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第二章 お師匠様がやってきた
混乱をあえて突き放してみる
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「トオンのこと。ルシウスさんに任せてもいい?」
多分、恋人だからこそアイシャに悩んでいる姿を見せたくないのではないか。
カフェを出て歩いて赤レンガの建物に帰る前に、アイシャはそうルシウスに頼んできた。
今日はトオンは別地区に古書の仕入れに出かけている。古書店には魔法書や魔術書が多いが、一般向けの本もある程度の分量を揃えておく方針のようだ。
「もちろん」
トオンの場合、魔力使いとしてのネックは母親へ抱いている鬱屈だ。
そこが解消できれば、あとは聖女のアイシャとともにいるうちに自然と成長していくと見ていた。
「そう心配することはない。ほら、悩むならトオンのために作る菓子のことを考えているといい」
小柄な少女の黒いオカッパ頭をポンポンと軽く叩いてやるのだった。
さて、具体的にどうトオンにアプローチしたものか。
夕飯にアイシャと一緒に、すっかり忘れていた焼き上げたままの生地を魔法樹脂から解凍して茸のキッシュを作り、いつものチキンスープもじっくり煮込みながら考えてみた。
(うむ。わからん)
そもそもルシウスは人の心の専門家ではない。
話を聞くことぐらいならできるが、そう何でもかんでも力押しで上手くいくものではないこともよく理解していた。
ちょうどキッシュが焼きあがる頃には、荷車で古書を仕入れてきたトオンも帰宅した。
(まあ、なるようになるだろう)
今夜は外に飲みに出かけることもなく、二階に上がってすぐ左手の部屋で読書に励むことにしたルシウスだ。
赤レンガの建物の二階は宿屋になっている。トオンはアイシャとここに戻ってきてからは他の客を入れていないと聞いている。
室内は狭いが、元はトオンの四人いた義理の兄たちの私室を改装したものだという。
ベッドとクローゼット、小さな書物机と椅子。背の高いルシウスには手狭だが、慣れてしまえばそう不自由もない。
昔、まだ少年時代に家を飛び出して他国の冒険者ギルドを拠点にしていたときの部屋などもっと狭かったぐらいだ。
師匠の魔術師フリーダヤからは、トオンの古書店にある魔法書や魔術書を全部読めと課題を出されている。
一年二年で終わる量ではなかったので、もう諦めて記憶だけしておいて後からゆっくり内容を想起するやり方に切り替えていた。
薄いものから分厚いものまで含めて千冊と少し。
記憶だけならそろそろ終わる頃だった。
読み終わったものは、まだほんの数冊に過ぎなかったけれども。
夕食後、シャワーを浴びて部屋着に着替えたルシウスの服の下、臍の下辺りの位置に薄く環を出している。
いろいろ工夫してみたところ、この位置がデフォルトのルシウスの場合は環を皮膚に密着させておけば、不用意に人目を惹かずに済む。
以前アケロニア王国に飛んで帰国したとき師匠フリーダヤに貰ったアドバイス通り、以来ずっと環を出しっぱなしのルシウスだ。
お陰で、カーナ王国の国内に残る賎民呪法の悪影響から離脱して本調子に戻りつつある。
とそこへ、控えめなノックの音が響いた。
「ルシウスさん。いい?」
どうやらこちらが動くまでもなく向こうから来たようだ。
こちらも入浴を済ませてきたようで、トオンの金髪は少し湿っている。
長めの前髪から覗く蛍石のような薄緑色の瞳は、どこか落ち着かないように室内を彷徨っていた。
トオンの問題は、年長者としてのルシウスがあれこれと言うのは簡単だった。
だがこれまでの言動を見ていると、とにかく本人の中に抱え込んでいるものを聞き出してやるのが良いと見ていた。
もうずっと、半年以上前に母親マルタが初代聖女エイリーだと判明して、そして消えてからというもの、その影にトオンは苦しみ続けている。
「お袋のせいでアイシャも、歴代の聖女たちも苦しめられることになったのに。責任も取らずに好き勝手なこと言って消えちまった!」
部屋に椅子は一脚しかないのでトオンをベッドに座らせ話を聞いてみると、やはり引っかかっているのはそこらしい。
だがルシウスは、はて、と首を傾げた。
「? お前は歴代聖女たちに会えたのか? 彼女たちの中にも“時を壊す”ができてこの時代まで生きてお前に会いに来てそう言ったと?」
トオンがさも歴代聖女たちの思いを代弁するような口調で言い出したので、あえて突っ込みを入れてみることにした。
「い、いや、そういうわけじゃないけど。でもそうだろ、お袋さえ初代国王に誑かされず、上手くやり過ごせてたら。歴代聖女たちを苦しめないよう王家をちゃんと監視できていたら」
すると案の定、トオンはしどろもどろになった。
他人の気持ちなど本人にしかわからないものだ。
他人がそう言っていた、そう思っていたと言うことで自分の本心を語ることはよくあることだった。
ただルシウスはそこは流してやることはしなかった。
言葉は不完全な情報ツールだ。それだけにこの手の話題で曖昧さを作ると真実を見失いやすい。そのために。
「聖女エイリーに『こうであるべき』を押し付けるのはよいのだが。そこに、彼女たち自身の自由は勘定に入っているのか?」
「え?」
「お前は聖女エイリーの実の息子だから、家族として彼女を叱る義務や権利があろう」
だが、とルシウスは一度言葉を止めて、その湖面の水色の瞳でじっとトオンを見つめた。
トオンの容貌は、実父の先王アルターや異母弟クーツとよく似ているらしい。金髪も同じ。
瞳の色は蛍石にある薄緑色をしている。この色は母親のエイリーと同じだそうだ。
穏やかで優しい気質の青年だ。だがおとなしいたけかと思いきや、こうして胸の内に感情を抱え込む傾向の裏返しだったようだ。
「今のお前は余裕のない顔をしているぞ。緊張して目元や口元も強張っている。まだこの話を続けるか?」
「………………」
もう少し自分の中を整理してみることをトオンに勧めた。
「『聖女投稿』ではないが、頭の中だけで考えていないで、紙に書き出してみたらどうだ。お前もそういうやり方の方が向いてるのではないか」
「……そうかもしれない」
小さく礼を言って、トオンは階下へ戻っていった。
(意図的に突き放してみたわけだが)
これが吉と出るか、凶と出るか。
--
ストレス展開続きで申し訳ないです。おのれエイリー´д` ;
第二章、ラストスパート入ります。
多分、恋人だからこそアイシャに悩んでいる姿を見せたくないのではないか。
カフェを出て歩いて赤レンガの建物に帰る前に、アイシャはそうルシウスに頼んできた。
今日はトオンは別地区に古書の仕入れに出かけている。古書店には魔法書や魔術書が多いが、一般向けの本もある程度の分量を揃えておく方針のようだ。
「もちろん」
トオンの場合、魔力使いとしてのネックは母親へ抱いている鬱屈だ。
そこが解消できれば、あとは聖女のアイシャとともにいるうちに自然と成長していくと見ていた。
「そう心配することはない。ほら、悩むならトオンのために作る菓子のことを考えているといい」
小柄な少女の黒いオカッパ頭をポンポンと軽く叩いてやるのだった。
さて、具体的にどうトオンにアプローチしたものか。
夕飯にアイシャと一緒に、すっかり忘れていた焼き上げたままの生地を魔法樹脂から解凍して茸のキッシュを作り、いつものチキンスープもじっくり煮込みながら考えてみた。
(うむ。わからん)
そもそもルシウスは人の心の専門家ではない。
話を聞くことぐらいならできるが、そう何でもかんでも力押しで上手くいくものではないこともよく理解していた。
ちょうどキッシュが焼きあがる頃には、荷車で古書を仕入れてきたトオンも帰宅した。
(まあ、なるようになるだろう)
今夜は外に飲みに出かけることもなく、二階に上がってすぐ左手の部屋で読書に励むことにしたルシウスだ。
赤レンガの建物の二階は宿屋になっている。トオンはアイシャとここに戻ってきてからは他の客を入れていないと聞いている。
室内は狭いが、元はトオンの四人いた義理の兄たちの私室を改装したものだという。
ベッドとクローゼット、小さな書物机と椅子。背の高いルシウスには手狭だが、慣れてしまえばそう不自由もない。
昔、まだ少年時代に家を飛び出して他国の冒険者ギルドを拠点にしていたときの部屋などもっと狭かったぐらいだ。
師匠の魔術師フリーダヤからは、トオンの古書店にある魔法書や魔術書を全部読めと課題を出されている。
一年二年で終わる量ではなかったので、もう諦めて記憶だけしておいて後からゆっくり内容を想起するやり方に切り替えていた。
薄いものから分厚いものまで含めて千冊と少し。
記憶だけならそろそろ終わる頃だった。
読み終わったものは、まだほんの数冊に過ぎなかったけれども。
夕食後、シャワーを浴びて部屋着に着替えたルシウスの服の下、臍の下辺りの位置に薄く環を出している。
いろいろ工夫してみたところ、この位置がデフォルトのルシウスの場合は環を皮膚に密着させておけば、不用意に人目を惹かずに済む。
以前アケロニア王国に飛んで帰国したとき師匠フリーダヤに貰ったアドバイス通り、以来ずっと環を出しっぱなしのルシウスだ。
お陰で、カーナ王国の国内に残る賎民呪法の悪影響から離脱して本調子に戻りつつある。
とそこへ、控えめなノックの音が響いた。
「ルシウスさん。いい?」
どうやらこちらが動くまでもなく向こうから来たようだ。
こちらも入浴を済ませてきたようで、トオンの金髪は少し湿っている。
長めの前髪から覗く蛍石のような薄緑色の瞳は、どこか落ち着かないように室内を彷徨っていた。
トオンの問題は、年長者としてのルシウスがあれこれと言うのは簡単だった。
だがこれまでの言動を見ていると、とにかく本人の中に抱え込んでいるものを聞き出してやるのが良いと見ていた。
もうずっと、半年以上前に母親マルタが初代聖女エイリーだと判明して、そして消えてからというもの、その影にトオンは苦しみ続けている。
「お袋のせいでアイシャも、歴代の聖女たちも苦しめられることになったのに。責任も取らずに好き勝手なこと言って消えちまった!」
部屋に椅子は一脚しかないのでトオンをベッドに座らせ話を聞いてみると、やはり引っかかっているのはそこらしい。
だがルシウスは、はて、と首を傾げた。
「? お前は歴代聖女たちに会えたのか? 彼女たちの中にも“時を壊す”ができてこの時代まで生きてお前に会いに来てそう言ったと?」
トオンがさも歴代聖女たちの思いを代弁するような口調で言い出したので、あえて突っ込みを入れてみることにした。
「い、いや、そういうわけじゃないけど。でもそうだろ、お袋さえ初代国王に誑かされず、上手くやり過ごせてたら。歴代聖女たちを苦しめないよう王家をちゃんと監視できていたら」
すると案の定、トオンはしどろもどろになった。
他人の気持ちなど本人にしかわからないものだ。
他人がそう言っていた、そう思っていたと言うことで自分の本心を語ることはよくあることだった。
ただルシウスはそこは流してやることはしなかった。
言葉は不完全な情報ツールだ。それだけにこの手の話題で曖昧さを作ると真実を見失いやすい。そのために。
「聖女エイリーに『こうであるべき』を押し付けるのはよいのだが。そこに、彼女たち自身の自由は勘定に入っているのか?」
「え?」
「お前は聖女エイリーの実の息子だから、家族として彼女を叱る義務や権利があろう」
だが、とルシウスは一度言葉を止めて、その湖面の水色の瞳でじっとトオンを見つめた。
トオンの容貌は、実父の先王アルターや異母弟クーツとよく似ているらしい。金髪も同じ。
瞳の色は蛍石にある薄緑色をしている。この色は母親のエイリーと同じだそうだ。
穏やかで優しい気質の青年だ。だがおとなしいたけかと思いきや、こうして胸の内に感情を抱え込む傾向の裏返しだったようだ。
「今のお前は余裕のない顔をしているぞ。緊張して目元や口元も強張っている。まだこの話を続けるか?」
「………………」
もう少し自分の中を整理してみることをトオンに勧めた。
「『聖女投稿』ではないが、頭の中だけで考えていないで、紙に書き出してみたらどうだ。お前もそういうやり方の方が向いてるのではないか」
「……そうかもしれない」
小さく礼を言って、トオンは階下へ戻っていった。
(意図的に突き放してみたわけだが)
これが吉と出るか、凶と出るか。
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第二章、ラストスパート入ります。
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