上 下
5 / 6

5.魔女は「魔女」を諦めたくない。

しおりを挟む
「さて、今日はもう一つ用件があってね」

 ほとんど荷の運び出しが終わった室内で、アルバートはこう切り出した。

 ルシアンはなんとなく嫌な予感がして反射的に後退ったが、彼は何も言わずその様子を静かに観察しているようだった。

 いつもはすぐに本題に入り、相手がどのように感じているかはお構いなしに用件を押し付けてくる彼にしては珍しい。

 ほんの少しだけ、アルバートが言いにくそうに視線を彷徨わせた瞬間を見逃さず、ルシアンは意を決して先手を打つことにする。

「兄関連のことではないですよね?」

 だとしたら内容を聞かず、このまま帰ってもらうのが得策だ。

 控えめに言っても妹を溺愛しすぎるほどに溺愛している兄の翡翠色の相貌を思い出しながら、ルシアンは顔に笑顔を張り付けたまま続ける。

「お兄様が手を回して本来であれば私に割り振られるはずだった仕事を全て、独自に雇った専属の魔法使いに対処させているという話はもう知っています。おかげで仕事から収入を得ることができない為、極貧生活を送っていますがそれでも絶対に実家には帰りませんし、兄や姉に泣きついたりはしません」

 こうして兄の所業を述べてみると、我ながらなんて容赦のない人物だと思うが、だからと言って自分の生活を諦めたり手放したりする気は毛頭ない。

 生活はかなりきついし、アルバートの手助けがなければ今頃餓死していたのは間違いない。

 湖畔の館から出て遠方に出稼ぎをして食い扶持を稼ぐということも何度か挑戦したが、その度に兄や姉たちの手の者がルシアンの身柄を確保しようと誘拐まがいの行為を平然と行うので、周囲に被害が及ぶのを恐れなかなか森から出られなくなってしまった。

 過保護な家族たちからの介入がないようにする方法があるとすれば、彼らより上位の貴族の庇護下に入ること。例えば王族や侯爵家の専属の魔女として契約を取り交わすこと、もしくはそうした階級の人間と縁続きになること。つまり、婚姻を結ぶことでしか回避できそうにない。

 ただ。

「魔女は、この仕事は私の夢です。一時の夢ではなく、継続して死ぬまで続けていきたいと考えている私の人生そのものです。兄や姉や、両親が何というとわたしはこの夢を諦める気はありません」

 上位貴族の専属になれば、家族の介入からは逃れられるだろうが、望む仕事をすることは難しい。命じられた仕事を淡々と行うことが中心となる為、魔女としてルシアンが実現したい夢からは乖離してしまう。

 それに結婚後、魔女として仕事を続けることが許された貴族の女性の存在はほぼない。というか、貴族の女性自体が「魔女」という労働階級の人間が選択する職種に就くことがない。

 貴族の令嬢として育てられ、労働階級の人間がする仕事を選択したルシアンという人物は、貴族社会の中でもかなり特殊な人間であった。

「……」

 アルバートはすっかり冷えてしまった紅茶を一口飲むと、静かに長いまつげを伏せてゆっくりとルシアンを見上げる。

 真剣そのものの相貌に一瞬息が詰まるが、ここで負けてなるものかと拳を握り締める。

「私は確かに一人前とは名ばかりで、魔女としては未熟な点も多々あるかもしれません。魔力や技術や仕事の交渉術の経験が浅く、たくさんの失敗をこれからするかもしれません。傷ついたり嫌な思いをしたり、逃げ出したくなるようなことに直面するかもしれません。でも、それを理由に魔女を諦めたくないんです」

 窓から差し込む柔らかな日差しが、ルシアンの髪色を明るく染めていく。

 光の角度で赤にもオレンジにも緑にも見える不思議な色合いの相貌を見つめながら、アルバートはゆっくりと唇を開いた。

「たとえ誰が反対しても?」

 含みを持たせた呟きにルシアンはびくりと肩を跳ねさせたが、それでも静かに力強く頷く。

「誰が何と言おうと、私は魔女として生きることを諦めません」

「僕は」

 カタン、と椅子から立ち上がりルシアンの言葉を遮るようにアルバートが碧色の相貌に苦痛を滲ませていた。見やれば、僅かに開いた唇が微かに震えている気がした。

しおりを挟む

処理中です...