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第三章 カーナ王国の混迷
トオンの覚悟
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ルシウス邸から古書店の赤レンガの建物に戻って、トオンは在庫の整理や発注書、帳簿付けを。
アイシャは厨房で夕食の下拵えさをした後で夕方、二階から建物の屋上へ上がった。
この古書店にトオンと一緒に住むようになってから、朝晩必ず二階、屋上から王都全体を確認していた。
古書店は南地区の一番外れにあるから、屋上で少し空に浮けば王都の全域を視界に収めることができる。
もっと高くまで上がれば、国土全体を見ることも容易だ。
もう王都や国境に結界は必要なかったが、習慣のようなものだ。
「よく整備された都市なんだけどね」
魔物や魔獣退治で得られる魔石が豊富で、小さな国ではあっても経済的に豊かなのがカーナ王国だ。
一部の王侯貴族の専横はあったが、平民間の経済格差は他国と比べても健全な範囲で、王都にはスラムと呼べるほど荒廃した地区がない。
もっとも、アイシャの出身の農村のような貧しい地域もあるのだが。
共和制実現会議では問題が次々とリストアップされてきている。
新聞でも階層を問わず積極的な意見の投稿が連日続いている。
各地区ごとに住民たちが集まっての意見交換も行われているようだ。
「アイシャ! 駄目だよ、外に出るならちゃんと防寒しなきゃ」
「トオン」
空中から屋上に降りた途端、トオンが駆け寄ってきた。もう陽も暮れて辺りは暗い。
すぐ建物内に戻るつもりだったから、部屋着のワンピース姿だったアイシャだ。
整った顔を顰めて、トオンは持っていた大判のストールでアイシャのまだ細い少女の身体を包み込んだ。
「考えごと、してた?」
「うん。あんまり良い答えも浮かばないんだけど」
そう言うアイシャの腰回りには環が浮かんでいる。
何か直観的に良い答えが欲しいとき、自分の頭で考えても答えが出ないときは環を出して、世界が回答するのを待つよう師匠のルシウスから教わっていた。
実践しているが、まだ答えはない。
『この国を良い方向へ導くための良いアドバイスを』
アイシャもトオンも日々、環を通じて世界に問いかけているものの、いまだに明瞭な直観も閃きもない。
「何か問題が起これば解決に動けるけど。自分から何かしようとすると、私って役立たずよね」
「アイシャ。そう自分を責めるもんじゃないよ」
先にふたりで帰ってきてしまったが、本当ならあの後、ルシウス邸では残った面々でまだ話し合いの続きがあったのだ。
裏会議とも呼べるカーナ王国の今後の話し合いである。
ただ、アイシャは師匠のルシウスから神殿誘致に集中しろと言われていて、その他のことは事後報告を受けることになっている。
「ほら、頬っぺたが冷たい」
建物内に入ってから、頬に触れられた。
重い古書を扱うトオンの指先や手のひらの皮は分厚くてカサついている。最近では冒険者活動で武器を握ることも多いから尚更だった。
「空を飛ぶなら俺も誘ってよ。デートしよう」
「真上に飛ぶだけよ?」
「んー。俺の彼女は男心がわかってないな?」
ストールで包み込んだ少女の身体を上からぎゅーっとハグした。
初めてこの古書店を訪れたときは鶏ガラのように痩せ細っていたアイシャも、最近では背も伸びたし肉も付いてきた。
だが、まだまだ細っこい。同じ十七歳の女子と比べると全然だ。
「これから夕飯だろ? 何か手伝う?」
「じゃあ野菜の皮剥きでもお願いしようかしら」
食後は料理人ゲンジから土産に貰ったタルトを一切れ。
互いに頬に軽く口づけてから、一緒に一階の厨房まで降りた。
最近では古書店でふたりきりなこともあって、自然と恋人らしいスキンシップが増えていた。
トオンは夜に眠る前、アイシャと建物の一階と二階で別れた後に、古書店フロアのカウンターで少しだけ書き物をする。
その日あった出来事の簡単な日記を書いて、あとは古本に囲まれて思索に耽る。
ここの古書店には母親の聖女エイリーが長年に渡って集めた魔法書や魔術書、いわゆる〝魔道書〟が山ほどある。
それらの叡智に触れながらだと良いアイデアが浮かびやすかった。
(ここの本に囲まれてると、俺の場合は環が出しやすいってのもある。魔道書の魔力と相性が良いんだろうな)
胸の周りに環を出す。ペースはゆっくりだったが、少しずつ扱える魔力が増えていた。
両手の指先で軽く環の光る帯に触れながら、毎晩の習慣を繰り返した。
(アイシャと、この国にとって良い導きがありますように)
最初はアイシャにとって、と彼女だけ意識して念じていたが、何度か繰り返して『この国』も追加した。
何せトオンの彼女は聖女様なのだ。彼女は自分だけが良ければそれでいいと言うような自分本位な性格をしていないから。
(一緒に暮らす……のは良いとして。料理や家事も楽しそうだけど、普通の家庭の主婦として終わらせちゃいけない子だもんな)
幼い頃から過酷な負担を強いられ続けたアイシャに、普通の女の子の生活をさせてあげたかった。
あのクズ王子のクーツ王太子となんて一度もしたことがなかったというデートも、積極的に行った。
けれどアイシャほど力が強い聖女では、そもそも最初から『普通の暮らし』の人生を送るのは無理なのだ。
だから多分、この穏やかなふたりきりの生活も期間限定だろうとトオンは考えている。
この国がアイシャにとって辛いばかりの場所なら、トオンは機を見て国外に避難することも考えていた。
亡命だ。幸いなことに、王都地下の古代生物を浄化したときの『この国に骨を埋める』誓いがあっても、アイシャが国境の外に出られることは確認済み。
聖女が助けを求めるなら居場所を用意してくれる国はいくらでもあるはずだ。
あるいはそこまで極端でなくても、一度国外に出て様子見しようか考えて、ルシウスに密かに相談していたトオンだ。
いっそ、親友のカズンが追っている、彼の父親の仇を探す手伝いを先に進めてもいい。
(そもそも、忠告や直観スキルのあるアイシャやルシウスさんが適切な答えを出していない。まだ時期が熟してないってことなんだ)
だから今はまだ、トオンはアイシャと一緒にこの古書店で普通の生活を送っている。
毎週必ずダンジョンに潜ってランクを上げつつ、また共和制実現会議に参加しても、これまでの生活ペースは崩していなかった。
(レイ王子たちのことは痛かった。また次に似たようなことが起きたら、今度こそ一度この国を出よう)
トオンが覚悟を決め、十二月が終わり年が明けた翌月、真冬のカーナ王国にも雪が降り積もった。
皆が雪かきに追われる中、ある一人の旅人がカーナ王国を訪れたことで事態は大きく動き始めることになる。
アイシャは厨房で夕食の下拵えさをした後で夕方、二階から建物の屋上へ上がった。
この古書店にトオンと一緒に住むようになってから、朝晩必ず二階、屋上から王都全体を確認していた。
古書店は南地区の一番外れにあるから、屋上で少し空に浮けば王都の全域を視界に収めることができる。
もっと高くまで上がれば、国土全体を見ることも容易だ。
もう王都や国境に結界は必要なかったが、習慣のようなものだ。
「よく整備された都市なんだけどね」
魔物や魔獣退治で得られる魔石が豊富で、小さな国ではあっても経済的に豊かなのがカーナ王国だ。
一部の王侯貴族の専横はあったが、平民間の経済格差は他国と比べても健全な範囲で、王都にはスラムと呼べるほど荒廃した地区がない。
もっとも、アイシャの出身の農村のような貧しい地域もあるのだが。
共和制実現会議では問題が次々とリストアップされてきている。
新聞でも階層を問わず積極的な意見の投稿が連日続いている。
各地区ごとに住民たちが集まっての意見交換も行われているようだ。
「アイシャ! 駄目だよ、外に出るならちゃんと防寒しなきゃ」
「トオン」
空中から屋上に降りた途端、トオンが駆け寄ってきた。もう陽も暮れて辺りは暗い。
すぐ建物内に戻るつもりだったから、部屋着のワンピース姿だったアイシャだ。
整った顔を顰めて、トオンは持っていた大判のストールでアイシャのまだ細い少女の身体を包み込んだ。
「考えごと、してた?」
「うん。あんまり良い答えも浮かばないんだけど」
そう言うアイシャの腰回りには環が浮かんでいる。
何か直観的に良い答えが欲しいとき、自分の頭で考えても答えが出ないときは環を出して、世界が回答するのを待つよう師匠のルシウスから教わっていた。
実践しているが、まだ答えはない。
『この国を良い方向へ導くための良いアドバイスを』
アイシャもトオンも日々、環を通じて世界に問いかけているものの、いまだに明瞭な直観も閃きもない。
「何か問題が起これば解決に動けるけど。自分から何かしようとすると、私って役立たずよね」
「アイシャ。そう自分を責めるもんじゃないよ」
先にふたりで帰ってきてしまったが、本当ならあの後、ルシウス邸では残った面々でまだ話し合いの続きがあったのだ。
裏会議とも呼べるカーナ王国の今後の話し合いである。
ただ、アイシャは師匠のルシウスから神殿誘致に集中しろと言われていて、その他のことは事後報告を受けることになっている。
「ほら、頬っぺたが冷たい」
建物内に入ってから、頬に触れられた。
重い古書を扱うトオンの指先や手のひらの皮は分厚くてカサついている。最近では冒険者活動で武器を握ることも多いから尚更だった。
「空を飛ぶなら俺も誘ってよ。デートしよう」
「真上に飛ぶだけよ?」
「んー。俺の彼女は男心がわかってないな?」
ストールで包み込んだ少女の身体を上からぎゅーっとハグした。
初めてこの古書店を訪れたときは鶏ガラのように痩せ細っていたアイシャも、最近では背も伸びたし肉も付いてきた。
だが、まだまだ細っこい。同じ十七歳の女子と比べると全然だ。
「これから夕飯だろ? 何か手伝う?」
「じゃあ野菜の皮剥きでもお願いしようかしら」
食後は料理人ゲンジから土産に貰ったタルトを一切れ。
互いに頬に軽く口づけてから、一緒に一階の厨房まで降りた。
最近では古書店でふたりきりなこともあって、自然と恋人らしいスキンシップが増えていた。
トオンは夜に眠る前、アイシャと建物の一階と二階で別れた後に、古書店フロアのカウンターで少しだけ書き物をする。
その日あった出来事の簡単な日記を書いて、あとは古本に囲まれて思索に耽る。
ここの古書店には母親の聖女エイリーが長年に渡って集めた魔法書や魔術書、いわゆる〝魔道書〟が山ほどある。
それらの叡智に触れながらだと良いアイデアが浮かびやすかった。
(ここの本に囲まれてると、俺の場合は環が出しやすいってのもある。魔道書の魔力と相性が良いんだろうな)
胸の周りに環を出す。ペースはゆっくりだったが、少しずつ扱える魔力が増えていた。
両手の指先で軽く環の光る帯に触れながら、毎晩の習慣を繰り返した。
(アイシャと、この国にとって良い導きがありますように)
最初はアイシャにとって、と彼女だけ意識して念じていたが、何度か繰り返して『この国』も追加した。
何せトオンの彼女は聖女様なのだ。彼女は自分だけが良ければそれでいいと言うような自分本位な性格をしていないから。
(一緒に暮らす……のは良いとして。料理や家事も楽しそうだけど、普通の家庭の主婦として終わらせちゃいけない子だもんな)
幼い頃から過酷な負担を強いられ続けたアイシャに、普通の女の子の生活をさせてあげたかった。
あのクズ王子のクーツ王太子となんて一度もしたことがなかったというデートも、積極的に行った。
けれどアイシャほど力が強い聖女では、そもそも最初から『普通の暮らし』の人生を送るのは無理なのだ。
だから多分、この穏やかなふたりきりの生活も期間限定だろうとトオンは考えている。
この国がアイシャにとって辛いばかりの場所なら、トオンは機を見て国外に避難することも考えていた。
亡命だ。幸いなことに、王都地下の古代生物を浄化したときの『この国に骨を埋める』誓いがあっても、アイシャが国境の外に出られることは確認済み。
聖女が助けを求めるなら居場所を用意してくれる国はいくらでもあるはずだ。
あるいはそこまで極端でなくても、一度国外に出て様子見しようか考えて、ルシウスに密かに相談していたトオンだ。
いっそ、親友のカズンが追っている、彼の父親の仇を探す手伝いを先に進めてもいい。
(そもそも、忠告や直観スキルのあるアイシャやルシウスさんが適切な答えを出していない。まだ時期が熟してないってことなんだ)
だから今はまだ、トオンはアイシャと一緒にこの古書店で普通の生活を送っている。
毎週必ずダンジョンに潜ってランクを上げつつ、また共和制実現会議に参加しても、これまでの生活ペースは崩していなかった。
(レイ王子たちのことは痛かった。また次に似たようなことが起きたら、今度こそ一度この国を出よう)
トオンが覚悟を決め、十二月が終わり年が明けた翌月、真冬のカーナ王国にも雪が降り積もった。
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