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第三章 カーナ王国の混迷

幼い王子の消息は

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 共和制実現会議で各議題の最後に、まだ四歳のレイ王子が亡命先の北部の国で風邪を拗らせて亡くなったとの訃報が一同に知らされた。

「……北部に亡命してたのね。北は寒いもの。まだ小さな子には負担だったのでしょうね」

 レストラン・サルモーネでレイ王子の噂話を聞いたばかりだったのに。
 アイシャは目を閉じて、トオンやルシウス、会議の参加者たちと一緒に黙祷を捧げた。

 それで話は終わりのはずだったのだが。

「待て。仮にも元王族の王子が亡くなったのだ。遺体はカーナ王国まで護送されてきたのだろうな?」

 参加者の視線が一斉にルシウスに集まる。

「いいえ。亡くなった現地の教会墓地に埋葬されたとのことで」
「すぐに亡骸を引き取りに行くわ。レイ王子はまだ幼くてクーツ元王太子の悪影響を受けていなかった。私も可愛がっていたのよ。『アイシャさま、アイシャさま』って慕ってくれていてね」

 アイシャが言うと参加者の多数は賛成したが、一部の数名が慌てたようにアイシャを押し留めてきた。

「せ、聖女様を虐げた元王族の末っ子ではないですか。聖女様がわざわざ行かれることはありません!」
「レイ王子のお母上は王城内で身分が低かったからか私とは気が合った人物なの。出身地が私の故郷の近くだったこともあって。彼女はどうなったの?」

 進行役を見ると、報告書を持った彼は首を振っている。レイ王子の母親の消息についてまでは書かれていないようだ。
 ルシウスが湖面の水色の瞳を光らせた。

「その報告書を持ってきたのは誰だ?」

 進行役が参加者の一グループを見た。アイシャに反論した者たちだ。
 旧王家の体制下では男爵だった者とその関係者たちである。

「答えなさい。レイ王子とお母上はどうなったの? 私が王子の亡骸を引き取りに行って何の差し障りがあるの?」
「そ、それは、その……っ」

 三十名弱が集まる会議室内にアイシャの、オレンジに似た爽やかな聖なる芳香が充満した。
 普段なら芳しさにうっとりするところだが、決して狭くないはずの会議室に、息をするのも苦しいぐらい濃密に香った。

 そのアイシャ本人からはネオングリーンに輝く聖なる魔力が噴き出している。
 左右のトオンやルシウスはそのまま席に座っていたが、近くの席の参加者たちは慌てて席を立ってアイシャから距離を置いた。

「ふむ。聖女アイシャに忖度したつもりで、……殺したか?」

 ぎくりとしたように、男爵たちが身体を震わせた。
 指摘したルシウスや、アイシャを挟んだ反対側の席のトオンは無表情だ。
 当のアイシャは憤怒の表情になって、噴き出す魔力で黒髪を逆立てている。

「レイ王子を殺せと。私はあなたたちに言ったかしら?」
「い、いえ、私どもは決して殺してはおりません!」

 男爵一味は聖女派、正確に言えば聖女アイシャの女王即位派だった。
 今、この国には大きく分けて三つの派閥がある。

 ひとつ、共和制への移行推進派。最も数が多い。

 ふたつ、旧カーナ王族による王政維持派。これはさすがにカーナ王族が聖女アイシャを虐げた凶行が尾を引いていて少数派だ。

 みっつめの最後が、聖女アイシャを女王として即位させる聖国への転換派である。
 これは元貴族、庶民を問わず案外数が多い。
 しかし当のアイシャ本人が女王即位を否定しているので表立って声を上げる者はいないはずだった。

 腕組みしながら事態を見守っていたルシウスが挙手して会議室内の参加者たちを見回した。

「私には自白魔法の心得がある。使用許可が得られるならその男に使うが、どうか?」
「この場合、許可は……」
「アイシャ様でしょうね」

 当然ながらアイシャはルシウスに自白魔法の使用を許可、いや自らの意思で依頼した。
 逃げようとする男爵を衛兵が押さえつける。
 結果、男爵がレイ王子と母親を追い詰めた凄惨さに、誰もが息を飲むことになった。



「逃亡した王族を保護するとの名目で、逃げ込んでいた教会に身柄の引き渡しを要求した。教会は王子たちを匿っていたが、圧力をかけていったら迷惑はかけられないからと自分たちから教会を出ていったのだ」

 それがレイ王子と母親がカーナ王国を出た隣国での出来事だった。
 以降、母子は追っ手を逃れて北へ北へと向かって行ったという。
 円環大陸の北部にはカーナ王国と因縁のあるカレイド王国がある。

「最終的に山中の山小屋に潜んでいたところを発見したが、既に母子揃って凍死していた。ほら、だから我々は殺してなどいない! 奴らが勝手に自滅しただけなのだ!」

 自白魔法をかけられてなお自信満々に言ってのけた男爵を、トオンは信じられない思いで凝視した。
 それのどこが『風邪を拗らせて亡くなった』なのか。追い詰めて暖も取れない場所に追い込んで凍死させたことの、どこが。

「『殺してない』だって? 本気で言っているのか、この男?」
「構わないではありませんか! あなたは初代聖女様のご子息で聖女アイシャ様の伴侶だから見逃しても構わない。けれどレイ王子は違う。生きていたら必ずアイシャ様とこの国の害になる。違いますか!?」

 この共和制実現会議のメンバーは上は聖女のアイシャ、そして旧王家の宰相、反王家の貴族たち、そして一般国民と幅広い層が揃っている。
 国を護ることに特化していたアイシャを除いて、彼らはカーナ王国の因襲を打破し新体制に移行することで意見が一致した、『聖女投稿』事件以前から活動していた者たちだ。
 当然、トオンが初代聖女エイリーとアルター国王の実の息子で、死んだクーツ王太子の身代わりとなって国王即位と退位を演じたことを知っている面々である。

 惨い、と誰かが呟いた。
 確かにレイ王子はカーナ王族の直系だが、まだ四歳の幼児だ。その母親も元娼婦で身分が低く、カーナ王族が五百年に渡って繰り返してきた悪辣の責任を負わせるには相応しくない。

「今日ほど人間の愚かさを恨んだ日はないわ」

 飴のような茶の瞳から涙をこぼすアイシャを、誰も慰められなかった。

(そうか、あれは夢見が悪かったんじゃなくてレイ王子たちの思念だったのね。逃亡中や死の間際に聖女の私に助けを求めてくれていた)

 もっと他者からの念に敏感な術者だったら思念を飛ばしてきた相手の特定までできたのに、と思うと悔しさが残る。

 アイシャが夢で魘されていた現象は、ある日を境に唐突に止まった。
 つまりそれが、レイ王子たち母子が凍死した日だったのだろう。


 
 旧王族とはいえ、王子の称号を持つレイ王子と生母を殺害した男爵たちを野放しにはできない。
 アイシャはその場で会議室内に控えていた騎士たちに男爵とその一味を捕らえさせた。

「なぜ私を捕らえるのですか、聖女様! この国はもう王政国家ではない、共和制国家となるのですぞ。忌まわしき旧王家の王族一人害したからとて、咎められるいわれはないはずです!」

 男爵は往生際悪く叫んだが、アイシャどころか宰相を含む共和制実現会議の面々は白けていたり、あからさまに非難する雰囲気だったりと否定的な反応だ。

「いや本当に、こいつ何言ってんだよ……」

 トオンが小さく呟くと、何やら顔の辺りに圧力のようなものを感じた。
 アイシャを挟んだ向こう側の席に座るルシウスからの視線だ。

(これルシウスさんが指摘します?)
(お前が言え、トオン。さも常識なのにそんなことも知らぬのか? とすっとぼけた感じでな)

 とこそこそっと小声で指示されたので、トオンは服の中の胸元辺りにこっそり自分のリンクを出してから口を開いた。
 リンクが発現しているとき、術者の言動は世界の理に反することがない。
 人前での緊張を緩和する効果もあるからこのような状況では便利だった。

「ちょっといいかな? そちらの男爵の発言内容を確認したい。この国が共和制になるのは既に会議でも決まってますね? だけどまだ公式に国として『今日から共和制です』と発令してないからカーナ王国のままだ。ですよね?」

 会議の参加者たちが一様に頷く。
 トオンはその様子を見て続けた。

「ですから犯罪に対する法律は現在はまだカーナ〝王国〟のものが適用されるはずです。俺は庶民育ちなのでその辺あまり詳しくないですが、……カーナ王国の法律で王族殺しの罰則はどうなってるんですか、ベルトラン宰相」
「言うまでもありませんな。事実確認が取れた時点で処刑確定です」

 当然だ、とルシウスも呟いている。彼の故郷アケロニア王国でも同じなのだろう。

「処刑!? 有り得ない、私が何の罪を犯したと? 将来の憂慮の芽を事前に摘んだことを讃えられるならともかく!」
「いやいやいや。あんた、マジでわかってないだろ?」

 トオンはおざなりな丁寧語すら忘れて思わず突っ込んでしまった。
 そしてその先は隣のアイシャが引き継いだ。

「トオンの言う通りよ。あなたは根本的なところで間違えている。たとえ今この時点でこの国が共和制だったとしても、……レイ王子たちが犯罪者だったとしても、捜査や逮捕権限のないあなたが彼らを追い詰めて殺してしまったことは重大な犯罪よ」
「あ」

 そうだ。現時点では男爵は共和制実現会議の一員でしかない。国の法務の責任者ですらないのだ。
 さすがの男爵もここまで言われれば己の過ちを理解したようで、見る見るうちに青ざめていった。

「次回の会議までにメンバーの再調査をしたほうが良いだろうな。他にもこのような頭の悪い者がいるなら共和制への移行どころでなくなるぞ?」

 ルシウスが最後にまとめて、その日の会議はその場で終了となった。


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