瞼にキスを落として

宇佐美 月明

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2 愛しくて、狡くて、憎い……

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 ゴーン、ゴーン、
歴史を感じさせる置き時計が時を告げる。フォルケイ公爵は、オーレリアに先程の言葉を告げた後また直ぐに口を噤んだ。そして持参して来た書状を机の上に静かに置く。そこには、この国の宰相の封蝋がしっかり押されていた。正式に出された書状だと窺い知れる。
オーレリアは、そっと書状に目をやる。それでも彼女の緑色の瞳は新緑の優しい色しか浮かべていない。フォルケイ公爵は彼女を見てから思い出す。オーレリアは五年前もそうだった。モンファ辺境伯爵の地位のことやアイゼルの相手として離宮に上がることを知らせた時も、何事にも動じることはなかった。言われたことをただ受け入れた。それが全ての定めかのように……。

「オーレリア、貴女は知っているとは思うが、モンターニャは女神信仰が強い。その隣国セルバもだが……。従って女性の地位が高い。婚姻についても厳格だ。その国の王女が嫁いで来ることに当たり、その他の女性の存在は認められない。そして――」
「宰相様、分かっております。ご説明は不要です。そちらに置かれたその書状に全て書かれているのであれば、私が確認すれば良いこと。宰相様にご説明などして、頂くことでもありません」

フォルケイ公爵の言葉をオーレリアは遮った。彼女が話を最後まで聞かず、止めたのは初めてだ。それにフォルケイ公爵は驚いた。それ程この話が聞きたくないのか、また言いにくい話をしている自分への配慮なのか、それとも―――。

「だがな、オーレリア」
「宰相様、もう決まったこと。わたくしの命までお取りになるというお話では無いのでしょう?でしたらそのようにするまで。わたくしのような者にお気遣いはご不要でございます」
「……」

オーレリアは説明など不要だと言う。フォルケイ公爵は考えるように、顎に手をやる。何時も伏せがちな瞳を珍しくオーレリアはまるで考えを読み取るように、フォルケイ公爵から視線を逸らさないでいた。

「宰相様が難しい状況下で、ご配慮して下さったわたくしへの処遇……。恐れ入ります。陛下が正式にお后様をお迎えになれば、情交の相手など邪魔なだけの存在。この国を出ることも承知しております」

オーレリアは、いつもよりも口数が多かった。その書状の内容を知っているかのようだ。フォルケイ公爵は険しい表情になる。椅子に腰掛けながら前屈みになり呟いた。

「王から聞いたのか?」
「……はい。陛下よりお話をお聞かせ頂いております――」

少し間を置くと彼女は答えた。その声は穏やかで澄んでいる。この状況下ではとても不自然にフォルケイ公爵には聞こえる。オーレリアは全てを諦め、受け入れているようにフォルケイ公爵はいつも感じていた。そんな彼女に王はあまりにも、無慈悲だと思った。今まで情交を重ねていた女性に自分の婚姻とその後の処遇を自ら話す。よくもそんなことが出来るものだと……。だが直ぐにその考えを改める。それとも他の者より聞かされるよりはマシだと情けをかけたのか?あの王が……?
王のアイゼルは、フォルケイ公爵の孫だ。身内とてその真意は図り知ることは出来ずにいた。
それほどアイゼルは、感情を表に出さない。多くを語らない。政まつりごとは全て結果論、国の有益だけを図り優先する。全てそうだった。モンターニャの王女との婚姻も国の利益の為だ。

「……王はなんと言われた?」

フォルケイ公爵は、オーレリアに尋ねた。あの王アイゼルがなんと彼女に語ったのか興味があった。彼女にだけは多くを語るのかを、どんな言葉をかけるのかが気になる。

「……、いいえ特には――。わたくしの処遇だけ、婚姻の儀には参列するように言われました」

オーレリアは、また少し間を開けたがそう答えた。彼女は俯きかげんになる。まるで表情を隠すようにする。フォルケイ公爵はオーレリアの答えに愕然とした。驚き椅子から立ち上がる。

「まさか、そんな婚姻の儀に参列させるとは……。何と、オーレリア、わたしは王からその話を聞いていない。直ぐ様、王に連絡をつける」

慌てて部屋を後にした。
彼女は、立ち上がると頭を下げてフォルケイ公爵を見送る。だが、その唇は固く結ばれていた。ゆっくりと顔を上げる。フォルケイ公爵が残していった机の上の書状を手に取った。そしてペーパーナイフで封蝋を開ける。表情一つ変えることが無く彼女は書状に目を通す。だが、読み終えるとオーレリアは書状を床に投げ捨てた。彼女は疲れたように深く椅子に身体を預けた。椅子の背凭れに頭を預けると侍女がキツく結い上げた髪が当たり痛かった。オーレリアは、無造作に髪を解くと真っ赤な髪がゆっくりと肩に落ちた。
昨夜のアイゼルを思い出す。最後の夜になるかも知れないのに何時もと変わらず、オーレリアに一方的に情交を求めて、会話もいつも通り……。次があるかのように別れの言葉も言わない。
 自分はそれだけの存在なのだろう……。アイゼルの本心が見え隠れしたのは、この何年間であの時だけだったのかもしれない。そして自分も本心を覗かせたのもあの時だけ……。未だ全てを晒さない、晒してはならない……。
 アイゼルとは、相見えることは出来ないのだから――。


また、窓越しに咲き誇る庭の花を眺めた。その花々はとても美しく、今のオーレリアには疎ましくさえ映る。そして半年前のことを思いだす。




 木々生い茂る山中に銃声がいくつか響く。その後に、獲物を追う犬達の鳴き声が聞こえる。オーレリアは、眉間に皺を寄せていた。何回も秋に行われる狩りに参加しているが好きではなかった。殺生は勿論、参加した貴族達に顔を会わせ陰で噂されるのが嫌だった。だが、この時まだモンファ女辺境伯の立場だったオーレリアは参加しないわけには行かなかった。既にアイゼルとモンターニャの王女ジェンナとの婚姻の話が持ち上がっていた。そしてその王女ジェンナも今回は外遊として来訪し狩りに参加していた。狩りを楽しんでいる貴族達の後方で隠れるようにオーレリアはいる。貴族達はオーレリアに挨拶はするけれど、蔑むような眼差しを向ける。
オーレリアは、それでも微笑みを作りやり過ごしていた。彼女はふと口元を結ぶ。その視線の先には二人の男女が見えた。王アイゼルとモンターニャの出身の証である少し褐色の肌と黒髪、王女ジェンナだと直ぐに分かった。アイゼルは、王女ジェンナの手を取り馬から下りるのを助けていた。そして顔を近づけて話をしているのが伺える。オーレリアの心に鈍い痛みが走った。
その光景は、オーレリアの脳裏に焼き付いた。
その後、夕方まで隠れるように木立の中で彼女は一人で時を過ごす。仮初めの女辺境伯、王の情婦・・のオーレリアが居なくても誰も気にすることはない。漸く夕暮に大きな笛の音がする。狩りが終わり引き上げる合図だ。なんとか一日をやり過ごしたと彼女は胸をなで下ろす。 馬に跨りその場を後にしようとした。その時、後方から人の気配がする。オーレリアは気づかれないように手綱をきつく持ち馬を勢いよく反転させた。持っていた猟銃をいとも簡単に構える。銃を向けられたその相手は、予測していたかのように、驚く様子は無い。

「リアは、やはり亡きモンファ伯爵より馬術も銃、剣も鍛え上げられているな」
「アイゼル様……」

アイゼルはヘーゼル色の目を細める。向けられた銃口に手を添え外した。彼女は、ゆっくりと猟銃を下ろす。

「ザカリーが産まれてから十二まで、徹底的に仕込まれました。モンファ辺境伯家は代々軍人の家、私生児でもわたくししか子供がいませんでしたので……。そのことはご存知のはず」

彼女は今更ながら感心したように、アイゼルがなぜ言うのかと思った。
アイゼルは知っているはずだ。王宮で剣の手合わせや乗馬を幼い頃よく一緒にしていた。まだ彼女も幼く何も事情を知らなかった時のことだ。
オーレリアは、どうしてアイゼルがここに居るのかと思った。今はアイゼルと一緒に居たくは無い。

「宜しいのですか?こんなところにいらして、皆様がお探しではありませんか?」

アイゼルはオーレリアに馬から降りるように手を差し伸べた。彼女は、一瞬その手を取るのを躊躇う。先程のアイゼルと王女ジェンナとの様子が脳裏を掠めた。だが、直ぐに手を取り何事もなかったように装った。

「その辺は、上手くやるようにグルニーに手配してある」
「側近のグルニー侯爵様が……」

それ以上彼女は言わなかった。
オーレリアは馬から降りた。彼女はアイゼルから直ぐに距離を取る。アイゼルは、それに気付き右眉を少し上げた。

「そうでもしないとリアとは話も出来ない。寝室に居ても聞き耳を立てて監視されている。王の情交など聞いて何が楽しいのか」

いつも淡々としかアイゼルは語らないのに、何時になく口調が皮肉めいている。彼女はとても戸惑う。
「アイゼル様……」

アイゼルは、オーレリアを横目で見て視線を外す。一呼吸置いて彼女に視線を戻した。その口調は、いつもの淡々としたものに変わっていた。

「……モンターニャの王女との婚姻が決まった。半年後だ」

彼女は、一瞬言葉を失う。

『この人は、いとも簡単にわたしに婚姻のことを告げるのね……。顔色一つ変えずに、さもないように―――』

心の中が冷えていくのがわかる。そして熱くも……。

薄々そうなるのではないかと予想はしていたが、まさかアイゼル本人から告げられるとは思っていなかった。彼女の中で何かが壊れる。経緯はどうあれこの何年、アイゼルは言葉にはしなかったが、オーレリアが離宮に上がってから他の女性との関係を絶った。身体を重ねているうちに、彼女は自分がアイゼルに取って特別な存在なのではと、何処かで期待を秘めるようになっていた。アイゼルが自分に寄せる気持ちも同じなのでは……。
今はっきりとそれが傲りだと感じた。

『馬鹿な、オーレリア……』

彼女は、自分を心の中で自嘲した。オーレリアは、離宮で暮らすことで身につけたことがある。この何年か自分の心を表情に出さずに、仮面を被ることを覚えた。だが、全てを装うことが出来なかった。
緑色の冷めた目でアイゼルを見返し、そして口元だけ笑みを浮かべる。

「それはおめでとうございます。五年前のお約束通り、弟のザカリーは来年成人致します。やっとモンファの辺境伯の地位を譲れます。そして、アイゼル様の婚姻が決まるまでのお相手することも……、これでわたくしのお役目も終わりですわね。まだ半年ございますが、お世話になりました」

オーレリアは、美しく淑女の礼をした。
だが、いきなりアイゼルは乱暴にオーレリアの手首を掴んだ。オーレリアが手首に痛みを覚えるほど強い力だ。彼女はアイゼルの精悍な顔を見上げる。そこには彼女が今まで見たことのない怒りを秘めたヘーゼルの瞳とぶつかった。

「リア、お前はそれしか言う言葉が無いのか?」
「……わたくしは、何を言えば宜しいのですか?わたくしは何も言える立場ではございません」
オーレリアは、手首の痛みを隠し表情に出すことは無かった。アイゼルは、それが益々気に入らないのか掴んだ手首に力を入れる。

「他の者との婚姻を告げるわたしをどう思うんだ?なぜ、そうやって全てを受け入れるんだ?わたしが王だからか?」
「……」

怒りを露わにしたようにアイゼルは言う。
オーレリアは困惑する。一体何を言えと言うのだ?恨み言か?そんなもの言ったところでどうにもなるまい。彼女は沸き起こる感情をその瞳に宿しアイゼルを見返した。

「何時も語らないのだな。リアは、市井の血を引き私生児だと言う。それがどうした?すぐ隣のレクサノでは、皆が身分など関係なく暮らしていると言う。なぜこの国では許されず、レクサノでは許されるのだ?」

オーレリアは、アイゼルに狡さを感じた。アイゼルは何も語らないのに、自分にだけ心の内の何かを語れと言うのか?
オーレリアは、貼り付けている仮面が壊れつつあった。

「ご自分では何も語らずに……。貴方の女性関係の噂を消すための駒にわたくしをお使いになった。今更、貴方に何を言えばよいのですか?手首が痛いです。お放し下さい」
「リア、お前は……」

アイゼルはオーレリアの手首から手を外す。今度は彼女の顎に手をかけると唇を貪るように奪った。直ぐ様オーレリアは抵抗するように、手でアイゼルの肩を押しやるがびくともしない。それどころか、更にアイゼルは彼女の頭の後ろに手をやった。
その間もオーレリアの口内を熱をおびたアイゼルの舌が乱暴に動き回る。歯並びをなぞり口腔を圧迫するほど、彼女の舌と共に犯していく。
オーレリアは、それでも抵抗した。アイゼルの下唇を思いっきり噛んだ。

「――!」

アイゼルは、その痛さでオーレリアから唇を離す。アイゼルの下唇に血が滲み、それを袖で拭い去った。
一方オーレリアは、肩で息をすると険しい表情をアイゼルに向ける。平静を装うがその声に苛立ちがこもる。

「唇を重ねていいのは、一生の伴侶だけです。それが決め事ではありませんでしたか?貴方が言ったのですよ?五年前にわたくしが離宮に上がった時に――」

オーレリアの緑色の瞳はとても濃くなっている。もうその瞳に穏やかさを装うことも出来ない。
アイゼルは、ヘーゼルの鋭い視線をオーレリアに向ける。そして腕を組み彼女を見据えた。

「唇を重ねてもお前は何も語らないのだな?わたしが無能な王だからか?モンターニャから王女を迎え援助をして貰わないと国が成り立たない。貴族どもの汚職を未だ抑えられない……。わたしを」

オーレリアは、アイゼルの自分を嘲るような言い方を初めて聞いた。彼女もこの国が欲に塗れ貴族の汚職が横行しているのを知っていた。だが、それはアイゼルの父、前王の時からのことだ。アイゼルが王位について七年、それは未だこの国の深い闇である。
オーレリアは、それでも心の奥底を晒すことが出来ない。晒したところでどうにもならないと感じている。
彼女は、アイゼルに言う言葉が見つからない。そのまま、秋風と共に二人の間に沈黙が流れる。

オーレリアは頑なな態度を崩さない。アイゼルは、諦めたように口元を歪ませた。
そしていつもの淡々とした口調に戻る。

「オーレリア、通達が来たら直ちに離宮から出ろ。だが、必ず婚姻の儀には参列しろ。その後この国に留まることは許さん。出て行くがよい。これは王命だ―――。これだけは忘れるな、お前はわたしのものだ。その身体を女にしたのもわたしだ。唇を重ねたのもな……。それだけは忘れるな」

アイゼルは、もう一度ヘーゼルの魅惑的な瞳を向け、彼女だけ残し背を向ける。オーレリアはその姿が見えなくなるまで見ていた。
そして一人になり、アイゼルに掴まれた手首の痛さを感じる。そこには強く掴まれた跡が残っていた。

「狡くて、憎くて―――それでも……、わたしは自由になりたい。貴方から……この愛しい気持ちから」

彼女は絞り出すように、言葉を吐き枯れ葉の積もる地面に蹲った。




ゴーン、ゴーン、ゴーン

また古い置き時計が時を告げる。
オーレリアは、窓辺へと移動する。こちらに誰かが来るのが見えた。
どこから見ても目立つ、オーレリアと同じ赤い髪をした青年。その青年はオーレリアの姿を見つけると大きく手を振った。
それは彼女を迎えに来た異母弟のザカリーだった。
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