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1話 幽霊姫と予定外の来訪者
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丘の上、風が心地よく吹き抜ける。
「幽霊姫」こと、フォルトゥナ・パーディントンは、絵筆を持ち、目の前に広がる古城の景色をキャンバスに映していた。
古びた城壁と、遠くに浮かぶ曇り空のコントラストが、まるで別世界のように静謐で美しい。
どんよりと曇った重くうっとおしい雲も魅力的である。
「お嬢様、大変です!」
急に、背後から慌てた声が聞こえた。フォルトゥナは絵筆を止め、振り返える。
そこに現れたのは、侍女のマルティ。顔色を失い、息を切らしている。
「何があったのですか、マルティ?」
フォルトゥナはいつもの通り感情がほとんど感じられない、平坦な声で尋ねた。
感情がないわけではないが、大きな声を出すのは苦手だし、いちいち驚いていると体力を奪われるのが嫌で起伏が少ない淡白な声音になってしまうだけである。
フォルトゥナ・パーディントンは、月のない夜のような見事な黒髪で、同じ色の瞳は漆黒をさらに磨いたような艶やかさを持つ。ほっそりとした顔立ちは繊細で、彫刻のように整った容姿を際立たせ、淡い肌がその美しさを引き立てる。
彼女の瞳は深く、物憂げな光を宿し、見る者を引き込む魅力を持っている。しなやかで華奢な体躯は優雅さと品位を感じさせ、立ち振る舞いには静かな威厳が漂う。
「ファルソン男爵夫妻がおいでになりました。エイドリック様もご一緒なのですが、あの。その」
「予定よりずいぶん早い到着ね…。ルートを変更したのかしら?」
来週にはパーディントン家に訪問するということを父から聞いたのは、三週間も前のことだ。途中、いくつかの街を経由してやってくると言っていたので、ゆったりとした気ままな旅を楽しむ貴族そしては二、三日遅れるのが普通である。
「旦那様と奥様もお呼びですので、どうぞお屋敷にお戻りくださいませ」
「しょうがないわね。わかったわ。知らせてくれてどうもありがとう、マルティ」
彼女は少しだけ顔をしかめ、絵を片付けると、マルティにうなずいて歩き出した。
城へ戻る道すがら、風が冷たく感じられる。
やがて、古城の門をくぐり、広い庭を通り抜けると、見慣れた夫妻が正面玄関の手前で待っていた。ファルソン男爵とその妻、エイドリックの両親だ。
「お待たせしました」と静かに言い、フォルトゥナは二人に近づいて行く。
ファルソン男爵夫妻は、年齢を重ねた分、どこか品のある落ち着いた雰囲気を漂わせているが、その顔には普段見せない緊張の色が浮かんでいる。
男爵夫妻の前で、フォルトゥナは一礼をした。
「お久しぶりでございます。お待たせをしまして申し訳ございません。丁度筆が乗っていたところでして。本日はよくお越しくださいました。お目にかかれて光栄でございます」
フォルトゥナは一礼を終え、軽く微笑んでから、ファルソン男爵夫妻に視線を向けた。彼女の顔には、緊張感を全く感じさせない冷静さが漂っている。その表情は、まるで日常の一幕を淡々とこなすようなものだ。
男爵夫人は、何か言いにくそうに口を開こうとしたが、しばらく言葉を選ぶ様子が見て取れる。フォルトゥナはその様子をじっと見つめてから、いつもは視界のどこかの隅で使用人たちに気安く話しかけているある人物を探した。
ファルソン夫妻と同じ茶色の髪色に、ダークアンバーの瞳をした婚約者エイドリックである。
「エイドリック様はどこにいらっしゃるのですか?」
ご挨拶をしなければ、と視線を動かしながら淡々と尋ねれば、ファルソン男爵は深く息を吐き、まるで何か重い荷物を抱えているように肩を落とした。
「フォルトゥナ、お前に伝えなければならないことがあるんだ…」
その言葉に、フォルトゥナは一瞬目を細めた。
いや、毎回のことだ。
だが、あまりに真剣な顔で話す男爵に、少しだけ気を使うフリをしてみる。
「まあ。どうされたのですか?」
「む。いや、その…。多少込み入った話になるので、ここでは体が冷えてしまうし、中で話させてもらうこととしよう」
フォルトゥナは軽い驚きの表情を浮かべながらも、男爵夫妻とともに城の中へと足を踏み入れた。
古びた城の扉が静かに開かれ、足元の石畳が冷たく感じられる。城の中は薄暗く、ところどころに影が揺れているが、それが逆に重厚感を増し、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
巨大なシャンデリアが天井から吊るされており、微かな光を放っている。足元には、深い青や緑の絨毯が敷き詰められていて、足音が吸い込まれるように静かだ。廊下を抜けるたびに、壁にかけられた絵画が目に入り、それぞれが古き良き時代の物語を語っているようだ。
扉の前には執事のクリスティンが待ち構えていた。
視線に頷き返し、執事が恭しく扉を開けて夫妻の訪問を知らせる。
サロンの扉を開けると、明るく温かな空間が広がっていた。陽光がふんわりと張り出し窓から差し込み、柔らかな光が部屋を満たしている。
「娘には無事会えたようですな」
フォルトゥナの両親、マーベリックとリリス・パーディントンがすぐに迎えに出て、にこやかな笑顔を浮かべて言った。
その様子にフォルトゥナは小首を傾げる。
まるで自分を呼びに、夫妻が一度サロンを退出したような口ぶりだったからだ。
入口で立ち尽くしたまま、両親の方に視線を向ければ父が何か含みがある時によくする仕草をしたのが目に入る。
(また厄介ごとかしら)
内心のため息をうまく隠しながら、フォルトゥナが席に着くと、本題とばかりにファルソン男爵が口を開いた。
「実は、エイドリックがまた…やらかしまして」
「はい」
婚約者のエイドリックの「やらかし」については、毎回細かな違いはあるものの終着点は同じである。今回はどの件と似ているのだろう、それとも婚約を破棄せざるを得ない既成事実でも作ってしまったのか、と思いを巡らせる。
フォルトゥナの乏しい表情を読み取ったかのように、ファルソン男爵夫人が重々しく口を開く。
「フォルトゥナ、お話ししなければならないことがあるのよ」
「どうかしたのですか?」
冷静に問いただすと、話さなければならないことがあると言いながら、男爵夫人は口ごもってしまう。
その時、彼女の父、マーベリック・パーディントンが深いため息をつきながら、口を開いた。
「視ればわかるだろう」
含みを持たせた父の視線に、まさかあんな面白いことが起きているとは露ほども思わなかった。
「幽霊姫」こと、フォルトゥナ・パーディントンは、絵筆を持ち、目の前に広がる古城の景色をキャンバスに映していた。
古びた城壁と、遠くに浮かぶ曇り空のコントラストが、まるで別世界のように静謐で美しい。
どんよりと曇った重くうっとおしい雲も魅力的である。
「お嬢様、大変です!」
急に、背後から慌てた声が聞こえた。フォルトゥナは絵筆を止め、振り返える。
そこに現れたのは、侍女のマルティ。顔色を失い、息を切らしている。
「何があったのですか、マルティ?」
フォルトゥナはいつもの通り感情がほとんど感じられない、平坦な声で尋ねた。
感情がないわけではないが、大きな声を出すのは苦手だし、いちいち驚いていると体力を奪われるのが嫌で起伏が少ない淡白な声音になってしまうだけである。
フォルトゥナ・パーディントンは、月のない夜のような見事な黒髪で、同じ色の瞳は漆黒をさらに磨いたような艶やかさを持つ。ほっそりとした顔立ちは繊細で、彫刻のように整った容姿を際立たせ、淡い肌がその美しさを引き立てる。
彼女の瞳は深く、物憂げな光を宿し、見る者を引き込む魅力を持っている。しなやかで華奢な体躯は優雅さと品位を感じさせ、立ち振る舞いには静かな威厳が漂う。
「ファルソン男爵夫妻がおいでになりました。エイドリック様もご一緒なのですが、あの。その」
「予定よりずいぶん早い到着ね…。ルートを変更したのかしら?」
来週にはパーディントン家に訪問するということを父から聞いたのは、三週間も前のことだ。途中、いくつかの街を経由してやってくると言っていたので、ゆったりとした気ままな旅を楽しむ貴族そしては二、三日遅れるのが普通である。
「旦那様と奥様もお呼びですので、どうぞお屋敷にお戻りくださいませ」
「しょうがないわね。わかったわ。知らせてくれてどうもありがとう、マルティ」
彼女は少しだけ顔をしかめ、絵を片付けると、マルティにうなずいて歩き出した。
城へ戻る道すがら、風が冷たく感じられる。
やがて、古城の門をくぐり、広い庭を通り抜けると、見慣れた夫妻が正面玄関の手前で待っていた。ファルソン男爵とその妻、エイドリックの両親だ。
「お待たせしました」と静かに言い、フォルトゥナは二人に近づいて行く。
ファルソン男爵夫妻は、年齢を重ねた分、どこか品のある落ち着いた雰囲気を漂わせているが、その顔には普段見せない緊張の色が浮かんでいる。
男爵夫妻の前で、フォルトゥナは一礼をした。
「お久しぶりでございます。お待たせをしまして申し訳ございません。丁度筆が乗っていたところでして。本日はよくお越しくださいました。お目にかかれて光栄でございます」
フォルトゥナは一礼を終え、軽く微笑んでから、ファルソン男爵夫妻に視線を向けた。彼女の顔には、緊張感を全く感じさせない冷静さが漂っている。その表情は、まるで日常の一幕を淡々とこなすようなものだ。
男爵夫人は、何か言いにくそうに口を開こうとしたが、しばらく言葉を選ぶ様子が見て取れる。フォルトゥナはその様子をじっと見つめてから、いつもは視界のどこかの隅で使用人たちに気安く話しかけているある人物を探した。
ファルソン夫妻と同じ茶色の髪色に、ダークアンバーの瞳をした婚約者エイドリックである。
「エイドリック様はどこにいらっしゃるのですか?」
ご挨拶をしなければ、と視線を動かしながら淡々と尋ねれば、ファルソン男爵は深く息を吐き、まるで何か重い荷物を抱えているように肩を落とした。
「フォルトゥナ、お前に伝えなければならないことがあるんだ…」
その言葉に、フォルトゥナは一瞬目を細めた。
いや、毎回のことだ。
だが、あまりに真剣な顔で話す男爵に、少しだけ気を使うフリをしてみる。
「まあ。どうされたのですか?」
「む。いや、その…。多少込み入った話になるので、ここでは体が冷えてしまうし、中で話させてもらうこととしよう」
フォルトゥナは軽い驚きの表情を浮かべながらも、男爵夫妻とともに城の中へと足を踏み入れた。
古びた城の扉が静かに開かれ、足元の石畳が冷たく感じられる。城の中は薄暗く、ところどころに影が揺れているが、それが逆に重厚感を増し、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
巨大なシャンデリアが天井から吊るされており、微かな光を放っている。足元には、深い青や緑の絨毯が敷き詰められていて、足音が吸い込まれるように静かだ。廊下を抜けるたびに、壁にかけられた絵画が目に入り、それぞれが古き良き時代の物語を語っているようだ。
扉の前には執事のクリスティンが待ち構えていた。
視線に頷き返し、執事が恭しく扉を開けて夫妻の訪問を知らせる。
サロンの扉を開けると、明るく温かな空間が広がっていた。陽光がふんわりと張り出し窓から差し込み、柔らかな光が部屋を満たしている。
「娘には無事会えたようですな」
フォルトゥナの両親、マーベリックとリリス・パーディントンがすぐに迎えに出て、にこやかな笑顔を浮かべて言った。
その様子にフォルトゥナは小首を傾げる。
まるで自分を呼びに、夫妻が一度サロンを退出したような口ぶりだったからだ。
入口で立ち尽くしたまま、両親の方に視線を向ければ父が何か含みがある時によくする仕草をしたのが目に入る。
(また厄介ごとかしら)
内心のため息をうまく隠しながら、フォルトゥナが席に着くと、本題とばかりにファルソン男爵が口を開いた。
「実は、エイドリックがまた…やらかしまして」
「はい」
婚約者のエイドリックの「やらかし」については、毎回細かな違いはあるものの終着点は同じである。今回はどの件と似ているのだろう、それとも婚約を破棄せざるを得ない既成事実でも作ってしまったのか、と思いを巡らせる。
フォルトゥナの乏しい表情を読み取ったかのように、ファルソン男爵夫人が重々しく口を開く。
「フォルトゥナ、お話ししなければならないことがあるのよ」
「どうかしたのですか?」
冷静に問いただすと、話さなければならないことがあると言いながら、男爵夫人は口ごもってしまう。
その時、彼女の父、マーベリック・パーディントンが深いため息をつきながら、口を開いた。
「視ればわかるだろう」
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