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第2章 4
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「……イガった。まだイモチは出はってねえ」
うすら寒い夏風にそよぐ稲波を見渡しながら源三はホッと息をついた。
「一昨日の朝露が危なかった。あれが二日も続くようであれば、もう駄目になるどごだったっちゃ。何ともハ、毎日生ぎだ心地がしねえっちゃ」
二年も続いた凶作に、加えてこの冷夏だ。村中の百姓がピリピリしながら毎朝田畑を見回っている。もし自分の持田からイモチが出たら最後、村中の田に伝染しかねない。そんなことになったら周りからどんな仕打ちを受けるかと考えると、おちおち夜も眠れないだろう。
「万が一の最後の頼みはこれから撒く蕎麦だが、去年の飢饉で種蕎麦の大分を食いつぶしちまったけし、この調子で収穫前に霜に当たったら全部駄目になっちまう。そうなっともうこの米だけが俺ラ達の命綱だっちゃ」
源三と早朝の畦畔を見回りながら、ふと空を仰ぐ。今日も太陽は見えない。
「だがナニ、いざとなったら山サ鹿でも撃ちに行って浜方で高く売ってくれば良いげし、心配無ァ」
空威張りに源三はポンと胸を叩いて見せる。
「源三さん、猟師だったんですか?」
「これでも山立ヅの源三で名が知られたもンだっちゃ。ああ、ところで深芦の坊よ」
源三が歩みを止め、傍らの堰を顎でしゃくる。
「もうじき田に水を戻さねばなんね。堰を止めて川の水が深くなるから、ワラシらを川サ近づけねえように気ィつけらいよ。あんだ、ワラシらに好かれてっけからな」
破れ寺に行ってみると、丁度縁側で子供たちに囲まれた庵主が菜切り片手に西瓜を切り分けているところだった。
「お。良い時に来たねぇ。丁度今うちの寺の肥やしで育てた西瓜を皆で食べようってところさ。君も摘まんでいくといいよ」
作務衣に襷掛けした蓮華がにっこり笑う。しかし肥やしの下りは余計だった。
「こらこら鼻たれ共せっつくんじゃないよ。これ一玉きりじゃないンだから」
子供たちをいなしながらザックリと西瓜を二つに切り割り、真っ赤な切り口を見せる。
「この赤い実が気色悪いって村の人たちは食べようとしないンだよね。ウチの寺は子供たちが喜ぶから行商の人に種を頼んで裏の畑で作ってるンだよ。今切り分けるから子供たちを頼んでいいかな? 縁側で待ってるといい」
いつまでも蓮華にまとわりついて離れない平太を包丁片手にぐいぐい押しやる様子に苦笑しながら承諾して子供たちを引き連れ炊事場を後にする。
いただきます。と皆で合掌し西瓜にむしゃぶりつく。
相変わらずのどんよりとした空模様とはいえ、日が昇るにつれ蒸し暑さが増してきた頃合によく冷えた西瓜の甘味が身体に染みる。それも可愛い盛りの子供たちと賑やかに並んで頂くのだから、猶のこと格別だった。禅寺では食事の時に私語は御法度と聞いたが、この破れ寺ではそんなことはないらしく、庵主まで子供たちと一緒になって種飛ばしを競い合っている。
「飛ばした種は後で拾っておく。炒って殻を剥くと食べられるからね」
「え、西瓜の種って食べられるんですか?」
「本来は種を食べるために栽培されたと聞くよ。あまり美味しくはないけど、皮も漬物にして無駄にしないようにしている。食材を無駄なく頂くってのは典座の心得でもあるんだけど、この村は飢饉になれば本当に何も食べるものがなくなるからね」
眉を八の字にして笑う蓮華の前髪を夏風が揺らす。
ふと、前から気になっていたことを聞いてみた。
「……そういえば、蓮華さんの髪」
「ああ、なんで尼僧なのに剃髪にしないのかって?」
風に揺れる前髪を摘まみながら庵主が答える。
「先代の住職から授戒した時に、一緒に髪の毛にも剃刀を入れてもらったンだけど、終わってみたら何故か見事に中途半端なおかっぱに髪の毛残されたンだ。アタシもつるっ禿にされるもンだと覚悟してたから拍子抜けして聞いてみたら、女の子の髪の毛全部切っちゃうのは気が引けるとかって言うのよね。何だったンだろうね、あの坊さんは」
そう言って笑う庵主だったが、笑いながらも愛おしそうに髪に手をやる。
そこへ佐保子が汗を拭いながら石段を登って現れた。私がいるのを見て驚いた顔をする。
「何だ今日は千客万来だねえ。佐保ちゃんも西瓜食べてお行き」
手招きする庵主にこくりと頷き、子供たちから西瓜を受け取ると縁側の端っこに腰を下ろす。
「……」
「そんな離れたところに座らんと、ほれこっちこっち」
私の隣を空けてポンポンと招き寄せる。佐保子は暫し考え込んだ後腰を上げて庵主と僕の間に座りなおした。
「……」
顔を伏せてシャリシャリと西瓜を齧る。
「君あんまり女の子が飯食ってるとこじろじろ見るもンじゃないよ」
「いやそんなつもりは」
慌てふためく私の横で佐保子はますます顔を俯かせる。
「あ、佐保ちゃん。平太はさっきあのあたりまで種飛ばしたよ」
庵主が庭の真ん中辺りを指さすと、ええ、アタシはもっと遠くまで飛ばしたよう、と不平を上げる子供の声が続く。
佐保子が顔を上げ、ちらりと私と庵主の顔を見比べる。
ぷ、と蓮華が今自分が指した方に向け種を飛ばした。
私も、口の中で助走をつけながら種を飛ばす。あまり飛ばなかった。
少し躊躇った後、ぷ、と佐保子も種を吹き飛ばした。
真っ黒い粒が思いの外遠くへ放物線を描き、子供たちの歓声がそれに続いた。
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うすら寒い夏風にそよぐ稲波を見渡しながら源三はホッと息をついた。
「一昨日の朝露が危なかった。あれが二日も続くようであれば、もう駄目になるどごだったっちゃ。何ともハ、毎日生ぎだ心地がしねえっちゃ」
二年も続いた凶作に、加えてこの冷夏だ。村中の百姓がピリピリしながら毎朝田畑を見回っている。もし自分の持田からイモチが出たら最後、村中の田に伝染しかねない。そんなことになったら周りからどんな仕打ちを受けるかと考えると、おちおち夜も眠れないだろう。
「万が一の最後の頼みはこれから撒く蕎麦だが、去年の飢饉で種蕎麦の大分を食いつぶしちまったけし、この調子で収穫前に霜に当たったら全部駄目になっちまう。そうなっともうこの米だけが俺ラ達の命綱だっちゃ」
源三と早朝の畦畔を見回りながら、ふと空を仰ぐ。今日も太陽は見えない。
「だがナニ、いざとなったら山サ鹿でも撃ちに行って浜方で高く売ってくれば良いげし、心配無ァ」
空威張りに源三はポンと胸を叩いて見せる。
「源三さん、猟師だったんですか?」
「これでも山立ヅの源三で名が知られたもンだっちゃ。ああ、ところで深芦の坊よ」
源三が歩みを止め、傍らの堰を顎でしゃくる。
「もうじき田に水を戻さねばなんね。堰を止めて川の水が深くなるから、ワラシらを川サ近づけねえように気ィつけらいよ。あんだ、ワラシらに好かれてっけからな」
破れ寺に行ってみると、丁度縁側で子供たちに囲まれた庵主が菜切り片手に西瓜を切り分けているところだった。
「お。良い時に来たねぇ。丁度今うちの寺の肥やしで育てた西瓜を皆で食べようってところさ。君も摘まんでいくといいよ」
作務衣に襷掛けした蓮華がにっこり笑う。しかし肥やしの下りは余計だった。
「こらこら鼻たれ共せっつくんじゃないよ。これ一玉きりじゃないンだから」
子供たちをいなしながらザックリと西瓜を二つに切り割り、真っ赤な切り口を見せる。
「この赤い実が気色悪いって村の人たちは食べようとしないンだよね。ウチの寺は子供たちが喜ぶから行商の人に種を頼んで裏の畑で作ってるンだよ。今切り分けるから子供たちを頼んでいいかな? 縁側で待ってるといい」
いつまでも蓮華にまとわりついて離れない平太を包丁片手にぐいぐい押しやる様子に苦笑しながら承諾して子供たちを引き連れ炊事場を後にする。
いただきます。と皆で合掌し西瓜にむしゃぶりつく。
相変わらずのどんよりとした空模様とはいえ、日が昇るにつれ蒸し暑さが増してきた頃合によく冷えた西瓜の甘味が身体に染みる。それも可愛い盛りの子供たちと賑やかに並んで頂くのだから、猶のこと格別だった。禅寺では食事の時に私語は御法度と聞いたが、この破れ寺ではそんなことはないらしく、庵主まで子供たちと一緒になって種飛ばしを競い合っている。
「飛ばした種は後で拾っておく。炒って殻を剥くと食べられるからね」
「え、西瓜の種って食べられるんですか?」
「本来は種を食べるために栽培されたと聞くよ。あまり美味しくはないけど、皮も漬物にして無駄にしないようにしている。食材を無駄なく頂くってのは典座の心得でもあるんだけど、この村は飢饉になれば本当に何も食べるものがなくなるからね」
眉を八の字にして笑う蓮華の前髪を夏風が揺らす。
ふと、前から気になっていたことを聞いてみた。
「……そういえば、蓮華さんの髪」
「ああ、なんで尼僧なのに剃髪にしないのかって?」
風に揺れる前髪を摘まみながら庵主が答える。
「先代の住職から授戒した時に、一緒に髪の毛にも剃刀を入れてもらったンだけど、終わってみたら何故か見事に中途半端なおかっぱに髪の毛残されたンだ。アタシもつるっ禿にされるもンだと覚悟してたから拍子抜けして聞いてみたら、女の子の髪の毛全部切っちゃうのは気が引けるとかって言うのよね。何だったンだろうね、あの坊さんは」
そう言って笑う庵主だったが、笑いながらも愛おしそうに髪に手をやる。
そこへ佐保子が汗を拭いながら石段を登って現れた。私がいるのを見て驚いた顔をする。
「何だ今日は千客万来だねえ。佐保ちゃんも西瓜食べてお行き」
手招きする庵主にこくりと頷き、子供たちから西瓜を受け取ると縁側の端っこに腰を下ろす。
「……」
「そんな離れたところに座らんと、ほれこっちこっち」
私の隣を空けてポンポンと招き寄せる。佐保子は暫し考え込んだ後腰を上げて庵主と僕の間に座りなおした。
「……」
顔を伏せてシャリシャリと西瓜を齧る。
「君あんまり女の子が飯食ってるとこじろじろ見るもンじゃないよ」
「いやそんなつもりは」
慌てふためく私の横で佐保子はますます顔を俯かせる。
「あ、佐保ちゃん。平太はさっきあのあたりまで種飛ばしたよ」
庵主が庭の真ん中辺りを指さすと、ええ、アタシはもっと遠くまで飛ばしたよう、と不平を上げる子供の声が続く。
佐保子が顔を上げ、ちらりと私と庵主の顔を見比べる。
ぷ、と蓮華が今自分が指した方に向け種を飛ばした。
私も、口の中で助走をつけながら種を飛ばす。あまり飛ばなかった。
少し躊躇った後、ぷ、と佐保子も種を吹き飛ばした。
真っ黒い粒が思いの外遠くへ放物線を描き、子供たちの歓声がそれに続いた。
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