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ブルー男爵令息グレンの真実

壁ドンから逃げられない

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 下半身に慣れない身体強化の魔術までかけて王都を疾走しながら、ふとグレンは気づいた。

「あれ? ボクなんで逃げなきゃいけないわけ?」
「そう思うなら止まりやがれ、グレンッ!」

 恐る恐る後ろを振り向く。
 鬼の形相で追いかけてくるライルがいる。

(怖っ)

 高速で駆けているため、顔や身体の前面に当たる空気が痛い。
 街中で魔力を使っているところを、巡回中の騎士たちに見つかるとうるさいことになる。
 彼らに見つからないよう、人通りの少ない道を選んで駆けていき、辿り着いたのは学園なのだった。

 もうとっくに日が暮れた後の学園内、まだ開いていた正門から入って、校舎前の中庭でライルに捕まった。
 奇しくも、女装したグレンとライルが初めて出逢った場所である。

「この野郎、逃げ足早すぎんだろが!」
「痛っ、掴まないでくださいよ!」
「お前が逃げるからだ!」

 腕を掴んで、中庭に設置されたあずまやの外壁に背中を押しつけられる。
 そのまま顔の左右から両腕をドンと勢いよく後ろの壁に突かれた。

(いや、なんであんたがそんな顔するんだよ?)

 てっきり、グレンを追いかけてきた怒気を溢れさせた形相のままかと思いきや、今にも泣きそうに茶色の瞳を潤ませている。



「済まなかった。ヨシュアたちに聞いたときはまさかと思ってたけど、本当にナイサーの野郎に……されてたなんて」

 夕暮れ後の学園内は、電灯が灯っているが薄暗い。
 それでも、悔しげなライルの、真剣な顔は良く見えた。

「騎士団で親父がちゃんと対処してたら、少なくともお前が傷つくことはなかった。親父には後からきっちり詫び入れさせる!」
「……ホーライル侯爵閣下からは既に謝罪をいただいてます。これ以上は不要ですよ、先輩」

 グレンが最も懸念していたブルー男爵家の安全は、ホーライル侯爵家の寄り子となって保証された。これ以上を求めては過分になる。

「それだけじゃない。俺が……俺が最初からお前の正体に気づけていたら、ここまで事態が大きくなることもなかったんだ……!」

 ライルは自分がアナ・ペイルに扮したグレイの正体に気づくなり、思惑を察せられなかったことを悔やんでいる。

「でも。それは、ボクに魅了スキルの素養があるから仕方がないことだって」

 先日、冒険者ギルドで改めてステータス確認したとき、グレンには魅了スキル発現の可能性を持つことが判明している。

「そんなの関係ねえ。俺には魅了なんて効果ねえからな」
「は?」
「俺の魔力は10段階評価なら1しかねえんだよ。精神操作系スキルの影響を受けるだけの魔力もねえ」

 魔力の作用は、受け手にも相応の魔力量を求めるものがある。魅了のような精神に影響を及ぼすスキルは最たるものといえた。

「だから、アナだったお前に嵌められた俺が、どれだけアホだったかってことだよ」
「まあ、それは確かに」

 ライルを落とすのは本当に簡単だった。
 アナ・ペイルに変装してライルと関わった期間は、実質一週間もない。

 それぞれ放課後の僅かな時間だけ彼と会い、そのたび捏造したロザマリア嬢の非道な行いを彼に吹き込み続けた。

 それだけでライルは激しく憤り、事実確認もせずあっさりと、婚約者との婚約破棄を決めて断行したのだ。



「それで、なんでボクは追われてこんな目に遭ってるんですかね?」

 恐る恐る、顔の両側に突かれた腕を外そうとするも、筋肉質な腕はびくともしない。

「お前が放っておけないからに決まってるだろ!」
「いや、だから……なんで?」

 そもそも、自分を騙して罠に嵌めた相手をここまで気にかける理由がどこにあるというのか。

「……いや、言わなくていいです。これ以上、先輩に迷惑をかけるわけにもいかないし」

 両目をかたく瞑って相手の言葉の先を言わせない。
 グレンにとってライルは、単純で馬鹿な上位の貴族令息で、今は世話になっている学園の面倒見のいい先輩だ。そこまでで関係は止めておきたかった。

「グレン、だけど俺は」
「………………」

 この先輩を好きか嫌いかでいえば、好きなほうだ。
 男爵家の庶子である自分にとって、侯爵家嫡男のライルと交際することのメリットは計り知れない。
 ナイサーに絡まれたせいで同学年に親しい友人ができなかった自分でも、立場を回復させることができるだろう。
 学園を卒業した後の進路だって、様々な面で優遇されるはずだ。
 損得勘定で考えるなら、先輩後輩付き合いには何も悪いことがない。

(で、でも……何かちょっと……)

 上からじっと、ライルの茶色の瞳が見下ろしてくる。



 と、そこで。

「こらあー! 何時だと思ってるの、放課後は早く帰りなさーい!」
「が、学園長!?」
「エルフィン先生かよ!」

 白いシャツに黒のスラックスと軽装姿の学園長エルフィンが、酒瓶を肩に担いだ状態で駆け寄ってきた。
 薄暗い中庭で、シャツと彼の白い肌と髪がぼんやり浮き上がり、ネオングリーンの瞳だけが輝いていて、一瞬亡霊か何かかと見間違えそうになった。
 低い美声はいつもの学園長のものだから、すぐ我に返ったが。

「職員寮から人影が見えたから誰かと思えば。ライル君とグレン君じゃない。何してるの?」
「………………」
「いや、エルフィン先生よう。何で酒瓶なんか持ってんの?」

 咄嗟にグレンから腕を離して、ライルがエルフィンの持つ酒瓶を指差す。
 ライスワインの入った大瓶、一升瓶というやつだ。

「これ? だって不審者だったら武器がないと怖いじゃなーい。魔力で強化すれば鈍器になるから持ってきちゃった☆」
「エルフィン先生、魔法攻撃できるじゃん……武器いらねえだろ」
「私が魔法を使うと学校が壊れるわよ。これぐらいがちょうどいいのよう」

 ハハハハとエルフィンが快活に笑う。
 エルフの血を引く彼は、魔力量も純粋な人間と比べて桁違いに多い。ということは魔力行使した場合の破壊力も大きく、下手をすれば甚大な被害が出る。

「さて。こんな時間に学園で何やってるか知らないけどね、一応時間外の侵入は禁止だから。お説教よ、二人とも来なさい」


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