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第一部

19・秘密の姫との別れ

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 私は髪を切り、兄に成りきる事を決意した。

 リオンの魂に触れ、彼が私にくれた彼自身の一部は、いまは私のものとなって胸のうちにある。漠然と、『会う事もなく死んでしまった兄』と思っていたのに、リオンは母の胎内でふたり眠っていた頃の共有していた感覚を私に思い出させた。魂を分け合って生まれてきた私たち……いくら双子でも、仲も悪く志を違える者も幾らもいると聞くのに、不思議な感じだった。でも、リオンの一部は私の中にあるというのに、彼の永遠の不在が心を締め付けて、私は暫く母よりも酷く泣いていた。

 兄さん……一緒に育って暮らせたならどんなに幸せだっただろうか。



 決めたからには万一にも心が揺らがないうちにすぐにリオンと同じ短髪にしてしまわねば、と思ったけれど、ひとつだけ心残りがあった。どうしてこんな事をしたいのか、最初は自分でも良く解らなかったけれど、多分私は、リエラを封印してしまっても、傍にいるひとがリエラを忘れないで欲しいと願っているのだろう、と思った。

 私は母におねだりをした。母は私の気持ちを解ってくれたようで、快諾してくれる。若い頃のドレスの中から特に気に入っていたという淡い水色の上品で素敵なものを貸して下さり、自らの手で髪を結って下さった。



「私が貴女くらいの年齢の頃の姿にそっくりだわ」



 と母は言い、その頃の絵姿を見せてくれる。同じドレスを着たその絵と鏡に映った私は、別人には見えなかった。



「妙な話だけれど、レリウスの想像した通りの姿に育ったという訳ね」

「はあ……」



 そう、私のおねだりは、男になる前にアークリエラ姫の姿になりたい、というものだった。私は鏡の前でくるりと回る。光沢を保ったままの昔のドレスがふわりと翻る。母は少し涙ぐんで、



「本当にいいの……? こんなに若くてお洒落を楽しみたい年頃なのに」

「そんな事元々思った事ありませんもの。私はただ、本当の自分を記憶に止めたかっただけ。そしていつかこの姿に戻れると信じて頑張るの。大丈夫、リオンがたくさんの記憶を私に遺してくれたから、私、うまくやれると思います」

「でも……恋もする年頃でしょう。貴女、好きなひとはいなかったの? まあ、トゥルースの厨房のひと、なんて言われてもそれは困るけれども……」



 トゥルース、と言われて反射的にゼクスの顔が思い浮かぶ。私がトゥルースで育ってきて、心を許した男の子なんてゼクスだけ。でも、ゼクスとはとんでもない身分の差があると思っていたから、好きとかそういう気持ちで見た事はなかった。



「……」



 もうひとりの、心を許した男のひとと言えば……私を男にする為に近付いて来た人。最初はすごく胡散臭く見えて全く信用する気にもならなかった。まだあの出会いから十日程しか経ってないなんて嘘みたい。かれは私にリオンでいて欲しいのだし、私もそう決めたのだから、そんな気持ちが生まれる筈はない……。



『無理はなさらないで下さい』



 私が髪を切ろうかと言った時、かれはあんな事を言っていたけれど、もう自分で決めた事だし、無理なんかしてない。でも、どうしてあんな事を言ったのかな……。



「好きなひとなんていません。でも、お母さま、そんな悲しそうなお顔をなさらないで? 私、いつかはこの国の悪い所を取り除いて、古くて馬鹿馬鹿しい因習も打ち破って、周囲を認めさせて女に戻るつもりなんだから。何年も、何十年もかかったって、そうね、お婆さんになるまでには。そうしたら、きっとそういうひとも出来るかも」

「リエラ……」





 うーん。この流れで、もうひとつのお願いを言い出しにくい。何か誤解されてしまいそう。でも、時間が惜しい。早くリオンの姿になって、人前に出ても不自然ではないようリオンの練習をしなければならない。色んな癖、周囲のひとのこと、様々な情報が今はリオンが私の中に遺してくれたので、うまく出来ると思うけれども……。



「あのう、お母さま、もうひとつお願いが……」



―――



 私がアークリエラの姿を見せておきたいと思ったのは、ジークがこれからずっと傍にいるひとだからだ。ジークとリオンは兄弟のように育って深く信頼し合う仲だった。だから私もジークとそういう関係を築かなければならない。その為には、ジークに私の真実の姿を記憶に留めておいて欲しい……これが私のもうひとつのお願いだった。

 ジークはあの変態王さまの所でドレス姿の私を見てはいるけれど、バタバタしていたし、あんな品のないドレスで愛妾の為の館での姿ではなく、この生まれ故郷の生まれた場所で、お母さまのドレスを着た私を見て欲しい。



 私のお願いを聞いて、母はやっぱり少し誤解したみたいだけれど、私は、そういう気持ちではない、ときっぱり言い切った。だってリオンは側近のジークを兄と思っていたのだから、これからは私にとってもジークは側近かつ兄なのだもの。



 ジークは自室で休んでいる、という事で、私は深くヴェールを被ってこっそりと部屋に連れて行って貰った。

 眠っている様子だそうだけど、時間が惜しいのでそっと部屋に入らせてもらう。状態が悪かった時でさえ、ジークは私の危機に目を覚ましたのだから、だいぶ落ち着いたという今なら、私の気配ですぐに目を覚ましてくれるだろう。



 立派なしつらえの私室だけれど、置かれている私物は簡素で実用的なものばかり。装飾品なども殆どない。いかにもジークの部屋らしい……そう言えば、勝手に入って悪かったかな、と部屋の真ん中まで来てから思いつく。二人きりで一緒に旅をしてきたものだから、男の人の部屋に勝手に入らせて欲しいなんて不作法だという事に気がつかなかった。駄目だな、ちゃんと王子さまをやれるのかな、と初めて不安が湧いた。



 あの山小屋で雑に巻かれた包帯に血が滲んでいた時とは違い、立派な寝台で頭に丁寧に清潔な包帯を当てられて眠っているジークは、随分顔色も良くなったようで私は改めてほっとする。カーテンの隙間から夕陽が差し込み、ジークの銀髪を煌めかせている。

 私が入って行けばすぐ目を覚ましてくれるだろうと思ったのに、かれは規則正しい寝息を静かに立てたままだ。私の勝手な気持ちで起こしては悪いだろうか? でも機会はいましかない。次にアークリエラになれるのは何年後なのか、もしかしたら一生そんな機会は来ないかも知れない、と思うとたまらない気分になって、私はそっと寝台に近付いた。



「ジーク……」



 呼びかけると、かれはようやく瞼を開いた。そしてはっと息を呑んだ。



「リエラさま……!!」



 流石に今は王女の姿なのだから、リオンと見間違う事はなかった。でも、目を瞠って私を見つめているかれの表情は今まで見て来た冷静なものとは違い、酷く驚いているようにも見えた。思わず起き上がろうとして傷が痛んだらしく、小さく呻いて頭に手をやった。



「起き上がらないで。早く良くなって」



 と思わず私は言う。



「どうしてこんなところに?」

「見て欲しかったの、アークリエラを。それから、今までのお礼もまだきちんと言ってなかった。ジーク、私を両親に、そしてリオンに会わせてくれてありがとう」

「リオン……リエラさまも会われたのですか」

「え、ジークも?」

「はい。別れの挨拶をしに来てくれました……やっぱり夢ではなかった……」



 ジークの銀の瞳が湿り気を帯びる。無意識に口調は弟を偲ぶ兄のようになってる。



「リオンは、リオンの一部は私の中にいるの、ジーク」

「え?」



 私は氷室での出来事を話す。ジークは更に感慨深そうに、



「そんな事が……あるのか……。では、リエラさまは益々リオンの分まで幸せになって頂かなくては」



 と呟いた。



「リオンのしようとした事、この国を建て直す事が私の幸せ。私、頑張るから、ジーク……」



 何故だか不意に胸が苦しくなったけれど、続きを言う。



「ずっと傍で私を助けてね。絶対にもう大怪我しないで……」

「え」



 ……「え」? 何でそんな返事が今出るし? ど、どういうこと? 私、何もおかしな事言ってないよね。

 でもジークは深く息をついて、



「リエラさま。姫君の警護は女騎士が致します。リエラさまの安全に関しては、勿論全てわたしが責任を持って手配しますが、騎士団長であるわたしがリエラさまのお傍にずっとついている訳には参りません。申し訳ありません」



 なんて言ってきた!



「姫君ってなに。私はリオンになるのよ? ジークはずっとリオンと一緒だったんでしょ? なんで駄目なの?」

「……リオンに? リエラさまは、ご両親のお勧めの通りに、表向き養女の姫になられるの、では?」



 あっ! ジークは私のドレス姿を見て、私は女として生きると決めたと思っているんだ!



「違う、違うのよ。これは、封印してしまうアークリエラの姿を、ジークに覚えていて欲しくて……」



 ……なんか言葉にしてしまうと、馬鹿な事やってる気がしてきた。ジークは驚いた顔で、



「封印? では、わたしのお願い通りに国の為にリオンの身代わりになるつもり、と?」

「そうよ。でもこれは私が自分で決めた事なの。ジュード達みたいな人をこれ以上増やさず、みんなが幸せになる為に、私はリオンの代わりにお父さまをお助けして王太子として生きて、平和を勝ち取るの」

「リエラさま。本当のお望みなのですか?」

「勿論よ。だから、手伝ってくれるでしょ?」

「それは無論、この命尽きるまでお傍でお守りし、助力致します。絶対にリオンさまのようにはさせません。けれど、本当にいいのですか」

「何度も聞かないでよ。決めたって言っているでしょ」

「けれど、最後にドレス姿を見せたいなど、やはり女性の暮らしに未練がおありなのでは?」



 指摘に対してかっとなってしまった。ジークは女心に極端に疎い人なのだという事は頭から吹っ飛び、恥ずかしさを包み隠す為に怒りが湧いたのだ。



「ジークの馬鹿っ!! もういい!! こんなの忘れていいから!! リエラの事はもう忘れてっ!!」



 八つ当たり気味に叫んで、私は振り向きもせずにジークの部屋を飛び出した。

 ……本当に滑稽だ。私……何でこんな事しようと思ったんだろう。さっさと髪を切ろう。
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