
「ちゃんと……言ってよ、バカッ」
病室の扉が勢いよく開いた。
機器の異常を受けて大人たちがぞろぞろと雪崩れ込んでくる。主治医の先生、看護師、お父さんとお母さん、それとカッコいい女の人。
大人たちが口々に私の名前を呼ぶ中、私はただ一人泣き続けた。
〇●〇●
一年後。
私は一つのお墓の前で手を合わせる。
――相川家之墓。
相川信一くんがここに眠っている。
あれから色々なことがあった。
信一くんが消えたあの日、泣き止んだ私は全てを話した。最初にカッコいい女の人が信一くんのお姉さんだと言い当てたことで、頭ごなしに否定はされず、一応は信じて貰えた。それから我が儘を言って、信一くんのご両親にも挨拶をした。お姉さんの口添えもあって、思いの外、すんなりとことが進んだのには驚いた。
それを切欠に小鳥遊家と相川家は交友関係を深めるようになった。
「そういえば弥生ちゃん、学校の先生目指すんだって?」
「ど、どこでそれを……」
信一くんのお姉さんが悪戯っぽい笑みを浮かべて、逃げられないように私の肩を抱いた。
まだ両親にも話していない担任のゆうこ先生しか知らない私の大学進学理由をどうして……。
「ゆうことは大学時代からの親友なの」
ゆうこ先生……個人情報の漏洩ですよ!
「秘密にして欲しいって言ってたみたいだけどぉ。お姉さん、その理由が気になっちゃって夜も眠れないんだけどなあ」
教師を目指す理由。それは、
「えっと……秘密です、ね」
私は胸元の傷痕に語り掛けた。
私たちの関係の中で、一つだけ誰にも分からないことがある。
それは信一くんが記入したドナーカードを所持していたことだ。
彼はどういう思いで名前を記入したのだろうか。
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