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第三章 カーナ王国の混迷

朝はパン屋でコーヒーを

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 カーナ王国の主食はコーン粉や小麦粉を水で練って薄く丸く伸ばして焼いたトルティーヤと、ピタパンのような無発酵パンだ。
 イースト菌を使った発酵パンもあるがバゲットや菓子パンなどに限定されて数は少ない。

 穢れが強い土地で人体に有害な菌が繁殖しやすかったためで、いま国内で流通しているパンは歴代の聖女や聖者たちの祝福を受けた専用酵母のみを使っている。

 これは酒類も同じだ。
 ほんの数種類の聖別された酵母しか使えないから、国内で流通する酒類も単調だった。
 先日、教会の料理人たちが高価な他国産の酒を大量に隠し持っていたのは、多様な酵母を使って醸造された国外の酒のほうが、単純に美味で贅沢を味わえるからだ。

「ルシウスさんのお店に生地だけ卸してるんだよ。あそこすごいよね、一日にあれだけ大量のパンが出るんだから」

 古書店近くのパン屋のミーシャおばさんが嬉しそうに笑っている。
 ルシウスのレストラン・サルモーネへの卸売りで彼女の家の売上は倍増したそうだ。そろそろスタッフを増やすことも検討し始めたという。
 この勢いなら、生地の卸売り専用の小規模工場を新設しても良いぐらいだとか。

「あの店、ルシウスさん、ゲンジさん、それにミーシャおばさん……飯ウマ持ちが三人も関わってるってすごいよね?」
「ゲンジさんはルシウスさんの料理のお師匠なんだってね。あの人はすごいよね、あれだけ美味いもの作るのに腰も低くていい感じ。故郷くにに息子さんとお孫さんがいるって聞かなかったら、あたしアタックするのに~」
「あ、やっぱり狙ってたのか……」
「さらっとかわされちまったけどね。はははっ」

 などと朝一番にアイシャとトオンが連れ立って、パン屋で談笑していたのが冬の寒い朝のこと。



 飯ウマパン職人で出戻り娘のミーシャおばさんがいる南地区のパン屋では、冬の朝から昼までは店の隣、馬車の駐車場スペースを開放して、パンの立ち食いができるイートスペースを設けている。
 小さな紙コップでホットコーヒーが飲めるサービス付きだ。
 アウトドア用の魔導具ストーブが置かれているので、真冬の外でもそれなりに暖かい。

 パンを食べた後の包み紙や、コーヒー用の紙コップがゴミになることはない。
 これらは食用ペーパーで作られていて、飲食し終わった後は軽いスナック感覚で食べることができるためだ。

 これら食べる食器は皿やカップ、スプーンフォークなど多岐に渡る製品が国内で安価で流通していた。
 カーナ王国の主要輸出品の一つだ。
 魔物退治で一年中、国軍の騎士や兵士たちが活動しているので食器兼形態食の一種として用いられている。

 主に主食のトウモロコシや小麦のデンプンから作られていて、食感は軽いウエハースぐらい。
 それでいて輸送時や保管時の湿気や汚れに強く、扱いやすい特徴があった。



 アイシャとトオンはその日のパン屋の日替わりのローストビーフと野菜のピタパンサンド、それに最近人気だというマヨコーンパンを半分こで。

 ローストビーフサンドは胡椒たっぷりの刺激的な味もだが、使われている玉ねぎの風味豊かなソースがとにかく美味い。
 ピタパンにぎっしり詰め込まれた生野菜の歯触りも楽しかった。

 マヨコーンパンは、フォカッチャタイプのふっくらした食事パンをオーブンの天板一杯にマヨコーンフィリングをのせてから四角く焼き上げて、一食分ずつカットしたタイプだ。
 同じ作り方でトマトソースのピザもよく売っている。

 使われているマヨネーズが市販の業務用ではなく、ミーシャおばさんのお手製なのである。
 まろやかでコクのあるマヨネーズと、新鮮でほんのり甘いコーンの組み合わせは絶品だった。

 アイシャは初めてこれを食べたとき、口当たりの良さにビックリして、最近では店頭で見かけるたびに買って食べている。

 客の中には、これを大きな一枚丸ごと注文して、自宅でチーズをのせて更に焼き直す猛者もいるそうな。



 パン屋の脇でご近所さんたちと井戸端会議をしていると、見回りの若い二人組の騎士が駆け寄ってきてアイシャの足元に跪いた。

「せ、聖女様! 南地区にお住まいと聞いておりましたが、まさかお会いできるとは!」

 あまり騒がれるのも外聞が悪い。
 ミーシャおばさんが砂糖を入れて甘くしたコーヒーを差し出して「見回りご苦労さん」と騎士たちを労った。

 コーヒーを飲み飲み、騎士たちは今年初めに発生した百年に一度の魔物の大侵攻スタンピード時のアイシャの勇姿を語った。
 聖女投稿事件の直前、国の聖女としてアイシャが従事した遠征のことだ。

 錫杖を持ち全身からネオングリーンの聖なる魔力を放つ神々しい姿。

 小柄な少女でありながら、自分に近づく魔物を拳や蹴り技で粉砕していた圧倒的な力。

 ほとんど飲まず食わずで何日も動き回って、騎士や兵士たちを励ましていたこと。

 特に、金糸の刺繍の入った美しい聖女のローブがよく似合っていたと、騎士が感極まったように言う。

「あの白いローブ姿の聖女様と戦えたのは、我ら騎士の名誉であります!」
「ローブ……そういえば王城を追放されたとき、剥ぎ取られてそのままだったわ」

 言われてようやく思い出した。
 確かあのときは、馬で王城まで駆けてきた外套の下にローブを着ていたが、魔物避けの付与付きのため国の備品と見なされて、申し訳なさそうな顔をした城の者に脱いで手渡した覚えがある。

「クーツの野郎が売り払ってなければ王城の宝物庫に残ってるはずだ。宰相に確認してみよう」
「魔物に食いちぎられちゃった箇所がいくつかあったはず。捨てられてなければいいけど」
「うわ」

 アイシャが持っていた聖女のアミュレットの価値も分からなかったあの愚王太子のことだ。有り得ない話ではない。

「まだ残ってるなら補修したいわね。あのローブは羽竜の毛で織ったものでね。高ランクの希少な魔物だから素材を探すところから始めないと……」





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