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6月3日

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「なんだありゃ。」

「アレっすよ、猪狩誠。例の家と絵をセットで売る奴です。」

「ああ。」

「千田が上から言われて呼び出したらしいっすよ。」

「気の毒なこった」


それは、どっちに向けて言ったのは定かじゃねぇけど、どっちにしたって気の毒だな。

嫁さんの伝言を伝えに行ったあの時の千田の顔はヤバかったし、俺の勘だけどアイツ独占欲強そう。
大体、嫁さん連れて来いって言われた時から相当機嫌が悪かっただろ。

そんで今。
嫁さんにあんな顔させる男を手元に置くなんてどんな心境だよ、


「シギさんは、」

「あ?」

「猪狩誠、どう思います?」

「どうもこうもねぇだろ。買いてぇ客が居るなら売る。」

「俺は、家があってこその絵だと思うんですけど。」


まぁな、とシギさんは言う。
あ、この人また見積もり出してる。
それは俺がするから、あんたは資材屋に電話する約束だっただろ。

「図書館に住みたい奴も、映画のセットの中に住みたい奴も居る。猪狩誠の世界に住みたい奴が居てもおかしくはねぇ。只、一般向けじゃねぇってだけだ。」

「そうっすか。」

「暮らしが想像出来る家、つーのが客も俺達も勝手が分かって良いが。そういう家はゴミ箱ひとつにも気を遣ってしようがねぇ。」

「それでもやるのは何でっすか?」

「実入りが良いんだよ。タイル1枚でもランクが上がる。あわよくばオーダーする事もある。お前、やった事なかったか?」

「無いっす」

「そうか」

「… … はい」

「来たらお前やれ」

「言うと思った、!嫌っす!つーか、やるなら千田のチームでしょ。」

「合同にしてやる。お前がやった事無いなら千田も無いだろ。」

ーーん?
千田と合同って事は、結局シギさん主導で引っ張って行くのか。
ほんと面倒見良いんだよな。

「ミズナ。」

「はいっ。」

「お前も気ィ付けろよ」

「え?何がっすか?」

「何でもねぇよ」

ーーーーー


気が重い
ここ数日間で一体どれだけ猪狩誠とやり取りをしたのか
お陰で俺の株は上がったが、予想通り疲弊が凄まじい。

ケンカして家に帰りづらくても、顔が見たくて帰らずには居られない
今回のはケンカじゃないが、仕事を家に持ち帰ってる様な気分だ

「はぁ」

和己も良悟も俺も、気持ちの良い話ではない。

「ただいま」

「あ。おかえり陸也」

「良悟、」

続けて何か言おうと思った筈が、口より先に手がのびてキツく抱き込んでいた。
グリグリ頭を押し付けて来るのが可愛い
風呂上がりのせいか、甘い匂いがする。

湿気が温い

「風呂入る?」

「一緒に入ってくれるのか?」

「良いよ。」

意地悪のつもりで言ったんだが…あっさり承諾されてしまったな。
つくづく思う、良悟は俺達を甘やかすのが上手いと。
ぎゅっと繋がれた手を引かれリビングに入る。

和己が何かしてるな。

「おかえりー」

「ただいま。何してるんだ?」

「良い匂いするっ。」

「食いしん坊がもう一人増えたなぁ。ほら、こっち来いよ陸也。」


俺か?
良悟が隣で涎垂らしそうな顔してるが、良いのか。

「食いしん坊組で半分こな。食ったら風呂入って来いよ。」

「良悟も連れてって良いか?」

「どうぞ?」

見るからに美味そうな焼き目と甘い匂いが、家に帰ってきた事を自覚させる。
可愛いな
器用な指だ
可愛い。笑ってるな。

「和己」

「ん?」

不意打ちで長めに吸い付いたキスに、和己が固まった。
甘いキスは嫌だと言うが、俺がしたくて我慢が効かない。

すまんと思ってるが、

「愛してる。」

「俺もだけど、後ろの可愛い子にもキスしてあげて?」

促されて振り向くと、目をキラキラさせた良悟が居た。
俺と和己がキスすると凄く楽しそうにする。

「良悟。」

「んーっ、♡」

寄って来た身体の腰と背中を抱き寄せてキスをしたが、舌を差し込んだ辺りで苦い事に気付くともぞもぞ踠きだした。

「んぅーーっ、!」

「またやってる」

ドスドス胸を叩かれてやっと気が済んだ。
可愛い
可愛いな良悟
怒ってるのか

「苦いっ!」

涙目でいつまで経っても慣れない。
和己なんか1本くれって言いに来るくらいだ。
それも可愛いが、これも可愛い。

「ただいま良悟」

「おかえり陸也っ。」


何度言っても足りない。
おかしいな、さっきも言った筈なんだが。

「和己も、ただいま。」

「おかえり。たい焼き早く食えよ。」

「あぁ。半分こらしいぞ良悟。頭と尻尾どっちにする?」

「尻尾っ」

美味いな。
甘過ぎない甘さだ。

「美味しい?」

「おいしいっ!」

「陸也は?」

「うまい。」

「そんなしみじみ食うなよ。疲れ過ぎだろ?まだ月曜日だぞ。早く風呂入って来いよ。」

ビッ、と和己が親指で風呂場を指す。
俺は和己が居ないと風呂にも寝室にも行けないな。
そうじゃなかったら、ダラダラと居座ってグダグダ悩んでただろうな

「尻尾カリカリ、うまぁ」

「うぅっ、可愛いっ、俺の黒柴くんがお魚咥えてるんだけどっ、」

「くっくっ、くっ、」

和己が心臓を握り潰しそうな勢いで悶えてる。
俺からすればどっちも可愛いくて堪らない。


もう一度、湯に浸かるだけでも一緒に風呂に入ってくれる良悟を連れて風呂を済ませ、おやすみって言うから寝室の前で別れた。

気まぐれで湯船から手を伸ばしてヌいてくれたお陰で、少し長風呂になった。
肩先にキスをされただけで勃った。
良悟が湯船から出ていたら、今頃湯当たりさせる程抱いていたかも知れない。


「んで?大丈夫なのお前。」

リビングに戻ると和己がたい焼きを食べていた。
色がおかしいな。

「何味だ、」

「色だけだよ、」

「大丈夫か?」

「いや、発狂しそう。」

なんでそんな事をする。
いや、決まってるな。自分からする訳がない。


「仕事か?」

「わざわざ撮りに行く事になって、その練習。」

「大変だな。」

「お前もだろ。はぐらかすなよ」

「つい、な。」

たい焼きで話を逸らす程度には、堪えてるという事か。
思っていたより重症だな。
外ではそれでも良いが、二人に隠す様な事は無い。
俺一人で抱えられる物なんかひとつも無いからだ。

「疲れてんな。」

「まぁな。承知の上でやった事なんだが。」

晩飯はきゅうりの浅漬け、揚げ出し豆腐、唐揚げーーと、皿の半分程に高く盛られた千切りキャベツ。

随分多いな。

「正直言えば、顔も見たくない」

「陸也。」

「うん?」

「キャベツ多いなって思った?」

「あぁ、多いな。何か有ったのか?」

「良悟がスライサーで黙々と下ろしてたんだよ。」

「うん?」

聞けば、噛むという行為はストレス発散になるらしい。
それがキャベツなら尚更コーヒーとストレスで荒れた胃にも優しいとか。

「愛だな。」

「可愛いよねぇ。」

「最近、夜中でも良悟が隣で寝てる事が増えたな。」

「だよな。逆に俺が寂しい。夜中にひとりでカタカタパソコン弄ってんの辛い」

「寝室に持って来たら良いんじゃないか?」

「無理。ベッドの上で仕事なんかしたくないの。」

そうだな、と浅漬けをポリポリ言わせながら思う。
この家の寝室はどの部屋とも違う。

只の意識の問題だろうが。
あの部屋で俺達が見たいものはたったひとつだけだ。

「良悟寝たかな」

「最近忙しいらしいぞ。」

「良悟も大変だねぇ。俺、無理。本当なら俺が雇いたいのに…きっぱり断られたのまだショックなんだよねー。」

「ああ。あれは格好良かったな。」

「あれいつだっけ?」

そうだな、何時だったか。
確か良悟に黙って代休を取った日じゃなかったか?
実家に寄ってみた割に、和己の前で一度泣いたきりで土日も特に何も無く過ごしたから気になった時だ。

「先々月頭の…月曜日じゃないか?」

「えぇ。俺2ヶ月も引きずってんじゃん。ダサい。」

即座に断られてたからな。
もう数秒考えてくれたら、和己ももっと押しただろうが。

「だってあれ、もう決めてた答え方だったじゃん。」

「だな。」

「あれマジで何時決めたんだろ、俺もっと早く言うべきだったってずっとモヤモヤしてんの。そしたら今頃、良悟は俺のアシスタントだったかも知れないじゃん。悔し過ぎる。」


ピンク色のたい焼きを食べながら嘆いてる。
そうだな。何時かと言われれば多分。

「今のパートに募集する前だな」

「俺、聞いてない」

「俺も聞いてはいないが。俺達が思いつく事を良悟が思い付かない、とは思えない。」

「あーー…ぁあ確かに。」

「ピカイチの感性、だからな。」


俺の心配性を、用意が良い男と褒めてくれた様に。
良悟はピカイチの感性と言われた事を誇りに思っている。

その感性で俺も和己も、数え出したら1日じゃ足りない程に救われて来た。

「バレてたんだぁ、流石っ。」

「だろうな。」

元々モデルをさせてお小遣いとして給料を出していた和己が、正式に良悟を雇いたいと言い出す事は予想が付いただろうな。
俺だって、良悟にお小遣いを渡すのが楽しくて、一時期癖になっていた。

もう少しで"おこづかい"と書かれたペンギンの封筒を買う所だった。

「だが、パートでも良いと思えた事が俺は意外だった。」

「俺も。それで今すごい勉強してるじゃん?」

「たった1年だ。頑張りすぎだな。」


何の話をしてたんだか。
愚痴を吐き出す為に話していた筈が、結局何時も良悟の話になる。

「そういえば」

「ん?」

「首輪とリードを付けて散歩させたいらしいな。」

「ごふっ、!?」


すまん。言うタイミングが悪かったか。
水色のたい焼きを慌てて皿に戻して、麦茶を煽っている。

「今言うなよっ、!?お前いっつも人が飲み食いしてる時に言うよな!?」

「わざとじゃ無い。大丈夫か?」

「前置きくらいしろ、」

「しただろ。」

「何処がだよ」

「そういえば、だ。」


俺は、和己といる時は、あまり予想しないで過ごしている。
器用で自分の限界をよく知っているから、和己は無茶はやらない。
そもそも、和己こそ気分じゃ無い事はテコでもやらない分、安心だな。

淡々と仕事をこなして、後は好きな様に過ごす。

良悟は練習中だな。

「一日中家の中を連れて歩きたくなんねぇの、お前は。」

「可愛いだろうな。」

「だろ?」


そんな二人を眺めるのも楽しいだろうな。
リードを引かれる良悟は、良い顔をする。


「呼んだら来てくれる方が良いな。」

「それは今もだろ。呼べば絶対来てくれるじゃん。」

「そうだな。」


結局、良悟の話をして一日が終わる。

「陸也。」

「何だ」

「俺に出来る事は?」

有るに決まってる。
話を聞いてくれただろ。

「この前くれた物が欲しい。」

「… … ハジメテはハジメテしかないからハジメテって言うんだぞ」

「じゃあキスをくれないか。」


和己の胸ぐらを掴むキスが好きだ。
強引で乱暴で、歯がぶつかりそうなキス。

「はぁ...っ、ふ、ぅ」

甘い味がする。
あんこだな。

「陸也。」

「何だ和己。」

「ありがと。」

「ふっ、気にしなくて良い。和己が居ないと俺も良悟も生きていけない。呼んでくれて良かった。止めてくれもした。今もこうして仕事しかしない男を慰めてくれる。礼を言うのは俺の方だな。」


少し締め上げる様に腰を抱く。
すると、和己が吐息を溢すこの口元が好きだ。

よく喋る男の、たった吐息ひとつで俺の憂鬱は消える。

「相変わらず面倒くさいやつ」

「ん?」

「素直にどういたしまして、で良いだろ」

「どういたしまして。また俺が面倒くさくなったら、キスをしてくれないか和己。」

「良悟の生意気は、お前のせいだな」


和己がふっ、と笑って甘く吸い付くキスをくれた。

「ほら、さっさと寝ろ。」

胸を押され、後ろを向かされ、寝室を指差して言う。
良悟にも見せたら良いのに。
俺だけじゃ勿体無いだろ。

「おやすみ和己。」

「おやすみ陸也。」

ーーーーー


「起きてたのか、良悟。」

「映画が面白くて。」

帰って来た時は物騒な顔してたけど、今はデレデレしてる。
きっと和己と良いことしたんだ。

「見たことある?」

「いや、無いな。」

「シリーズが3まで有って、これ今二つ目。」

「もう一つ観るのか?」

「なんか、全然眠く無くて。」

「お昼寝か?」


実はそう。
なんかやたらと眠くて、問題集を開いて1問も解かないまま閉じて寝た。

爆睡してる内に和己が帰って来て、お昼ご飯だよって起こしてくれるまで眠りこけてたせいで全然眠く無い。

「もし眠れないなら、和己が寂しがってたぞ良悟。」

「ほんと?」

俺が夜中に部屋に行っても全然嫌そうじゃないのは知ってたけど。
寂しがってたなんて。

「薄い方の毛布を持って行った方が良い。」

「分かった。でも、もう少し陸也と居る。」

「そうか。」

陸也の腕を捕まえて指を絡めて握る。
痺れて可哀想だと思うけど、その頃には多分陸也は寝てる。
20分もすればぐっすりの寝付きの良さだ。

丁度、映画もそのくらいだし。

それまで手を繋ぐくらいどうって事ない。




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